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4.三人の正義の味方と一人のいじめられっ子

キャラクター紹介に

・緋色蓮花

・梔子鳴矢

・アスィファ=ラズワルド

を追加しました

 とあるマンションの一室。窓から差し込む朝日が、室内を眩く照らしている。

 黒間(くろま)無音(なおと)の薄く空けた瞼の間から、眩しい光が入り込んでくる。

 確かに昨日の夜、カーテンを閉めてから眠ったはずだが。

 頭上から降りてくる光を遮ろうと、仰向けに寝たまま、顔の上に向けて掌を伸ばす。

 ふよん。

 伸ばした右手の掌に、柔らかな感触が触れた。


「ぎゃっ!」

「……え?」


 カラスの鳴き声みたいな声が、耳に届く。

 少女の上げた悲鳴(?)だと、遅れて気が付いた。


「えっと……あれ、鳴矢(めいや)?」

「~~~~~~~っ!!」


 瞼を開き、目をぱちくりとさせながら、正面に広がる光景を確認する。

 自分を真上から見下ろしている、顔を真っ赤に染め上げた少女。

 彼女が誰であるか、無音はよく知っている。

 自分の幼馴染みで同じクラスの同級生。名前を梔子鳴矢。

 どうやら自室のベッドで寝ていた自分を、彼女は馬乗りになって起こそうとしていたらしい。そして無音が伸ばした手の先に触れたものは、彼女が両の胸に持つ膨らみであった。

 やっと状況を把握した無音は、冷静に自分が取るべき行動を判断し、選択する。


「えっと……おはよう?」

「なに冷静に朝の挨拶してんのよ、このモーニングバカ!!」

「痛ァっ!?」


 無音の頬を、金色の細長い鞭のようなものが引っぱたいた。

 鳴矢の頭の左右に垂れ下がる、長い金色をしたツインテールの一房。それが、何かに操られているかのように、独りでに動いているのだ。

 頬を叩いた髪の毛が、今度は蛇のように動いて無音の首に巻き付く。


「せっかく朝起こしに来てやったのに、まさかいきなりセクハラかましてくるなんて思いもしなかったわ。ほんと、いい度胸してるわねアンタも」

「ちょ、首、放して! 本当に絞まってるから!」

「バカ、絞めてんのよ!!」


 鳴矢は髪の毛で無音の首を締め上げ、無音の体をベッドから起こさせる。

 やっと解放された無音は、咳き込みながら謝罪する。


「ご、ごめん鳴矢……謝るよ。変なとこ触って」

「変? 変って何よ、アタシのは普通よ」

「う、うん。そうだね。大丈夫、普通だよ」

「〝普通〟で悪かったわね! 無音のバカ!!」

「痛い!? ちょっ、今のは理不尽だよ鳴矢!!」


 再び頬を髪の毛で引っ叩かれた無音は、涙目になりながら必死に訴えかける。

 両の頬が腫れ上がる頃には、すっかり眠気は吹き飛んでいた。

 鳴矢はどさっとベッドの上に腰を下ろすと、面倒くさそうに大きな溜息を吐く。


「あーもう。アンタのせいで髪乱れちゃったじゃない。ほら、さっさと梳かしなさいよ」

「そ、それは別にいいけど……」


 無音はベッドから起き上がって、鳴矢の美しい金色の髪を見つめてみる。まるで金塊を溶かして引き延ばしたように、美しく光り輝いている。

 だが鞭として酷使されたツインテールの先端は、少しだけ糸がほつれたように跳ねてしまっていた。


「鳴矢、人に髪触られるの嫌いじゃなかったっけ。触っていいの?」

「私がイイって言ったらそれでイイのよ。いいからさっさとして、時間ないんだから」

「僕。自分の身支度もまだ済んでないんだけど……」


 ぼやきつつも無音は、鳴矢の髪にそっと触れて、丁寧に梳かし始める。自分の黒髪は寝癖でぼさぼさになったままだというのに。

 髪が擦れる波のような音だけが、寝室を静かに満たしている。

 無音はふと、櫛を動かす手を止めずに鳴矢へ問いかけた。


「そういえば。鳴矢、どこから入ったの? 玄関、ちゃんと鍵かけてたはずだけど」

「ん? 窓からだけどなんか問題あった?」

「へえ、窓から……えっ、ちょ、完全に不法侵入じゃん! しかもここ八階だよ!?」


 鳴矢は開け放たれた窓を右のツインテールでつんつんと指差す――ならぬ髪差す。通りでカーテンが開け放たれていたはずだ。

 そういえば昨日は蒸し暑かったから、窓を網戸だけ閉めた状態で寝たような気がする。


「いいじゃない。アンタが通報しない限り、私は罪には問われないんだから。バレなきゃ犯罪じゃないのよ」

「そっ、そういう問題なのかな……?」

「なに? 勝手に入ったこと、そんなに怒ってんの?」

「いや、別に僕がどうってわけじゃないけど。仮にも正義の味方が軽犯罪だめだよ。人に見られたら……って痛!?」


 鳴矢の髪がいきなり魚のようにピンと跳ねて、無音の顎に鋭いフックを決める。

 弾かれた顎を摩っていると、鳴矢が露骨に不機嫌そうな表情をして振り返った。


「そっちこそやめてよ。その〝正義の味方〟ってやつ。あたし、そんなつもりでやってるわけじゃないんだから」

「そんなこと言ってもさ。昨日だって大活躍だったじゃん、〝ライブリー・イエロー〟」

「だからそれが嫌だって言ってんの! いい加減にしないとぶつわよ!」

「いたっ! ちょ、もうぶってるじゃないか!」

 右と左のツインテールが一発ずつ、無音に往復びんたをたたき込む。

「仕方ないじゃない!! ぶつと思ったときには動かしちゃってるんだから!!」

「超能力者って大変なんだね……」


 ひとしきり怒りを発散し終えたのか、鳴矢はベッドから腰を上げると、髪をばさっとマントを翻すみたいにかき上げて、無音を見下ろしながら強い口調で言う。


「あのね、どっかの熱血馬鹿みたいなこと言うのはやめろって私は言いたいの! 正義の味方なんて恥ずかしい台詞平気で使うような奴は、この世にアイツ一人で十分よ」

「〝アイツ〟って……蓮花(れんか)さんのこと?」

「それ以外に誰が居んのよ」


 ふんと鼻息荒く、鳴矢は言い切る。

 生まれ持った超能力を使いこなす金髪の少女。

 無音の幼馴染み、梔子(くちなし)鳴矢(めいや)

 彼女こそ〈ライブリー・セイバーズ〉の一人、ライブリー・イエローなのである。


「ほら。早く着替えてよ、私まで遅刻しちゃうじゃない」

「うわっ、ちょっと!?」


 鳴矢が無音に向けて手をかざす。

 と、突然彼の着ていたシャツが独りでに浮き上がって、体からすぽーんと抜けた。

 鳴矢が超能力を使って、無理やり服をはぎ取っているのだ。

 続けて、下に履いていたジャージがずり落ち始める。無音は慌ててそれを手で止めた。


「わーっ! ちょ、鳴矢、待って!!」

「何よ、せっかく手伝ってあげてるのに、なんか文句あるの?」

「あるよ! っていうかこの展開だと絶対殴られるの僕だよ!」

「何言って――あっ」


 直接手を触れていないとはいえ、幼馴染みのズボンを無理矢理脱がそうとしている自分のヤバさに、鳴矢は言われてから気が付いたらしい。

 見る見る内に、頬が赤くなっていく。

 無音はまた怒られるかと身構えるが、鳴矢は気まずそうに顔を伏せて声を小さくする。


「……えっと。先、外出てるから。着替え終わったら、早く、出てきなさい、よ」


 鳴矢はカタコトでそれだけ言って、さっと部屋の外へ飛び出してしまう。

 一人自室に残された無音は、ふうと溜息を吐いて机の引き出しを開けた。


「さて。朝の支度済まさないとな……」


 引き出しの中には、趣味の悪いデザインをした黒い仮面が入っている。無音は長い前髪をかき上げて、目元を隠すように仮面を顔に嵌める。


「……全く、わしの手をこれほどまで焼かせるのは彼奴ぐらいなものだ」


 仮面を顔にはめた途端、無音の口調と表情が、一瞬にして尊大なものへと変容する。

 まるで役に入り込む俳優か、異なる自我を持つ二重人格者か。無意識なのか意識的なのか。どちらにせよ、見事なまでに人間が一転してしまっている。

 続けて、机の上から自分のスマートフォンを取り出して耳に当てる。

 無音は仮面を顔にはめたまま、電話に向かって話し始める。


「おお、社長。わしだ、クラヤミだ。景気はどうだ?」


 片手で器用にワイシャツのボタンを留めながら、無音――否、クラヤミ総帥だ――は続ける。


「昨日の視聴率はどうだったかな? そうか、上々だったか。まあ、当然だろう。貴様らの局が、一番いい位置で戦闘の一部始終を撮影していたのだからな」


 さっきまでの気弱な少年の声はどこへやら、秘密結社の総帥に相応しい尊大な調子でクラヤミは言葉を続ける。


「次は〝どこで戦いが起きるか〟また教えてほしいか? なに、わしは予想をするだけ。貴様はその予想に対して金を払うだけだ。別に、他の局に予想を教えてやっても……分かった分かった。そう慌てるでない。では、金はいつもの通りスイスの口座に振り込んでおいてもらうぞ」


 片手で制服のボタンを最後までとめ終えた無音は、携帯電話を耳から離して通話を切る。

 そして、顔にはめていた黒い仮面を外して通学用鞄の中へとしまい込む。


「……さてと。着替えも終わったことだし、準備するか」


 チャンネルを手にとってテレビのニュース番組をつけながら、歯ブラシを手に取る。

 テレビの中から聞こえてくるのは、昨日の〈SILENT〉と〈ライブリー・セイバーズ〉の戦いのダイジェストやその結果についてであった。


『昨日、秘密結社〈SILENT〉の怪人が市内各地の公園で暴れ回り、次々と遊具を破壊した事件の続報です。番組を見ていた市民から続々と「寄付をしたい」という旨の問い合わせが殺到しているそうです。これらの公園を遊具の老朽化しており、市側も買い換える予算がないため閉鎖も止むなしと検討していましたが、今回の寄付によって遊具を買い直し、公園は維持できるのではないかという――』


 無音は歯ブラシを動かす手を止めることなく、テレビ画面の中でキャスターが語る言葉を注意深く聞き取りながら一人頷く。

 概ね〝筋書き〟通りに事を運ぶことができた。

 だが、少々順調に行きすぎてしまった感がある。

 要するに、少しやり方が露骨過ぎた。

 恣意的に破壊する対象を選ぶことで、「破壊されたもの」に対して市民の目線を誘導し、注意を引きつける。

 何度か使ったことのある手段だが、今回に限っては市民の対応が早すぎてしまった。やはり公園のように子供の為の施設を破壊するというのは、良心に訴えかけるものがあるのだろう。


「……一年ぐらいは同じ手を使えそうにないな」


 コップの中に口内の水を吐き出して、無音は納得したように呟く。

 〈SILENT〉の総帥としての活動を行う際、最も頭を使うのがそもそもの行動目標を決めることだ。

 それなりに非道なことをしなければ目的を達せられない。かといって壮大なことをやり過ぎれば意図せぬ被害が増えてしまう。

 活動開始当初、勢い余ってダムに爆弾を仕掛けたときなどはひどかった。

 自警団だけでは対処することが出来ず、結局警察が指揮を執ることになり、最後には自衛隊まで出動してしまったのだ。結果として〈SILENT〉という組織の凶悪さと巨大さを知らしめ、悪の組織としての存在感をアピールすることはできたのだが。


「強すぎず弱すぎず……やっぱり虫が良すぎるのかなあ」


 黒間無音――彼こそが、悪の秘密結社〈SILENT〉の首領、クラヤミ総帥なのだ。

 高校生と悪の総帥の二重生活は決して楽ではない。

 組織の活動資金は基本的に為替や株などで自ら稼ぎ出しているが、メディアへの活動情報のリークなど、細かな金策に走ることも少なくはない。

 高校生としての登校準備と、悪の首領としての準備を手短に済ませると、無音は部屋の扉を開けて外に出る。

 彼は1DKのマンションに一人で住んでいる。寝室を出て、廊下を三歩歩けばすぐさま玄関だ。


「……あれ?」


 玄関から外に出ると、そこには無音が出てくるのを待っていた鳴矢と、もう一人の女子生徒の姿があった。二人は何やら言い合いをしているらしい。


「だ・か・ら! なんで梔子さんが中から出てきたのって、私は聞いてるの!」

「なんでってなんで?」

「なんでも何もないでしょ!」


 女子でありながら、男子の平均身長を持つ無音よりも頭一つは高い、迫力のある長身。

 赤みがかった肩までかかる長い髪に、勝気な性格があふれ出た快活な顔立ち。

 無音や鳴矢の一つ年上の先輩である同じ高校の三年生、緋色(ひいろ)蓮花(れんか)だ。

 優しそうな笑顔を顔に貼り付けて、妙に淡々とした声で蓮花は鳴矢に問いかけている。


「私、朝からずっとここで待ってたけど、梔子さんが入っていった様子はなかったわ。というとはよ? 梔子さん。今までずっと黒間くんの部屋にいたってことになってしまうんだけど、そういうことなのかしら?」

「え? 居たけど、何か悪い?」


 ぷつん。

 そんな音が、無音の耳には聞こえた気がした。

 たった今玄関から顔を出てきたばかりの無音に、怒りの矛先を向けて蓮花が吼える。


「ちょっと黒間くん、どういうことなの!?」

「ご、誤解だよ蓮花さん! 落ち着いて!!」

「私は冷静よ! それにここは五階じゃなくて八階だわ!!」

「ボケがベタベタだよ! 冷静さの欠片もないよ!!」


 無音の両肩を両手でがっちりと掴んだ蓮花は、大声を上げて無音に詰め寄る。

 背の高さと相応に、肩を握る両手の大きさも力も並み大抵ではない。ちょっと抵抗したただけでは全く逃れようがない。


「お姉さん悲しいわ! 黒間君が明るくなってくれたのは嬉しいけど、だからって同級生の女の子部屋に連れ込んで朝まで過ごしてたなんて、人生エンジョイし過ぎよ!!」

「落ち着いて、蓮花さん! 鳴矢は勝手に窓から入ってきただけで、一晩中家にいたとかそんな話ではないから!」

「……あら、そうだったの?」


 ぷしゅう。

 今度は、どこからか空気の抜けていく音が無音の耳に聞こえる。

 機関車が停止するときの音が、ちょうどこんな感じのはずだ。


「びっくりしたあ。それだったら全然……って、よくないじゃない!」

 だが一旦停止した暴走機関車は、すぐさまレールを切り替え次の目的地に向かって驀進を始める。

「ちょっとイエロー!! どういうつもり!? 正義の味方が不法侵入だなんて!!」


 蓮花は顔を真っ赤にして声を荒げる。赤い髪色と相まって、まるで燃えるような印象を見る者に与える。

 蓮花に問い詰められた鳴矢は、なぜか反論の矛先を無音の方に向けた。


「なんでチクったのよ無音! コイツに言ったら面倒なことになるの解ってたじゃん!」

「コイツって、私のこと言ってるの!? 答えなさい、イエロー!!」

「だからイエローはやめろつってんでしょ!!」

 なぜか蓮花は掴んだままでいた無音の肩を、一層強い力でがっくんがっくん揺らしながら鳴矢に対して怒鳴り始める。鳴矢も鳴矢で、自身の髪を操り無音の首を絞めつけながら、なぜか彼の方に食って掛かっている。

「ちょっと二人とも落ち着いて! ていうか助けて!」

「あ、ごめんね無音君。私、ちょっと熱くなると周りが見えなくなっちゃうから……」


 怒りの声を上げていた蓮花は、ふと子供を宥める母親のような声色で言う。


「大体ね、梔子さん。ここは八階よ? 超能力をそんなことに使って人に見られたら、不法侵入と疑われるかもしれない。超能力者の風当たりが、一層悪くなるわよ」

「あーもう。面倒くさいわね……今更そんなことで、超能力者(わたしたち)の評判は上がりも下がりもしないわよ」

「あっ、待ちなさい!!」


 面倒くさそうに顔を背けた鳴矢は、マンションの廊下の手すりから身を乗り出し、ひょいと身軽に飛び降りる。

 何度も言うようにここは八階である。このまま地面に落ちれば、大けがでは済まされない――しかし、それは重力が働いてこその話。

 鳴矢はまるで、水の中を沈んでいくように、緩やかな速度を保ったまま落ちていき、ふわりと柔らかく、まるで小さな段差を飛び越えたぐらいにしか見えない着地をする。

 手すりから身を乗り出して、蓮花は階下を見下ろしながら声を荒げる。今にも彼女まで手すりから下へ飛び降りそうな勢いだ。


「こらーっ! ちゃんと普通に降りなさい、行儀悪いでしょーっ!!」

「蓮花さん、ご近所迷惑だから。とりあえず下に降りてからにしようよ? ね?」


 無音は蓮花を懸命になだめながら、エレベーターのボタンを押す。

 鳴矢とは小学生の頃からの付き合いだが、蓮花とは生まれたばかりの頃から顔を合わせている、実の姉同然の付き合いだ。彼女の親と無音の親戚に深い付き合いがあった為、幼い頃から緋色一家には無音自身が世話になっている。

 その為いつも、暴走して喧嘩する二人の間に入って止めるのは、共通の顔見知りである無音の役目なのだ。

 まだ知り合って一年と経っていないはずの蓮花と鳴矢の二人が、どうしてここまで無遠慮に言い合いできる間柄になっているのかは、無音には分からない。男である自分には理解できない、なにか女同士として通じ合うものがあるのだろうか。

 蓮花と共にエレベーターで一階まで下りてマンションの外へ出る。

 すると出入口の脇で、じっと本に目を落とす小柄な少女の姿が目に留まった。

 無音はその青髪の少女に向かって、和やかに声を掛ける。


「やあ。おはよう、スィファちゃん」

 遅れてマンションから出てきた蓮花も、同じように少女へ挨拶する。

「おはよっ、ラズワルドさん。ずっとここで待ってたの?」

「いえ……あの、さっき来たばかりです」


 少女は小柄な体をぺこりと折り曲げて会釈する。

 風が形を成したような、淡い青色をしたショートカットの髪に、水晶のような藍色に光る瞳。まるで西洋人形のような愛らしい顔立ち。

 少女の名は、アスィファ・ラズワルド――もっともこれはこの世界における仮の名前で、本名は別に存在する。

 丁寧に会釈したアスィファは、上品に微笑んで二人に向かって朝の挨拶をする。


「おはようございます、無音先輩。蓮花先輩」

「先輩だなんて。堅苦しい呼び方はしないでいいよ、スイファちゃん」

「そうそう。黒間くんの言うとおりよ、ラズワルドさん」

 二人が口々に言うが、アスィファは困ったような表情で応じる。

「でも、『後輩キャラは年上の人を〝先輩〟と呼ぶのがこの世界のしきたりだ』と、お父様がいつも仰っていましたので……」

「スイファちゃん。それ、絶対騙されてるよ」

「そうなんでしょうか?」


 きょとんと首を傾げるアスイファに、今度は蓮花が横から入る。


「ラズワルドさんのお父様って、〝魔界〟の王様なのよね? そんな適当なこと言うものなのかしら」

「ええ。お父様はいつも『王たる者、民を上手く騙す術は普段から磨いておかなければならないよ』と私に教えてくださっておりました」

「……まさに魔王って感じね」

「はい。お父様は私の自慢です。魔界の誇りです」


 苦笑いを浮かべる蓮花に、アスィファはにっこりと微笑む。

 青みがかった髪色をした少女、アィスイファ・ラズワルド。

 無音や蓮花と同じ高校の一年生で、外国からの留学生。それが表向きの顔だ。だが本当は、異世界――俗に〝魔界〟と呼ばれるこの世界とは別の世界――からやってきた、魔界の国のお姫様なのだ。魔法だって自在に使える。

 そして、もはや言うまでもない。

 彼女もまた、放課後は蓮花と鳴矢と共にライブリー・ブルーとして活動しいる。

 留学生としてやってきた彼女を、蓮花が「あなた魔法が使えるの!? まあ素敵。一緒に正義の味方しない?」と躊躇なく誘いをかけたのがきっかけである。

 無音と蓮花は、互いに顔を見合わせて頷き合う。


「まあ〝先輩〟呼びに関してはどうせ形式的なものなんだし、気にしない方がいいかもね。蓮花さん」

「そうね。梔子さんみたいに、節度がなさ過ぎるよりはこの方がいいかも知れないわね」

「ちょっとアンタ、今あたしの悪口言ってたでしょ?」


 廊下から飛び降りて既に外へ出ていた鳴矢が、口を尖らせて三人に合流する。

 鳴矢の言葉に対し、蓮花もぐっと胸を張って負けじと応じる。


「あのね、梔子さん。一応私は、あなたより一学年上なのよ。敬語使ってくれないのは大目に見るわよ? けど、せめて〝アンタ〟呼びはやめてもらえないかしら」

「じゃあなんて呼んで欲しいのよ」

「そうね。例えば、その……〝リーダー〟とか〝レッド〟とか? あ、〝チーフ〟っていうのも捨てがたいわね」


 うっとりした表情で語る蓮花に対して、鳴矢はげんなりした表情で返す。


「ああ、分かった。バカって呼べばいいのね」

「そんなこと一言も言ってない!!」

「アンタね、アニメの見過ぎよ。いい年して恥ずかしくないわけ?」

「違うわ梔子さん! 私が見てるのはアニメじゃなくて特撮よ! あ、アニメもときどきは見るわよ? 日曜の朝って、特撮見るためにテレビ点けてると、つい前後にやってるアニメも一緒に見ちゃうから困りもので……」

「無音。スイファ。バカレッドは放っといてさっさと学校行こっか」

「ちょっ! バカレッドって私のこと!?」


 蓮花と鳴矢はぎゃあぎゃあと言い合いながらも、学校へ向かって歩き始める。

 その背中を目で追いながら、無音は大きな溜息を吐く。


「……じゃあ、僕たちも行こうか。スィファちゃん」

「はい、無音先輩。こうして皆で学校へ登校する朝の風景って、どういう形であれ、とても素敵なものだと思いますよ」

「スィファちゃん。今、露骨にフォローに回ったね」


 異世界から来た来訪者が、三人の中で一番の常識人だとはやるせない。無音は殊更に大げさな溜息を吐いてから、前を歩く赤髪と金髪を追いかけるように歩き始める。

 無音を除く三人は、通学用かばんとは別に大きな荷物を別に携えている。いつ〝出動〟することになってもいいよう、常に各々の武器を携帯しているのだ。

 女子にしては体格が大きい蓮花は、武器である大剣〈花一匁〉の入ったケースを、軽々と担ぎ上げている。知らない人が見れば、竹刀袋を担いだ剣道少女っぽく見えるだろう。

 そして武器が細長い弓矢である鳴矢は、あまり荷物が重そうには見えない。こちらは弓の形が袋の形状からわかるため、弓道部に見えることだろう。

 だが、アスィファの武器である杖は、小柄な体格に比してかなり大きい。後ろから見ると、巨大なケースが独りでに歩いてるようにすら見える。大型の金管楽器を背負って歩く、吹奏楽部の生徒といった見かけだろうか――もっとも、魔法によって重さは軽減されているので、見た目ほど重さは感じていなかった。


「そういえば、スイファちゃん。さっき何読んでたの? 魔術書とか?」

「いえ、こちらの世界の本です。せっかく留学しに来ているので、この世界の技術をたくさん学んでおこうと思って」


 無音が尋ねると、アスイファはさっきまで読んでいた本の表紙を無音に見せる。

 『よくわかる近代プログラミング言語』とタイトルに書かれている。わざわざ「よくわかる」とタイトルに書いてある本は、大抵がやっぱりよくわからないものだ。


「今日はコンピューターに関する技術の本を読んでいました」

「へえ。魔法の世界から来た女の子が、まさかC言語の本読んでるだなんて普通思わないからちょっと驚きだね」

「そうですか? お父様はもっと難解な本を読まれてるみたいでした。『理論上、乱数で一度は耐える計算だな』とか『記述されてる個体値が間違ってる』とか、難しいことを呟きながら読んでおられました」

「それ絶対別の専門書だよ。魔王暇だなあ……」

「あの、それでですね無音さん。調べてみて気が付いたんですけど、実は私達の使っている魔術呪文って、こちらの世界でいうプログラミング言語にかなり近いものみたいなんです。精霊語はコンピューター言語に相当する概念なんですね。それでこの杖は、コンパイラの役割を果たしているわけなんです」

「なるほど。カートリッジに差してる魔道書が、プログラムのソースコードってこと?」

「そう! そうなんです!!」


 アスイファは瑠璃色の瞳を輝かせて、熱っぽい口調で語り始める。


「樹木が低級言語を高級言語に翻訳する性質があることは、古典時代から経験学的に知られてはいたんです。樹木への祈祷という形での低級魔法は古くから儀式として行われてきましたし」

「御神木にお願いするってこっちの世界でもあるけど、そんな感じかな」

「本当ですか!? こちらの世界でも、原始的な魔法の痕跡は存在しているんですね!!」

「スイファちゃん。なんだかとっても目が輝いてるね」

「だって、とても興味深いじゃないですか。こちらの技術を応用して精霊言語の解読を更に効率よくすることができれば、魔界の技術はもっと発展しますし、引いてはお父様の魔界統一の夢も……あ。いえ、今のは喋りすぎでした。忘れてください」

「……魔法も充分に発達すると、科学と見分けがつかなくなるんだね」

「それ。私達の世界の有名な格言ですよ? どうして知ってるんですか、無音さん」

「向こうは向こうで、そういう言葉あるんだ……」


 無音はどこか呆れたような表情で頷く。

 ふと、前を歩いていた蓮花と鳴矢が、自分たちの方を振り返って何か話していることに無音は気が付いた。


「……あの二人さ、あんな話ばっかりしてて楽しいのかしらね?」

「ほら、女の子って何を話すかより、誰と話すかの方が重要だっていうじゃない」

「なるほど。道理でアタシは、アンタと話してるといっつも楽しくないわけだ」

「あら。私は梔子さんと話してると、いつも楽しいわよ」

「アンタは皮肉ってものを理解しなさいよ全く……」


 鳴矢は大きな溜息を吐くと、歩調を落として後ろを歩いていた無音とアスイファの間に割り込んだ。一人はぐれてしまった蓮花も、ちょっと立ち止まって三人に混ざる。


「スイファさ。魔法とかの話ばっかりじゃなくて、普通の女の子らしい話もしないと」

「そうよ、ラズワルドさん。私たち、普段は普通の女の子なんだから」

「そうですね。でも私、この世界の普通の女の子がどんなことするのか、まだよくわからなくって……」


 蓮花はパンと手を叩くと、花が咲くような笑みを浮かべて鳴矢に問いかける。


「じゃあ、帰りにみんなで洋服買いにいきましょっか! ね、梔子さん? いいアイデアだと思わない?」

「確かにアンタにしてはいい考えだけど、アンタと一緒に行くのだけは御免こうむるわ」

「どうして!? 普段からメンバーの結束を高めるのも、正義の味方の大事な仕事よ!?」

「そんなこと言ってる時点でどこも普通の女の子じゃないって分かりなさいよ! 行くならアタシとスイファの二人きり! アンタは家でテレビでも見てなさいよ!!」

「ひどい梔子さん! 私達、やっと打ち解けてきたと思ってたのに……!!」

「だってアンタ、こないだ買い物付き合ってあげたとき、ちょっとおもちゃ売り場見たいつって二時間も居座ったじゃない。こっちがどれだけ待たされたと思ってんのよ!」

「だって前年作品の変身ベルトがまだ置いてあるなんて予想してなかったのよ!」

「お、お二人とも。けんかはやめましょう……」


 仲が良いのか悪いのか分からない二人の喧嘩に、アスイファが慌てて仲裁に入る。

 学年は三人とも違うし、身の上もそれぞれ異なる。

 共通点と言えば、三人で一つのチームを組んでいることだけ。だがチームとして活動していない時でも、普段の三人は仲の良い少女たちの集まりなのだ。

 そんな中になぜか一人だけ混じっている黒髪の少年、黒間無音は騒がしい少女達のやりとりを遠巻きに見つめながら、ふと声を上げる。


「三人とも、先に学校行ってて。僕ちょっと、公園のトイレに寄ってくるから」


 突然の言葉に、騒がしく言い合っていた三人がぴたりと動きを止めた。

 しまった。上手く抜け出すのに失敗した。そんな気まずさを覚える無音に対して、蓮花が心配そうな声で問いかける。


「……もしかして、学校に行くの、まだ怖い?」

「ううん、そんなんじゃないよ。蓮花さん達が迎えに来てくれるようになってからは平気。黙って一人で帰ったりしないから大丈夫」


 不安げな表情を浮かべながらも、蓮花はその答えに渋々といった様子で頷く。

 今度は後ろの鳴矢が、訝しむような表情で無音の顔をじっと見つめながら言う。


「体調悪いって嘘ついて保健室に居座るのもナシよ」

「大丈夫だよ。もう、中学のときまでとは違うから」

「本当でしょうね? もし学校来なかったら、アンタの机の上にバカって油性ペンで書いておくから。覚悟しなさいよ」

「それはむしろ来なくなるようにさせる側の行動だよ……」


 二人がなんとか頷いた後で、アスィファがにっこりと微笑みながら最後に言う。


「私の話に付き合ってくださるの、無音さんだけなんです。またお昼休みの時間、先輩の教室まで尋ねに行っていいですか?」

「もちろんだよ、スイファちゃん。後輩の頼みは、断れないからね」


 自然な言葉で返すと、無音はそのまま三人の少女に背を向けて、近くの公園へと足早に走って行く。

 黒間無音は一時期、学校でのいじめに耐えかねて不登校になっていた過去を持っていた――実際には、放課後の活動が忙しくなったことが大きな要因だったのだが。

 そのときは、まず風紀委員を務める三年生の蓮花が彼の家をいきなり尋ねてきて自主的な送り迎えを開始し、続いて幼なじみの鳴矢も彼を朝起こしにくるようになり、そんな二人に連れ添う形でアスイファも一緒に登校するようになった。

 それからというもの、毎朝無音は三人の少女と共に登校するという日々を送っている。


「放課後は女の子三人でお買い物か……邪魔しちゃ悪いよね」


 公園のトイレに駆け込み、身を隠すように個室の中へ閉じこもる。鞄から黒くて趣味の悪い仮面を取り出して顔にそっと被せる。続けて、ポケットからスマホを取り出す。

 別に電話越しでは、顔を見られる心配はなく、仮面を被る必要性はどこにもない。

 それでも、黒間無音には大切な行為なのだ。

 儀式と言ってもいいだろう。

 電話の短縮ボタンを押して耳にそっと当てると、控えめな声で言葉を発した。


「参謀、わしだ。今は本拠地(アジト)におるのか?」

『ええ、そうですが。どうされました?』


 電話口の向こうから、凛とした女性の声が応える。

 参謀は無音が昼間、普通の少年として学校に通っている間、住み込みで本拠地の留守を任されている。


「今日の作戦計画はどうなっておる」

『はい。万事順調に進んでおります。戦闘員と工作員、共に現地入りしたところです。今日の夕方頃には、活動を開始する準備が整います』

「それだがな、参謀。今日は日が悪い。作戦は中止にするぞ」

『……は? あ、いえ。申し訳ありません。今のは私の聞き間違いと存じますが』

「聞き間違えでもなんでもない。作戦は中止、これは決定事項だ」


 突拍子のない総帥の言葉に、参謀は思わず間の抜けた声を上げていた。

 一つ咳払いをしてから、元の事務的な口調へと戻す。


『そのようにはいたします。ですが……現地の戦闘員達はどうしますか?』

「戦闘員たちにはきちんと日当分の給料は払っておくがよい。こちらの都合なのだからな。有給休暇みたいなものだと思って収めてもらおう」

『経理にはそのように言っておきます……ですが、本当に中止ですか?』

「ああ、中止だ。二度も言わすでない」

『……総帥の深すぎるお考えは、凡俗な私には理解致しかねます』

「参謀。時折、わしも自分が何を考えているか、よく分からなくなる」

『ですが、総帥がどのようなお考えだったとしても、私の敬意は変わりません。決して』

「そうか……わしは良い部下を持ったものだな」


 自嘲するような口調で言い切ったクラヤミは、通話を切って仮面をそっと外す。

 黒間無音という凡俗で気弱な少年へと戻った彼は、自分の手に収められた黒い仮面に向かって囁き声を落とす。


「……本当に君は、何をやっているんだ。クラヤミ総帥」


 ただ素顔を隠すための道具に過ぎない仮面は、少年の問いに答えることはなかった。


ご指摘があったので時制について補足を入れておきます


一章冒頭の無音は小学生ぐらいで閉じこもっていたのは実家にある土蔵です。

現在は高校生で、実家を離れて一人暮らしをしています。

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