第5話 補佐官
翌朝、王立騎士団の本部広場は、異様な静寂と、それに続く爆発的なざわめきに包まれていた。
朝礼のために整列していた数百の騎士たちの視線が、演台に立つ一人の男に釘付けになっている。
「……本日の伝達事項は以上だ。各班、速やかに任務に就け」
壇上で淡々と指示を出すのは、第零班の班長、クラウス・フェン・アルゼインだ。
だが、その姿は昨日までの彼とはまるで別人だった。
まず、肌が違う。
病的なまでに白く、透き通るようだった肌は、内側から発光するような真珠のような艶を帯びている。
常に目の下を支配していた濃い紫色の隈は跡形もなく消え去り、宝石のような青い瞳が、朝日に照らされてキラキラと輝いているではないか。
銀色の髪は、最高級の絹糸のようにサラサラと風に靡いている。
美しい。
悔しいが、神々しいほどに美しい。
いつもの「触れれば斬られる」ような殺気はなく、今の彼は「触れれば浄化される」ような聖騎士のオーラを放っていた。
「お、おい……あれ誰だ? 俺たちの知ってる死神団長か?」
「肌ツヤが良すぎて直視できねえ……何があったんだ?」
第零班の列に並ぶギルバートが、隣の男の脇腹を小突いた。
「なぁベルンさん。昨日、団長に何したんすか? 若返りの秘薬でも飲ませたとか?」
小突かれたベルンは、げっそりと頬がこけ、死んだ魚のような目をしていた。
「……そんなものがあったら、私が飲んでますよ」
ベルンは肩を回し、ポキポキと音を鳴らした。
昨晩、ソファで太ももを枕にされ、さらに足を抱き枕としてホールドされたまま朝を迎えたのだ。
三十八歳の体はバキバキである。
対して、ベルンの精気を吸い尽くしたクラウスは、人生で最高とも言えるコンディションで朝礼に臨んでいるわけだ。
演台から降りてきたクラウスが、第零班の前で足を止めた。
その表情は、不機嫌ではない。むしろ、上機嫌すぎて逆に怖い。
「おはよう、諸君。今日の私はなぜか気分がいい」
クラウスが口角をわずかに上げると、周囲の女子騎士たちが「ひゃっ」と黄色い悲鳴を上げて貧血を起こし倒れそうになった。
「貴様らの無能な報告書も、今日は特別に3行までは読んでやる。……励めよ」
マントを翻し、颯爽と執務室へ向かうクラウス。
その後ろ姿を見送りながら、ベルンは深いため息をついた。
「……元気そうで何よりです」
+++
昼休み。
第零班の執務室の奥にある給湯室から、トントントン、と軽快な音が響いていた。
ベルンがまな板の上で、厚切りのベーコンとレタスを刻んでいる音だ。
騎士団の食堂は味が濃く、値段も高い。
元料理人のベルンにとって、自炊は節約であり、精神統一の時間でもあった。
魔導コンロ『イグニス・ポット』の上で、フライパンがジュウジュウと音を立てる。ベーコンの脂が跳ね、香ばしい匂いが立ち上る。
軽く炙ったパンに粒マスタードを塗り、たっぷりの野菜とベーコン、そして半熟の目玉焼きを挟み込む。
特製BLTエッグサンドの完成だ。
「よし。……さて、食べるか」
ベルンが皿を持って執務室の自分のデスクに戻ろうとした、その時だった。
「…………」
執務机の陰から、じっとこちらを見つめる視線があった。
クラウスだ。
書類仕事をしているフリをしているが、その青い瞳は明らかにベルンの手元――正確には、湯気を立てるサンドイッチ――に釘付けになっている。
羽ペンを持つ手が止まっているし、喉がゴクリと動くのが見えた。
(……分かりやすいな、この人)
昨夜のスープで味を占めたのだろう。
だが、プライドの高い騎士団長様は「一口くれ」とは死んでも言わない。
ベルンは心の中で苦笑しつつ、わざとらしく皿を掲げてみせた。
「団長。昼食はまだですか?」
「……フン。私は完全栄養食があるから必要ない。……だが」
クラウスは椅子に深く座り直し、組んだ脚の上で指をトントンと動かした。
「貴様が持っているその物体。……見たところ、パンのようだが、中に何が入っているか分からんな。保存状態の悪い肉や、未知の毒草が混入している可能性も否定できない」
「はあ」
「万が一、部下が食中毒で倒れれば業務に支障が出る。……仕方ない。私が安全性の確認をしてやろう」
回りくどい。
要するに「食べたい」ということだ。
ベルンは皿に乗っていた二切れのサンドイッチを、そのままクラウスのデスクに置いた。
「どうぞ。全部差し上げます」
「……む? 全部だと? 貴様の分はどうするんだ」
「まだ食材は余っていますから。すぐに作り直します」
ベルンが給湯室の方を親指で指すと、山盛りのレタスとベーコンのブロックが見えた。
それを見たクラウスは、ぱあっと表情を輝かせた――ように見えたが、すぐに咳払いをして誤魔化した。
「……そうか。ならば遠慮なく食べてやる。これはあくまで『検査』だからな」
クラウスは優雅な手つきでサンドイッチを掴むと、大きな口を開けてかぶりついた。
サクッ、というパンの音。
とろりと溢れる卵の黄身。
クラウスの目が大きく見開かれる。
「……んッ」
もぐもぐと咀嚼する頬が、リスのように膨らむ。
美味しい、とは言わない。
だが、その食べるスピードが異常だった。
一口食べた次の瞬間には、もう二口目が口の中に消えている。
あっという間に一切れを平らげ、指についたソースを舐め取り、すぐさま二切れ目に手を伸ばす。
(……そんなに急いで食べたら、のどに詰まらせないか心配だ)
ベルンは再び給湯室に戻り、自分の分のパンを焼き始めた。
背後から、「検査結果は……良好だ。明日も検体を持ってこい」という上機嫌な声が聞こえてきた。
+++
午後一番。
満腹になり、少し眠そうなクラウスから呼び出しがかかった。
「ベルン二等兵。これを受け取れ」
投げ渡されたのは、一枚の羊皮紙だった。
そこには、王立騎士団の紋章と共に、驚くべき辞令が記されていた。
『第零班・団長付き特別補佐官』
「……あの、団長。これは?」
「読めないのか? 昇進だ。貴様を私の専属補佐に任命する」
執務室にいたギルバートたちが「ええっ!?」と声を上げた。
入団して一週間、しかも三十八歳の新人が、団長直属の補佐官になるなど前代未聞だ。
「補佐官と言っても、戦場での指揮権は与えん。貴様の仕事は、私のスケジュール管理、書類の整理、身の回りの世話……」
そこでクラウスは言葉を切り、少し顔を背けて小声で付け加えた。
「……および、夜間の安眠警護だ」
「……はい?」
「私の不眠症治療には、貴様の……その、成分が必要だと判明した。これは医療行為に準ずる任務だ」
クラウスは耳を赤くしながらも、強引に言い切った。
「拒否権はない。貴様の仇とやらの件、私が個人的に調べてやってもいいぞ」
「……ッ」
その言葉を出されては、ベルンに断る理由はなかった。
魔獣の情報、そして黒幕への手がかり。団長の権限があれば、アクセスできる情報は格段に増える。
ベルンは居住まいを正し、敬礼した。
「……了解いたしました。微力ながら、団長のお役に立ちます」
「うむ。……あと、夕食のメニューの決裁権も貴様に委譲する」
「そっちが本音じゃありませんか?」
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ベルンが夕食の買い出しのために執務室を出ていくと、クラウスの纏う空気が一変した。
「……ギルバート一等兵」
「はいっ、団長!」
先ほどまでの甘えた態度は鳴りを潜め、氷の処刑人の冷徹な瞳がギルバートを射抜く。
「王都内で起きた不審火、および『見えない何か』による不審死の記録をすべて洗い出せ。警察がもみ消した事案も含めてだ」
「えっ、それって……さっきの、ベルンさんの弟さんの件ですか?」
「第零班の最優先任務とする。他部署には絶対に悟られるな。……私の専属補佐官を、泣き寝入りさせたままにはしておかん」
「了解っす! 速攻で裏取ってきます!」
ギルバートはいつにない真剣な顔で敬礼し、足早に情報収集へと飛び出していった。




