3.男四十才、妻有り子持ち、職業・悪の怪人
〈SILENT〉本拠地内でもっとも汗の臭いが充満している一部屋、戦闘員用更衣室。
奥にある休憩室のベンチで、一際体格のいい中年が大股を開いて腰を落としている。
口の周りには針金のような無精ひげ。短く刈り込んだ頭に手拭いをかぶせてしばり、口には煙草をくわえている。
いかにも工事現場で責任者でもやっていそうな、無骨が人間の顔をしたような男だ。
彼の名前は漆原。今年で四十を数え、〈SILENT〉では数少ない妻と子供を持つ所帯持ちの構成員だ。
「お前か? アクション演技のコツが聞きたいっていう新入りは」
「はい! 憧れの俳優の漆原さんに、こんな所でお会い出来るとは夢にも思いませんでした!!」
「俺は俳優なんて上等なもんじゃないさ」
「謙遜しないでください! 俺、子供の頃から漆原さんの演技見て育ってるんです!」
「勘弁してくれ、背中が痒くなる。それで、なんでそんな話が聞きたいんだ?」
「自分は昔から任侠映画が好きで、ヤクザ役を演じるのが夢だったんです! 小さい劇団で役者として下積みをやってたこともあります!! なのにどこでどう間違えたのか、本物のヤクザになっちまって……」
「けど、〈SILENT〉に組をぶっつぶされて、今はこんなところで戦闘員なんてやることになってると」
「はい。まあ、スジモノは自分の性に合ってなかったんで、いつ辞めようかと考え始めてたところだったんです。総帥に拾ってもらえて助かりました」
新入りの戦闘員である若者は、気恥ずかしそうな笑いを浮かべる。
そんな彼に、漆原はもっともらしい口調で話し始めた。
「そうだな。アクションってのは、リアクションとの押し引きで成り立ってる。良いリアクションが分かってなきゃ、いいアクションってやつもできない」
「リアクション、ですか……?」
「例えて言うなら、漫才のボケとツッコミ。悪役と正義のヒーロー。どれも同じ話だ。受ける側が居ないと成立しない」
「なるほど。それなら、〈SILENT〉で立派な戦闘員として、上手い〝やられ方〟を学ぶのはいい勉強になりそうですね」
「ここの仕事を甘く見ないほうがいいぞ。撮影現場なんかより格段に怪我や事故は多いし、命を張ることだってある。だが、その分給料がいい。いざ辞めようと思ったとき、踏ん切りがつかなくて困らんよう気を付けろ」
「あはは。肝に銘じておきます」
特撮ヒーローを嗜む者の中で、漆原の名を知らない者は〝にわか〟とされている。
今でこそ、悪の秘密結社で〝怪人スーツの中身〟をやっている男だが、かつては多数の特撮作品に出演してきた経歴を持つ、俳優歴二十年の大ベテランなのだ。
だが、多くの出演作を持つにもかかわらず、彼の顔を知るものは特撮ファンの中でもごく僅かにすぎない。
なぜなら彼は、全身をスーツで覆い、顔も名前も出さずに演じる〝スーツアクター〟と呼ばれるスタントマンだったのだ。
しかも、多くのスーツアクターの中でも際だって特殊な経歴を持っている。
二十年にもわたり数々の特撮番組に出演してきたにもかかわらず、漆原は〝ヒーロー役を演じた経験〟が一度として無い。
つまり、悪役しか演じたことがないのだ。
変身ヒーローモノでは悪の怪人を、ジオラマを使った巨大化ヒーローモノでは怪獣役を。その他にも、下っ端戦闘員から悪の大幹部まで。
彼は徹底して、悪役ばかり配役されてきた。
理由は数多くあるが、その一つが体格という生まれ持った資質によるものだ。
例えば花形であるヒーロー役のスーツアクターには、ヒーローに相応しいスマートな体格や、スタイルの良い体格資が求められてしまう。
だが漆原は、ずんぐりとした太めの体型で、あまりヒーローという役を演ずるのには向いていなかった。
だが、彼はスタントマンとしては超一流の演技力を持ち、「存在しない怪人が現実の存在になる」と称賛されるほどの名演を見せてきた。
結果として彼は、「二十年にわたり悪役を演じ続けてきた悪役の名手」として、視聴者にもスポンサーにも映像制作会社にもすっかり認められてしまっているた。
本人も仕事のオファーを断ることは滅多になかったし、それをレッテルと感じることもなかった。
自分にはこの仕事しかできない。そういう資質の人間だと、自覚していた。
「おい、漆原。お前、またこんな所で油を売っておるのか」
「総帥、どうしました? こんなむさ苦しい所にわざわざ」
「お前を呼びに、わざわざこんなむさ苦しい所に来たのだ」
休憩室の扉からひょっこり顔を出したのは、彼らの雇い主であるクラヤミ総帥だった。
彼が所有する組織の一室だというのに、仮面と鎧を身に纏うその姿は、平凡なロッカールームの光景からあまりに浮き出ている。
「新入り、悪いがボスのお呼びらしい。話はまた暇なときにでもな」
「はい! 今日はありがとうございました!! 失礼します!」
話の早い新入りは、クラヤミに深々と会釈して素早く席を外す。
新入りが出て行った後、漆原はぽつりと苦笑まじりにつぶやく。
「若いのに中々できた新入りですね。悪の組織の戦闘員にしとくにはもったいない」
「わしも同感だ。あれだけ良く出来た人間が、真っ当な仕事につけないなど、この世界はなんと狭量なことか。もったいのない話だ」
「さすが、悪の組織を率いてるお方は言うことが違う」
漆原はクラヤミ総帥と向かい合うなり、咥えていた煙草を灰皿にねじ込み立ち上がる。
一応、こんな酔狂な男であっても、自分は彼から給料を払われて雇われている身だ。
その事実がある限り、礼節を怠るわけにはいかない。
「座ったままでよいぞ。仕事の後だ、疲れもあるだろう」
「この程度で疲れちゃいませんよ。まあ、寄る年波には勝てないんで、お言葉に甘えて座らせてもらいますけどね」
「ああ、そうするがよい。わしも隣に座らせてもらうぞ」
仮にも悪の首領、管理職の立場でありながら、平現場の人間が使う小汚い休憩室のベンチに、クラヤミは平気で腰を下ろす。
「どうぞどうぞ。小汚い場所ですいませんが」
「ふん。清掃員を増やせという要求のつもりか? 残念だったな、既に手配済みだ」
「さすがは悪の首領、行動と決断の早さがひと味違う」
二人はまるで同世代の友人同士のように、軽々と冗談混じりの会話を交わす。
尊大な態度の割に、なんと行動的な首領なのかと最初は呆気に取られたが、今では彼のそんなフットワークの軽さにも慣れてしまった。
「それで、どういったご用件でした?」
「とぼけるでない。このあと行われる幹部報告会だ。戦闘部隊の隊長として、たまには出席してもらうぞ。毎回、何かと理由を付けて欠席をするものだから、わし自ら呼び出しにきたのだ」
「……俺は、ああいう会議ってやつは苦手なんですよ。別に仕事に対して文句はないですし、出席したところで大して言うようなこともありません」
「そう言うな。例えば今言った休憩室の清掃状況にしても、お前は実際に使用する人間達の代表として、本来然るべき形でわしに報告する義務がある」
「こうして今、伝えたんだから、それでいいじゃないですか」
「いや、そうもいかん。清掃員を増やすにも、議事録にきちんと残る形で要求してもらわねば、予算として承認できないと参謀がうるさくてな」
「ここはあんたの組織なんですから、認めろと命じればいいじゃないですか」
「そうはいかん。あやつは帳簿という戦場を指揮する将官だ。君主たるもの、戦のことは将に任せるのが最善というものよ」
「なるほど。ええと、孫子の話でしたっけ? 現場を知らない人間は、現場に口を出さない。立派なお考えだと思います。俺も散々、それには苦しめられましたから」
「だが、口を出す必要があるときは、現場のことを知らねばならぬのでな」
漆原は現在、世界征服を企む悪の秘密結社――という設定の組織、〈SILENT〉で戦闘部隊の隊長を担っている。
彼の仕事は、昔も今も変わらない。
倒すべき悪を演じ、正義の味方に倒される。ただそれだけだ。
強いて違うところを上げるとすれば、それは相手をする正義の味方が同じ〝演者〟ではなく、〝本物〟の正義のヒーローということだけだ。
だがそんな違いまた、彼にとっては些細なものにしか過ぎない。
「俺は会議なんか出るより、正義の味方と一日中殴り合ってる方が楽なんですがね。一人の演者が企画会議や脚本会議に顔出すなんて、今までありませんでしたし」
「ならばこう言おう。貴様はこのわしが作り上げた舞台において、欠かすことのできないもっとも重要な役。つまりは主役を演じているのだ。その自覚は持ってもらわねばな」
「……はは、なるほど。二十年やってきて、まさか今頃主役をやらされることになるだなんて、思ってもみませんでした」
漆原は乾いた笑いを上げながらも、どこか感慨深い気持ちになってしまう。
悪役が居なければ、特撮という番組は成り立たない。
だが悪である限り、決して舞台の花形に立てることはない。
そんな日陰しか歩めない自分に、諦めを覚え折り合いをつけて生きてきた。
だがこのクラヤミという狂人は、悪役しか演じられない漆原に〝花形の役〟を与えてくれた。
男四十才、妻有り子持ち、職業・悪の怪人。
彼の役者としての人生は、今ようやく硬く結ばれた蕾を開き始めたばかりだ。
おっさん書くのちょうすきです




