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既知の怪物

 あのほこり臭い部屋から出ると、図書館の空気が清浄に感じる。隣にいる春香も新鮮な空気を取り込むかのように深呼吸していた。


 「やっぱり、あそこは駄目だよ。あんなとこにいたら、気分も悪くなっちゃう」


 春香がいうあそことは、図書館倉庫のことだろう。高道の幻覚も、この校舎の狂気が生み出したものではなく、閉鎖空間の中で起こる現象だったら、というより、春香のおかげでそっちの方が正しい気がしてきた。


 「よっしゃ、校長室向かう前に女の子のロッカーに乗り込むか」


 高道のジョークに春香が冷ややかな目で対応した。俺はもちろん無視だ。

 校長室は1階にある。今俺たちがいる図書館は3階なので、1階まで下りる必要があった。


 「今の時間は?」

 「9時35分くらいだな。もう皆はバスで行っちまったんじゃねーか?」 


 春香は図書館の窓から外を見る。


 「玄関にバスはないみたい。皆行っちゃったんだー」


 春香は何か残念そうな様子だった。でも、その気持ちは少しわかる気がする。体育祭は学校の大イベントだ。そのイベントに参加しないとなると、少し寂しく感じる。だが、今は高道のことを優先するべきだ。そのくらいの情は俺たちにはある。


 「よし、それじゃ、行くか」


 高道が俺たちの前を進み、図書館から出ようとする。

 その時、強烈な頭痛が俺を襲った。両耳から聞こえる激しい耳鳴りで、平衡感覚が消え、まるで足場のない空間にいるようだ。どうにか意識を集中させると、頭の中で声が聞こえた。


 ――止めて…。お願い……、止めてくれ


 俺が苦しみで目を閉じて、しばらくしてから頭痛は消えた。


 「かずま、大丈夫?」

 「少し頭痛がな」

 「おいおい、頼むぜ。お前が倒れちゃ俺も困るからな」


 高道は俺を心配してから、図書館のドアを開けようとする。俺はとっさに高道の腕を掴んで止めた。


 「お…」


 高道が何か言いだす前に、俺は二人の肩を掴んで、無理やりかがみ込ませた。


 「かず…」

 「静かにっ」


 俺は廊下へと耳を澄ませた。

 カツカツという足音が聞こえる。その足音はまだ遠いようだったが、徐々にこちらに近づいていた。

 俺たちはバスが行ったことにより、この学校にはもう誰もいないだろうと思っていた。それが油断となってしまった。馬鹿だ。馬鹿すぎる。よりにもよって、一番いる可能性のある人物、校長の存在を完全に失念していた。92年前と全く姿が変わらない化物が、この校舎をうろついているのだ。見つかればどうなるか。最悪、不可解な死を遂げた牧野美月の二の舞になることだってありうる。俺は気を張り詰め、意識を研ぎ澄ませた。

 春香も足音に気づいたようで、不安なのか俺の腕を掴んできた。高道は緊張した面持ちで廊下の足音に集中している。

 足音はさらに近づき、図書館のドアの前まで来ようとしていた。


 (止まるな、行け、行け)


 俺はそう願わずにはいられなかった。緊張で心臓の音が大きく聞こえる。春香の腕を握る力が強くなる。

 だが、心配は心配に終わり、足音は止まらずに俺たちの前のドアを通り過ぎた。

 声に出さずに安堵する。

 高道も安心しているようだったが、少しするといたずらをする時のような笑みを見せ、少し立ち上がった。


 (足音の正体を掴むつもりか)


 俺は引きとめようとしたが、物音を立ててしまっては危険なので、手を止めた。

 高道はドアについたガラス越しに顔を出し……

 そのまま、後ろに倒れた。中腰でバランスが取れない高道は手を前に出したが、その行動に意味はない。高道はあっけなく地面に尻をぶつけた。この図書館は人が歩く場所には絨毯が引いてある。なので、怪我について問題はない。しかし、ドシリ、という倒れた時の衝撃は、間違いなく足音の主にこちらの場所を知らせてしまうものだった。


 (まずい!)


 足音は止まり、再びこちらに歩いてくる。図書館の扉が開けばゲームオーバー。バッドエンドに直行する。

 俺は周囲を見て、どこか隠れられそうな場所を探す。この図書館は入り口からすぐ右に本の貸し借りができるカウンターがあり、正面には奥へと伸びる4つの大きな本棚が並び、その棚の左右に本がぎっしり置いてある。4つの棚の奥には、小さな木の本棚が何個か置いてある。その一番奥に図書館倉庫に続く扉があった。

 隠れ場所で一番有効なのは、やはりカウンターだろう。しかし、3人で入るには狭すぎる。

 俺は高道と春香に合図を送る。春香とカウンターを指し示しただけの簡易的な伝達方法はなんとか成功したようで、春香は頷いた。春香が行動に移した時になって、俺は高道の様子がおかしいことに気がついた。まるで、魂が抜けたようで、茫然自失といった風にみえる。この一刻一秒を争うこの状況でこれはマズい。

 俺はすばやく、高道を入口からすぐ左の端へと引っ張った。この位置では入ってきて左を向けば、あっという間に見つかってしまう。が、そんなことは百も承知だった。

 足音の主が図書館に来るまではもう10秒程度しか時間はない。その間に俺は頭をフル回転させ、状況を打開する策を考える。


 (成功するかわからない。でも、これしかない)


 俺は急いで図書館倉庫に向かい、ドアを開けた。



 黒い人影は図書館のドアに手を伸ばす。引き戸は力を込めても開くことはなく、鍵がきちんと閉まっていた。人影はそれを確認してから手を使った。ガキン、と鍵は壊れ、人影は中に入る。

 人影は周囲を警戒した。敵がいるとすれば、警戒するのは普通のことだ。右を向き、左を向こうとした時に、奥からドアが閉まる音がした。人影は何一つ表情を変えずに、奥へと向かった。そこにあったものは倉庫へと続くドアだった。ノブを回してみると、あっさりとドアは開いた。

 人影は表情をピクリとも変えず、倉庫の中に入って行った。



 「危なかった」

 「危なかったね」

 「……」


 図書館を脱出した俺たちは、足音の主から離れるために歩いていた。

 高道は依然として放心状態で、反応がないままだったが、俺たちについてくることぐらいはできた。

 あの足音の主は一体誰だったのか。

 高道の様子から察するに、見たこともないような恐ろしいものだったのだろうか。


 「でも、さっすがかずとだよねー。こんな簡単に出られたのもかずとのおかげだよー」

 「いや、危なかった。ほんの少し何かずれがあったら、終わりだった」


 俺は図書館での出来事を思い出す。

 俺は高道を左の隅に置いてから、すぐさま倉庫のドアを開け、奥の本棚に隠れた。

 奥の方の本棚は入り口から見て横に置かれているため、入口からならば、しゃがんでいれば気づかれない。だが、奥まで来られると、あっけなく見つかってしまう場所だった。足音の主がこの図書館に入ってすぐに、俺の開けた図書館倉庫のドアが、ドアクローザ―によって勝手に閉まるところまでは計画通りだった。

ここからが一番の難関だった。

 脱出方法は単純である。足音の主は音の方向へ向かってくる。そこまでの道のりはおそらく、入口の近くに置かれた本棚の右側を通り、そのまま奥の倉庫へと向かうというもの。そのルートで倉庫へ来る途中、足音の主が手前の本棚の一番右側を通っている時、俺はその一番左側を通っていく。ただ、それだけである。

 本棚の右側を通りすぎる時、1つ左の通路は見えるが、それ以上は死角となり見えなくなる。俺はその死角を利用し、無事危機を脱することができた。だが、もし足音の主が端ではなく真ん中や左側を通ってきたら。もし俺が本棚の左側へ行くタイミングが少しでも間違っていたら。俺はあっけなく見つかっていただろう。

 この脱出作戦は穴だらけであり、見つからなかったのは奇跡的といってもよかった。


 「あいつに見つからなかったのは幸運だった。でも、今は高道が心配だ。一度保健室で休憩しよう」

 「うん。それがいいよ」


 高道はふらふらしていて、今にも倒れそうだ。俺は高道の様子を気にしながら、2階にある保健室へと向かった。



 「お邪魔します。まあ、誰もいないけどな」

 「お邪魔しまーす」


 保健室には何事もなく着くことができた。春香は無事ここまで来られたことを喜んでいるように見える。

 俺は放心状態の高道をベッドに座らせた。


 「さて、これからどうするか?」


 俺たちの目的は校長の秘密を明かすことである。しかし、高道がこうなった以上、一緒に行動することは難しい。アクシデントが起こった場合に、この高道がいたら邪魔になってしまう。

 学校から逃げた方がいいのかもしれない。

 そう思い、春香に目を向けた。


 「どうしたの?」

 「いや、高道を連れていくのはもう無理かもしれない。だから…」

 「諦めるの?」

 「え…」

 「かずまのこと見たらすぐわかるよ。学校から出るつもりでしょ。でも、こうちょーのことは知りたいんでしょ」


 どうやら春香には、俺の揺れる心は見破られていたようだ。


 「かずまは調べるべきだよ。きっと高道がこうなっちゃったのも、こうちょーのせいかも知れないんだよ」

 「でも、高道が…」

 「大丈夫だよ。ここでじっとしてれば気づかれないよ」


 いいのか? 高道を見捨てるような真似をして……


 「高道もきっと、お姉さんのことの真実を知りたいはずだよ」

 「……そうか。そうだな。二人で校長の秘密を暴くか」

 「うん。それでこそかずまだよ」――「やっとかずまと二人きりになれる」

 「ん? 何か言ったか?」

 「え、何か聞こえた?」

 「いや、なんでもない」


 空耳か。と思いつつ、俺はこれから二人で行動することを決めた。

 俺は高道に校長室に行く旨を伝えて、ベッドに寝かせた。もちろん、外から見えないように、カーテンで高道を隠した。

 高道のことは心配だが、俺たちと行動する危険性を考えれば、ここに留まる方が安全だと思う。高道の持っていたマスターキーは、少しだけ借りることにした。


 「後で返すからな。お前もさっさと元の高道に戻れよ」

 「……」

 「じゃあな、行くからな」


 俺の言葉は高道に届いていない。俺は廊下に出る前にもう一度だけ高道の方を見てから、ドアを開けた。




 ここは……どこだ……

 俺は……

 宙に浮いているような感覚がする。宇宙のような真っ暗な空間にただ一人漂っていた。

 俺は、見てしまった。アレを。俺を捕まえようとしている影を。

 影を見たときは変だと思った。人だと信じた時は変だと思った。影は人の形を成していなかった。人のシルエットの頭から足にかけて、ぐにゃぐにゃとした、長い蛸の足のようなものが、蠢いていた。その影をはっきりと認識したとき、俺の心は恐怖に染まってしまった。

 頭に付いていたのは、蛸の頭のようだった。無数の短い触手に埋め尽くされていて、その一つ一つが意思を持つかのように動いていた。顔のほとんどは蛸の化物が覆っていて、素顔を確認することはできない。頭は怪物だが、ここの制服を着ていることが、さらなる違和感と共に恐怖を煽った。そう、あれは間違いなく■■だった。俺の知っている姿とはまるで違ったが、■■だったんだ。

 あれは何だったんだ? 俺は夢を見ていたのか?

 いや、この暗黒空間こそ夢に相応しい。しかし、ここまで夢で意識がはっきりするなんてことは、過去に一度も経験がなかった。

 夢の中の暗黒空間に一つ、色が生まれる。青、赤、緑と原色が揃うと、その数は一気に膨れ上がった。

 赤青ピンク紫青黄黒白灰藍紅緑オレンジ……

 たくさんの色が混ざり合い、溶け合い、暗黒は極彩色の空間へと成り変わる。

これは道だ。これは門だ。空間の狭間、世界の全てを知るもの。夢の中にある一つの鍵。来たのだ。何かが門を通して。

 彼は見た。極彩色の一点。吸い込まれそうな黒があるのを。

 美しく、不気味な世界の中で、黒は抗えないくらい魅力的に見えた。彼は導かれるようにして、黒の向こうへ進んでいった。


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