10.ブラッシュの帰還
『お嬢様を……お嬢様を離しなさい!』
『威勢が良いね、『元』執事さん♪』
椅子に縛り付けられたはづきお嬢様の目の前で、屈強な男たちに囲まれながら2人のイケメンが互いを睨み合い、対峙していました。黒いスーツ姿に笑顔を隠さないイケメンと、灰色の髪をたなびかせるイケメン執事です。
ごれだけならはづきがこれまで何度も見た光景かもしれません。ですが今回は全く違いました。今のはづきには、どれだけ厳しい言葉を言われてもどれだけ口煩く小言を聞かされても、あの執事ブラッシュだけが最後の希望だったのです。しかし、笑顔を見せたはづきに対し、そちらの方を振り向いたイケメンの『歯周病』は彼女を鼻で笑いながら言いました。実に都合が良い考えの持ち主だ、と。
『何が『執事』だ?あのイケメン執事をクビにしたのは君の責任じゃないか。ねぇ、はづきお嬢様』
そう、彼の言う通り、口煩いイケメン執事のブラッシュに耐えられなくなった彼女は、あの時面と向かってクビだと宣告し、無理やり立ち去らせてしまったのです。その事を思い出し、顔を青ざめながら執事から目を逸らそうとしたはづきの耳に、意外な言葉が飛び込んできました。いつも正論や文句ばかりを並べて嫌味ばかりの執事ブラッシュが、面と向かって『歯周病』の言葉を否定したのです。
『たかが1つの過ちを……やり直せる過ちを、ネチネチ突っ込むとは……』
『……それがどうしたんだい?』
挑発めいた『歯周病』の言葉が出た直後、ブラッシュは叫びました。お嬢様を舐めるな、と。
その声には何の嫌味もなく、ただお嬢様を信じると言う彼の気持ちだけがぎゅっと込められている事を、はづきは感じ取りました。そして、それに応えるかのように彼女もはっきりと、あのような事を言ってしまって、今まで言う事を聞かないで申し訳ない、と謝りました。涙が出そうになっても構わず、彼女は溢れる気持ちを言葉に変え続けたのです。
「ごめん……ごめん、ブラッシュ……!!」
『いえ、はづきお嬢様がご無事ならそれだけで……』
そして、あの時の発言を取り消したいと言うはづきの言葉にブラッシュが嬉しそうに頷いた、まさにその瞬間でした。
『……目障りだ!!!』
怒りを露わにした『歯周病』の叫びが轟いた直後、はづきの口が隣にいた彼の部下によって抑えられてしまいました。手の動きも封じられ、足をいくら動かしても逃げられない状況になってしまった彼女を助けようとブラッシュは身構えましたが、その目の前にあの屈強な男たちが立ちはだかりました。
『随分と集めましたね』
『ああ、僕の自慢の部下さ♪』
そして『歯周病』は、この部下たちこそが歯垢を餌にしながら歯ぐきや骨を蝕むバイキンたちである、と告げました。皆どれも人々から歯を奪わせる事ぐらい簡単に出来る力を有している、と付け加えながら。ですが、それを聞いたブラッシュは、自信満々な笑顔を見せました。そして、彼らを指差しつつ嫌味さを全開にしながら言いました。図体だけでかい『在庫処分品』を、よくこんなに古物市で買い集めたものだ、と。
口を押さえられ声が出せない状況のはづきは、怒りに表情を歪める『歯周病』たちの様子に恐怖を感じました。ですが、彼女の目に飛び込んだブラッシュには全くそのような感情は見えませんでした。このような連中に負けるような自分ではない、と言う自信に満ち溢れていたのです。
そして、直後に始まった戦いは、見事にそのような展開になりました。
『ぐわあああっ!!』
『がああああっ!!』
『……ふっ、贅肉の塊ばかりですね』
自らの屈強な肉体や手に持ったナイフなどの武器を使って襲いかかった『歯周病』の部下たちは、俊敏な動きと隙を逃さない冷静さを持ち合わせた執事ブラッシュの前に手も足も出なかったのです。
長い足から繰り出される華麗な蹴りや一見細そうな体からのタックルによって、凄まじい力を持つはずの部下は次々になぎ倒され、泡を吹いて気絶してしまいました。気づけば残された部下は、はづきの口を塞ぎ続ける1人だけになっていたのです。その状況に恐れをなした男ですが、まだ切り札があると言わんばかりにはづきの体を椅子ごと持ち上げようとしました。そして口を押さえていた手を離した直後でした。
『……!!』
男の体を掠めながら、白い棒状の何かが凄まじいスピードで飛んできたのです。それに気を取られた瞬間、最後に残った部下も、執事ブラッシュの鮮やかなキックの前に倒れました。
参ったと言わんばかりに気絶する男を尻目に、急いでブラッシュははづきお嬢様の元へ向かいました。彼女の動きを封じるベルトを解くためです。しかし、先程まで圧倒的な力を見せつけていた執事でも、あまりに固いベルトを取るのは困難のようでした。そしてしばらく悪戦苦闘していた彼は何かに気付いたような顔をし、はづきにその事を伝えようとしました。
ですが、その直前――。
「ブラッシュ、危ない!!!」
――はづきの叫びを聞いて急いで避けた彼の左の頬の近くを、鋭く尖ったサーベルが伸びていました。
その持ち主は勿論――。
『まだ僕がいるよ、執事ブラッシュ』
『……そのようですね……『ペリオドンティティス』』
――冷たい目を向けながら、執事に対して無言で決闘を申し入れる、『歯周病』でした……。




