28.Le Bal des ardents
「――茶番はここまでだ」
桐敷菫――ヴィオレッタの言い放った言葉の意味を、黒間無音は充分に理解していた。
彼女は喜劇の幕を下ろすため、悲劇で舞台を塗り替えようと目論んだのだ。
目論見も、狙いも、どうなるかも、全て分かりきっていたことなのに。
それでも黒間無音は、自分の正義を守ることを選んでしまった。
「なっ……」
予想外の光景に対して、最初に言葉を発したのは梔子鳴矢だった。
「なんで悪の親玉が子どもをかばってんのよ!?」
彼女の驚くのも当たり前だ。
ヴィオレッタが放った凶弾に対し、自分の身を盾にして少年の身を守ったのは、正義の味方ではなかった。
行動を予期していて、咄嗟に動くことのできた、黒間無音――クラヤミ総帥だった。
――やってしまった。
まんまとヴィオレッタの画策にはまってしまった。
無音は自分の正義を守る為に、クラヤミ総帥というキャラを犠牲にしてしまったのだ。
これでは今まで築き上げた『悪の首領』というイメージが台無しだ。
アスィファが戸惑いを隠せぬ様子で疑問を口にする。
「クラヤミ総帥、あなたがこの事件の首謀者だったはずでは……」
聡明な魔法少女といえど、この状況はさすがに理解ができないと言った様子だ。
なんとかごまかさなければ。
思い悩んだ無音は、苦し紛れにニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「うっ、うるさい! わしはただ、その……あれだ。この子供に利用価値があるから生かしておくことにしただけだ!!」
「「「……は?」」」
三人の少女が、同時に呆れた表情を作る。
当たり前だ。咄嗟に立てた張りぼてのような嘘に、整合性も何もあったものではない。
だが無音は、一度立ててしまった張りぼてを立て直そうと、必死に言葉を並べていく。
「わしはこの少年のような前途ある若者を悪の道に向かうよう洗脳し、我が組織に引き入れるつもりだったのだ!!」
クラヤミ総帥の〝いかにもそれらしいハッタリ〟を、思わず真に受けてしまったアスィファは首を傾げて問いかける。
「ではどうして、人質に爆弾を仕掛けたり、政府に要求を突きつけたりしたんですか?」
「吸血鬼共が命令を無視して勝手にやったこと……あ、いや、だが別に止めたりはしていないぞ!! 悪の首領であるこのわしが、悪事を奨励しても止めるわけが無かろう!!」
「なるほど、内部分裂という予想は、遠からず当たっていたみたいですね」
アスィファは一応腑に落ちたのか、納得した様子で頷く仕草をみせる。
しかし無音が必死に作り上げてきた悪の首領という仮面はもはや完全に崩壊し、今にもずり落ちて外れてしまいそうだ。
今度は鳴矢が野次を飛ばすように不機嫌な口調で問いかける。
「だからって、悪の首領がこんな子どもを守るなんて、やっぱりおかしくない?」
「い、いや! この少年には悪の才能があるのだ!! わしには分かる!!」
「……なんか、どこかの馬鹿と似たようなこと言ってるわね」
鳴矢から訝しむような目つきを向けられ、無音は仮面の下にたっぷりと冷や汗を垂らす。
張りぼての悪意を支えるのも、いい加減に限界だ。
クラヤミ総帥は突然座り込み、身を挺して守ってしまった少年に目線を合わせ、仮面越しにじっと真っ直ぐに目を合わせながら問いかける。
「どうだ少年、わしの部下になるつもりはないか? 貴様には素質があるのだ。立派な悪の怪人になれるぞ」
「…………」
「どうだ。世界征服、してみたいだろ?」
「嫌だ! 誰がお前なんかの仲間になるか!!」
純粋ほど怖ろしいものはない。
なんと少年は悪の首領のすねを、つま先でいきなり蹴飛ばしながら叫んだ。
呆気に取られるクラヤミ総帥を差し置いて、少年は〈ライブリー・セイバーズ〉の方へと全力で駆け寄っていく。
そうだ――いつもテレビの前で見ていた彼らには、最初から分かっていたのだ。
何が正義で、何が悪か、はじめからしっかりと刻まれていた。
「俺は大人になったら〈ライブリー・セイバーズ〉みたいな正義の味方になるんだ!! そしたらお前なんかやっつけてやる!!」
「フッ……そうだったか。それは、しまったな」
クラヤミは、頬に皮肉な笑みを浮かべて呟く。
その少年を、眩しいと思った。
あまりの輝くような眩しさに、仮面の奥の瞳が涙でにじみ始めた。
「また一人、この世界に〝正義の味方〟を名乗る馬鹿を増やしてしまったようだ」
悲哀と歓喜と後悔と満悦と、様々な感情が混ざり合っていた。
この世界に一人でも多くの正義を増やすために――正義でこの世を満たすために。
自ら悪の仮面を被り始めた野望は、確かに成就していた。
だが悲願の達成と同時に胸へ宿るのは、たった一つの後悔だった。
――どうして僕は、この子のように、勇敢になれなかったんだ。
今にも叫びたくなりそうな衝動を抑え込みながら、無音は悪の首領らしい、尊大な笑いを大声で上げる。
「フハハハ! ならば、いつの日か力を付けて、わしに向かってくるがいい小僧。貴様がいつか正義を名乗るその時は、このわしが自ら叩き潰してくれよう!」
いつかも何も無い。
既に心の中では完敗していた。
力尽くで悲劇の幕を丸め込んだクラヤミ総帥は、再びヴィオレッタに向き直る。
「どうする? 貴様の筋書きはここまでだ」
「……閣下、あなたはいつまでこの茶番に興じるつもりなのですか?」
「この世界をわし好みの色で満たすまでだ」
「っ……もういい。あなたが利用価値の無い三文役者だとはよく分かった。ここで舞台を降りてもらう」
ヴィオレッタは人間という仮面を表情から脱ぎ捨て、吸血鬼という不死の化け物の本性を現す。
剥き出しになった牙に、ギラつくように赤く光る瞳。
まるで血に飢えた狼だ。
彼女は決して、〝一滴の血も流れない〟世界などでは生きられない。
「クラヤミ総帥。もしかして、あなた本当は……」
それまでずっと黙り込んでいた緋色蓮花が、思い悩んだような呟きと共に一歩前へと踏み出した。
右手には武器である〈花一匁〉を構え、瞳は敵を真っ直ぐに見据え、左手をそっとクラヤミ総帥の肩に乗せる。
「どうして肩を並べる……貴様は、わしの敵のはずだ」
「いいえ。私はあくまで正義の味方よ」
――どうして僕を助けてくれる正義の味方は居ないんだろう。
ずっと、抱いてきた疑問だった。
淀みのないはっきりとした口調で緋色蓮花は言い切る。
「助けを求める人は、たとえ誰であっても見過ごさない」
蓮花は武器をヴィオレッタに向けたまま、背後の二人を振り返る。
「――二人とも、これでいいわね?」
鳴矢とアスィファは、どこか納得のいかない表情を浮かべながらも、仕方なくリーダーの指示に従い武器を手に取る。
「別にいいけど、なんで正義の味方が悪党の味方してるんだか……」
「結局、顔見知りを撃つことになってしまってますね……」
文句は言いつつも、武器を構える手を止めようとはしない。
ヴィオレッタは両腕を霧状化させ、クラヤミ総帥を包み込もうとする。
霧の一滴一滴が人間にとっては猛毒となる吸血鬼の血液だ。
いくら〈常闇の鎧〉が絶対無敵の防御とはいえ、隙間に入り込む霧までは防げない。呼吸を止めているにも限界はある。
そんな彼の窮地を救ったのは、三人の少女達だった。
「【戦闘陣形・芭蕉扇】!!」
蓮花は燃え上がる炎の大剣を振り下ろす。
同時に鳴矢が放った矢と、アスィファの放った追い風が、放射状に広がる炎を一点へ集中させる。
巨大な炎の羽団扇が霧を消し飛ばしていく。
まるで長い夜の終わりを告げる、朝焼けのような色をした炎だった。
第2話のクラヤミ総帥「ショーにアドリブは付き物だ(ドヤッ」




