15-2.立ち上がれヒーロー!
無音の祖父、黒間遍音は〝知性の怪物〟と呼ばれるほどの偉大で狂気的な科学者だった。
ありとあらゆる科学分野に精通し、数々の歴史的な研究成果を生み出してきた彼が、晩年最も力を注いだのは〝異次元〟という得体の知れない存在に対する研究だった。
当時、彼を評価していた科学者達の誰もが「さすがの天才も年老いて耄碌したか」と落胆した。
だが、死の直前に彼は〝異次元〟の存在を証明しただけでなく、実用可能な技術として完成させてからこの世を去り、世間を大いに驚かせた。
その研究を応用したシステムの一つが〝異次元から無限にエネルギーを抽出する〟というとんでもない代物だ。
あらゆるエネルギー問題を全て解決してしまう、世界の救済とも言うべき偉大な発明である。
この研究は人類の共有財産にすべきだという本人の意向により、黒間遍音の死後、彼が最も信頼する研究助手の緋色博士――つまり、緋色蓮花の父に引き継がれた。
蓮花の武器〈炎刃・花一匁〉も、実はこのシステムを応用して作られた超兵器である。異次元から無尽蔵にエネルギーを抽出し、攻撃力としているのだ。
そして、遍音が残したもう一つの研究。無限のエネルギーと相反する正反対のシステムが存在する――と言われている。
それは〝あらゆるエネルギーを異次元へ送り無効化してしまう〟というシステムだ。
これは遍音の研究ノートの中に、断片的に実用可能性が示唆されているだけで、どうすれば実用化できるのか、世界中で多くの科学者が研究を進めているが、その糸口すら未だつかめていない。
黒間遍音の途方もなく偉大な構想は、彼の生命と共にこの世から永遠に消えてしまった――そう世間では言われている。
だがその研究は、実は既に完成していたのだ。
無音が祖父から渡されたたパズルの中に封じ込められていた1本の鍵。
その鍵によって開かれた土蔵の地下室の奥に、偉大なる成果は残されていた。
クラヤミ総帥が身に纏っている黒色の甲冑、名前を〈常闇の鎧〉。
その光沢のない闇色は、黒い塗装によるものではない。周囲から受ける光を異次元へと送ってしまい、反射されることがないからだ。
この鎧は、表面に受けたあらゆるエネルギーや力を、尽くが無効化してしまう。
〈チャリオット〉の大鎌の一撃を片手で容易く受け止めたのも、重量数十トンはあろうという重量を軽々持ち上げたのも、全ては〈常闇の鎧〉が持つ能力を利用してのものだ。
だが、その行動を取ると決めたのは――緋色蓮花を助けると決めたのは、全て黒間無音自身の意思によるものだ。
〝悪の首領〟であるはずのクラヤミ総帥が〝正義の味方〟であるはずのライブリー・レッドを助けてしまった。この事実は、もはや誰にも覆しようがない。
――僕は、一体何を間違えてしまったんだろう。
無音は、緋色蓮花に心から憧れていた。
純粋に〝正義の味方〟を志す彼女を、理想の象徴だと信じていた。
だからこそ、たとえ彼女の正義を揺るがしてしまうことになっても、決して死んでほしくはなかった。
それは、黒間無音という一人の少年としての本心だった。
悪の首領に助けられてしまった正義の味方は、戸惑いの表情で問いかける。
「どうして、あなたが私を助けるの……!?」
「〝助けた〟だと? 勘違いするな、ライブリー・レッド。わしの目的は、貴様を倒すことではない。貴様の〝正義〟を屈服させることだからだ」
緋色蓮花は、正義の為ならば死を恐れない女性だ。
それは彼女を近くで見てきた人間ならば、誰にでも理解できる。
正義の為に己の身を犠牲にする――そんな彼女の姿は、クラヤミ総帥の追い求めてきた理想の正義の姿であった。
そして、無音にとって、決して訪れて欲しくはない悲劇だった。
「貴様がもし敗北を認めるならば、大人しくあの怪物を引き下げさせてやる」
「なんですって……!?」
たじろぐ蓮花に、クラヤミ総帥は堂々とした笑顔を決して崩すことなく、言葉を続ける。
この悲劇の幕を下ろすには、〝正義〟という牢獄から彼女を解放するしかない。
誰もが望まぬ結末を、無音は自身の手で迎え入れようと覚悟を決めたのだ。
「そして二度と『自分は〝正義の味方〟だ』などという馬鹿げた妄言を吐かないと、今ここで誓うのだ。それが、貴様が生き延びるための条件だ」
「…………」
クラヤミ総帥の仮面で隠した目元からは、今にも涙が零れそうになっていた。
だが、仮面の下の涙を拭うことなど、決して許されない。
答えを待つ彼に、蓮花はにっこりと笑顔を浮かべながら答えた。
「あなたの目的は理解したわ……でも、だからこそ私はこう答える。それだけは、絶対にお断りよ――って」
「なんだと……っ!?」
驚くクラヤミ総帥に対して、蓮花は笑みを決して崩さない。
彼女の姿は、誰がどう見ても満身創痍のボロボロだ。プロテクターはひび割れ、顔を覆うバイザーは半分に割れて、素顔が殆ど露出してしまっている。
掲げた唯一の武器である大剣も、相変わらず刃が折れてしまったままだ。
それでも蓮花は、決して自分の正義を曲げたりはしない。
「ライブリー・レッド……いや、緋色蓮花。貴様は、どうして、立ち上がるのだ」
――蓮花さん。あなたは、どうして諦めてくれないんだ。
「どうして……なぜ、貴様は笑っていられるのだ!?」
――僕の理想の為に、死んで欲しくなんてないんだ。武器を下ろしてよ、蓮花さん。
内なる無音の叫びが、思わず口からこぼれ落ちそうになる。
問いかけるクラヤミに、蓮花は懐から一つの端末を取り出した。
〈チャリオット〉の攻撃を受けたときの衝撃だろう。フレームにはひびが入り、液晶画面も砕けてしまっているが、携帯電話の原形は辛うじてとどめている。
その携帯のボタンを、蓮花は静かに押し込む。
聞こえてきたのは、端末内に録音されていた、一人の少年の純粋な叫びだった。
『蓮花さんは本物のヒーローなんだ!!』
「っ―――――」
「聞こえたでしょう。〝これ〟が、私がヒーローとして立ち続ける理由よ」
彼女を〝ヒーロー〟と呼ぶその声は、紛れもなく自分自身の――黒間無音のものだった。
校舎裏で不良から助けられたあのとき。
「自分が誰かを悪にしてしまっている」と思い悩む蓮花を励ますために、自分が彼女へ向けて放った言葉だ。
どうして録音したのかと問いかけたとき、蓮花は確かにこう言っていた。
元気が欲しいとき、聞き返せたら――と。
今が、彼女にとってそのときだったのだろう。
この録音された叫びを支えに、緋色蓮花は再び立ち上がったのだ。
「私を〝ヒーロー〟と呼んでくれる人がこの世界に一人でも居る限り、私は本物のヒーローであり続ける……だから、絶対に、諦めることなんてできない」
「そう、か……」
「だから、あなたの要求をのむことは出来ないわ。私は、正義の味方として、あの怪物もあなたもこの手で止めて見せる」
無音は、ただ力なく頷くことしかできない。
自身の発した純粋な叫びに、ひどく心を抉られた気がした。
――ああ、そうだったのか。
緋色蓮花を〝正義〟という名の牢獄に閉じ込めようとしたのは、蓮花自身でも、クラヤミ総帥という悪の首領でもない。黒間無音という一人の少年のエゴだったのだ。
自分はずっと、彼女に笑っていてほしくて、悪の首領というお芝居を続けてきたつもりでいた――だが、それは違ったのだ。自分の思い込みだった。
彼女を己の理想のために正義という牢獄に閉じ込め、自分の憧れる正義という理想姿を押しつけ、思うままにしようとしていた。
そんな、己の醜い感情に気づいてしまったのだ。
クラヤミという存在は、偽善のための象徴でも、自分を偽る仮面の人格でもない。
――僕は最初から、独善という〝本物の悪〟だったんだ。
黒間無音は――クラヤミ総帥は、その瞬間初めてその事実を自覚した。
「【戦闘陣形・雷鳥】!!」
突如、遠く彼方から叫び声が一帯に響く。
続けて、クラヤミ総帥に向かって、1本の稲妻を帯びた矢の一閃が奔った。
アスィファが魔法によって雷を付与した矢を、鳴矢がクラヤミ総帥目がけて放ったのだ。
「チぃっ……!!」
クラヤミ総帥は舌打ちしながら、その稲妻を帯びた矢の一撃を事も無げに払い退ける。
矢の威力も、付与された魔法の雷も、全て〈常闇の鎧〉が無効化してしまったのだ。
「うちのリーダーから離れなさい、この変態マスク!!」
「そうです、これ以上私達のリーダーに近づかないでください! えっと、その……どうしましょう鳴矢さん? 私、あの格好、そんなに悪いものだと思いません」
「どう見たって変態じゃない、あの仮面! ブルー、あんた絶対趣味悪いわよ!!」
鳴矢とアスィファはぎゃあぎゃあと喚き合いながらも、それぞれの武器を、クラヤミ総帥に向けて狙いを定めたままでいる。
全く、相変わらず〝騒がしい〟正義の味方たちだ。
「いいだろう、緋色蓮花……いや、ライブリー・レッド。貴様が本物の正義だと言うのなら、わしは本物の悪として、貴様が屈する最後の瞬間を見届けてくれる」
「……あなたは私に、自分の手でトドメを刺しに来たんじゃないの?」
「馬鹿者、自惚れるな。貴様など、わし自らが手を下すまでもない。まずは目の前の中ボスぐらい倒してから、ラスボスであるわしに挑んでくることだ」
捨て台詞のように言い切って、クラヤミ総帥は外套を翻すと、まるで見えない透明な階段を昇っていくように、何も無い空中を歩き始める。
〈常闇の鎧〉によって身体に掛かる重力を無効化しているのだ。
去って行こうとするクラヤミ総帥の背中に、蓮花が大声で呼びかけた。
「自分のことラスボスだなんて、あなたって意外と面白い人ね」
「ふん。自分を〝正義の味方〟などと名乗る酔狂者に、言われる筋合いはない」
クラヤミ総帥は、そうい言い残して蓮花に背を向ける。
唇の端に、本物の悪そのものとしか言いようのない、醜悪な笑みを浮かべながら。
空中を悠々と歩いてビルの屋上に上り詰めたクラヤミに、立ち膝をついて待ち構えていた超能力忍者こと影内が声を掛ける。
「よかったんっすか、総帥? 今みたいな助けの入り方、もう無理ですよ」
「わかっておる。それより、負担を掛けてしまって済まなかったな影内」
「いや、あれぐらい軽いっすよ……まあ、さっきの転移で今日の俺、もう閉店ガラガラ店じまいっすけど」
クラヤミが絶妙なタイミングで蓮花の目の前に姿を現したのは、他でも無い影の立役者、影内の〈瞬間移動〉能力を利用して彼の身体を転移させたからだ。
だが決して、超能力は無限に使えるわけではない。
体力を使い果たした影内は、膝を立てて座りながら、しんどそうに肩で息をしている。
〈チャリオット〉の足止めに走り回り、おまけにクラヤミ総帥の身体を丸ごと転移させた影内の体力は、どうやらここまでが限界らしい。
「どうするんすか、総帥。あの赤髪の女、マジであの怪物に勝つつもりみたいっすけど」
「〝つもり〟ではない。あやつは、本当に勝つのだ。勝ってもらわねば困る」
クラヤミ総帥は、通信機を通して、〈SILENT〉に所属する彼の部下全員へ向けて、高らかに歌い上げる。
まるで、舞台のクライマックスを告げる司会者のように。
「我が親愛なる〈SILENT〉構成員の諸君! クラヤミ総帥の名において命ずる!! 今から起こる光景を、決して見逃すな。そして、その姿を絶対に笑うな!!」
邪悪な笑みを浮かべながら、無邪気な声でクラヤミ総帥は――そして無音は続ける。
「刮目して見よ! あれだ。あれなのだ。あれこそが、我らの〝宿敵〟の姿なのだ!!」
望まれざる悲劇は、今まさに、黒間無音の悲願の光景へ移り変わり始めていた。
赤く燃える正義の蕾が、今まさに花を開く。
主人公に「ずばりお前は悪そのもの!」って言い切ることで全ての伏線を最終話で回収した怪作『人造昆虫カブトボーグVxV』を心からリスペクトしています(わりとどうでもいい)




