18.雄弁は沈黙を駆逐する
修正自警法の制定を前に、悪の秘密結社〈SILENT〉が名前通りに〝黙認〟の判断を決めた翌日。
本拠地に向かう黒間無音の足取りは鉛のように重かった。
ふと目線を上げると、高層ビルに備え付けられた街頭モニターから憂鬱なニュースが流れている。
『修正自警法に対する抗議活動に集まった集団と、警官隊との衝突が起きました。抗議集団の中には超能力者も多く、市民からは不安の声が――』
修正自警法の議決が近づくにつれ、連日こんなニュースが増えている。
警察と超能力者の間に存在する確執の溝は、昨日今日のものではない。
一時期、警視庁は超能力者だけで組織された特殊部隊の計画を立ち上げたことがある。だが、これがかえって問題を表面化させることとなった。
超能力者は普通の人間とは異なるので、普通の警察官にはなれないと宣言してしまったようなものだ。
結局計画は白紙となり、自警法がその代案の位置におさまった。自警団に所属する超能力者たちが、警察が対応しきれない超能力犯罪を抑止してきたのだ。
自警団の存在は、溝の上にかけられた一本の架け橋だった。
だが、修正自警法はその架け橋を取り除いてしまいかねない。
人々が求めているのは橋渡しなどではなく、両者を隔離するための溝だったとでもいうのだろうか。
自警法が改正されたとき、肝心の自警団に参加する人間は一人も残っていないかもしれない――それが黒間無音の抱える不安の正体だった。
「おっ、黒間くんじゃん! ちょうどいいとこで会った!!」
思考の沼にはまりこんでいく無音を、一つの陽気な声が呼び止める。
声が聞こえた方角に見えたのは娯楽遊戯店から出てきた、同級生の一団だった。
本来、未成年は入ってはいけないはずの施設だが、罰せられるのは店側であって当人たちではない。自分が注意するべき筋合いもない。
「ちょっと金貸してくれね? 勝ったら倍にして返すからさ」
「勝ったらって……負けたらどうするの?」
「負けたらなんて考えるから負けるんだって。要は気持ちの問題だよ」
「いや、そういう話じゃなくて……」
正論を返そうとするが、結局無音は黙り込んでしまう。彼らが求めているのは正しい言葉ではない。自分が財布を出すという結果しか求めていないのだ。
だから、間違っていると思っても、理不尽だと思っても、口を閉ざし黙り込んでしまう。
悪徳に対する最大の助力は、沈黙なのだと、分かっているはずなのに。
――蓮花さんなら、きっと言い返せるのに。
なぜ正義の味方にならなかったのか。
答えなど、とうに分かりきっている。
声を上げることを人に任せ、己の無力に甘えてきた自分は、悪に荷担する者の一人なのだと自覚していたからだ。
黙りこんだまま、鞄の中の財布に手を伸ばしかけた無音の耳に、ふと一つの音声が飛び込んできた。
『緊急のニュースです。〈逆十字軍〉を名乗る集団が、未成年児童を誘拐し、修正自警法の撤廃を要求していることが警察の発表により明らかになりました』
先ほどまで憂鬱なニュースを流していた、街頭のテレビモニターから聞こえてきた声だ。街の雑踏に紛れていても、無音の耳にだけは妙にはっきりと聞こえてしまう。
『〈逆十字軍〉は、各メディアに犯行声明文を送っています。その内容によると、彼らは自分たちが吸血鬼によって構成された組織であり、「秘密結社〈SILENT〉の指示によって今回の行動を起こした」と自称しています』
街を行き交う人々も、自分を取り囲む不良生徒達も、誰もそのニュースを気に留めていない。だが無音にとっては、決して無関心を気取って見過ごせるものではなかった。
「そんなこと、僕は言ってない……」
呆然とした表情で無音はつぶやく。
だが内心では、素直に自分の敗北を自覚していた。
言ったかどうかなど、問題にはならない。悪の組織が悪い行動を取るなど、当たり前のことだ。誰も疑問になど思わない。
『また誘拐された未成年児童は法務大臣の息子であると〈逆十字軍〉は証言しています。情報の真偽は判明次第、追って報道していきます』
誘拐する対象の選定も呆れるほど合理的だ。法治社会への敵対行動という印象をより鮮明にすることができる。もし自分がやるつもりだったら、同じことをしただろう。
連中は〈SILENT〉が「やらない」と決めた行為を、全てやり倒した挙げ句、その罪を全て〈SILENT〉に被せるつもりでいるらしい。
苛立ちで全身の毛が逆立ち、胃の中身を全て吐き出してしまいそうだ。
「おい、さっきから何黙ってるんだよ。何か言えって」
「ああ、無視してごめん。そういえば僕は、絡まれてるんだった」
無音は無機質な表情でそう言うと、鞄の中からあるものを取り出す。
取り出したのは何の変哲も無い、ただの財布だ。ただし、中にはかなりの額の紙幣が挟まれている。有事に対処するため、普段使う財布とは別にして、鞄の奥に隠している。
今がその有事だ。
黒間無音は取り出した財布から数十枚の紙幣を抜き出すと、躊躇なく宙に向かってばらまいた。
「悪いけど、僕は今、いそいでるんだ」
紙幣が紙切れのように降り注ぐ中、無音は冷淡にそう言い切って歩き始める。
自分を取り囲んでいた男子生徒達は、突然の状況に対応出来ず呆気に取られている。
「おっ、おい! ちょっと待てよ!!」
「あんな奴ほっとけって! これ本物だぞ!!」
「テメエ、勝手に拾うな! それは俺の金だ!!」
男子生徒達は文字通り金に目がくらみ、歩き去る無音を止めようとはしない。
そして無音もまた、パチンコ店に入り浸る不良生徒たちなど、既に意に介していない。こんな小悪党に構っている暇などない。
自分はもっと、大きな悪を抱えてしまっているのだから。
無音は路地裏に身を隠し、クラヤミ総帥の衣装に着替えながら携帯電話を耳に当てる。
「参謀、先ほどのニュースは耳にしたか」
『はい、総帥。ちょうど、連絡を取ろうとしていたところでした』
「奴ら、やりおった。わしらを本物の悪に仕立て上げるつもりだ」
『総帥。それではまるで、私たちがニセモノの悪だったと言っているように聞こえます』
「実際そうだろう。ホンモノにしてみれば、悪の真似事だったのだ。だから奴らは、手本を見せると言ってきた」
〈逆十字軍〉の狙いは、修正自警法の撤廃などではない。彼らにとって、そんな法律などはじめからどうでも良いのだろう。
彼らは闘争そのものを生業とする戦争屋だ。血の流れる所でしか生きられない。手ぬるい悪事を繰り返す〈SILENT〉を本物の悪に仕立て上げ、血が流させることが彼らの狙いなのだ。
「参謀、構成員を全員かき集めろ。非番の者も全員だ」
『はい、それはいいのですが……戦われるつもりですか?』
「ああ。もちろんだ」
『何と、戦うのですか?』
「我が名を騙るニセモノとだ」
そもそもヴィオレッタが彼らの使いとして面会を求めてきた時点で、既にこうするつもりだったに違いない。イエスと言わせるか、イエスと言ったことに仕立て上げるか。選択肢は二つだが答えは一つだったのだ。
全ては沈黙という悪徳に手を貸した自分に課せられた責だ。
「〈SILENT〉はわしの組織だ。勝手に利用させるわけにはいかん」
『……残念ですが、総帥のご命令は無駄だと思われます』
「構わん。元々、わしが一人で始めたことだ。従えない者は好きに抜けさせろ。わしはたとえ一人でも――」
『いえ、そうではなく、既に全員集まっています。非番の構成員たちも自主的に集合し始めています。あなたの連絡が一番遅かったぐらいですよ、総帥?』
「……は?」
呆気に取られるクラヤミに対し、参謀は少し怒ったような口調でこう続けた。
『お間違いなさらないでください。〈SILENT〉は貴方の組織ではなく、私たちの組織です』
黒間無音の心は深く沈んでいく。こんなことに、大勢を巻き込むべきではなかった。
だが、クラヤミ総帥は上機嫌に笑いを浮かべる。自分と同じ理想を掲げる人間の多さに喜びを抱いている。
悪の総帥は一人の少年の苦悩など、聞き入れはしないのだった。
スタイリッシュカツアゲ(される側)




