4.「いつになったら満ちるのか?」
<前回までのあらすじ>
「オッサンの話なんて誰も興味ねえよ!」という読者の反応を恐れながら書いた前話が意外と好評だったので、
当初ばっさりカットしてしまおうと思っていたシーンをやっぱり入れることに決めた作者だった。
あらすじおわり。
クラヤミ総帥と、漆原戦闘部隊長。2人の他愛もない会話が10分近く続いた頃だった
「ところで、最近仕事の具合はどうだ。漆原?」
「おかげさまで、いつも通り滞りありませんよ」
「ほう、侮られたものだ。そんな言葉でわしをごまかせると思っておるのか?」
有り触れた問いかけに、当たり障りのない答えを返す漆原。
だが、その答えはなぜだか総帥の癪に障ってしまったらしい。
「正義の味方たちは、質も量も減ってはいない。ということは、少しずつだが確実に増してきている。それでも、今まで通りと言えるのか?」
「……普通こういう場面って、俺が〝現場を知らない上司〟に対して『あんたらに現場の何が分かるんだ!』って怒るシーンだと思うんですけどねえ」
「筋書きに納得が行かぬという役者に、舞台へ上がれと言うわけにはいかん。ただ、それだけの話だ」
「確かに筋書きに文句つけたことなんてありませんね、そういえば……なるほど。自分の仕事しか見えてないのは、俺の方だったか」
元悪役専門のスーツアクター、漆原はため息と共に冗談めかして応える。
先日の【チャリオット襲撃事件】の余波は、現場の戦闘員たちにも明確に及んでいた。
それは、彼らが敵として戦う〝正義の味方〟の戦力増強という形によってだ。
「正直、キツいですね。あれ以来、どの自警団も格段にレベルが上がってます。一回の戦闘で複数の自警団が出てくることも増えてる。こっちも数なり質なりを上げていかないと、今まで通りとはいかないでしょう」
「やはり、そうなってしまったか……あのレベルの怪物は、あと三年は登場させぬ予定だったのだがな」
クラヤミが何に憂慮しているのか。二十年という特撮シリーズの出演歴を持つ漆原には、あまりにもよく理解できた。
それは〝戦闘力のインフレ〟という最も避けるべき事態だ。
そもそも〈SILENT〉が、自警団がギリギリ勝てるレベルで戦力を投入し、出し惜しみをしてきた理由もここにある。
〝悪の組織〟が戦力を増強すれば、自然と〝正義の味方〟達も様々な新兵器や新戦力を投入していく。10の力で押せば10の力が返ってくる。片方だけが際限なく強くなりすぎたりはしない。タイアップ玩具の商品戦略にしても、実際の戦争においても、その構図に変わりはない。
そして最後に待っているのは、どちらか片方が滅んでしまうことだ。悪の組織は滅び、正義は勝ち、番組は終わる。
だが〈SILENT〉という舞台の幕が下ろされることを、組織の誰も望んではいない。
だからこそクラヤミは、戦力の過剰な投入を避けてきたのだ。
「向こうは『いつまたあの怪物が出てくるか分からない』から必死なんでしょうが、こっちはスーツ着ただけの人間で、怪物じゃありません。巨大ロボ出してくる自警団が出てきたらと思うと夜も眠れませんね」
「では、巨大化できる装置でも開発させようか」
「そりゃあいい。夜も安心して眠れる。できれば変な薬とかじゃなくて、芋羊羹みたいなお菓子の形してると尚良いですね」
「そんな巨大化装置があるわけ……ああ、いや。あったな。そんなのも」
「さすがは悪の首領、よくご存知で」
そんな丁度良い力で押し合ってきた均衡を、チャリオットの一件は打ち砕いてしまった。
正義の味方側に、戦力増強を図る口実を与えてしまったのだ。
「特にあの嬢ちゃんたち……〈ライブリー・セイバーズ〉は、もうわざと負けてられる余裕なんてそろそろ無くなってきました。本気で勝ちに行っても難しいでしょう」
「工房には戦闘員のスーツの改良を進めさせている。だが力加減を間違えては、あの炎の刃をまた抜かれかねん。今はこらえどきだ」
今や〈SILENT〉の戦闘員達の誰もが、彼女達の力を――特に、ライブリー・レッドが抜き放った【炎刃】の真なる姿を、恐れながら戦っている。
わざと負けるというのは、本来圧倒的に相手を上回るだけの力と技術があって、始めて為し得る行為だ。
漆原は元々アクション俳優として、演技に取り入れるためにと数々の武術や格闘技を習得している。しかも、その一つ一つを高度に使いこなし演技に取り入れている。
おしなべて言えば、彼は「何の特殊能力も持たない普通の人間」の枠内では、かなり強い部類に入る人間である。
その彼をして「キツい」の一言は、言葉としては軽くとも重い意味があった。
「もし貴様がこの役を降りたいと言えば、わしは止めん」
「いや、そんなつもりはありませんよ。せっかく初めて張らせてもらえた主役です。それに、自分としても今は頑張りどきですからね」
漆原は懐から一枚の写真を取り出し、口の端に微笑を作る。
写真には、水の上に墨を垂らして描いたような、抽象的な模様だけが映っている。
だがその写真を見たクラヤミは、間髪入れずに感心した声を上げた。
「ほお、これはめでたいな」
「ええ。三人目、産まれることになりました」
漆原が総帥に見せたのは、妻のお腹の中にいる胎児のエコー写真だった。
「順調に行けば、半年後だそうです」
「ふむ、何かと入り用だろう。祝儀は幾ら包もうか?」
そう言って総帥は懐から小切手を取り出すと、〇を四つ五つと書き込んでいく。
六つ目の〇を書き込もうとしたところで、その手を漆原が止めた。
「やめてください。今でも十分いただいてるんですから、お気持ちだけで」
「なら、気持ちだけくれてやる。ありがたく受け取るがいい。おめでとう、漆原」
「お気持ち有り難く頂戴しました、総帥閣下」
総帥は仮面で隠れていない口元で、大きく笑いを作る。
それを見て、漆原もまた照れくさそうに笑いながら、懐に写真を戻す。
最近、クラヤミという男に本物の信頼感を抱き始めていることに、漆原は自分で驚くことがあった。
自分はこのクラヤミという男の、仮面の下の素顔も、本当の名前も知らない。もしかしたら、その性別すら偽りのものかもしれない。
クラヤミの仮面の下に潜む素顔が、果たしてどんな人間なのか見当も付かない
ただ、少なくとも確実に「自分よりも年下だろう」という直感めいたものはあった。
だからといって、信頼が置けないとか、プライドが傷つくなんてことはない。自分よりも年下の上司というのは、今時どんな会社や組織でも普通に見かける光景だ。
だが。そうした〝若い上役〟というのは、社長の息子や親族が役割を引き継いだだけのものが多く、先代が積み上げた金色の功績をあっという間に石ころに変えてしまう。
どんないい役を与えたところで、本人が演じきれなければ意味は無い。
「二人目のときは、ちょうどスタント事務所が潰れちまった直後で大変でした。ミルク買う金もなくって。そのときからすれば、今は本当に楽できてます」
「そうだな。会社が潰れてくれたおかげで、わしもいい人材を引き込むことができた」
「さすが悪の親玉だ。言葉に遠慮がなくっていけねえ」
楽しそうな表情で漆原は悪態を吐く。
彼がかつて所属していたスタント事務所も、社長が自分の息子を後任に抜擢した途端、山のような業績赤字を積み重ねて潰れてしまった。
だから実体験として、漆原は知っている。器に足らぬ人間が役を担うことの危うさを。
そして、このクラヤミという男がいかに恐ろしいかもまた理解している。
彼は、〝悪の首領〟という難しい役を、若くして演じきるだけの器を持っている。
努力によるものか才能によるものかは定かではない。
ただ、演者として、従う者として、敬意を払う理由には充分だった。
その確信があるから漆原は満足していたし、満足できているから〝仮面の下〟が何者かについて、そこまで深く考えることはしてこなかった。
ただつきまとうのは、たった一つの不安だけ。
「総帥。俺は、この仕事が続く限り、働いていくつもりでいます。でも、いつまでこの組織は続くんですか?」
「いつまでとは異な事を言う。いつも言っているはずだ。世界が正義に満ちるまで、と」
「その、正義に満ちた世界ってのは、何がどうなったらやってくるものなんですか?」
尋ねた途端、クラヤミはフリーズしたPCのように、ピタリと動きを止める。
実際、その通りなのだろう。用意されていない答えを求められても、プログラムはエラーを吐いて停止してしまうだけだ。
まさか、一度として考えてみたことがなかったとでもいうのか。
漆原は、ときどき考えてしまうことがあった。
総帥の言う〝世界が正義に満ちるとき〟というのは、一体いつになったら来るのだろう。
何があって、そのときが来たといえるのだろう。
仮にもしそんなときが来たとしたら、この組織は役目を失ってしまうのだろうか。
正直に言って、それはあまり好ましくない。この歳でまた職探しに出るのはさすがにしんどい。
「それは……そうだな。なってみるまで分からんものだ」
「まあ、確実に近づいてきてるとは思いますよ。うちの子供らも、最近は『大きくなったら正義の味方になりたい』って口癖みたいに言い始めてます」
「よいことだ。実によい。我らも働き甲斐があるというものだ」
「ええ。いつか自分の子供に倒される日が来るかもしれないのは、親としては悲しい話ですがね」
「なんだ貴様。そのときまで現役で居続けるつもりなのか」
「子供の夢が叶う瞬間を特等席で見るのが、俺の数少ない夢の一つなんですよ」
冗談めかして応える漆原だが、内心には未だ一つの不安を抱えていた。
総帥が望む「正義に満ちた世界」というのは。言い換えれば「悪が存在しない世界」ということだ。
そんな世界に、自分のような〝悪役しか演じられない〟人間の生きる道はあるのだろうか。
もっとも、実際にそんな世界が訪れることはきっとないだろう。
〝正義の味方〟しか登場しない特撮なんて、この世には存在しない。どちらか一方に満たされた世界なんて、訪れるはずもない。
この矛盾に対して、総帥はどういう答えを出すのか――永遠に満たされない世界で足掻き続けるのか、それとも膝を折ってしまうのか。
あるいは、〝本当にこの世界を黒く染めよう〟と思い立ってしまうのか。
先の見えない暗闇に包まれた道の行く末だけが、漆原にとって不安の種だった。
「さりげない浦沢先生リスペクトを織り交ぜていく」




