臆病風とクローバー
葉月は強い。
いやそれは決して腕っ節が強いという訳ではなくて。体力よりもずっと得難い、精神力という面においての話。
多分彼女の悲惨な過去が現在の彼女を作りあげたのだろう。
葉月は頼るということをすっかり忘れ、人との関係は最小限に抑えるようになった。そのおかげで早くから一人前に自立し、しっかり地に足踏ん張り清く正しく美しく生きてきた。
凛として背筋を伸ばす立派な後ろ姿からは葉月の人生観が窺える。自分の事は自分でやる、干渉はされたくない。無言の圧力が葉月を前にすると重い軽い問わず圧し掛かってきた。
とにかく信念が強く達観していて、自らを省みることを忘れない。その中であくまでも自分の理想を貫き通す。実現の為には多少の無理は厭わず、強行突破もしばしば。
竹のように真っすぐ、とか、鋼の精神。ちょっと女性には不似合いな力強くたくましい気質で葉月は今の葉月をつくり上げた。元来の努力家なのだ。
おかげで葉月はあれこれ指図されるのが苦手になった。
失敗も成功も全部自己責任にしたい彼女は手助けをいうものを余り受け付けたがらない。勿論、自分が納得すればすんなり受け入れるのだけど、そこまでの過程が一々難しい。
正しいと思ったことをやりたいようにやって葉月はここまで辿り着いたのだから、当たり前と言えば当たり前だ。過信では無い程度に実力を葉月は信じているし、過去を振り返れば誰だってその正しさを認める。そこに他人の意見など不要だろう。
そういう訳で、葉月はちょっと近づきがたい人物として認識された。
幼少期のトラウマとこれまでの経歴から彼女は明らかにコミュニケーション不足。人と上手に話せず、誰かと一対一で向き合えばすぐにだんまりを決め込んでしまう。ぼくが知るただ一つの葉月の弱点だ。
話せば話すで、風当たりはちょっときつい。刺々しく、どう対応したらいいのか分からない風情だ。
ぼくは葉月のこうなった理由を知ってるけど、周りが全員そうとは限らないから誤解され、「束縛嫌いの優秀人材」という肩書きがそこに生まれた。
能力は信用できるけど、人柄としてはあんまり、という意味が含まれているフレーズだ。
葉月がそれを気にする様子は無い。言いたきや言っとけという事だろうか。
あんまり気持ちいいものではないけど、差支えは無いから、と言った感じ?
無口な彼女は教えてくれない。
でもあながち、「束縛が嫌い」は間違いではないように受け取れた。
他人との関わりは自分のスキルにブレーキをかける。それが葉月は堪らなく嫌だった。
相手への不得意な反応にもたつき、スムーズに事が運ばないからだ。自分の才能への制限。
これも一種、人間関係、他人から与えられる束縛。
そう言った意味では何よりも彼女が嫌悪するもので、人との向き合いを苦手とするに更に拍車をかけた。
散々葉月のことを話したぼくだけど、ぼく自身は大してすごくは無い。
平凡と自負しては失礼で寧ろ標準以下。端的に言えば自分の足につまずいてばかりの駄目人間だ。
男としてどうしても葉月に追いつきたいと意地になるが、その度に失敗し前を堂々と歩く葉月の足を引っ張る。挙句の果てには苦笑を漏らす葉月に助けてもらう。
でも手を差し伸べる葉月の顔は「だめねぇ」とたしなめる割には優しく、小さなほほ笑みさえ浮かぶ事もあるから、よくそれに甘えている。
それだけ紹介しとけば、事足りる。
話を戻す。
人との接触をより避けるようになった葉月の態度はぼくにも現れた。もっともだと思う。
先程述べた通りぼくは駄目人間。正真正銘のうすのろだ。
自分にとって負荷となる人間を遠ざけるのは自然の摂理である。信じられるのが自分しかいない葉月なら尚更だ。
あ、距離を置こう、それが彼女の為だ。迷いも無くこの結論をぼくは下した。
それからぼくらの距離感は、なんと言えばいいのだろう。
懸命に自分の行くべき道を歩き続ける葉月の後ろ姿を、若干離れた場所でぼくが見守る。見守るなんて大層な事はしてないから、じっと眺める。
元々葉月は怠惰を好まない兎で、ぼくはのろい亀だからその差を生むのに何の問題も無かった。
すぐに両者の間には葉月に障害を与えない距離が完成し、いつも憧れる後ろ姿は遠ざかった。僅かに小さくなる背中にさみしさを抱いたのは事実だ。けれど時折、手間のかかる(実際そうなのだけれど)子供を気遣う母親のような視線をわざわざ振り返りぼくに送ってくれるだけで充分だった。
相変わらず人と会話をするのが苦手だけど、その波はぼくにまで及んだけど、気に掛けてくれるのが何
よりも葉月がぼくを特別だと思ってくれてる証拠。
抱きつくことはおろか手も振れないほど接触恐怖症の彼女の最大限の意思表示。
勿論立ち下がった事は溜息が出るほど情けなく、意気地なしといわれるには相応しい。
実際葉月も力を抜いたぼくを見て「しょうもない」と眉をひそませ呆れた。少しの苛立ちも垣間見た。その不服そうな表情に少しドキリとはした(悪い意味で)
でもそれ以上に、ぼくは葉月の足手縫いにならないで済んだ事を一人密かに喜んだ。
輝きを放ち淀み無く歩を進める彼女の背中を視界に収められるのもぼくの特権。そう思い満足した矢先だった。
彼女に小さな異変が表れたのは。
葉月は今までならあり得ないミスを続けざまにしでかした。
それに時々上の空で、作業中の手がよく止まる。
自分の不手際には苦い――――というより辛そうに顔を歪めるようにもなった。
事あるごとにきょろきょろと周りを見渡すさまなんて、まるで何かに脅えてるようで。
これっぽっちも葉月らしくなんて無かった。最終的には僻き小さく肩を震わす始末。
見たことも無いくらい失敗連続の日々だった。
どうしたんだろう、今まで頑張りすぎて大分疲れてしまったのだろうか。
心配が胸をよぎるが、まさかと首を振る。
だって、葉月は強いから。まさか、あの葉月が、ね。
理由もない安心感で推測を打ち消す。
しかしその考えは一変する事になった。
ある日背中を向けた葉月が立ち止まり、ぼくに向けた瞳。二つの濡れた目が全てを物語っていた。
シンプルなサインからぼくは瞬時に理解する。
その揺るぎないと思えた足並みがぶれたのはなぜか。
立ち止まり、周囲を忙しなく見やり、視線を彷徨わすのはなぜか。
そんなの、簡単だ。
その揺るぎないと思えた足並みがぶれたのは彼女の中で当然の存在だったぼくの影が不意に遠退いたから。
立ち止まり、周囲を忙しなく見やり、視線を彷徨わすのはその影を探す為。
葉月の後ろに並んだ事で発見した。彼女の微かな弱さなる部分を。
彼女がこの世でただ一人ぼくだけを求めてくれる事を。
彼女はぼくがいなければその輝きを失うという真実を。
全てがぼくに直結している。
誰か傍にいれば日を合わせようともしない葉月。そんな彼女とぼくの視線が毎回重なるわけ。
理由は明らかに、彼女にとってぼくが特別だからだ。
手のつけようも無いくらいのろまなぼくは、颯爽と自分の道を突き進む葉月の枷にすぎない。それでも、彼女は隣をいつも空けてくれた。横に並ぼうと躍起になればなる程ずっこけ、やっとの思いで肩を並べるぼくを、待つ事はしないけど葉月は許してくれた。
―――そもそも、ぼくは樹ですら無いのではないか。
何度も助けられるごとに目にした微笑は純粋に優しかった。ぼくにしか向けられない笑顔。
そうだ、束縛を嫌う彼女が自ら重荷を背負うとは思えない。不要と思えば、一も二も無くあっという間に切り捨てていたはずだ。
つまりはぼくが、葉月を今の葉月にしてしまったのだ。
必要とされてるのに気付かず、彼女の強さに打ちのめされ、恐れた。
彼女はいつかぼくががらくただという事に本当に嫌気が差すのでは、と。
役立たずのぼくが捨てられる日を迎えないようその眩しい背中から遠ざかった。「彼女の為だ」と合理化して。
全速力で駆け寄った。一人きりでは怖いはずなのに、ただただ前に進もうとする葉月に向かって。
傷を抱えている。なののにそれを必死に隠して気丈なフリで立ち向かい、人には甘えず、けれどぼくを求めてくれた不器用とも言える彼女に後ろから抱きついた。
人からなんと言われようとも、ぼくがいたから葉月は今の今まで堪えられたのだろう。
せめてぼくにだけは、自分を知ってほしかったのだろう。
彼女にとってぼくは安心できるたった一人の人間だったのだ。自惚れなんかじゃなく。
その微かな拠り所を一気に見失って。ごめん、ごめんね。
腕の中の葉月は戸惑ったように顔を伏せたけど、拒否はされなかった。
それどころか、巻きつく腕に慣れない仕種で手を添えてくれた。何ていとおしいんだろう、と再確認。
暫くすれば硬直させた体からふっと力を抜き、全身を弛緩させた。
同時に張り詰めたものが緩んだのか、ぱたぱたと涙の雫が溢れては零れるを繰り返した。
手を握るのも、抱きしめるのも恐れてたのはよっぽどぼくの方だ。
それが束縛へと形を変えるのに何よりも脅えていた。
彼女に拒絶されたらと考えるだけでそれこそ息も出来ないと被害妄想をして。触れない事で葉月が悲しむなんて夢にも思わず――――なんて言い訳がましい。
違うんだ、伝えたいのはそんな事じゃない。
謝罪の言葉は山ほどあるけど、何よりもそのしたたかで脆い葉月の支えになりたい。
その為には、ずっと一緒にいなきゃ。同じ道を、並んで歩かなきゃ。
それがどうしようもないぼくの、唯一葉月にしてやれる事。
葉月を閉じ込めるように腕に力を込める。乾いた唇を早急に動かし、若干震える声で背後から乞うた。
「ぼくのものになってください」
四つ葉のクローバーの花言葉「Be Mine」をイメージして作りました。
助けられていると思いきや、実は助けていた。
そんな関係が恋愛において良いのでは、と恋愛未経験者は語ります。
良ければ感想・評価お願いします。
これからの文芸部活動の参考にさせていただきます。
それでは、ここまでありがとうございました*