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愛しい娘

作者: 月桂樹

私には娘が一人いる。


誰よりも可愛くて、愛しくて、大事な娘だ。


私のたった一人の家族だ。



小さな柔らかい手足。


きょとんとしたあどけない表情や、無邪気な笑顔を浮かべる顔。


明るい色の、指通りのいい髪と、同じ色の瞳。


まるで、天使のようだ。




あまりの可愛さに、皆が娘を欲しがった。



この子の母親は、この子を連れて他の男の処へ行こうとしていたので、この家から追い出したら帰ってこなかった。

その男と一緒に、どこかにいるのだろう。



俺の両親も、義理の両親も、俺からこの子を奪おうと来たが怒ったらもう来なくなった。

四人で一緒に、どうやって奪うか考えているのだろう。



知らない男女も何度か来たが、こちらも怒ったらいなくなった。



娘は日に日に可愛くなった。



抱きついてくる甘えん坊の娘を見て。

俺はふと、母親に似てきている事に気づく。

何よりも可愛い笑顔の中にも、あの女の面影が見えた。


母親のように、俺の処からいなくなってしまうのではないか。

そう思った俺は。

気づいた日から、毎晩娘に言い聞かせた。



「母さんのように、俺の処からいなくなるな。ずっと二人で、一緒にいよう」



娘はにっこりと笑って、その度に頷いていた。



それでも似ていく娘に俺は焦りを覚えた。


俺から奪おうとする人も増えている。


このままでは、大きくなったら。

いや、もしかしたら大きくなる前に俺の元からいなくなってしまう。



そう思った俺は。




娘に一つの魔法をかけた。


もうこれ以上育たないように。


ずっと一緒にいるために。




魔法をかけた娘は、もう成長しなくなった。

元気だった娘が少しだけ大人しくなってしまったけれど、俺は娘が傍にいてくれるのが何よりも嬉しかった。


いつまでも、一緒だと。


もう、どこにも行かないのだと。




俺は幸福だった。




俺の。




俺だけの愛しい娘。

しかし。


ある日、その幸福は壊された。




いきなり、十人ほどの人相の悪い男たちが部屋に押し入り。


俺を捕まえたのだ。



言葉はなくとも、俺にはわかった。



こいつらは、娘を奪いに来たのだと。



駄目だ。そんな事をさせるものか。


娘はいきなり聞こえた怒声や大きな音に怯えている。


はやく傍にいってやらなければ。

声を出さずに泣いているであろう、娘の傍に。

怖がっている、愛しい娘の傍に。

俺は力の限り暴れた。


噛みつき、引っ掻き、腕を脚をめちゃくちゃに動かそうとした。


しかし、拘束は外れず。

もっとキツくなった。



動けない俺は家の外へと引きずり出された。

視界の片隅で、娘の部屋の前に行く男が見えた。



駄目だ駄目だ駄目だ!



俺の!

俺の、娘!



もう一度暴れたが、拘束が外れることはなく。



俺は叫び声をあげながら、引きずられていった。







若い男は、家に入った途端顔をしかめた。

「…すごい腐臭ですね。鼻が曲がりそうだ」

「ああ。そういや、お前は腐ったやっこさん、見たことなかったっけ。見て吐くなよ?」

年配の男に言われて、若い男はむっとした顔をした。

「大丈夫ですよ!色んな写真とか見たことあるんですから!」

「写真には匂いも雰囲気もねぇだろうが」

そう言うと、年配の男はさっさと奥の部屋へ向かった。

「そりゃ、そうですけど…」

内臓なんかが飛び出してるとか、頭が爆発してるとか、五寸刻みになってるわけじゃあるまいし、などと呟きながらついていく。

そして、奥の部屋の前につくと、年配の男は若い男に開けるように促した。

「いい経験になるだろ。開けてみろや」

大丈夫だと言った手前、断るわけにはいかない。

意を決して、若い男は扉を少し開けた。

「うっ…!?」

部屋の外とは比べ物にならない程の腐臭が部屋から溢れ出てきた。

一気に吐き気が若い男を襲う。

慌てて男は扉を閉めて、背中を向けた。

部屋の外の空気が楽に思える。

「おいおい、どうした若いの」

「…無理です」

「もうギブアップかよ…」

呆れた声。

そして、一瞬躊躇したが、若い男もハンカチで口と鼻を覆い、気持ちを落ちつけてからなんとか入った。

中は子供部屋のようだった。

ピンクの花柄の壁紙。

しばらく洗濯していないのだろう、黄ばんだカーテン。

小さな机には勉強道具はなく、あるのは写真立てに入った写真がいくつかと本だけだ。

若い男は一つを手に取る。

写真の中には少し痩せ形のメガネの男と、可愛い十歳くらいの女の子が笑っている。

どこにでもある幸せそうな写真だ。


そして、この写真の女の子は、今、ベッドの上で腐臭を放っている。


「…あーあ…可哀想に…」

年配の男はベッドの布団を剥ぎとりながら呟いた。

ベッドの上には十歳を少し上くらいの腐敗した死体が転がっている。

髪の毛と服で女の子と判断する。

後ろから肩越しで覗き込んだ若い男がウっと仰け反ったのを感じた。

いつもなら「失礼だろうが!」と怒鳴りつける処だが、今回が初めてらしいし、なかなか強烈な光景なので許してやる。

そして、静かに手を合わせた。

「…マジで過ごしてたんですかね、ここで」

「ああ、そうだろうな」

「おかしいッスよ、こんなの。狂ってる」

「狂ってるんだよ、馬鹿。狂ってなきゃ、全然関係ねぇ奴やら妻やらその浮気相手やら両親やらを殺さねぇだろうが。ついでに言うと娘もな。それで平常通り過ごしてるんだから、狂ってるとしか言いようがねぇだろ」

「そうですね…しかも、捕まえた時、娘が怯えてるだのなんだの叫んだそうですよ。死んでるんだから怯えるなんてありえないのに…」

「生きてるんだろ、あの親父の中じゃ、な…」

「自分が殺しても…?」

「自分が殺したとしても、だ」

「…なんか、悲しいですね」

若い男がしんみりとした風に呟く。

しかし。

「馬鹿。自分で殺してんだから悲しいもクソもあるか。ほら、行くぞ」

「はぁ…冷たい人だな、まったく…」

ブツブツと呟きながら若い男が部屋を出ていく。

年配の男も出ようとしたが、立ち止まり、振り返ってベッドを見た。

だが、すぐに何事もなかったかのように部屋から出て行った。


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