25.巷に雪が舞うごとく
『こちら猫1匹とバカ1匹。クラヤミ総帥、応答を願うよ』
微かな雑音まじりに、通信機から聞こえるノワールの声。
機械的な抑揚のない声から、作戦が成功したのか失敗したのかうかがい知ることはできない。もっとも、相手は本当に機戒知能なわけだが。
「こちらクラヤミ総帥。猫一匹、作戦は上手くいったのか?」
『悪いねヤミー。作戦は成功したけど失敗した』
「どういう意味だ?」
『人質の安全は取り戻したけど、確保しそこなった。まだ城内のどこかにいる』
「ということは……やはり連中は罠を張っていたか」
『へえ。まるで爆弾を仕掛けてることを最初から予期してたみたいだね』
「当たり前だ。悪党の考えそうなことぐらい、想像がついている。だからこそ貴重な戦力を割いて貴様らを向かわせたんだ」
だてに何年間も悪の組織を運営してきたわけではない。
破壊活動から幼稚園バスの誘拐まで、古今東西の悪役が行ってきた悪行のレパートリーは数限りなく頭に入っている。
既に殺された後でなかっただけ僥倖だとすらクラヤミは考えていた。
それからしばらく。
クラヤミはただ黙って、ノワールから一連の報告を聞き続ける。
『――で、今は城外に吹き飛ばされて中庭で動けなくなってる感じかな』
「影内のやつはどうした? さっきから声が聞こえないが」
『バカ忍者なら僕の隣で寝てるよ。全身の骨が折れてるみたいだね。さっきから心臓以外はピクリとも動いてない』
「心臓が動いていなかったら一大事だ。すぐに救護班を向かわせなくては……」
口でそう言ってはみたものの、状況は未だに好転を見せない。倒れた仲間を助けることすら容易くはない状況だ。
正面の囮部隊は、善戦してはいるものの相手が吸血鬼とあって膠着状態の維持に手一杯だ。
自警団の侵入を防ごうとした漆原が倒されたという報告も入っている。
しかも城外は警官隊の包囲が張り巡らされている。退路の確保も考えなくてはならない。
考えを巡らすクラヤミの耳に、影内のかすれ気味な声が届いた。どうやら二人の話を聞いているうちに目を覚ましたらしい。
『あ、総帥。さーせん。せっかくの大役、ミスっちまいました』
「いや、充分な働きだ。だが、そこまで叩きのめされるとは少し予想外だったな」
『正義の味方のくせに、まさか本気で殺しにかかってくるなんて思わなかった。相手が俺じゃなかったら三回は死んでるっすよ』
「二回も三回も死ねる人間なんておらんわ。しかし、一体何をしてイエローを本気にさせたんだ?」
『それがあいつ、ひでえんすよ。ちょっと胸の小ささからかっただけなんすよ?』
「……なるほど。今後のために覚えておこう」
クラヤミこと黒間無音は、背中にじっとりと汗をかきながら頷く。
戦闘で相対することは滅多にないが、実は一番彼女と接する機会が多いのは中身である無音である。
悪の首領として倒れるならまだしも、日常生活で何気なく地雷を踏んで殺されるわけにはいかない。
『僕も今回はちょっと反省かな。端末には最低限の戦闘能力さえあればいいと思ってたけど、肉体というハードの限界で倒されるのは面白くないね』
「貴様も今は動けないというわけか」
『ちょっとした猫の轢死体って感じかな。ちょっとショッキングな見た目になってるから、助けに来る人間には同情するね』
通信機の向こうにあるノワールの状態を想像してしまって、クラヤミは少しぞっとする。
彼は機戒の体だからこそ、致命傷を負っても平然としていられる。
だが、これが命を持った生身の体だったら、とてもではないが直視できる自信がない。
『さあ、どうするんだいクラヤミ総帥。僕たちは役目を果たした。でも、君の戦いはまだ終わったわけじゃないよ。もし終わらせるつもりなら早いほうがいいけど』
「……いや、ここで引き下がるわけにはいかない。人質の救出も、突入した自警団の安全確保も、どちらも続行する」
『もう分かってるんだろう。君は結局のところ、役目を抱えすぎたんだよ。悪の親玉のくせに、人命も優先したいなんて〝欲〟をかくから上手くいかないんだ』
人を助けたいという考えを、欲望と切り捨てるのは機戒であるノワールだからこその言葉だった。善悪の見境なく、人間の価値観を超越してしまっている。
まるで人間をたぶらかす悪魔のような声色で、ノワールは冷ややかに言葉を続けた。
『しかも君はこの後に及んでまだ〝不死のバケモノ〟まで救おうだなんて思ってるんだろう? それはちょっと、ムシが良すぎるんじゃないのかな』
「……古い付き合いだけあるな、ノワール。僕のことをよく分かってる」
一瞬だけ黒間無音の声色を見せたクラヤミは、すぐさま態度を元に戻す。
まるで自分の顔を、黒い絵の具で塗りつぶしていくように。
「だが、今のわしは虫の居所がとてつもなく悪い。もはや奴らに容赦する義理はない」
『素直に余裕がなくなったって言えば?』
「悪の総帥たるもの、決して余裕を失ってはならぬのだ。番組の最終回まではな」
クラヤミはそう言うと、背後の暗がりに向かって声をかける。
「お前に来ておいてもらって正解だったようだ」
そう言うと、真っ暗な茂みの奥から、一つの人影が姿を現した。
その人影は――真っ黒なセーラー服に身を包んだ少女だった。
黒檀のように落ち着いた色をした上下の制服に、脚は瑪瑙のような光沢をした目の細かい黒タイツ。
まるで闇を人の形に押し固めたように、全身を黒く染め抜いている。
烏の濡れ羽根のような黒髪を揺らしながら、少女はクラヤミに歩み寄る。
「……黒雪。悪いが今回はお前にも――」
「はい、お任せ下さいお兄様!!」
少女は地味な見た目とは打って変わって、意外なほど陽気で朗らかな声を上げると、無音のもとへ一息に走りよる。
そして、両手を広げると有無を言わさず彼の首元に両手を回して抱きついた。
無音は仮面を外すと、困ったような声でその少女――実の妹である黒間有希に言葉を返す。
「有希。二人だけのときはいいけど、頼むから人前でお兄様はよしてくれ」
「はい! もし聞き耳を立てる不届き者が居れば、私が一太刀でこの世から消してさしあげます!!」
「……ねえ、有希。どうしてお前を組織の活動に参加させたくないか分かってる?」
「もちろんです! 心優しいお兄様は、私の身を案じてくださってるのですよね」
「いや、いちおうお前のことも心配なんだけど、そうじゃなくて……」
無音がとまどった表情で説明をしようとするが、どうやら全く耳に入っていない。
有希は腰に差した一本の日本刀を鞘から引き抜くと、天へ向かって高らかに掲げながらテンションの高い声で謡いあげる。
「ご心配なさらないでください。私にはお兄様が与えてくださった、この〈六ノ花〉があります」
有希が刀を引き抜いた瞬間、周囲の大気がひやりと温度を下げた。
それは決して比喩や、体感の話ではない。
無音が纏う〈常闇の鎧〉がそうであるように、彼女が振るう日本刀〈六ノ花〉もまた、尋常でない技術によって作られた一種の兵器なのだ。
「いくらお前が強いと言っても、今回の相手は吸血鬼だ。油断しないようにね」
「どうかご心配なさらず。お兄様を煩わせる路傍の草は、一片残さず凍て付かせてさしあげます」
有希は上機嫌にこたえると、〈六ノ花〉を地面に向かって無造作に振るう。
それと同時、彼女の足下に生えていた野草や野花が、瞬く間に真っ白く凍り付いていた。
まるで始めからそうだったとでもいうように。
「……お前のそういうところが、僕は一番心配なんだよ」
無音は呟きながら、一度は外した仮面を再び顔にはめ直す。
影内のような御しやすい懐刀とは対照的に、彼女は正真正銘の真打だ。あまりに斬れ味が良すぎて手元に置いておくことができない。
黒間有希――通称【黒雪】は、氷漬けとなった野花を躊躇なく踏み砕きながら歩み始めた。
「どうでもいいはなし」
菊一文字→花一匁
陸奥守→六ノ花
って感じに語呂を似せて「ありそうでなさそうでちょっとありそうな名前」にするの好きです。




