嘘つき聖女様と私
――――この世界に非の打ちどころのない聖女様なんているはずがない。
唯一にして絶対の慈悲深き神イィーツゥレモンドを信仰する我がガルディア王国に、異世界より神から遣わされた聖女様が降臨した。王太子の寝室に突如として現れたらしい彼女は、美しい銀髪に、この世界の人間には見られない夜の闇を溶かしこんだような漆黒の瞳で、王太子の心を見事射止めたらしい。けれど謙虚な聖女様は王太子様からの求婚を辞退し、必要なときに”神の奇跡”と呼ばれる聖女様固有の魔法を披露すると約束し、元の世界に戻れないならせめて普通の少女としてこの国で過ごしたいとおっしゃったらしい。
聖女様の願いが聞き届けられるまでに、王家の様々な思惑があっただろうが、王弟の養子として聖女様は引き取られると、国中の子どもがその身分関係なく集うガルディア王立学園へとその身を寄せることになった。
そう。そしてこの私、ミレーヌ=オルディアールの寮の同室としてね!
異世界からやって来た聖女様シルヴィは、女にしては背が高かったが、清らかな雰囲気に相応しい凛とした顔立ちと相まって、見惚れてしまうような美人だった。折れそうな細い肢体は、質素な黒いワンピースの上から着込んだ鎧で隠されている。
「もう鎧なんて着てなくたって平気なんじゃないの」
ベッドの上で魔法書を広げていた私は、難解な式からの息抜きに、浴室に向かうシルヴィに声をかけた。
「でももう鎧がないと落ち着かないんですよね」
身体を纏う鎧は大袈裟なものではなかったが、人前では決して鎧を脱がない彼女。
着替えとタオルをその絶壁の胸に抱えたまま、困ったように俯いた。
「そっか」
聖女様として引く手数多のシルヴィは、私が知る限りでもかなりの数の男に告白されていた。王家の遠縁であるラザード様。将来近衛騎士に就職が決まっているローテリア家の次男であるアラン様。学園で宗教学と聖魔法を専攻している神官候補のアイオーン様。他にも、学園の有名人が彼女に魅了され、告白するも、ことごとく撃沈している。
『ごめんなさい。男の子と付き合うって想像できないんです』
そう言って、ばっさばっさと切り捨てる。告白が終わるたびに、男子の前で見せつけるように私に抱きついてくるものだから、女子だっていうのに、殺気だった目で睨まれる私の気持ちを考えて欲しい。
シルヴィに寮で初めて出会ったときは、胡散臭い女が同室になったものだと思った。美しく、神の奇跡を使い、だれにも平等に接す、絵に描いたような聖女様。男は苦手らしく、触れられるだけで大袈裟に震え、その大きな瞳を伏せる。その小動物のような姿が、男の嗜虐心をそそるらしい。
(確かに、さっき名前をあげた連中はみんなサディスティックな顔をしてた)
聖女様といえど、そんなに男子にモテまくりなシルヴィのことを面白くないという女子というのは出てくるものだ。授業中に先生が見てない隙を狙って、シルヴィとパートナーになっている女子がわざと実験の器具を壊して彼女のせいに見せかける。昼食のときに食堂でぶつかって、トレイにのせたご飯を床にぶちまけて台無しにする。彼女がトイレに席を立った隙に、持ち物を汚す。数人で彼女を人気のない教室に呼び出して、軽く灸を据える。争いを好まず、抵抗を一切しないシルヴィに陰湿ないじめをするのは日常茶飯事だった。
なぜ私がそんなことをこと細かく知っているのかといえば、見ていたからだ。
『聖人君子なんているわけない』
いつかシルヴィの堪忍袋の緒が切れて、聖女様の仮面が外れて、本性が顕れるのではないか―――と、同室ということを差し置いても、シルヴィのことをずっと陰から観察していた。シルヴィに悪戯をし、すっきりとした顔できゃははと笑い声をあげていく女子生徒たちがいなくなっても、シルヴィはただ黙って肩を震わせているだけ。怨み言の一つでも呟けば人間味があるのに、彼女は呪いの呪文ひとつ口にしない。怪我や汚れを”神の奇跡”で無かったことにし、控え目な笑みを浮かべたまま平然と教室に戻るのだ。
庶民の粗暴な男子が、無抵抗なシルヴィに乱暴を働こうとしたことがあった。なびかない彼女に腹を立てたのか、彼女を目の敵にする女子から頼まれたのか、真実はもはや定かではない。彼女を慕うアランがその場に踏み込んだので事無きを得たが、そのときも、私はただ黙って見ていた。シルヴィは男がアランに連れられて職員棟に行くのを見送った後、その場に崩れ落ちて自分の身体を抱きしめていた。多分、鎧がなかったら大変なことになってた。
私はもう限界だった。一向に抵抗しようとしないシルヴィに苛立っていたし、ただの嫉妬で彼女を苦しめる連中にうんざりしていた。かといって、大勢の前で両手を広げてシルヴィを庇うような真似が出来るはずがない。私はそんな善良な人間ではない。よって、自分の得意分野で一人一人に懇切丁寧に『お手紙』を送ったのだった。
「ボクに興味なんてありませんって顔をしてたミレーヌが、助けてくれて本当に嬉しかったんだ。ありがとう。君のためにも、早く鎧を脱げるようになりたいんだけどな」
聖女様はボクっ子。これも狙ってるのかと思って、最初は舌打ちしたい気持ちがいっぱいだったわね。
「そういう言い方されると、背中がむずむずしてくるからやめて。私は別に何もしていないし」
「うそばっかりだ。ボク、ちゃんと知ってますから」
「うへ。なあに、それも”神の奇跡”で?」
「はい」
唯一の欠点たる絶壁の胸に、タオルと着替えを抱きかかえて、シルヴィは無邪気に微笑んだ。ほんとう、喰えない聖女様。
私が得意というか、好きなのは魔法だ。特に魔法理論学に関心があって、専攻している。その成果といっては何だが、『お手紙』には、難解な魔法式で構成された呪いを同封しておいた。一人ひとり違う、全くとして同じもののない呪い。学園で配布される教科書には載っていない形だし、図書館に行って関連の蔵書を紐解いて、応用するしか解く術はない。先生に解呪を頼めば一発だが、呪いの発動条件に『シルヴィへの悪意。また解呪の際に悪事の暴露』と記しておいたから、解呪と引き換えに、己の悪事も露見する仕組みだ。王家の秘蔵っ子かつ、神の御遣いたる聖女様に悪事を働くなんて言語道断。不敬罪も甚だしい。
呪いのせいで悪事を語らざるを得なかった生徒たちは、問答無用で退学。噂ではガルディア国の領土を二度と踏まないよう、国外追放された輩もいるらしい。
「私だってあんまり褒められた人間じゃないんだから。あなたが苦しんでるのを、ただ見てるだけだったし」
「どうして見てたんですか?」
「それは、その。なんていうか、あなたの欠点を見つけてやろうと思って」
「欠点、ですか?」
「そうよ。ま、それを見つける前に、手を出しちゃったのが誤算かなあー。あなたの欠点らしい欠点といえば、本当その絶壁の胸くらいだしね。貧乳通りこして、平らというか」
「胸…」
シルヴィが自分の胸を見下ろして、固まっている。
自慢じゃないけど、私の胸は結構ある。だれにも触らしたことはないけれど、柔らかくて大きくてなかなかのものだと思う。形にも自信はある。
なんてささやかな優越感に浸っていると、シルヴィが物凄い至近距離で私のことを見下ろしているのに気がついた。
「な、なに?シルヴィ」
「いえ。ミレーヌ。ボクと一緒にお風呂入りませんか?」
「…なんで?」
「他のルームメイトは、みんな一緒に入っていると聞きましたよ。女子同士のお風呂は楽しいって」
「シルヴィ。あなた他の子とお風呂に入るの物凄い嫌がってなかった?恥ずかしいからって。この前の野外実習でも、一人だけ温泉に入らなかったわよね」
恥ずかしがり屋なシルヴィは、自分の体型を気にして、絶対に一人で風呂に入る。着替える姿すら誰にも見せない。学園の女子の間では有名な話だっただけに、シルヴィからのお風呂への誘いには驚きを隠せない。
「あの時は、”神の奇跡”のおかげで、ボクは常に清潔に保たれていたので入る必要がなかったといいますか。でも、ミレーヌならいいかなってボク思ったんです」
「ふーん。でも残念。私は、あなたと一緒にお風呂に入る気分じゃあないの」
「みれぇーぬぅー」
情けない声をあげて、シルヴィが私の服の袖を掴んで風呂に誘ってくる。
呪いで彼女を助けて以来、ルームメイトという以上に懐かれている。もうベッタリだ。
今だって、黒曜石の瞳を可愛らしく煌めかせて、覗き込むようにしたからジッと見上げてくる。しゅんとした元気のない犬の尻尾が幻覚が見えてくる。もしや妖魔法でも使ってるんじゃないだろうか。
「……わかりました。ミレーヌがそこまで嫌がるなら、ボク、無理強いはしません。迷惑、でしたよね。ちょっとだけミレーヌと仲良くなれた気がしたんですけど。あは、ボクの勘違いだったみたいですね。恥ずかしい…」
最後は消えてなくなりそうなほどか細い声で、シルヴィは私から離れて呟いた。
胸という名のまな板にぎゅっと荷物を強く抱きかかえて、哀愁漂う背中を見せつけながら風呂場に向かう。
「~~~っ!わかった、わかりました!一緒にお風呂に入ればいいんでしょう?!これで満足?!」
「……!ミレーヌ!はい!ありがとう、君はやっぱり優しい人ですね!」
泣いたマンゴドラがもう笑う。
「ミレーヌが一緒に入ってくれるなら、ボク、準備しなくちゃです。先に入ってて貰えますか?」
「あなたもう入る気満々だったじゃない。それなのに準備って…」
「ふたりでより一緒に楽しむための準備ですよ!さ、ほら、ミレーヌ!先に入って、入って」
妙に押しの強いシルヴィに急かされて、私はベッドから引きずりおろされ、浴室に押し込まれた。
「……まあ、いいか」
どこか腑に落ちないが、部屋着を脱ぎ捨て、下着も脱ぐ。脱いだ衣服を籠に畳んで入れて、バスタオルを風呂場に持って入る。
そうして、私はシルヴィと一緒にお風呂に入ることを了承したことを後悔するのだ。
世の中には知らないでいたほうが、平和に過ごせることがある。知ってしまったがために、後戻りが許されない道に引きずり込まれてしまうことがあるのだ。
「あっあっああああ、あなた!”男”だったのー?!シルヴィ?!胸がないというか、その股にある余計なものは何?!」
「あはははは?やだなあ、ミレーヌったら。ボク…いや、僕って自分から女だって言ったことあるっけ?」
「ちょっと…近づかないで!?な、なに内側から鍵をかけてるの?!ねえ!?だ、誰かー!ここに痴女…じゃない。痴漢…?いえ、変態がー!」
「君は、僕の玩具決定。『聖女様』のモノになるなんて、この世界の人間からしたら光栄でしょう?」
「聖女様?!嘘つけ!あなたは男でしょ!」
「ああ、うんうん。そうだね。この場合は、えっと何て言うのかな?まあなんでもいいよね。とりあえず観念してよ、ミレーヌ。君がずっと僕のこと見てるのが悪いんだよ」
「だーれーかー!」
神聖なる“神の奇跡”を何て破廉恥なことに使うのだろうと、思い出すだけで体温が上がりそうな目に遭わされました。聖女様シルヴィもとい、嘘つき聖女様。
彼女は『彼女』ではなく、『彼』でした。
「君は特別。僕のことは、シルヴィアリスって呼んでいいからね」
ぐったりとする私を広い浴槽の中で抱きかかえて、お肌つるつるになって満足そうに口づける。
女装男子ってありなの…?化けの皮を剥ぐつもりが、とんでもない中身を剥いでしまいました。
女装男子×ストーカー気味少女でした。
作中では語られていませんが、ミレーヌは聖女様観察レポートをつけています。本人にその気はなくとも、立派なストーカー。
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●聖女様こと、女装男子。シルヴィ(藤崎シルヴィアリス)
銀髪に黒い瞳。日本人とドイツ人のハーフ。
召喚された当初、女だと勘違いした皇太子に襲われるも、手に持っていた鋏で股間を攻撃。
長髪をいい加減切ろうとしていたところを神に召喚される。その鋏には神の加護が与えられていて、立派な凶器。
『聖女様』として学園に入学したのは、女の子を間近で見放題とか素敵やん?という邪な発想から。
非の打ちどころのない聖女様を演じていたが、いい加減嫌がらせにMK5だった。
ルームメイトの視線にも正直耐えかねていたところだったのだが、
ミレーヌが予想以上に面白い人間だと分かり予定変更。
●ストーカー気味少女こと、ミレーヌ=オーディアール。
チョコレート色の髪に、青い瞳。下級貴族の三女。
魔法理論学を専攻。理系気質の人間で、興味あることは観察せずにはいられない。そのせいで、本人に自覚なくシルヴィのストーカーとなっていた。
そこそこにあった正義感から、シルヴィを助けたことをきっかけに、
彼女の運命はシルヴィを中心としたものに変わることとなる。
顔は普通。10人中3人がアリと答え、好みだと答えるのが1~2人レベル。