第1話:【前編】婚約破棄? ありがとうございます、これでダンジョンに籠もれます!
「アルトリア・ベルンシュタイン! 貴様との婚約は今この瞬間をもって破棄させてもらう!」
ナルシスタ王国の王宮大広間。
豪奢なシャンデリアの下で、第一王子カイル・ド・ラ・バカデミアが、まるで見得を切る歌舞伎役者のようなポーズで叫んだ。
その指先が向けられているのは、一人の女性――アルトリア・ベルンシュタインである。
彼女は二十歳にして王国騎士団の「史上最年少副団長」に上り詰めた傑物だ。
艶やかな黒髪をポニーテールにまとめ、軍服に身を包んだその姿は、凛としていて、それでいてどこか中性的な色気を放っている。宝塚の男役がそのまま戦場に降り立ったような、そんな圧倒的な「華」があった。
しかし、そんな彼女に対してカイル王子は、鼻を高く鳴らして言い放つ。
「理由を聞きたいか? フッ、鏡を見るがいい! 君のその、ドレスの袖を突き破らんばかりの上腕二頭筋! そして可愛げのない腹筋! 王妃に必要なのは慈愛と優雅さであり、広背筋ではないのだよ! 君のような『筋肉だるま』が隣にいては、僕の繊細な美しさが霞んでしまうじゃないか!」
周囲の貴族たちは、あまりにも身勝手な王子の言い草に、同情と困惑の入り混じった視線をアルトリアに送った。
二人の婚約は三年前。王家がアルトリアの圧倒的な武力と、彼女が率いる騎士団の忠誠心を手に入れるために強引に結ばれたものだ。
婚約以来、カイル王子は彼女に「女らしくあれ」と命じ、剣を持つことを禁じ、副団長の座を事実上剥奪して「王子の着せ替え人形」という名の閑職に追い込んでいた。
誰もが、アルトリアが屈辱に震え、涙を流すだろうと予想した。
だが。
(……え? 今、なんて? 婚約、破棄?)
アルトリアの脳内では、王子の暴言など微塵も響いていなかった。
彼女の頭を占めていたのは、全く別の、そして非常に切実な「喜び」だった。
(やった……。やったぞ! これで明日からドレスを着なくていい! 朝から晩まで剣を振れる! 重装備の鎧を着ても『鉄臭い』って怒鳴られない! そして何より……ダンジョンに行ける!!)
アルトリアは、武骨なまでに「戦い」と「鍛錬」を愛する女だった。
彼女にとって、カイル王子の隣で微笑む三年間は、地獄の拷問以外の何物でもなかったのだ。
「……アルトリア? 絶望のあまり声も出ないのかい? まあ、無理もない。僕という至高の輝きを失うのだからね。だが安心していい、君には騎士団解雇の沙汰も出しておいた。これからは実家で大人しく、その無駄な筋肉を落とす努力でもしたまえ」
「殿下」
アルトリアが、低く心地よい声で口を開いた。
その瞳は、なぜかキラキラと輝いている。
「謹んで、お受けいたします。婚約破棄、そして騎士団解雇。……本当に、今までありがとうございました!」
彼女は、騎士団時代でも見せたことがないほどの、キレのある完璧な敬礼を繰り出した。
そのあまりにも晴れやかな表情に、カイル王子は一瞬だけ「あれ?」と首を傾げたが、すぐに「フッ、精一杯の虚勢か。憐れなものだ」と自己完結した。
「分かればよろしい。さあ、衛兵! この『元』副団長をさっさと追い出せ! 僕はこの後、愛しのマリエル嬢とのティータイムがあるんだ」
アルトリアは、背中越しに聞こえる王子の高笑いをBGMに、風のような速さで広間を後にした。
城門を抜けた瞬間、彼女は大きく伸びをした。
パキパキ、と心地よい関節の音が鳴る。
「さて……まずは装備だな」
彼女が向かったのは、王都の隅にある馴染みの武具店ではない。
冒険者ギルドだ。
そこには、かつて彼女が「副団長」という肩書きのせいで立ち入ることを許されなかった、自由な冒険者たちの世界が広がっている。
「おじさん、この店で一番重くて丈夫な全身鎧をくれ! あと、大剣も。できるだけ重いやつだ。……ああ、そうだ、ダンジョン用の保存食も一ヶ月分。肉だ。干し肉を山ほど詰めてくれ!」
「お、おいおい、嬢ちゃん……。そんな重装備、男の重戦士でも根を上げるぜ?」
「いいから持ってきてくれ。私は今、空腹なんだ。……『戦い』という名の、最高のディナーにな!」
店主に呆れられながらも、アルトリアは手際よく装備を整えていく。
漆黒の鋼で造られた、無骨極まりないフルプレートアーマー。それを身に纏った彼女の姿は、もはや「令嬢」でも「人形」でもない。戦場を統べる「戦神」そのものだった。
その頃。
カイル王子は、自分の部屋で豪華な手鏡を眺めながら、独り言を呟いていた。
「フフフ……。アルトリアを追い出したことで、ようやく僕の周りもスッキリした。次はマリエルだ。あの魔導師ギルドの天才美少女……彼女なら、僕の隣に立つ資格がある。彼女もきっと、僕のような完璧な男に口説かれるのを今か今かと待ち侘びているはずさ」
カイル王子は知らない。
彼が「次に狙っている女」たちが、実はアルトリアの騎士団時代の戦友や、彼女の強さに密かに憧れを抱いている「アルトリア信者」であることを。
そして、この国で最も危険とされるダンジョン――通称『深淵の奈落』の真実も。
そのダンジョンの真の名は、『美神のクローゼット』。
古の美の女神が、自分のお気に入りの武具や宝を仕舞い込んだ、巨大な貯蔵庫である。
そこに入るための条件は、魔力でも血統でもない。
「真に美しき者」であること。
女神にとっての「美」とは、着飾った宝石や虚飾の言葉ではない。
極限まで鍛え抜かれた肉体。
迷いのない剣筋。
そして、戦いの中にのみ宿る、魂の輝き。
要するに、今のアルトリアにとって最も相性の良い、彼女のための「遊び場」だったのである。
「よし、準備完了だ」
アルトリアは、背中に巨大な大剣を背負い、重厚な足音を響かせながらダンジョンの入り口へと向かう。
その足取りは軽く、心はこれ以上ないほどに躍っていた。
「待っていろよ、魔物たち。……三年分の『淑女教育』のストレス、全部お前たちにぶつけてやるからな!」
王宮で王子が「僕の愛に跪け」と鏡に向かって練習している間、最強の女騎士は、自らの自由を取り戻すべく、奈落の底へと足を踏み入れた。
これが、後に「王国の至宝」と呼ばれた女性たちを全て奪われ、王子が文字通り「裸の王様」へと転落していく、長いざまぁ劇の幕開けである。




