13.藍は哀より青く
黒間無音が街外れにある河川敷を歩いているときのこと。
聞き慣れない訛りの日本語が、堤防下から耳に届いてきた。
「ようやっと見つけたけんね。アスィファ=ラズワルド」
一体どこに住んでいたらこんな壊滅的なイントネーションが身につくのだろう。
声がした方に目を向けてみると、そこには二人の少女が向かい合っている。
片方は無音の後輩にして異世界からの転校生、アスィファ=ラズワルド。
対するは、紺色の外套とフードですっぽりと体と顔を覆い隠した、若干言語のイントネーションがおかしい謎の少女だ。
恐らく彼女はアスィファと同じく、〝魔界〟から来た異世界人なのだろう。
「こっちの世界さ来て、たくさんなとこ探し回っただ。んだけど、こないだ〝てれび〟っちゅーのにお前が出とるのば見て、やっと、やーーーーっと見っけたや」
よほど日本の各地を探し回ったのだろう。色んな地方の訛りが独特な調子で織り交ぜられていて非常に聞き取りづらい。
フードを目深に被ったあやしい日本語を話すあやしい少女に対し、きっちりと高校の制服を着こなすアスィファは、ピンと背筋を伸ばし淀みない口調で応じる。
「あなたは、私を追って魔界から来られた【土の塔】の魔法使いですね?」
「ああ。んだ」
「でしたらどうして、魔界の言葉を使われないのですか?」
「うちらの言葉はこっちの世界の人間らにはおかしな言葉に聞こえるけん、あやしまれんよう気を使ってるだけだがや」
「今の方が充分あやしいのですが……まわりに人も見当たらないようですし、いいでしょう」
アスィファが周囲をぐるりと見渡すのとほぼ同時に、無音は近くにあった橋桁の陰にさっと身を隠す。
彼女を探しにここまで来たはいいが、どうも思わぬ場面に遭遇してしまったようだ。
普段は異世界から来た人間ということで、どこか一歩控えたような態度を見せることの多い彼女だが、同じ世界の人間に対しては一体どのように接するのだろうか。
少し後ろ暗さを感じながらも、好奇心に勝てない無音は橋桁の陰からそっと二人を見守っている。
「あんたに恨みはないけっども、〈天帝〉サマー=ラズワルドの娘ちゅうからには、うちらにとっては邪魔やけん」
「ええ、そうですね。特に私は、【雷天の書】と【雨天の書】を使えますからね。状況次第では、お父様の所属する〈風の塔〉だけでなく、火や水にも塔を変えられます」
無音がアスィファや〝他の魔界の人間〟から聞いた話によると、どうやら魔法使いたちは扱える魔法に応じていずれかの〝塔〟に属することが定められているらしい。
そして各塔から代表者を出し合い、国民の投票によって政治を担う代表者――つまり、魔王を選定するのだ。
こちらの世界で言う〝党〟の感覚に近い。
どうも性格によって得意な魔法が分かれるらしく、各人の性格がそれぞれ塔の意向に反映される。例えば〈火の塔〉は好戦的で革新的、〈水の塔〉は嫌戦的で保守的と言った具合だ。
「たとえ〈天帝〉が魔王をやめたんしても、その娘のあんたも同じぐれえ厄介なんだわ。こっちに引っ張り込めねえ以上、あんたには消えてもらうしかねえだ」
「つまり、私を暗殺しにいらした魔界からの刺客と解釈してもよろしいですね」
「んだ。びびっただか?」
「いえ、こちらの世界に来てからあなたのような方はめっきり見えなくなってしまったので、久しぶりのことで少々驚いてしまいました」
アスィファは背負っていた巨大なケースを地面に下ろす。まるで吹奏楽部の部員がコントラバスのような大型楽器をしまうために使うような巨大なものだ。
彼女がケースを開くと、中から姿を現したのは、まるでSF映画に出てくる光線銃のような見た目をした、とても杖とは呼べないような異形の杖だ。
一方、ローブとフードに身を包んだ昔ながらの魔女らしい姿の刺客は、木製の古式ゆかしい杖を懐から取り出しながら、驚嘆の声を上げる。
「それが噂の〝機械杖〟――いかつい見た目だっちゃ」
「あなた、お名前はなんとおっしゃるのですか? 私を亡き者にするのでしたら、冥界へ旅立つ私に手土産をくださってもよろしいでしょう」
「難しい言葉使うなや……うちの名前はビラウラ。田舎もんの地方貴族じゃけど、家の名に泥は濡れん。家名は言えんけん、堪忍してな」
ビラウラの口調は、確かに日本語としては崩れているが、その言葉の中にはピンと張った糸のような、真っ直ぐな芯が確かに感じられた。
互いに杖を向け合う二人を見つめながら、無音は息を飲んでその光景をじっと見守る。
アスィファは自分の命を狙ってきた刺客に対し、戸惑うどころか、むしろ懐かしさすら感じるような面持ちで応じて見せている。
魔王の娘、三種の魔法を使いこなす才女、異世界からの転校生。そして無音にとっては、慕ってくれる穏やかな少女。
彼女は様々な顔を持つが、一体どれが彼女の本物の顔なのだろう――いや、どれ一つとして本物ではないのではないか。
二つの不安が入り交じる中、無音の視線の先、最初に動きを見せたのは【土の塔】の魔女ビラウラの方だった。
「■■■■――」
とても言語として表現することのできない、まるで歌のような、あるいは獣の鳴き真似のような、複雑な抑揚と音階の混じり合う独特の言語。
これが本来、魔界の人々が呪文として使っている言葉なのだろう。確かに人前でおいそれと口にできないのは納得出来る。
一分ほどの詠唱が終わったあと、地面に突如として一つの魔方陣が展開された。
「■■■■!!」
恐らくそれが結びの句だったのだろう。
地面の一部がゆっくりと隆起していき、土山となっていく。
そして土山がぼろぼろと崩れ、その中から一つの人型の輪郭が現われる。
おそらくは土人形と呼ばれるものだろう。意思も生命も持たない土塊の人形が、泥の中から這いだし産声のような雄叫びを上げる。
「……あ、あれ?」
土人形の召喚した当人であるビラウラが、突然あっけにとられたような声を上げる。
隠れてみていた無音も、思わず「えっ」と驚きの声を上げてしまいそうになる。
なぜなら召喚された土人形は、無音がイメージするようなものとは全く違う大きさだったから。
つまり、とてつもなく小さくてかわいらしかった。
「ずいぶんと可愛らしいお人形さんですね」
「えっ……? い、いや、これは違うだ! 何かの間違いだ!! うちは本当はもっと、砦みたいにでっかいやつを作れるだ!! 実家のばあちゃんも、うちに〈城崩し〉って名前つけてくれるぐらいで、本当だぁ……」
ビラウラは言葉の途中で泣き出してしまい、もはや嗚咽とも呻きともつかない声を上げることしかできなくなってしまっている。
よほど自分の魔法に自信があったのだろう。これでは城壁どころか、発泡スチロールを割れるかどうかもあやしい。
がっくりと膝を落として落ち込むビラウラを置いて、アスィファは自分の膝ぐらいの大きさしかない小さな土人形を「えいっ」と可愛らしい声とともに杖の先でツンと突いて粉々に破壊した。
「あなたが相当に優秀な魔法使いであることは認めます。あなたは充分に呪文を使いこなせていますし、魔力の量も並のものではないでしょう」
「ほ、本当だか!?」
「ええ。そもそも、こちらの世界で魔法を発動できるだけでも素晴らしいです。今まで私に挑んできた刺客の中で、ちゃんと魔法の発動ができたのはあなたが初めてです」
「う、うちのこと信じてくれるんだな!!」
ビラウラはぐずぐずと鼻を鳴らしながら、嬉しそうに声を上げる。
「君は一体何しに来たんだ」と、陰で見ている無音は思わず突っ込みそうになった。
アスィファは鞄の中から一冊の魔道書を取り出しながら、慰めるような口調で続ける。
「あなたに足りなかったのはこちらの世界に対する理解です。第一に、この世界の精霊はこの世界の言語しか理解できません。あなたの失敗の原因は、この世界の言語に対する理解力の不足にあります」
「そんな……うち、この一ヶ月、めっさ頑張ってこの世界の言葉覚えたっちゃのに……」
陰で聞いていた無音は、ビラウラの言葉へ素直に感心する。確かに言葉そのものは滅茶苦茶だが、たった一ヶ月で異界の言葉をここまで理解し使いこなしているだけでも充分賞賛されるべきだ。少なくとも、意味はきちんと通じている。
魔法使いに共通した特徴としてあげられるのは、言語に対する理解と興味がとても高いことだ。実際アスィファも、言語だからという理由だけでプログラミング言語の本にまで興味を示していた。
魔法の発動に必要な呪文という言語――その理解と応用に特化して進化してきた人種が、魔法使いと呼ばれる人々の正体なのだろう。
「そしてもう一つ。こちらの世界は、精霊がエネルギーに変換するための原料であるエーテルの密度が、魔界に比べて十分の一以下です。最近は各地に〝門〟が開いたことで魔界のエーテルがこちらにも流入してきていますが、魔法を発動するのに必要な精霊の数量は跳ね上がりますし、私たちも相当大量の魔力を消費しなければいけません」
「な、なるほど……さすが魔王の娘だ!」」
にっこりとした笑顔を浮かべながら、アスィファは杖のくぼみに魔道書を差込む。ちょうど巨大な銃のスロットにカートリッジを差込むかのように。
『――【風天の書】詠み込み完了』
「渦巻きの章【旋風】」
アスィファが呟いた瞬間、杖の先端に魔方陣が展開される。
何か、よほど驚いたのだろうか。ビラウラが悲鳴のような叫びを上げた。
「無詠唱!? あんた、今なにしたがや!?」
「私は何もしていません。魔道書にICチップが埋め込んであって、杖に装着したリーダーが自動的に必要な呪文を詠み込んで起動してくれるんです」
「あ、あいし……何なんだそれ?」
「あら? あなたを刺客として差し向けた方は、私を倒してこの杖を奪うように命令してきたのでしょう。なのに、この杖の機能を知らないんですか?」
「ど、どうしてうちがされた命令のこと知っちょるん!?」
「……なるほど、あなたも利用されているだけのようですね」
端から見えていた無音にも、今の会話だけで彼女たちの背景を瞬時に読み取る。
アスィファが普段使っているあの杖は、蓮花の父である緋色博士がアスィファが元々持っていた杖と組み合わせて作り出した、魔法と機械の融合とも言えるものだ。
その効果は絶大だ。魔法使いが一分もかけて行っている詠唱という工程を、機械が肩代わりして一瞬の内に終わらせてしまうのだ。
一人の人間が一冊の本を読むのと、機械が一冊分の本のデータを読み込むこと。一見似ている作業に思えるが原理は全く根本的に異なるし、速度も天と地の差だ。
魔界の人間が、彼女の杖に強い興味を示すのにも無理はない。
「あ、あと質問なんだけど……いいだか?」
「ええ。構いませんよ」
「さっき、この世界で魔法使える魔法使いは珍しいって言ってただけど……あんた、なんでそんな、〝普通に魔法を使えるんだ〟?」
アスィファが照れたように微笑むのと同時、彼女の杖の先端から膨大な風量の竜巻が発せられる。周囲の草が次々と根元から抜けて、風によって巻き上げられていく。
「いえ。今の私も、魔界に居た頃の十分の一程度の威力の魔法しか使えていません」
「で、でも、その威力は、どう見ても……」
「ええ。そもそも私がこの世界に送られた理由の一つは、一人の刺客を蹴散らすためだけに毎回〝村一つ廃墟にするほど〟の被害を出していたら迷惑だからと、お父様に怒られてしまったのが原因ですから」
「そんな、これが、魔王の娘……ッ!!」
ビラウラは恐怖と驚愕が入り交じった声で呻きを漏らす。
だがアスィファはあくまで、にっこりとした笑顔を崩すことなく、ビラウラに微笑みかけた。
「ご心配なく、命までは取りません。今あなたが見聞きしたことを、【土の塔】に帰ってお伝えください。それが私からあなたへの手土産です」
魔王の娘には決して手出しするべきではない――竜巻に吹き飛ばされながら、ビラウラはきっとそんなことを思っていたのだろう。
風によって遠くへ吹き飛ばされていく哀れな魔法使いの姿を目で追いながら、無音はふとあることに気が付く。
めくれ上がったフードの下から現われた彼女の素顔は、いかにも田舎娘といった感じの純朴そうで可愛らしいものだった。
書きたいジャンルを書き、書きたいキャラクタを書く




