17-3.正義のヒーロー、悪の怪人と出会う
漆原の買ってきたフルーツジュースを緋色蓮花は不思議そうに見つめながらプルタブを起こす。
「あの……普段から、こういうジュース飲まれるんですか?」
「いいや。仕事中は大体スポーツドリンクだ、着ぐるみの中は汗かくからな。家だと焼酎ばっかり飲んでる。こういうピンク色の飲み物は全然飲まねえ」
「そうなんですか……あ、私はフルーツジュース好きですよ! ビタミン補給源にもなって健康にいいですし!!」
「そ、そうか。なら良かった」
蓮花はどこか複雑な表情を浮かべている。あこがれのスーツアクターが家では飲んだくれの酒飲みと知ったのがショックなわけではない。
自分がどうも、気を使われているらしいと気づいたからだ。
しかも、子ども扱いという形で。
あこがれの俳優に親切に接してもらえて本来なら喜ぶべきところだ、蓮花の内心はどこか複雑なものだった。
「それで嬢ちゃん。〝本当の正義〟だったか? どうしてそんなものが気になる」
「それなんですけど……あの、自警団ってありますよね? 私、実はその一人として活動しているんです」
「へ、へー。そうなのか……そういえば、なんかテレビで見たことある気がするな」
「あはは、なんだか恥ずかしいです。普段はマスクで顔を隠してるんですけど、この間一度だけ顔が写ってしまって」
「俺だって恥ずかしいのは同じだ。せっかく着ぐるみで隠してたのに、嬢ちゃんに正体を見抜かれちまった」
「仕方ないですよ! 漆原さんはご自覚がなくても有名人なんですから」
「……そうだな。自分のことは、自分じゃ案外わからないもんだ」
どうも漆原は〈ライブリー・セイバーズ〉のことを知らないようだ。
先日の戦闘中、マスクが破損したことでテレビに素顔が写ってしまい、正体がバレて学校に取材陣まで押しかけてくる事態に陥った。だが思っていたより認知度は低いらしい。
実際には漆原がとぼけたふりをしてくれただけなのだが、蓮花はまんまと騙されている。
「しかし、まだ若いうちから人の役に立とうだなんて、立派なもんだ」
「いえ。そんなことありません。好きでやってることですから」
「ヒーローが好きだからってだけで、自警団になったのか?」
「だって私たちみたいな普通の人間でも、自警団として活動することで、正義の味方みたいになれそうな気が――していたんです。今までは」
自警団になったことが、果たして本当に正義の味方になるために最善の方法だったのだろうか。
武力を行使し、悪人を倒し、身を守る術を持たない弱き人を助ける。そのを得る為に自警団という肩書きは、蓮花にとって必要不可欠のものだった。
だが、自警団に対する人々の考え方も、あり方も、自分の目指していた形と少しずつ変わってきている。
「……修正自警法ってやつ、なんだか大変らしいな。俺には関わりのない話だが」
「ええ、そうですね……私も、自分には関係ないことだと思っていました」
白々しい言葉と入れ替わりに、気まずい沈黙が訪れる。
法律がどう変わろうと、自警団のあり方が変わろうと、自分には〝正義の味方〟という明確な目標がある。だから活動を続けることに迷いはなかった。
だが――〝正義の味方〟とは、そもそも一体どんなものなのだろうか。
どうすれば、それになれたと言えるのだろうか。
「別に、軍隊の指揮下に入ることは悪くないと思うんです。だって、戦隊モノのヒーローでも、昭和年代までメンバーは国連直属機関の職員だったり、空軍や特殊部隊所属の軍人が選抜され戦うって設定の方が多かったじゃないですか? 最近は一般人が異星人から不思議な力を与えられて戦うことになるパターンが多いですけど、むしろ原点回帰かなって最初は思ってたんです」
「すげーな嬢ちゃん。俺は出演してたけどそこまでちゃんと設定覚えてないぞ」
「もうっ! 漆原さんは特撮好きの憧れなんですから、もっと自覚を持って下さい!!」
「あ、はい。申し訳ない」
蓮花はぷくっと頬を膨らませて、三十近くも年上の漆原をしかりつける。
なぜか漆原の方も、ずんぐりとした大きな体を小さく丸めて蓮花に頭を下げてしまう。
「でも、法改正を機に自警団を辞める人や、自分のポリシーを曲げなきゃいけない人も出てきて……私もいつか、法律と自分の理想が噛み合わなくなったとき、どうしたらいいのか考えるようになったんです」
「法律に納得できないなら、嬢ちゃんも同じように辞めればいいんじゃないか。まだ若いんだし、別に一生続けるつもりでやってるわけじゃないんだろ」
「でも……法律って、多くの人のためにあるものですよね? 正義の味方も、多くの人のために存在するはずなのに、二つが共存できないなんておかしくないですか?」
「つまり、どこまでが人の為で、どこからが自分の為か、よくわからなくなったわけだ」
穏やかな表情で顔を上げた漆原は、蓮花の悩みを的確に言い表してみせる。
「ええ……たぶん、そうなんだと思います。だから、たくさんのヒーローに関わってきた漆原さんなら、何か答えを頂けるんじゃないかと思って」
「そりゃあ買いかぶり過ぎだと思うが……ぶっちゃけ、問題の根っこは単純だな」
「そんなに単純ですか!? 私、これでも考えてるつもりなんですけど……」
「ああ、嬢ちゃん自身が単純すぎなんだ。俺の今の雇い主とよく似てる。要するに、この世には白と黒しか無いなんて極端な考え方だから、折り合いが上手くつかないんだよ」
漆原自身にも、何か思うところがあるのだろう。
まるで子どもにお伽噺を聞かせるように、ゆっくりとした口調で語り始める。
「例えばこういう話があってな――昔、とある村でスズメが作物の米を食い荒らすんで、困った農民がスズメを根こそぎつかまえて駆除しちまったことがあった」
「駆除って……殺しちゃったってことですか?」
「ああ。あんな可愛い形してても、大事な食料を食い荒らされるとなっちゃ、人間にとっては間違いなく〝害悪〟だからな」
漆原は、わざと冗談を言うような軽い口調で話を続ける。
「だが、悪を滅ぼしたところで村に平和は訪れなかった」
「どういうことですか?」
「実はスズメは、作物を食い荒らす害虫も退治してくれてたんだよ。それなのに人間が、天敵であるスズメを駆除しちまったもんだから、物凄い勢いで害虫が増えちまった」
「ええっ!! じゃあ、スズメは悪くなかったってことですか!?」
「スズメが害獣だったのは事実だ。だが、大発生した虫はスズメのときとは比べ物にならない被害を作物にもたらして、結局その村の人々は飢えて死んじまったって話だ」
「そんなの……なんだか納得いきません」
ただの笑い話としか思えない寓話に、蓮花は本気で思い悩み、怒りを露わにしている。
だが子どものように怒る蓮花に、漆原はただ冷淡に正論を続ける。
「たとえばもし、今度は虫を駆除したとしよう。すると今度は、花粉を運ぶ虫が居なくなって花が受粉できなくなる。作物は実らなくなって、結局また村は飢えることになる」
「じゃあ、つまり……そもそも人間がスズメを駆除したのが、間違いだったってことですか?」
「それも考え方の一つだ。せっかく害虫駆除を手伝ってくれてるんだから、ちょっと米をつまむぐらい、礼と思って大目にみてやれば良かっただろう……今の自警団が置かれている立場は、米を虫から守るスズメと同じなんだろうよ」
「……漆原さん。自警団のこと、とてもよく理解して下さってるんですね。さっきは関係ないことだって言ったのに」
「実は俺の今の雇い主が、自警団の大ファンでな。その人の話を横で聞いてただけさ」
漆原の抽象的なたとえ話は、蓮花が抱いていた問いを解決するどころか、余計に悩みを深くし、思考をぐるぐると渦巻かせてしまう。
そもそも、誰が、どうやって〝悪〟という存在を決めていたのだろう。
正義を自称したところで、本当の正義になんてなれないのに。
ならば自分を悪だと自称する彼らは、本当に倒すべき悪なのだろうか。
漆原はどこか物憂げな様子で遠くを見つめながら、まるで独り言のように呟く。
「結局、一つの色で満たされた世界なんて、誰も望んじゃいないのさ」
「そうですね……一つの色しかない世界なんて、あまりにも寂しすぎます」
蓮花もまた、消え入るような声で漆原の呟きに応える。
正義のヒーローと、悪の怪人。正反対の役割を演じる、親子ほど歳の離れた二人は、沈黙の中に言葉以上の思いを通わせる。
ふと、湿っぽい雰囲気にたえかねたのか、漆原は軽い冗談を口にして立ち上がる。
「それに。もしもこの世から悪がなくなっちまったら、怪人役の俺は仕事がなくなっちまうからな。失業は困る」
「あはは、確かにそうですね。でも、悪の怪人がいなかったら、そもそもヒーロー番組だって作れなく――」
漆原の冗談に苦笑を浮かべていた蓮花は、ふと言葉を止めて表情を青ざめさせる。
まるで口の中に、一本の棘が刺さっていることに気づいたような、そんな表情だ。
――だからあなたは、正義の味方にならなかったの?
頭の中で混濁する渦の底から、一つの黒い影が浮かび上がってくる。
下らない思いつきか、単なる理想論かもしれない。
「私、弱い者を悪から守るのが正義だって思い込んでました……でも、違ったんですね。正義にも弱い正義はあるし、弱いから悪になってしまう人もいる」
「その道は多分、ただ悪を倒すだけより、よっぽど難しい道だと思うぞ」
「でも……どちらも守れるぐらい強くなきゃ、本当のヒーローになんてなれませんから」
それでも、思い描く理想に手を伸ばし続ける。たとえ偽物であったとしても。
それが正義のヒーローを目指す少女の、揺るぎのない信念だから。
「お話聞いていただいて、ありがとうございました。もしまた悩むことがあったら、相談に乗ってもらっていいですか?」
「別に構わないが、その機会はもうないだろう。嬢ちゃんはもう、悩みがあるようには見えないからな」
「あはは、そうかもしれません」
蓮花が照れたように笑みを浮かべたと同時、漆原の腰元から携帯の着信音が鳴った。
ゆっくり携帯を取り出した漆原は、画面の表示を見つめてから蓮花に頭を下げる。
「悪いな、お嬢ちゃん。急な仕事が入っちまったみたいだ」
「あっ、いえ。お仕事頑張って下さい! いつか漆原さんの出演されてる舞台、見に行きますから!!」
「ああ。そのときは特等席を用意しといてやるよ」
早口に言い残すと、漆原は携帯を耳に当てながら公園の出口へ向かって小走りに駆けていく。よほど急ぎの用事があったのだろう。
その数分後。蓮花もまた、緋色博士から緊急の出動要請を受けることになるのだった。
漆原のおっさん、気を使ったつもりが痛恨のミス




