図書館倉庫
俺たちは身を隠すべく、図書館にある倉庫に身を潜めていた。ここの図書館は奥へと続くドアがあり、昔の学校の資料などを保存している。いつもは鍵がかかっているし、図書委員が目を光らせているので、入ることは難しいが、学校に誰もいなくなった今、鍵さえあれば簡単に入ることができる。なので、情報収集を兼ねて、 この図書館倉庫に隠れることにしたのだ。
図書館倉庫に窓はなく、電気をつけなければ暗すぎる。俺たちは電気をつけて、古い書物を探すことにした。
「くぅー、なんだか冒険してるみたいでわくわくするね」
暢気なことを言っている春香はこんなときでも可愛い。少し頭を撫でてやってから、高道を見た。
「さて、もう後には戻れないぞ。高道、秘密を話してくれ」
「わかったよ。リア充にもわかるように簡単に教えてやる」
急に高道は真面目な顔になる。高道が真面目になることは珍しい。いつもジョークで笑わせくれる親友に、こんなシリアスな空気を出せるとは知らなかった。
「おい、失礼なこと考えてるか? まあ、いいけどよ。そうだな、話すか。いつかは二人に話すつもりだったけど、お前らと遊ぶのが楽しくてな。暗い空気にしたくなかったんだ。でもよ、仕方ねぇ」
高道は手で顔を覆ってから、本当に真剣な目で話し始めた。
「俺には3歳上の姉貴がいたんだ。3歳離れているのに俺よりちっちゃくて、でも、強かった。俺は姉貴に勝てたことなんて一度もなかった。姉貴は最強だった。だから、3年前のあの日、この学校で死ぬなんて信じられなかった」
「嘘だろ……もしかしてお前の姉って、牧野美月?」
「やっぱ知ってたか。姓が違うのは姉貴が死んで家族がバラバラになったからだよ。俺は母に引き取られてその旧姓を使ってる」
「そっかー、高道君はその犯人が校長だと疑っているんだー」
「姉貴のことは、1年くらいか? 警察が調べていたけど、結局犯人は見つからなかった。でも、仕方ないのかもな。姉貴は他殺か事故か自殺かすらもわからなかったんだから」
「なんでー?」
「それはな……」
「お前以外に目撃者はいなかったから、だろ」
春香はびっくりしてように、高道に目を向けた。高道は下を向いて無言の肯定をする。
その様子に本当だとわかった春香は俺に身体を近づける。
「かずま、どうしてー」
「いわゆる神隠し事件として、この学校では有名な話だ。その被害者がまさか高道の姉だったなんてな。俺も聞いた時は面白がってしまったと思う。すまない」
「謝る必要はねぇよ。それが当然の反応だ。俺も信じられなかったし、変な笑いが込み上げちまったよ。まさか、消えちまうなんてな。でもな、俺の姉貴がこの世にはいないことは、紛れもない真実なんだよ」
高道はどこか遠いところを見ていた。亡き姉のことを思い出しているのだろう。
「わかった。俺はお前に全力で協力する」
「私も頑張るよー」
「ありがとう、二人とも」
高道は手で目を拭いて、威勢良く立ち上がる。
「そうと決まったらまずは資料探しだ。この学校を丸裸にしてやろうぜ」
「「おーーー!!」」
倉庫の中で3人の戦いが始まった。
俺は効率よく倉庫の中の本を探すために、手前の棚は俺、真ん中辺りは春香、奥の方は高道と調べる場所を分けた。どうやら奥の方は資料が古く、手前に来るほど新しくなっているようだった。
俺は現在から30年前までの資料を漁る。創立92周年というこの校舎は、たびたびの修繕工事により今までずっとこの場所に立っている。30年間の記録とはいってもたった3分の1に過ぎないのだ。
俺は適当に取った本をパラパラとめくっていく。
「わ、すげえほこりだな」
何といってもまったく手がつけられていないに等しい本たちは、ほこりの量が酷かった。仕方ないと諦めつつ、本を探していくと、タイトルがない妙な本を見つけた。
前後の本の年代から、この本は20年前くらいのものと予測できるが、そう思えない程、紙の材質が古い。少し気になり、本を手に取って見た。表紙は黒く、やはりタイトルはない。とりあえず1ページ目を開くと、文字が英語で書かれていた。
読めるところだけを少し読む。
「私は、超越、死、永劫の未来。素晴らしい古い神は、本に、書く。ナルラトホテップ? なんだこれ?」
意味不明なことが書かれていると言っていい。死の超越? 古い神? どこかのインチキくさい創作物語を読んでいるみたいだ。
馬鹿らしいと一蹴しつつも、パラパラとページをめくっていく。ずっと英語だが、ところどころに挿絵がある。絵は奇妙な図形や触手が全身を覆った気味の悪い怪物が載っていた。怪物の挿絵の下にはShambler from the Starsと書かれていた。
そして、最後のページを開き、身体が硬直した。
ページ全体が赤黒く染まっている。まるで血を用いて何度も何度もこの本に書き記したかのように、血の濃い部分と薄い部分がはっきりとわかる。その血は怨嗟を伝えるかのように執拗で、念入りに刻まれていた。俺は濃い部分を注意深く見て、解読しようとした。
だが、俺はいつの間にか、その本を読んでいた。
「ソ繝翫う繧「繝ゥ」
「かずまー」
俺はハッとして声の方に向く。俺を呼んだのは春香だ。
――お前を呼んだのは俺だ
いや、何を考えているんだ。まずは、春香の用を聞こう。俺は持っていた本を閉じ、棚に戻した。
「どうした? 何か見つけたか」
「うん。面白いものだよー」
春香が見せてくれたのは、一見はしてみるとたいしたことのないただの絵本に見えた。でも、ここはいわば裏図書館である。春香が探して見つけたものには、何か 他のものと違うようなところがあるかもしれない。
俺は春香から絵本を受け取り、中身を探る。
絵本はこんな内容だった。
ある一匹の猫が老夫婦によって拾われた。猫は二人に囲まれて幸せに暮らしていた。しかし、長くは続かなかった。老婆が病に倒れ、床に伏してしまったのだ。翁は嘆き悲しみ、猫にも興味を持たなくなってしまった。老婆は病の中でも猫には優しかった。しかし、無理をする老婆を見ることは猫には辛かった。猫は老婆の病を治すために旅にでた。時には野良犬と戦い、時には仲間の猫に助けられ、猫はとうとう薬を見つける。急いで猫が老夫婦の元に帰った時、嗅いだ事のない匂いが家の中からした。薪を燃やしているものとも違う。でも、猫には嫌いな匂いだった。家の中に入ると、黒い服に身を包んだ人たちが老夫婦を囲んでいた。老夫婦はベッドに横になり、気持ち良さそうに寝ている。猫は老夫婦の元に駆け寄ると、その頬をなめた。でも、起きなかった。何度も何度もなめた。意地悪しているな。と思ってちょっと顔引っ掻いても起きなかった。猫は黒い服の人たちを見た。すると皆、泣いていた。
猫は、間に合わなかった。猫は全てを察し、老夫婦の元から離れた。いつか自分も死ぬ時には、二人の元に行けると信じて、猫は旅を続ける。
タイトルにはこう書かれている。老夫婦に飼われた猫、著者P.Hクラフトラブ。
「……」
「……」
俺は無言で泣いていた。この話は猫があまりにも不憫すぎる。
春香は俺の手から絵本を取ると、本を棚に戻した。
それからは淡々と資料を見ては戻し、見ては戻し、の作業が続いた。
やっと30年分の記録をあらかた飛ばし読みした時に、それは起こった。
「うわあああああああ!! ぎゃあああああ!! ああああああああ!!」
倉庫の奥から恐ろしいものを見たかのような絶叫が響く。俺はすぐに奥へと向かった。向かった先には高道が目を虚ろにしてぼうっとしていた。春香が先に来て呼びかけていたが、異常なほど何も反応がなかった。俺は高道の正面に回り込み、肩をゆすった。
「大丈夫か。おい、高道!!」
高道は俺の怒号に目を見開き、俺を見た。
「お前、和馬か?」
「おい、大丈夫か?」
「あ、ああ。なんとかな」
俺は高道から手を離してから、事情を聴いた。
高道の様子は一見してすぐにわかるほど酷いものだったが、この際は仕方がない。最悪、高道を襲った恐怖に、俺たちが巻き込まれる恐れもある。
「ああ、話すよ。あの、本だ」
高道は地面に落ちた本を指差す。タイトルは書かれていない。俺がさっき見つけたものに似ている気がした。
「多分、お前らにはわからないと思う。かなり古くて、今とは文体が違うからな。でも、俺は爺ちゃんから色々戦前だとか昔の本を読まされてきたからわかった。わかっちまった。それに書かれていることが本当だとしたら、俺らはとんでもないことを調べているのかもしれねぇ」
「なんだ? 教えてくれ!」
「二人はこの海神学園の由来は知っているか?」
「んー、確か海の神様に祝福されているとかかなー?」
「誰も知らないはずだ。なぜなら、この本に書かれている真実はあまりにオカルトじみた内容だった。南緯47度9分 西経126度43分。この学校はその座標を受け止めるための大きな防壁として建てられたらしい」
「なんだ? そこに何があるっていうんだよ」
「海神が眠っている。深い、永遠の眠りについている。その神の名は、クトゥルフ」
「おいおい、冗談だろ」
これが真実だとしても冗談だとしても、笑えない。しかし、高道はすでに真実であることを知っているという様な目をしていた。
「この本棚の最初にあった本、狂気の研究。著者は藤慎也とかいう奴だった。狂気の研究なんて、馬鹿げたことを書いている、と読み始めは思っていたが、そんな考えはぼろぼろに崩れ去ったよ。この学校は戦前からあるものだ。そして戦中、狂気による実験を行ったのさ。内容には米軍の戦闘機のパイロットを狂気によって墜落させたり、戦艦にいる兵士を仲間同士で殺し合いをさせたりしたらしい。でも、そんな情報だけ見ても、それが真実かはわからない。馬鹿みたいな話を事実にする根拠は、校長の姿にある」
俺は高道から創立当時の先生方の載った写真を受け取る。
「マジ……かよ」「嘘……」
そこには現校長の姿が写っていた。その年齢すらも一切変わっていない姿には、背筋が凍った気分がした。学校が創立したのは92年前、その時から、同じ姿のまま生きていることなど、普通の人間では確実に不可能だ。
「創立当初の校長の名前は藤慎也だ。もうわかるだろ。校長はこの学校の秘密であり、全ての謎の中心にある」
俺は信じられない気持ちで高道の話を聞いていた。実際、途中までは荒唐無稽で、作り話にしても酷過ぎるものだったが、最後だけは違う。そのたった一つの真実が、荒唐無稽な話が、真実の出来事であったと思わせる。なぜなら、この話は誰かの作り話ではなく、現在生きている人間の自伝に違いないからだ。
「この学校が狂気を取りこむなら、俺たちは精神的なダメージを受けることになるかもしれない。これから先は気を強く持て」
「もしかして、高道、お前」
「ああ、死んだ姉貴が見えた。青くなって冷たくなっているのに、酷い目をして俺を、見ていた。もう一度会いたいなんて思っていたのにな。恐怖しか感じなかった」
高道の声は小さい震え声となっていた。姉の死体は高道とってトラウマなのだろう。だからこそ、前に現れた。
「かずまー、怖いよー」
「お前は俺が守るよ。高道、お前はこれからどうする?」
俺は春香を撫でてから、高道に聞く。恐怖で怯えている高道に、俺は校長を探ることを避けた方がいいのではないかと感じていた。
「俺のことを心配してんのか? フンッ、問題ないさ。俺はまだまだやれる。姉貴の無念を晴らす、そして、俺の心をスッキリさせるために、俺は校長のことを調べまくって、その正体を明かしてやる」
「わかったよ。なら、俺らも協力するよ」
「協力するよー」
春香の声は俺に元気を分けてくれる。
高道を助ける。俺たちはそう選択した。
俺たちは正しかったのか、間違っていたのか。いや、考えるのは止めよう。
全ては必然。決まっていたことなのだから。