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38歳の新人衛兵、不眠症の年下騎士団長に「抱き枕」として徴用される  作者: 団田図


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第9話 瓦礫に咲く花と影

 その日の朝、王立騎士団の更衣室は、休日特有の少し浮き足立った空気に包まれていた。

 非番の団員たちが鎧を脱ぎ、私服に着替えて街へと繰り出していく。


 ベルンもまた、軍服をロッカーにしまい、着古した麻のシャツとスラックスに着替えていた。

 三十八歳の中年男が着ると、それは休日のお父さんのような哀愁と安心感をかもし出す。


「おっ、ベルンさーん! 着替え早いっすね!」


 隣のロッカーからひょっこりと顔を出したのは、茶髪の同僚、ギルバート一等兵だ。

 彼は派手な柄のシャツを着て、これまた軽薄そうな笑顔を浮かべている。


「今日、暇でしょ? 西通りに新しい酒場ができたんすよ。看板娘が可愛いって評判でね。行きましょうよ!」

「……申し訳ありません、ギルバート一等兵。今日はお断りします」


 ベルンは靴紐くつひもを結びながら、穏やかに、しかしきっぱりと首を横に振った。


「えー、またぁ? 付き合い悪いなぁ。せっかくの休みなのに」

「少し、野暮用がありまして」

「野暮用って何すか。女? それともやっぱ女?」

「はは、まさか」


 ベルンは苦笑したが、その瞳の奥は笑っていなかった。

 ギルバートは口を尖らせ、ベルンの肩を馴れ馴れしく叩いた。


「つーかさ、その敬語やめてよぉ。俺の方が五つも年下なんだし! 同期みたいなもんじゃん」

「いえ、そうはいきません」


 ベルンは立ち上がり、背筋を伸ばしてギルバートに向き直った。


「軍隊では階級が絶対です。貴方は一等兵、私は二等兵。上官に対する礼儀を欠くわけにはいきません」

「うわぁ、他人行儀! 水臭いなぁ……」


 ギルバートは大げさに肩をすくめたが、ベルンは崩さなかった。

 仲良くしてくれるのは有り難いが、自分はここに友達を作りに来たわけではない。

 復讐のために、一時的に身を置いているだけの異邦人だ。

 情が移れば、いざという時に鈍る。

 ベルンは自分自身に言い聞かせるように、見えない線を引いていた。


「では、失礼します」


 ベルンが一礼して更衣室を出て行くと、取り残されたギルバートは「真面目だねぇ」とぼやいた。


 その直後だった。

 ロッカーの陰から、ゆらりと黒い影が現れたのは。


「ひっ!?」


 ギルバートが短く悲鳴を上げる。

 そこに立っていたのは、深紅の裏地がついた高級そうなマントを目深に被った、不審者――もとい、クラウス団長だった。


「だ、団長!? いつからそこに……?」

「……あいつは今日、どこへ行くと言っていた?」


 クラウスの声は、地の底から響くように低い。

 フードの下から覗く青い瞳が、獲物を狙う猛禽類のように鋭く光っている。


「え、いや、あの……野暮用だとしか……」

「野暮用だと? 具体的にだ。場所は? 相手は? 女か? それとも他の組織の人間か?」

「し、知りませんってば! ちょ、団長、目がマジなんですけど!」


 クラウスは「チッ」と舌打ちをすると、ギルバートを無視して出口へと向かった。

 その足取りは速く、焦りに満ちていた。

 ギルバートは冷や汗を拭いながら呟いた。


「……ベルンさん、逃げて」


   +++


 王都グラン・アヴェルラの下町エリア。

 貴族や富裕層が住む山の手とは違い、ここは石畳も欠け、路地裏には生活排水の臭いと活気が入り混じっている。

 かつて、ベルンが生きていた世界だ。


 市場で一輪の白い花を買ったベルンは、迷うことなく路地を進んだ。

 記憶の中にある地図と、足裏が覚えている感触を頼りに。


 やがて、彼はある開けた場所に出た。

 そこは、建物の焼け焦げた跡地だった。

 瓦礫がれきの山と、雑草が生い茂る空き地。

 その一角に、建物の基礎だけが残された四角い区画があった。


「……ここで」


 ベルンは立ち止まった。

 半年前まで、ここには二階建ての小さな食堂があった。

 一階が店で、二階が住居。

 窓辺にはいつも花を飾り、昼時には近所の労働者や主婦たちで行列ができた。

『陽だまり亭』。

 それが、ベルンと弟のエミルが守ってきた城の名前だった。


 ベルンは瓦礫の山を慎重に歩き、かつて入り口があったであろう場所に近づいた。

 崩れた煉瓦れんがの隙間に、黒くすすけた木の板が埋もれているのを見つけた。

 引き抜いて泥を拭うと、焼印で『……だまり亭』という文字が辛うじて読み取れた。

 看板も焼けたはずだったが、欠片かけらが残っていたらしい。


「……ただいま、エミル」


 ベルンは買ってきた花をその板の上に供え、黒く焼け焦げた柱に腰を下ろした。

 冷たい風が吹き抜け、錆びた鉄と土の匂いがする。

 だが、ベルンが目を閉じれば、そこには鮮やかな記憶がよみがえる。


   +++


(いらっしゃいませー! こちら二名様ご案内!)


 元気な声が響く。

 厨房に立つベルンの視界の端を、エプロン姿の青年が駆け抜けていく。

 弟のエミルだ。

 茶色い髪を短く刈り込み、誰からも愛される人懐っこい笑顔を振りまいている。


(兄ちゃん、Aランチ二つ追加! あ、あそこのテーブルにはお冷やね!)

(はいよ。エミル、注文伝票が雑だぞ。読めない)

(いいの! 兄ちゃんなら分かるでしょ!)


 ジュワッ、とフライパンの中でバターが踊る音。

 デミグラスソースの焦げる甘い香り。

 客たちの笑い声と、食器が触れ合う音。

 それは、世界で一番幸せな騒音だった。


 夜、閉店後の静かな店内で、二人でまかないのオムレツを食べた。

 エミルは口いっぱいに頬張りながら、幸せそうに目を細めた。


(んー! やっぱり兄ちゃんのオムレツは世界一だね! このふわふわ具合、絶対真似できないよ)

(大げさだな。……もっと美味いもん食わせてやるよ。いつか、この店を王都で一番にするんだろ?)

(うん! 俺たちが一番だ! 俺の接客と、兄ちゃんの料理があれば無敵だよ!)


 無敵だと思っていた。

 この温かい場所が、永遠に続くと信じていた。

 明日も、明後日も、弟の「兄ちゃん」と呼ぶ声が聞こえるはずだった。


 ……あの日。雨の夜。

 仕入れの帰りに通った裏路地。

 エミルの背中。

 何もない空間から響いた、「カチ、カチ……」という硬質な音。

 そして。


「……ッ」


 ベルンは強く目蓋まぶたを閉じた。

 記憶の中の陽だまりが、鮮血と冷たい雨に塗り潰されていく。

 守れなかった。

 兄貴のくせに、一番大切な弟を、あの理不尽な暴力から守れなかった。


   +++


 ベルンが目を開けると、空はすでに茜色に染まりかけていた。

 下町の喧騒が遠くに聞こえる。

 誰もいない空き地で、38歳の男が一人、膝を抱えて座り込んでいる姿は、客観的に見れば滑稽かもしれない。


「……情けねえな。まだ、何も終わってないのに」


 ベルンは腕で乱暴に目元をぬぐった。

 泣いている暇があるなら剣を触れ。手がかりを探せ。

 そう自分を叱咤するが、鼻の奥がツンとして、涙が止まらない。


 その時だった。

 背後の、崩れかけた塀の陰から、カサッ……と何かが動く音がした。

 野良猫ではない。もっと質量の重い、人間が衣擦れを起こす音だ。


「……団長。そこにいるのは分かってますよ」


 ベルンは振り返らずに言った。

 元々、気配には気づいていた。

 下町の雑踏の中で、あんなに上等な生地のマントを着た人間がいれば目立つ。しかも、隠れ方が壊滅的に下手だった。

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