8-3.正義の味方のなりそこない
「さて、どう切り込んだもんか……」
影内は呟きながら、右手の折りたたみナイフをくるくると器用に回す。
こちらが〈瞬間移動〉能力者だと知っていながら挑戦に乗ったということは、相手もおそらく何かしら能力を持っているのだろう。影内はそう考える。
まずは相手の出方を覗うべき場面だ。
「【久遠流抜刀術・影法師】」
だが、影内は決してセオリーには従わなかった。
なぜなら彼は、自分の能力に絶対の自信を持っているからだ。
技の名を叫びながら、影内はナイフを腰だめに構え、クラヤミに向かって一直線に突っ込んでいく。
何の変哲もない、勢いだけの突進――かに見えた。
「むッ……!?」
正面から突っ込むと見えた影内の姿が一瞬にして消え失せ、次の瞬間にはクラヤミの背後に出現する。しかも、走り込んだときの勢いはそのままに。
「隙だらけだァ!!」
つまりは、瞬間移動を活かした、大胆なフェイント攻撃であった。
前から突っ込んでくると思われた相手が、いきなり真後ろから、しかも勢いのついた状態で一挙に切り込んできたのだ。尋常な反射神経ではまず対応しきれない。
相手は全身を鎧に覆っている。だが、首元には僅かな隙間があり、素肌が露出している。狙いはただその一点だ。
至近距離まで一挙に近づき、喉にナイフを突きつけて、参ったと言わせる。それで自分の勝ちだ。
勝利を確信しながら、影内は無防備なクラヤミの背中に勢いよく切り掛かる。
だが、突きだしたナイフの先端が、突然何かによって遮られた。
「なんだとッ!?」
「慢心したな、超能力者」
クラヤミが余裕の笑みを浮かべて振り返る。影内のナイフを阻んだのは、クラヤミが後ろに伸ばした腕だった。
背後にちらりとも視線を向けず、背後からの奇襲を予期し、手で首元を覆っていたのだ。
何が起きたかわからない。そんな表情を浮かべる影内に、クラヤミが悠々と問いかける。
「貴様は今、転移する瞬間、わしの背後に視線を向けただろう?」
「ッ――」
「〈瞬間移動〉を使うには、転移先の空間を視界に収め、その座標地点を認識していなければならない。転移する前に視線の動きを見れば、どこへ〝跳ぶ〟つもりなのかは簡単に予想がつく」
奇襲の失敗をさとった影内は、苦悶の表情を浮かべながら後退し、一度距離を取る。
クラヤミは振り返った状態から一歩もその場を動くことなく、言葉を続ける。
「〈瞬間移動〉はこれ以上になく厄介な能力だ。だからこそ、能力の特性については世界でもっともよく研究されている」
クラヤミはそう言うと、突然膝を折ってしゃがみ込むと、地面の砂を一握り掴む。
そして、自分の頭上に向かって砂粒を巻き上げた。小さな砂埃が、クラヤミの周囲を霧のように包み込んでいく。
「さあ、次はどう攻める?」
「くそっ……舐めくさったマネしやがって」
影内は苛立ちを露わに、舌打ちしながら呟く。
――こいつ、たかが砂粒ごときで、オレ様を無能力者にしやがった。
万能の能力と思われる〈瞬間移動〉だが、転移を行うためには幾つかの条件が要る。
跳ぶ先を視界に入れていること。そしてもう一つ、転移する先の空間に割り込むための隙間があるかどうかだ。
空気中の分子程度なら、難なく押しのけて滑り込むだけの空間を作りだすことができる。
だが、水の中や、物質の中に転移するとなると、全く話が違ってくる。
まず転移するための空間を作り出せない。
仮に出来たとしても、その空間に僅かでも異物が残っていれば、体内に入り込んでしまって深刻なダメージを負ってしまう。要するにただの自滅だ。
クラヤミが舞い上げた砂埃も、影内の転移を阻むには充分すぎる防壁だった。
もし転移したときに、舞い上がった砂粒が血管の内側にでも入り込めば、それだけで致命傷になるだろう。
「アンタ……もしかして、オレ様よりオレ様の能力のことよく知ってんじゃねーか?」
「そうかも知れんな。〈瞬間移動〉能力者は、喉から手が出るほど欲しかった人材だ。その能力と対策については、以前から念入りに調べてきている」
「ハッ、モテる男はつれーぜ」
冗談めかして笑い飛ばす影内だが、「つらい」という言葉に全く嘘はない。
よく「超能力者同士の戦いは情報戦だ」と言われるが、自分のスペックが相手に知られているだけで、ここまで不利な戦いを強いられるとは思ってもみなかった。
久遠流の師匠が、かつて「相手に能力を見破られないように戦え」と言っていた意味を、今にしてようやく実感する。
しかもこっちは、相手の能力がどんなものかもよく分かっていない。いくら〈瞬間移動〉が優れた能力だとはいっても、これだけ一方的ではさすがに不利だ。
「……そういや、鎧に刃が当たったときの感触、すげー変だった。もしかしてあれがアンタの能力か?」
影内はふと、ナイフの刃に目を落としながら、先ほどの感触を思い出す。
硬質な鎧によって阻まれたはずなのに、返ってきたのは、まるで柔らかい羽毛を突いたかのような手応えの無さだった。
影内は、自問自答するように言葉を続ける。
「いや、違うな。超能力ってのは、普通は足し算だ。自分の持ってるエネルギーを、どういう風に外側へ出すかって所がキモだ」
「ほう。足し算とは、面白い例えだ」
「だが、今のは力を吸い取ったような感触だった。超能力に引き算はない。そんな話、聞いたこともねえ。その鎧、超能力とは別の出所だな?」
「ほう……なるほど。貴様、なかなか頭は切れるようだな」
「御世辞言っても無駄だぜ。オレ様は最終学歴中卒だ。頭なんて良くねえよ」
「いや、それは違うな。貴様には、戦闘に対する優れた才覚がある。貴様自身に、その自覚があるかどうかは知らないがな」
「戦闘の天才か――」
影内は呟きながら、ふと視線を高く上げる。
喋りを続けている間に、クラヤミが舞い上げた砂埃はほとんど地面に落ちて晴れてきている。
別に、それを狙って喋り始めたわけではない。ただ、無意識に時間を稼ぐべきだと判断していたのだ。
「――だったらアンタは、人を見る天才かもな」
呟きと同時、影内は一瞬にしてクラヤミの頭上に転移する。
砂埃が晴れた今、切り込むならばこのタイミング、この方法しかない。
重力に引かれて落ちる勢いと共に、振り上げたナイフを勢いよく振り下ろす。
「【久遠流抜刀術・影落とし】!!」
影内は叫びと共に、渾身の一撃を叩き込む。
だが、そのナイフの先端は、やはりまたクラヤミが頭上に伸ばした腕によって阻まれてしまう。
弾き返されることもなく、表面を滑ることもない。柔らかい感触に受け止められ、影内の身体が空中でぴたりと停止してしまう。
相手が何をしたのか、どんな能力を使ったのかも分からない。
ただ、落下の勢いごと攻撃を吸収されてしまったのは理解できた。
ナイフを受け止めたのとは別の、もう一方の手で、クラヤミは素早く影内の腕を掴み、地面に引きずり落とす。
格好としては投げ飛ばされたような形だが、身体に掛かる重力が消えてしまっているのか、大した反動は返ってこなかった。
「今の攻撃も予想できていた。予備動作無しで攻撃するには、頭上に転移して重力の勢いをつけるしかない」
「だろうな。予想されてることぐらい、分かってた。だが、それ以外に手が思い付かなかった」
影内は諦めたような弱々しい口ぶりで、言葉を返す。
先ほどから転移して逃れようと何度も試みているのだが、上手く能力が発動してくれない。それどころか、腕を掴まれた瞬間から、どんどん全身の力が抜けていく。
「駄目だ、全然力入らねえ……顔が濡れたアンパンってのは、こんな感じなんだろうな」
「この鎧は、貴様の体内の生体電流を吸収している。生かすも殺すもこちら次第。つまり、貴様の負けということだ……」
「ああ。こいつは、オレ様の負けだ」
A級能力者としてこの世に生まれてから、自分は一度として負けたことがない。
引き分けたことなら、一度だけある――同じ道場に通っていたA級能力者の少女と手合わせをしてみたものの、能力のレベルが拮抗してしまって決着がつかなかったのだ。
だが、今回は違う。相手は得体の知れない能力を持ち、しかもこちらの能力は読まれ切っていた。その上で攻撃を全て防がれ、おまけに完全に無力化されてしまった。
ここまで完膚なきまでに自分を負かすことができる存在がいるなんて、思ってもみなかった。
そしてここまで、自分の能力を委ね任せてもいいと思える相手に出会えたのも、初めてだった。
「オレ様の能力は、アンタが思う存分活かしてやってくれ。目的は何だ? 盗みでも殺しでも、何でもやってやるぜ」
「いいや、そんな小さなことに貴様の能力は使わせはせん。貴様にはもっと、名誉で崇高な使命を果たしてもらう」
「世界を救う、正義の味方にでもなれっていうのか?」
「いいや、違う――我々は悪の秘密結社として、世界征服を遂行する。この世界の人間全てにとって、憎むべき敵となるのだ」
「おいおい。なんだよ、そりゃあ……」
地面に組み伏せられ、仰向けで四肢を地面に投げ出した姿勢のまま、影内は呟く。
「なんだよ。すっげえビッグで、面白すぎるじゃねえか――」
全身の力を抜かれてしまった影内は、まるで眠りに落ちるように意識を遠退かせていく。
不安も恐れもない。むしろ心地が良い。
こんな大きな存在に自分を預ける機会が来るなんて。
――お前の言った通り、めっちゃ良い仕事見つかったぜ、〝おとなし〟君。
影内は心の奥でそう感謝の言葉を抱きながら、意識を眠りの井戸に沈めていく。
彼に予言を残していった少年と、彼に仕事を与えた人間が、まさか同一人物だなどと、影内は全く知るよしなどなかった。
影内くんと梔子さんは生まれた境遇はすごく似てるんだけど
出会った相手が違うせいでまったく運命が分かれてしまった二人だなあ
とか気が付きながら書いてました(作者並みの感想)




