3.クビにしちゃえば?
『へえ……そんな事が……』
「うん……」
その日はづきが見た夢も、以前と同じくお菓子会社のお嬢様となり、大富豪の御曹司ペリオンと仲良くする、と言うものでした。
ここが自分が見ている夢である、と言う自覚を持っていた彼女は、現実世界で起きたありのままの出来事や、昨晩の夢の事を思いっきりペリオンに伝えました。執事ブラッシュに嫌な事を言われてしまい、それを学校まで引きずってしまい1日中期限が悪かった事も含めて。
「もう、別に歯磨きなんてしなくても虫歯にならないのに……」
『ん、どういう事かい?』
昨日の夢に一度も現れる事が無かったペリオンに、はづきは一昨日自分が聞いた事――世の中には虫歯になりやすい人となりにくい人がいて、なりにくい人は一生虫歯にならない可能性があると言う内容を話しました。だから歯磨きなんてしなくても別に良いんじゃないか、と考えを述べた彼女の考えを、ペリオンは優しい笑顔で大いに褒め称えました。一生虫歯にならない体を持っているのは素晴らしい事だ、と。
彼女の夢に現れる登場人物という理由なのか、彼もまたはづきが「起きている間」に経験した様々な事を何の違和感も見せずに楽しく聞いていました。
『ま、ここでは君は僕のプリンセスで、お菓子会社の会長さ』
だから、あそこにたくさんあるアイスクリームも、山盛りに積まれたチョコも、たくさん設置してあるポテトチップスも、好きなだけ食べればよい、とペリオンは言いました。その言葉に笑顔で従い、はづきは近くにあったバニラ味のソフトクリームを持ってきました。勿論、ペリオンの分もしっかり用意しています。
『ありがとう、はづき』
「心配しないで、一緒に誰かとお菓子を食べるって楽しいもん」
そうだよね、と笑顔を見せながら、二人は仲良くソフトクリームを舐め始めました。ですが、いつの間にかはづきの手は止まってしまいました。目の前で美味しそうにソフトクリームを食べているイケメン御曹司の美貌に、つい目がいってしまったからです。優しそうな瞳、どんなお菓子も美味しく食べてくれそうな口元、そして真っ白な歯――。
『……あれ、どうしたの?ソフトクリーム溶けちゃうよ?』
「……あ、ごめんごめん!」
――幸い、ソフトクリームが溶けきる前にはづきは全て食べ終えることが出来ました。夢の中とは言え、その舌触りや甘さは絶品。この美味しい記憶が、起きた後もずっと残るのだと考えると、彼女はとても嬉しくなりました。
そしてイケメン御曹司のペリオンは、彼女を食後の散歩に誘いました。最初は舞い上がりそうになるほど嬉しい気持ちが溢れたはづきでしたが、すぐに表情を曇らせてしまいました。こういうパターンになると、毎回何かしらの邪魔が入ってくることを、彼女は嫌と言うほど感じていたのです。そして、そんな彼女の気持ちを、ペリオンは見抜いていました。
『……執事ブラッシュの事かい?』
「う、うん……」
彼女の夢の中に度々顔を出すもう一人のイケメン、はづきに仕える眼鏡執事のブラッシュの事です。確かに彼もまたはづきが好みそうな美貌を有していましたが、彼女の理想とは正反対にこの執事は口煩く、何かにつけて正論を並べては彼女を苛立たせるドSな心を有していたのです。
「こうやって楽しんでるといつもやってくるでしょ?」
『そうだよねー。言っちゃ悪いけど、あいつは本当に仕事熱心だからね』
勿論、ペリオンの褒め言葉は皮肉を含めたものでした。自分の仕事ばかりに熱心すぎて、はづきを喜ばせるという執事本来の目的をすっかり忘れているのではないか、と正直に彼は告げました。それはまさに、はづきが心の中でずっと抱いていた不満と全く同じでした。いつも彼が乱入するたびにイライラして叫んでしまい、その拍子に目が覚めて楽しい夢が終わってしまうからです。
どうすれば良いだろうか、悩むはづきの耳に飛び込んだのは、ペリオンが告げた予想外の解決策でした。
「……え、ブラッシュを!?」
『しー、声が大きいよ……』
そして、そっと彼女の耳元に近づいたペリオンは、顔を真っ赤にさせる彼女に対し自分の考えを小声で事細かに伝えました。いくら彼が生真面目で逆らえないような雰囲気を醸し出しても、所詮ははづきお嬢様に仕える執事。彼がこれからどう生きるかは、彼女の考えによって左右される――執事ブラッシュから「執事」と言う札を奪うことだって可能だ、と。
「ブラッシュを……クビに……」
『ま、これはあくまでアドバイスだけだからね。決めるのは君の意志さ』
一時の怒りに身を任せるのは良くないが、だからと言ってストレスをこのまま溜め込みすぎると絶対に碌な事は起きないだろう、とペリオンは言いました。ですが、そのアイデアにはづきは大きく心を揺れ動かされていました。いくら相手が強く言おうと、自分には「お嬢様」と言う権力があるという事を、改めて知ったからです。ですが、それでも彼女には躊躇する心が残されていました。ペリオンの言うとおり、いくら夢の中とは言えほんの一瞬の怒りだけで登場人物の命運を決めるような判断をしてよいのか、と。
また顔を曇らせてしまったはづきの頭を、ペリオンは優しく撫で、彼女を慰めました。そんなに焦って決める必要はない、と励ましながら。
『暗い気持ちを忘れるには、運動が一番さ。お嬢様、ご一緒に散歩などは?』
「……うん、分かった!」
ご同行させて頂きます、とペリオンに丁寧な口調を返した彼女は、ずっと座っていた椅子から立ち、夢の中で彼女が持つ巨大な豪邸の庭を一緒に探索し始めました。
幸い、この日の夢の中にあの執事ブラッシュが現れることはありませんでした。そのお陰でしょうか、はづきは久しぶりによい目覚めを迎える事が出来ました。ただし――。
「い、いってきまああす!!」
――歯を磨く時間すらないほどの寝坊になってしまいましたが。