2-1.夜の帳が明ける頃
どうしたらいいのだろう。
とても困ったことになった。
「あ、あの、総帥……?」
「……………ぐぅ」
「寝て、しまわれたのですか?」
パンツスタイルのスーツに銀縁の眼鏡をかけた秘書風の女性、夜野帳は、傍らの玉座に座るクラヤミ総帥に恐る恐る問いかける。
返事はかえってこない。呻くような吐息が聞こえてくるばかりだ。
「うぅん……………」
「いけません、こんな所で。お風邪を召しますよ」
「世界を、征服して……………むにゃ」
「一体どんな夢を見てるんですか、あなたは」
いつもはキリッとした表情を崩さぬ隙の無い夜野だが、今はその表情に戸惑いの色がありありと浮かんでいる。
夜野帳は、二十歳程度の若さでありながら、秘密結社〈SILENT〉の参謀という大役を担っている女性だ。
だが〝参謀〟とは言っても、主な仕事は人事管理や経費計算といった事務的な仕事が主なものだ。その「どこかの会社で社長秘書でもやっていそうな風体」に、全く似つかわしい役割である。
「まあ、今週は本当にお忙しそうでしたからね……居眠りしてしまっても無理はないでしょう」
夜野は腰に手を当てて、やれやれと言った表情で呟く。
まるで古城の王室のような広すぎる部屋に、クラヤミと夜野以外に人の姿はない。
【〈チャリオット〉襲撃事件】から早一週間。世間に『未曾有のテロ事件』として受衝撃を与えたこの事件は、起こした側である〈SILENT〉の方にも大混乱を引き起こしていた。
クラヤミ総帥は事件の後始末として、事件の被害者たちへの金銭的な援助を密かに行っていた。もちろん、資金の出所は〈SILENT〉の運営資金からである。
他にも復興事業のバックアップから基金の立ち上げまで、あらゆる事件へのフォローを、しかも世間に一切気取られること無くやってのけた。
ただの支援なら何の問題も無いのだが、世間にバレないように行うとなると、途端にその難易度が跳ね上がってしまう。
連日にわたって残務処理を鬼のように片付け続けてきた総帥が、椅子に座ったまま居眠りしてしまうのも無理はないといえる。
もとはと言えば、他の組織から奪い取った巨大生物を、管理ミスによりうっかり外に逃がしてしまっただけである。だが、「世界征服を目指す悪の組織」という体裁を守るため、組織が放った怪物だと世間には公表してしまった。
そんな不幸な事故の責任を、なぜこの人は自ら抱え込んでしまったのだろうか。
彼の隣に立ち続けてきた参謀である夜野にとっても、理解できなかった。
「あなたは、本当に理解できない人ですね……」
夜野は、ため息を吐くような声で呟くと、スーツの上着を脱ぎ始める。
「……まあ、こんなもので何が変わるとも思えませんが」
風邪を引いてしまわぬよう、何か掛けるものをと思い、とりあえず自分の上着を総帥の肩に掛けてみる。
だが、総帥の身体は硬質な鎧で覆われている。大して効果があるとは思えない。
「私の世界を、あなたはこんなにも変えてしまったというのに……」
ふと思い返してみると、確か初めて総帥と出会ったあの日、自分は総帥から同じようにマントを掛けてもらったことがあった。
凍えそうな夜、その深い闇色に包み込まれたときの温かな感触を、今でも昨日のことのように思い出せる。
その出会いは、もう三年も前のことだ。




