校長の秘密
なんだよ……なんなんだよこれ…
俺の前にあったのは血液を抜かれて絶命した彼女の姿だった。誰が、誰がこんなことを予測できた?
普通なら大人になって、結婚して、幸せになる。夢、理想、でも……願ってもいいことだと思う。
こんなことになるなんて信じられない、信じたくない。
この世界は非情で、残酷で、糞みたいだ。
この世界は……
「かずまー!」
俺の正面に見えるのは、幼馴染の新藤春香である。春香は小さくて、鈍くさくて、天真爛漫で凄く可愛い。語尾が伸びるのは幼稚園以来ずっと変わっていなかった。ずっと俺の隣にいて、女友達は少ないけど、俺にとって自慢の幼馴染だった。
俺は近藤和馬。私立海神学園に通うごくごく普通の高校生。趣味はバスケで、好きな女の子もいる。もう、皆にはバレバレだと思うけど一応言っておく。俺の好きな人はもちろん新藤春香、俺と同じ学校に通う可愛い幼馴染だ。
春香は俺の方に走ってきて、そのまま飛び込んで来る。
勢いが良すぎて、避けると地面に直行するだろう。でも、俺はそんなことはしない。しっかりと春香を受け止めた。
「かずまあったかーい」
「やめろよ。恥ずかしいだろ」
春香にも困ったものだ。通学路の道端でハグする男女なんて、絶対、バカップルにしかみえないと思う。
「でも、信じられるか? 付き合ってないんだぜ。こいつら」
俺と春香がハグしている横で、ちょっかいをかけるこの男は鷲田高道である。高道は俺の心強い親友だ。高校生になって初めて会って、まだ一緒にいる時間は春香とは違って少ない。でも、困っているときはすぐに相談に乗ってくれるし、空手黒帯でかなり強い。ちょっとウザいところがたまにキズだが、それでもいい奴だった。
「か、かかかか、かずまー。わ、私たち、付き合ってるの?」
「さあな、でもこいつにはそう見えるらしいぜ」
「えー、じゃあ、じゃあ、手……繋いで」
恥じらって上目づかいでそんなことを言われたら断ることなどできない。俺は「しょうがねえな」と言って春香の手を握った。
「死ね。リア充爆発しろ」
隣で暴言を吐く男は無視して、今日もいつもの一日が始まった。
でも、それは違った。今日がこいつらと過ごす最後の一日になるとは、朝の俺は夢にも思っていなかった。
学校に着いた俺たちは、さっそくクラスへと向かった。春香の手は学校入る前に無理やり剥がした。その時の春香の名残惜しそうな目を見て、危うくまた学校の中でも手を握りそうになったことは、今は置いておこう。
今日は学校で体育祭が行われる日だった。体育祭は年に1度行われる行事で、色々な種目の競技を使って、クラス最強を決めるという文化祭に続く大イベントの一つであった。
さらにこの学校の凄い所は、1位を多く取ったクラスに景品があるのだ。確か去年の景品は食券1万円分だったか。それをクラス全員に与えるなど、暴挙にも等しい。だが、生徒たちにとっては最高のプレゼントに違いない。
なので、年に一度のこの日だけはクラス間での接触が一切なく、ピリピリした空気が学校に漂うことは至極当然のことかもしれなかった。
「俺たちは絶対優勝するぞー!」
「「「「「おおーーーーーー!!!!!」」」」」
「どのクラスにも負けないぞー!」
「「「「「おおーーーーーー!!!!!」」」」」
「俺たちは最強だー!」
「「「「「おおーーーーーー!!!!!」」」」」
と、クラス委員長が気合いを入れて円陣を組んで声を上げた。委員長が言っていることが胸に響かないのは俺だけだろうか。でも、円陣の効果はあったみたいで、誰もが覇気に満ちた顔をしていた。
「じゃあ、移動するぞー!」
「「「「「おおーーーーーー!!!!!」」」」」
クラスの一致団結が確認できたところで、俺たちは外へ移動し始める。
外で何か校長が開会の挨拶をする、というわけではない。単純に、体育祭は学校では行われないのだ。いつも、主催する校長が決めた競技施設でやることになっていた。それも、競技ごとに施設が違うこともあり、クラス全員で円陣を組むことは最初と最後しかできないのだ。
初めて体育祭が行われた時は、校長どんだけだよ、と思ったが、何度目かになると、そこまで深く考えることはしない。例えば、校長は実は資産家で超金持ちだとか、学校で生徒を盗撮して金を稼いでいるとか、教団の教祖で莫大な金を集めているとか、そんな陰謀じみたことは考えたりはしない。
「かずまー」
「春香か、なんだ?」
「私、かずまと一緒かなー?」
「ん? 確か俺と同じ競技を選んだはずだろ? だったら分かれることはないと思うよ」
「そう、やったー」
春香の笑顔は俺の心を癒してくれる。本当に可愛い奴だ。俺は春香の頭を撫でてやろうと手を伸ばし、
「いいねー。リア充は。こんな往来で堂々とイチャイチャできるわけだからな。ハッ、死ね、爆発しろ」
すぐに引っ込めた。春香はムッと表情を強張らせたが、すぐに笑顔に戻り、高道に顔を向ける。
「高道君は女心がわかってないよ。だから、万年彼女はできないと思うなー。奇跡的に付き合えたとしても、すぐに別れちゃうと思う」
「なあ、和馬。俺、泣いていいか?」
「絶対、俺の胸では泣くんじゃねえぞ。マジで」
「ハンッ、どうせ俺なんてー」
高道は走ってどこかに行ってしまった。
「かずまー、さっき何考えてたの?」
「えっ、急にどうした?」
「私が来る前、何か考えてたでしょー。かずまは考える時に前が見えなくなる癖があるから、気をつけないと駄目だよ。さっきも人にぶつかりそうだったとこを、助けてあげたんだよ」
「そうか、悪かったな」
「もっと褒めてー」
春香の頭を今度こそ撫でる。春香は至福の笑顔で俺を癒してくれた。俺は頭を撫でるのをやめると、さっき考えていた校長の陰謀説のことを話した。
「かずまっておもしろーい」
「まあ、俺も馬鹿な考えとは思ってるよ」
「でも、体育祭でしょ。こうちょー先生は競技会場に来ないし、怪しいよねー」
「え、校長が来ない?」
「うん、間違いないよ。先輩方が噂で言ってたんだー」
校長が来ないだと。それはおかしい。なぜなら、この体育祭は校長がわざわざ企画したものだし、会場も校長が用意する。つまり、校長はこの体育祭を一番気にしている人物ということになる。だったら、校長が体育祭に一切興味がないなんておかしい。
だったら、なぜ、校長は来ない?
サボるためか。学校にいるんだとしても、一人だったら何もすることが……
待てよ。校長が学校で一人になるために体育祭を企画したのだとしたらどうだ。体育祭が学校で行われないことも説明がつく。全ての生徒と、引率についていく全ての教師、全員を追い出して、校長は学校で何をしているんだ?
「かずまー」
「ん、どうした」
「また、考え事してた?」
「ああ、春香はなんでもお見通しだな」
「かずまのことで分からないことなんて、私にはないんだよ」
「ハハッ、頼もしいな」
俺は春香にいま思いついたことを話した。
「で、校長は何をしていると思うか、ってことだ」
「考えすぎだよー」
「そうかもしれない。実際には校長が学校にいない可能性もあるわけだしな」
春香は急に目を見開き、俺に迫る。
「で、でも、本当に気になるなら学校に残れば?」
「そうだなー、だったら俺も残ろうかな」
と、いつからいたのか、急に割り込んで来る友人、鷲田高道。
「なあ、高道。いつからいたんだ?」
「そんなことはどうでもいいだろ。なんか面白い話してんな。俺も混ぜろよ」
「高道君はいらないなー」
「ガーン、俺ショック。でもめげないで頑張る俺素敵」
「勝手にやってろ」
馬鹿に塗る薬はないし、馬鹿を相手にするのはめんどくさい。俺は高道を無視しようとしたが、
「まあ、これ見ろよ」
再び視界に入る高道が、ドヤ顔で見せてきたものは、鍵だった。
「なんだそれ?」
「学校のマスターキー」
「せんせーい!」
俺は近くの先生に呼びかけた。人の声でかき消されたのか、声は先生に届かなかったので、もう一度言おうとしたところで、高道が全力で俺を止めた。
「やめろ馬鹿!」
「馬鹿はお前だ。マスターキーを取るなんて、洒落にならんぞ」
「大丈夫だ。これは複製したものだからな。コピーだよ」
「犯罪者だー。かずま、捕まえてー」
「ああ、わかってる」
「ああもう、待てよ。これさえあれば、誰もいなくなった学校を回れるんだぜ。開かずの間の校長室もな」
「校長室……」
開かずの間。校長室は誰一人として入った人間は存在しない。全校生徒、教師ですらその部屋には入らない。入れるのは校長だけ。
心臓の鼓動が大きく鳴った。高道のやっていることは確かに犯罪だ。しかし、より大きな犯罪を見つけるためには必要なことかもしれない。
「なあ、高道。お前、何を知っている?」
ニヤリ、と高道は笑う。
「お前はなぜマスターキーを持っている? そして、なぜ校長室に入ろうとしている? 多分その答えは、お前が校長の何かしらを疑っているということだ。それも、犯罪に近い行為を。で、そう思うには根拠があるはずだ。マスターキーを作らなきゃいけないと思うほどの根拠がなきゃ作ろうとはしない。だとしたら、高道は俺たちの知らない校長の秘密を知っている。そう考えるのが普通だ」
「ばっちし、その通りだ。これで秘密の内容まで当たったら、景品をあげちゃうよ」
「軽口はいい。俺たちに校長の秘密を教えてくれるか?」
「いいけど、条件がある。校長室を探るのをお前たちに協力してもらう。俺が話をしたら、もう後戻りはできないぜ。それでもいいか?」
「そんなもの、お安い御用だ」「もちろんいいよー」
俺と春香の声が重なった。春香も乗り気らしい。
「ありがとよ。やっぱ持つものは親友だな」
「でも、その秘密がふざけた話だったら承知しないからな」
「じゃあ、学校のどっかに隠れないとね」
校長の秘密。それを調べるために、俺たちは学校に残ることを決めた。これが悪夢の始まりだとも知らずに…