11.勝利の切り札
はづきの体を縛り、自由を奪うベルトをどうしたら取れるのか、執事ブラッシュは気づいていました。どれだけ力を入れても、どんな器具を使っても、それを取る事は出来ません。方法はただ1つ――。
『ほう、随分見た目だけは良いじゃないか』
『そっくり返しますよ、御曹司の『ぺリオン』殿』
――サーベルを振りかざしながら決闘を申し込んだ悪魔のようなイケメンを倒す事だけなのです。もしここで負けてしまうと自らの命が危ういばかりか、現実世界のはづきにまで『歯周病』と言う恐ろしい病が降りかかってしまうでしょう。絶対に負けられない戦いを前に、ブラッシュも自らの武器を相手に向けました。
ところが、彼が振りかざすその武器を見たはづきは目を疑いました。どう見てもそれは剣ではなく、掌で柄を握るほど巨大な『歯ブラシ』だったからです。
「え、え……!?」
しかもただの歯ブラシではありません。白く透明な柄、良くも悪くも綺麗なブラシ…その形は、「現実」のはづきがずっと避けていた、あの歯ブラシそのものでした。どうしてブラッシュはあんな武器を突然取り出したのかと悩む時間は彼女にはありませんでした。目の前で正邪のイケメン同士による決闘が始まったのです。
『はああっ!!!』
『ふんっ……くっ!!!』
サーベル対歯ブラシと言うシュールな見た目とは裏腹に、両者の実力は互角でした。『歯周病』の放つ一打を執事ブラッシュが的確に防ぎ、反撃のチャンスを見つけようとする一方、ブラシ部分を相手の体に当てようとする彼の攻撃もまた『歯周病』に跳ね返され、なかなか決定的な一打をお見舞いする事は出来ませんでした。
一進一退の攻防の中で、はづきも何とか執事ブラッシュの助けになりたい、と考え、大きな声で彼を応援し始めました。手足は動かせどベルトが取れなければ身動きが取れない今の状況、しかも体が自由になったとしても非力な自分には何も出来ない、だからこそ応援で彼を後押しするしかない、と彼女は思ったのです。
ところが、次第に戦局は――。
『……ぐっ!!』
『ふふふ、疲れてきたのかな?』
――あの恐ろしい『歯周病』の方に傾き始めてしまいました。何度も鍔迫り合いを重ねる中、執事ブラッシュは少しづつ疲れを見せ始めてしまったのです。あの時大量の部下を相手に圧倒的な力を見せつけた事も体に響いているようでした。
「ブラッシュ、頑張って!!」
はづきは必死に応援しましたが、それでも彼は『歯周病』のサーベルを避けたり防いだりするだけで精一杯、反撃をする事も難しいような状況に追い込まれてしまいました。そしてついに――。
『うわあああっ……ぐっ……!』
「ブラッシュ!!」
――彼の腕に、鋭いサーベルの刃が触れてしまいました。わざと擦り傷で済ませてやった、と言う『歯周病』の言う通り、体の傷は浅いものでしたが、次に攻撃を受ければどうなるかは、破れて床に落ちた燕尾服の欠片が示していました。それでもなお、息も絶え絶えになりながらブラッシュは『歯周病』の前に立ちはだかりました。
『お嬢様は……絶対に……守り通して見せる……』
ですが、これ以上立ち向かったとしても、『歯周病』の猛威の前には敵わないような状況です。一体どうすれば良いのか、最早私だけの応援だけではどうしようもないのか、とはづきが諦めかけた、その時でした。ふと彼女は、自分の右手に何かが握られている事に気付いたのです。
縛られていない右腕を動かし、その物体を目の前に寄せた瞬間、彼女の耳に『歯周病』の声が響きました。
『無理だ!君にはどうせ扱えない!!』
その声は、今までの余裕と嘲り混じりのものとは違い、どこか必死さを滲ませたようなものでした。当然でしょう、彼ら『歯周病』にとって、適切な『歯磨き』は天敵に等しいものですから。ですが、それを行う道具――『歯ブラシ』を見た途端、彼女はついそれを自分の体から離してしまいました。
『お嬢様!』
ブラッシュが叫ぶ理由と『歯周病』がどことなく慌て出した理由、どちらともはづきは何となく分かっていました。今の自分が出来るのは応援ではないと言うことを。しかし、口の中で蠢く痛々しいブラシの感触が、それを出来なくさせていました。あの時『歯周病』がわざわざ教えてくれた過去の嫌な記憶が、はづきを躊躇させてしまったのです。無理やり押し付けられてしまったブラシのトラウマを。
「どうすれば……どうすれば……!」
苦悩する彼女の目の前で、執事ブラッシュは『歯周病』に追い詰められていました。切れ味抜群のサーベルを前に、彼の武器でもある巨大な歯ブラシはボロボロになっていったのです。それでも闘志を失わず立ち向かう執事でしたが、目の前のサーベルばかりに夢中になり、足回りががら空きである事を『歯周病』は見逃しませんでした。
次の瞬間、バランスを崩された執事ブラッシュは強烈な蹴りを食らい――。
『うわああああああ!!!』
「ぶ、ブラッシュ!!!」
――ついに倒れ込んでしまったのです。
嬉しそうな笑みを見せながら、武器を構える事もままならない執事の体を『歯周病』は何度も蹴りつけました。誰も剣だけ使えとは言っていない、卑怯だと思う奴は甘いだけだ、と言いながら。その凄惨な現場から目を反らそうとした時、はづきの耳に、執事ブラッシュからのかすかな声が聞こえてきました。
『……優しく……優しく歯に触れさせ……ぐっ……そうすれば……痛く……がはっ……!!』
その言葉は最後まで続かず、『歯周病』の打撃によって強制的に止められてしまいました。ですが、彼の思いははづきの心に十分届きました。今までの彼女は、ただブラシはゴシゴシ擦るものだとばかり考え、『優しく』触れさせると言う発想は全く浮かばなかったのです。
まだ怖そう、痛そう、と言う思いはあります。ですが、ここで覚悟を決めなければ、自分や執事を助けることは出来ません。
私を舐めるな――あの時ブラッシュが告げた言葉を思いながら、はづきは決意しました。
『……これで終わりだ、執事ブラッシュめ!!』
そして、とどめを刺そうとした『歯周病』の攻撃は――。
『……!?』
『……ふう……』
――彼が仕えるはづきお嬢様が行い始めた『歯磨き』によって力を取り戻した執事ブラッシュによって防がれたのです!




