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5.顔も見たくない!!

『会社の業績は今期も上々、新製品のお菓子の売れ行きも良いようです……』

「あ、ありがとう……」


 先生に相談したその夜、はづきの夢はいつもとは少し異なり、豪邸の中にある仕事部屋から始まりました。お洒落なドレス衣装という外見は普段どおりですが、たくさんの難しそうな本に囲まれている上に、目の前には悩みの種になっていたあの執事ブラッシュが、淡々とお貸し会社の成績を述べている、と言う奇妙かつ窮屈な状況でした。

 しかも、そんな状況に加えて彼女を複雑な気分にさせてしまうのは、隣で様々な専門用語を並べながら状況を話す執事ブラッシュでした。この会社の業績が今日も快調である、と言う事を言ってくれているのは分かるのですが、それ以上の事はさっぱり分からず、はづきはただ頷くしかありませんでした。

 まるで自分の心の中に現れた不安の気持ちが、そのまま夢の中に出ているような状況でしたが、それでもこの夢の中のはづきはお菓子会社のお嬢様、会社の成績を聞かないわけにはいかない、と考え、ブラッシュへの対応を続けました。


 とは言え、彼女にとっては非常に退屈な時間で、夢の中なのについ居眠りをしてしまいそうな心地でした。

 しかし、ある単語が執事ブラッシュの口から出た途端、彼女は目が覚めました――夢の中ですが。


「虫歯……虫歯が、どうかしたの?」

『ええ、この会社のお菓子ばかり食べていると虫歯になる、と言うクレームが我が社にありまして』

「クレーム……『正論』を含んだ悪口でしょ、要するに?」


 その通りだ、と珍しくはづき『お嬢様』の皮肉に対して素直に応えながら、ブラッシュは尋ねました。この場合、会長としてどのような判断を下すべきか、と。それに対し、彼女はすぐに答えました。確かに自分たちのお菓子会社がそのような事態を引き起こすのは悪い事なので、それを事前に防ぐように様々な活動――例えば、『歯みがき』をより浸透させる、と。

 ところが、その言葉が口から出た途端、はづきの顔は曇ってしまいました。そしてそんな彼女の心をわざと読み取るかのように、ブラッシュははっきりと告げました。


『……今のお嬢様に、一番必要な事かもしれないですね』

「……ブラッシュ、それって……」


『決まっています。貴方は『歯みがき』をするべきです』


 普段よりも強い口調で、ブラッシュは「現実」での彼女の行動についての説教を始めてしまいました。確かに、せっかくお母さんたちが買ってくれた歯ブラシを全く使わずに放置し、簡単に口をゆすぐだけで歯のケアを終えてしまう毎日は良くないかもしれない、というのははづきも薄々思っていました。ですが、それを口煩く言う執事を見ているうち、何故そのような事を『彼』から言われなければならないのか、と彼女は苛々し始めました。

 そして、執事の言葉を中断させるかのように立ち上がった彼女は、はっきりと告げました。いくら正論でも、そんなに厳しい事ばかり言われれば従う気になれない、と。


「……正論ばかり……」


 厳しい言葉を投げられた執事は、しばらくはづきの顔を無言で見つめ続けていました。眼鏡の奥から見える知的な瞳や整った顔つき、そして流れるように美しい長髪など、彼もまた黙っていればはづきにとってはまさに理想的な憧れのイケメンでした。しかし、口を開いた途端、あっという間にその幻想は崩れ、執事は彼女を悩ませる種へと戻ってしまいました。彼もまた、自分の言い分こそが正しい、と一歩も譲らなかったのです。


『夢の中だからこそ言えるのです。はづきお嬢様』

「そんなに私の邪魔をしたいの?」

『そんなはずはありません。はづきお嬢様、今すぐ歯を磨いて頂かないと手遅れに……そもそも明後日は……』


「何よ!あんたに関係ないじゃない!」

『関係あります!!』


 いい加減に歯を磨きなさい、とブラッシュはとうとう言葉を荒げてしまいました。今までの嫌味や説教とは異なる、完全に心の中に溜めていた怒りを彼女にぶつけてしまった格好でした。

 はづきには、その時彼がどのような顔をしていたのか分かりませんでした。いえ、わざと目を背けて、彼の顔を見ないようにしていたのです。最早、彼女も心の中に溜まった我慢が限界に達していました。今まで何度も御曹司とのデートを邪魔され、夢見心地を悪くさせた挙句、強制的に苦手な歯磨きをさせようとするブラッシュの顔など、二度と見たくない――そんな気持ちでいっぱいでした。



「……ブラッシュ、貴方の言葉、全然良い薬じゃない。ただの『毒』ね」

『……はづきお嬢様』

「黙って!」


 そして、彼女ははっきりと自分の決意を伝えました。その言葉を一度聞いても動かなかった執事――いえ、「元」執事に対して、彼女はもう一度、今度は大声で怒鳴りました。もうその姿なんて見たくない、とっとと自分の夢の中から出て行って――彼女は怒りのまま、罵声を目の前の男に浴びせ続けました。やがて、言葉は涙へと変わり、全てが白く消え失せる中で――。



「……あっ……」



 ――はづきは、ようやく『悪夢』から目覚める事が出来ました。


 デジタル時計は普段起きるよりも少し早い時間を示しており、昨日のような遅刻ギリギリではありませんでした。しかし、はづきの顔や体には、まるでずっと何かを焦っていたかのように、たくさんの汗がこびりついていました。


「はづき、昨日は大丈夫だった?」


 朝ご飯を食べるときにお母さんからそう言われるほど、彼女は昨日の夢の中でうなされ、悩まされていたようです。ただ、その甲斐あって、ついに彼女は日々夢見続ける光景から厄介者を追い出すことが出来ました。これでもう、夢の中で正論を言われ、イライラする事無く楽しい時間を過ごす事ができるでしょう。


「……うん、心配しないで。大丈夫だから」


 ですが、はづきは何故か、素直に笑顔を見せる事が出来ませんでした。

 あの口煩く嫌味なドS執事を「クビ」にしたはずなのに、彼女の心に安らぎは訪れなかったのです……。

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