校長の日記
「よし、開いた」
「やったね」
俺たちは無事に校長室につくことができた。念のために、校長室に入る前に中に誰かいるかどうかはもうチェック済みだ。
まあ、校長室の前で物音を立てるという、少々危ないものだったが、これで安心して入ることができる。
普通の学校の校長室は職員室と繋がっていることが多いが、この学校は違う。離れた場所にポツンとあり、一番近い部屋でも用具室しかない。今まで気づきもしなかったが、こうした立地はそこはかとなく怪しいものだった。
校長室に入ると、巨大な机、右側には本棚があり、奥には扉があった。
俺は一番怪しいであろう奥の扉に向かっていき、鍵を入れようとしたが、そもそも鍵穴すらなかった。
「開かないの?」
「ああ、鍵穴もないから、どうしようもない」
まあいい、できないことは後回しだ。
「ねえ、かずと、見て」
「ん?」
春香はカレンダーを指差した。そこには今日の日付が真っ黒に塗られている。マークで丸とか書くならわかる。でも、真っ黒に塗りつぶすなど異常としか思えなかった。
「なんで、こんなことを……」
「わかんない。けど、怪しいよ」
俺は校長の異常を改めて認識し、さらに気を引き締めた。
校長の部屋の調査は分担し、俺が本棚を調べ、春香には机を頼んだ。
とはいっても、本の数が多すぎるので、春香が机を調べ終わったら、俺のことを手伝ってくれる予定だった。
本棚を流し見ると、やはり古い本が多いようだった。この土地の郷土資料や1970年代の有名な小説が置いてある。俺は郷土資料を1つ取って、中を見てみた。
ふむふむ、一般的に知ることができる、この市のことが書かれている。さすがに狂気の研究などは書いてあるわけがなかったが、一つ重要なことがわかった。
この市は戦中、アメリカ軍の襲撃を受けたが、他の市に比べ、はっきりわかるほど被害は少なかったらしい。このことは高道が言っていたことと符合する。狂気の実験なるものがこの学校で行われていた可能性は現時点では否定できなかった。
「かずま、ちょっと来て」
「ああ」
春香に呼ばれ、郷土資料を本棚に戻す。
春香が持っていたものは古びた日記のようだった。
俺は春香からそれを受け取ると、中を確認した。
大正11年8月20日
私は一つの学校を借り受け、これから実験を始める。座標である南緯47度9分 西経126度43分は、この校舎の正面から1万5千キロメートル先にある。この地域ではある年に発狂する人間が多くおり、座標の狂気に曝される人間が多いことが予想できた。実験の場所としてここほど相応しいところはないだろう。
大正11年12月15日
研究を行うために、PHK氏から譲り受けたShining Trapezohedronは、うまく機能しているようだ。しかし、まだアレは不安定である。先日生徒の一人が保健室で発狂し、保険医を襲う事件があった。まだ、あの部屋だけに封じることは出来てはいないことを、端的に表している。もっと研究を重ねなければ。
大正13年9月1日
正位置に近い星辰のため、封印が限界にきている。このままでは最悪な事態を招く恐れがある。急ぎ、門を経由して無へと還元することにする。果たして、間に合うか?
大正13年9月12日
酷過ぎる災害だった。未だに死者・行方不明者ははっきりとしていない。もし、これが狂気の放出によるものだとすれば、私の実験は必ず成功させなければならない。研究の失敗は日本のみならず、世界を狂気へと導くだろう。
昭和8年10月4日
度重なる実験の失敗の末、とうとう私の努力が実を結んだ。1919年(大正8年)にカール・グスタフ・ユングが提唱した集合的無意識にヒントが隠されていたのだ。彼は意識を3つに分けた。表面である自我、内面である個人的無意識。そして、意識されない意識として定義された集合的無意識。集合的無意識は個人的無意識とは違い、その本人ですら全く意識することはできない。集合的無意識は自我や個人的無意識を介し、人の行動や判断、意思などに影響を与えることもあり得ることを、ユングは提唱した。
私は集合的無意識への働きかけを、夢という手段で行った。その中で私は、人の個人的無意識を通し、自我へと反映させることに成功した。この発見は大々的に発表されるものではないが、PHK氏を含む私たちの同志には、手紙を綴っておこうと思う。
昭和14年3月7日
狂気を無へと還元する作業は滞りなく行っている。生徒たちの集合的無意識に働きかけることで、20年近く校長であるが、何一つ疑問を覚える者はいない。実験は完全に成功したと言える。狂気の還元を行うときは学校を誰もいない状態にしている。私は気まぐれで、生徒たちの体育祭をその日に行わせることにした。
アレの封印も完璧に出来ているようで、発狂死する人もいなくなった。しかし、 こうなってくると暇な時間が多くなる。奴に出会い、不老不死を得たことは後悔していないが、こうあまりにも暇だと、
私は世界を救いたいのだろうか?
昭和15年12月31日
この力があれば、世界を支配することすら容易い。世界大戦はもう始まった。誰にも止めることなどできない。
昭和20年1月6日
この市の上に羽虫が飛んでいたので落としてやった。市がどうなろうが私には関係はない。しかし、この学校だけは守り抜く。そのためなら、数万の犠牲も厭わない。
昭和20年9月20日
無事学校を守り抜くことができた。今後は軽率な行いは避けることにしよう。この力の恐ろしさを改めて考える必要を感じる。私の同志も多くがこの戦いで命を散らした。人間の命とは何て儚く、脆いのだろう。
果たして、人間を救う価値などあるのだろうか?
昭和60年2月2日
以前の私を知っている者は皆すでに死んでいるだろう。生きている人間も数十年後には死ぬだろう。私は疲れてしまった。もう生きるのに飽きたのだ。この頃は暇さえあれば、死にたいと考えるようになってしまった。何故、私は生きているのだろう。
平成23年10月18日
終わりは近づいている。3年後の今日、星辰が正しい位置に揃う。その日、世界は混沌と狂気に包まれる。あの封印で蓄積された狂気を開放するのは、その時でも遅くはない。私の時は永遠なのだから。
「ん? かずま、読み終わった?」
「あ、ああ」
つい言葉がたどたどしくなってしまう。この日記は冗談の域を超えている。本に書いていた内容を簡単に言ってしまうと、関東大震災、第2次世界大戦、その他災害はこの学校で行われた実験の弊害や結果ということになる。
そして、最後に書いてあったことが本当だったら、
「かずまー、どうしたの?」
「いや、今日って何日だ?」
「カレンダーも見たでしょー、10月18日だよ」
今日がその星辰が揃う日だ。