15-2.霧の向こうからの使者
「お初お目に掛かります、クラヤミ閣下」
時代錯誤な第二次世界大戦期の軍人が来ていたような深緑色をした襟詰めの軍服に、これまた古風な軍帽を深く被った、吸血鬼を名乗る謎の女性。
声の印象からは二十代の半ばと思えるが、二十代のまま肉体の時間がとまっているとすれば、およそ五十年ほどは生きている計算になる。
女が慇懃に下げられた頭を上げたとき、玉座から見下ろしていたクラヤミ総帥は、突如として驚愕の言葉を漏らした。
「お、お前は……!?」
「おや、閣下は私のような下賤の者をご存知でいらっしゃる?」
「……いや、知り合いに似ていたものでな。吸血鬼とはいえ、見た目は普通の人間か」
知り合いも何もない。
クラヤミは――無音は、彼女の顔をよく知っている。
彼が通う小鍬高校で現代社会を担当する女性教諭、霧敷菫その人ではないか。
妙齢の美人教師と校内で一部の男子生徒から人気の高い彼女の正体が、まさか吸血鬼だったとは。
道理で年齢のことでいじられると不機嫌な顔をするわけだ。実年齢は五十をとうに越しているなどと答えられるはずもない。
「改めまして。私〈逆十字軍〉から参りました、ヴィオレッタと申します」
「それは貴様の本当の名前か?」
「ヴィオレッタという名前は、組織で使っているコードネームと思っていただければ結構です。閣下も、まさか〝クラヤミ総帥〟が本物の名前ではないでしょう?」
「なるほど、そう言われては返す言葉もない」
「昼間は人間だった頃の名前を使って、教師として人間社会に混ざっています」
「それで……〈逆十字社〉と言ったな? その名前は耳にしたことがある」
「それはそれは、敬愛する閣下に知っていただけていたとは、誠に恐縮です」
霧敷菫――もといヴィオレッタは、挑発的な笑みと共に頭を下げる。
自分が〝吸血鬼〟という絶対的な強者であるという余裕がそうさせるのだろう。言葉使いこそ謙ってはいるが、態度や口調には人間という存在を嘲り蔑む感情が見え隠れしている。
兵士としての戦闘能力も恐ろしいが、組織の渉外役としても一筋縄では行かないだろう。なにせ無音は、彼女が普段から普通の人間として一般生活に溶け込んでいるのを目の前で見てきている。
もっとも、それは自分も負けず劣らずと言っていい戦域の話だが。
「まあ、イベント代行業とでも申し上げておきましょうか」
「ほう。わしは戦争コンサルタントと聞いておったが、聞き違いだったかな?」
「本質的には変わりありません。顧客の要望に応じ、演者を派遣し、お望みの舞台でお望みの戦場を構築してさしあげるのが我々の職務です」
ヴィオレッタは軍帽のつばを軽くつまんで位置を直しながら答える。
いかにも軍人然とした格好が示す通り、〈逆十字社〉の活動はわかりやすく言えば傭兵派遣業だ。
組織同士の抗争や闇業界の要人警護、過激派宗教組織のテロ支援など、あらゆる闘争が彼女達の活動の場だ。
武器の輸入からテロ計画の立案まで手厚く〝闘争〟を支援するため、戦争コンサルタントという呼び名はあながち間違っていない。事実、彼らの関わった闘争行為は全て完璧なまでに達成され、多くの死傷者を生んでいる。
「皮肉なものだな。人の血を吸って生きる吸血鬼共が、流血沙汰を職分とする戦争屋をしていたとは……いや、むしろ天職というべきか」
「ご明察です閣下。もっとも、我が軍に居る吸血鬼は私を含めて極少数。母体こそ吸血姫配下の残党ではありますが、全員が吸血鬼というわけではございません」
「だろうな。もしそんなふざけた組織が存在したのなら、今頃世界は貴様らの物だ」
「御謙遜を。閣下を置いて、この世界で覇を成し遂げられる方はおりませんよ」
「ははは。皮肉もここまで来ると笑うしかないな」
クラヤミは痛快に笑って見せるが、心中は穏やかではない。
なにせ不死身の肉体に、超常的な身体能力、おまけに噛み付けば確実に人を殺せるという反則じみた存在だ。
おまけに吸血鬼は、「吸血鬼でなければ殺せない」という言い伝えもある。
二十年前はその弱点を突かれ、たった一人の半吸血鬼の少年によってその殆どが殲滅されたという話だ。
だがその少年は、吸血鬼たちの頭目である吸血姫を倒した後に姿を消してしまい、一説には相打ちになって倒れたのではないかとも言われている。
生き残ったヴィオレッタのような吸血鬼は、いまや人の社会の中に潜む対抗薬の存在しない猛毒ともいえる。
「私ども吸血鬼も、生き残りを賭けて必死なのです。いえ、既に死んでいるので生き残るも何もないのですがね。困ったことに私たちは、血を吸わないままでいると理性を持たない屍人に成り下がってしまうのです」
「知性を持たない動く屍か……やはり知性の死は恐ろしいか」
「ええ、それはもう。想像も付かないほどに」
肉体も生態も人間から変質してしまっても、やはり人としての知性が滅びることには絶えられないのだろう。
自分の肉体が意識を失ったまま這い回るなど、ただ死ぬよりも恐ろしいことだ。
「生き血ではなく、採血した血を飲むのではだめなのか? 感染させる危険性さえなければ、共存することは可能だろう」
「ご存知のとおり我々は二十年前、人間との共存を目指し人間を支配下に置き、血を集めて税として納めさせていました」
「なんだと……? 人間を支配下に置いたのは、共存を目指すためだったのか!?」
「ええ。ですがやはり、直接生き血を吸わなければ屍人化を抑えることはできませんでしたね。下手に人間に情けをかけたのが、我々の敗因の一端でした」
血を吸えば人を死なせてしまうが、吸わなければ自身が滅びてしまう。
なんという救いのない運命なのだろうか――もちろん吸血鬼達が、ではない。
食物連鎖の頂点に立ったはずが、一つ下の階層に追い込まれるという恐怖に苛まれた人間達の運命の方が哀れだ。
「人は生きるために家畜を殺し、魚を殺し、果実をもぎ取る。その自然の摂理に人間もまた従わないわけにはいかないからな……」
「ええ。ですがほんの一握り、血を吸われても吸血鬼として起き上がることもあります。それを考えればまだ我々の食事は良心的でしょう」
「食い扶持を増やしてしまうだけではないか」
「ええ。困ったことに不死なので、増える一方で減ることもありません」
彼女達をのさばらせておけば、日本は再び【暗黒の28ヶ月】に逆戻りだ。飛行能力を持つ一部の吸血鬼を除いて、彼らは海や川を渡りたがらない。住み心地のよい日本という島国を〝食い尽くす〟危険すらもあり得る。
「我々も一応は遠慮して、無差別に人を襲ったりはせず、あくまで結社の事業としてのみ人間の殺害を行って参りました。ですが近年、急に上客が居なくなり始めてしまって」
「それは……わしが意に沿わない悪の組織を潰して回ってしまったからか?」
「はい。おかげ様で我々、食い扶持に飢えております」
ヴィオレッタが獣のように尖った牙を剥きだしにして、にやりと笑う。
睨み付けられて、クラヤミは一瞬体が凍り付く思いがした。
特殊能力でも何でも無い。ただ吸血鬼という捕食者に対する本能的な恐怖が、クラヤミの体を緊張させたのだ。
「怖い目で睨まないでほしいな、ヴィオレッタ殿。わしも人間だ。怖いものは怖い」
「いえいえ、私も決して不死身ではありません。そう怖がらなくていただかなくても大丈夫ですよ――三人とも超能力者ですか? 抑止力としては適切かと。よい采配です」
天井の梁の上や、柱の陰に隠れさせておいた工作部隊員たちが、不意に沸き立った殺気に反応して、微かに動きを見せる。
だが、臨戦態勢を取った彼らの動きを鋭敏に感じ取ったのだろう。
もし自分の身が狙いだとしたら、影内を含む優秀な工作部隊員を三人も失う危険がある。
「我々のような闇の中でしか生きられない者達にとって、あなたは私たちから闇を奪ってとしまっているのです」
「……我々〈SILENT〉は世界征服を目論む悪の秘密結社だ。闇も我が手の内よ」
「では閣下が作り上げようとする清潔な世界に、我々のような汚物は必要ないと?」
「清潔な闇か。なるほど、言い得て妙だな」
――この女はわしの〝本来の目的〟も理解している。
悪という存在を、正義をこの世に留めるための依代にする。
その為の世界征服。その為の悪の組織だ。
だが、吸血鬼という人類にとって本物の悪は、本物の闇の中でしか生きられない。
自分の行いが、本来の意味で〝世界征服〟だと理解した今、彼女の言葉の意味がよく分かる。
世界を自分にとって都合のいいものに作り替えるということは、同時に誰かにとって都合の悪い世界を生みだし、排除しなければならない。
闇を私的に利用しようとする〈SILENT〉と、闇という住処を取り返そうと目論む〈逆十字者〉。両者の利害は完全に対立している。敵対関係と言っていい。
面会に応じたのは失策だっただろうか、そう思いかけたときだった。
「そこで我々に、ご用立てをしていただけないかと思いまして」
「それはつまり……わしに、営業の売り込みに来たのか?」
「はい、その通りでございます。近々流血沙汰にご入り用がないかと思いまして」
明るい口調でヴィオレッタはとんでもないことを言う。
争いを起こすつもりなのだろう。彼女はそう問いかけているのだ。
「【修正自警法】が閣下にとって面白くない法律というのは、我々も深く理解しております。そこで我々がお力添えをするというのはいかがでしょう。要人誘拐、爆発物設置、バスジャックなど様々なテロ計画のプランを取りそろえてございます。もちろん人質に危害は加えません。血を吸うのは、突入した警察部隊や自警団からしか――」
「ならん。それだけは絶対にならん」
ヴィオレッタの言葉を遮り、クラヤミは断固とした口調で言い放つ。
「そもそもわしはまだ、武力による解決を目指すと決めたわけではない。確かに法を変えるためには、そのようなテロ行為は避けて通れんだろう。だが流血は我々の望むところではない。手段は同じでも、目指すものが全く違いすぎる」
「つまり……我々の協力を求めるつもりはないと?」
「これはわしの舞台だ。役者ならば足りておる。脚本が気に入らないなら別の舞台を自分で用意するのだな」
「……交渉決裂ですか。たいへんに残念です」
「利用しないと分かった以上、わしを亡き者にする――という筋書きか?」
「いえ、今回の商談は今回のこと。また武力がご入り用の際は、いつでもお呼び立てを」
ヴィオレッタは連絡先を書いた名刺を、傍らに立つ参謀の夜野に手渡す。
夜野は少々怯えた表情を見せながらも、職務として礼儀正しく名刺を受け取る。この場で何の戦闘能力も持たない唯一の人間だが、その毅然とした態度は立派だ。
「では、またいずれお会いしましょう。親愛なるクラヤミ閣下」
意味深な言葉を言った、次の瞬間。
ヴィオレッタの周囲に、突如として薄紫色の靄が広がり始めた。
まるで彼女の体そのものが霧に変じていくかのように、徐々に体が薄まり霧の中に姿が消えていく。
驚きに目を見開く一同の前で、そうしてヴィオレッタは完全に姿を消してしまった。
その場に残されたのは、薄紫色の霧の残滓と、一枚の名刺だけだった。
「いやー、思ったより美人でしたねいまのねーさん。夜野さんと良い勝負って感じ?」
天井の梁に身を隠していた影内が、クラヤミの目の前に転移してくる。
ヴィオレッタがいつ敵に回っても対応出来るようにと、ずっと神経を尖らせていたのだろう。どっと疲れた顔色をしている。
「つか、なんすかねこの霧。あのねーさんの良い匂いしそう……」
「影内、待て。その霧にあまり不用意に近づくな」
ふざけた様子で漂う霧に近づこうとした影内を、クラヤミは厳しい口調でたしなめる。
「おそらくその霧は、彼奴の吸血鬼としての能力によるものだ。おそらく体を霧に溶かす能力でもあるのだろう」
「ってことはこれ、あのねーさんの体の一部みたいなものってことですか?」
「ああ、そうだ。下手に吸い込むとまずいぞ。なにせ吸血鬼の一部だ。ことによったら毒ガスと言って良いかもしれん」
クラヤミは身を隠していた残りの工作員と、夜野に対して部屋から直ちに出るよう命じる。まったく、とんでもない土産を残していってくれたものだ。
「夜野、あとで工房に連絡して、広間全体を除菌するように命じておいてくれ。吸血鬼化のウイルスは空気感染しないが、念には念を入れておきたい」
「はい。ただちにそのようにしておきますが……」
「なんだ、何か言いたいことがあるのか?」
「閣下は先ほどの吸血鬼のことを、どう思われますか? いえ、どうされますか?」
「……どうもこうもない。相容れぬ存在である以上、関わらぬほかない」
クラヤミはどっと疲れた表情を浮かべて、大きくため息を吐く。
「そろそろ身のふりを決めておかねばな。でなければ、ああいう手合いにいつまでもつけこまれてしまう」
おそらく〈逆十字社〉は大人しく引き下がりはしない。何か別のかたちでまた、行動を起こしてくるだろう。
これならば、敵対者として正々堂々と攻め込んで来てくれた方が、話がまだ楽だった――とは口が裂けても言えなかった。
「日本が吸血鬼の侵略を受けたことがあって」とかいう無駄に濃いバックボーン設定は
以前、吸血鬼モノを書こうとしたときに考えてた作品プロットからの流用設定だったりします。
『偽装吸血機ドラキュリオン』というタイトルの吸血鬼×変身ヒーローという構想だったんですが
某キバとネタが被ったのでお蔵入りに(以下略)




