表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38歳の新人衛兵、不眠症の年下騎士団長に「抱き枕」として徴用される  作者: 団田図


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/25

第17話 氷の城の食卓

 王都の高級住宅街、第一地区。

 重厚な鉄柵の門が開き、王立騎士団の紋章が入った馬車が滑り込む。

 車輪が砂利を踏む音だけが、静寂に包まれた夜の庭園に響いた。


「……団長。本気ですか」

「二度は言わん。降りろ」


 馬車から降りたベルン・ガーランドは、目の前にそびえ立つ豪邸を見上げ、深いため息をついた。

 そこは「家」というよりは「城」だった。

 冷たい石造りの外壁、一切の装飾を削ぎ落とした鋭角的なデザイン。窓からは明かりが一つも漏れていない。

 まるで、主人の心を具現化したような、拒絶と孤独の要塞。


 騎士団長兼第零班(ゼロ)班長、クラウス・フェン・アルゼインの私邸である。


「貴様は負傷者だ。そして、私の部下の血を舐めた魔獣が、その味を覚えて追ってくる可能性はゼロではない」


 クラウスはマントを翻し、玄関の鍵を開けながらもっともらしい顔で言った。


「よって、完治するまでは私の監視下に置く。……これは護衛任務の一環だ。拒否権はない」

「……はいはい。お邪魔しますよ」


 ベルンは諦めて、吊っている左腕をかばいながら敷居をまたいだ。

 建前は護衛だが、本音は「怪我をしたベルンが目の届かない場所にいると不安で眠れない」という一点に尽きるだろう。

 この不器用な上司の思考回路は、もう手に取るように分かってしまう。


   +++


 通されたリビングは、予想通りというべきか、想像以上というべきか。

 広大な空間には、最低限のソファとテーブル、そして壁一面の本棚があるだけだった。

 床には埃一つないが、生活の匂いもしない。

 まるで家具屋の展示場が、閉店後にそのまま廃墟になったような寒々しさだ。


「……殺風景ですね。引っ越してきたばかりですか?」

「いや、住んで四年になる」

「四年!? 泥棒が入っても盗むものがなくて泣いて帰りますよ、これ」


 ベルンが呆れて周囲を見回すと、クラウスは不満げに眉を寄せた。


「必要なものは揃っている。寝る場所と、書斎と、風呂だ。……それ以外に何が要る」

「『生活』ですかね。温かみとか、彩りとか……」


 ベルンはキッチンへと歩み寄った。

 大世帯用の魔導コンロに、広々としたシンク。設備は一流だが、シンクは乾ききっており、一度も水が流された形跡がない。

 そして、巨大な冷蔵庫。


「失礼しますよ」


 勝手に扉を開ける。

 庫内灯が冷たく照らし出したのは、整然と並べられた紫色のパックの列だった。

 上段から下段まで、すべて『完全栄養食・バイオレット』。


「…………」


 ベルンはそっと扉を閉めた。見なかったことにしたかったが、現実は無情だ。


「団長。貴方はあれですね、光合成でもする植物のように偏ってますね」

「……効率的だと言え。食事に時間を割くのは無駄だ」

「味気ない人生ですねえ。……よくもまあ、こんな食生活であんなに我儘わがままな舌に育ったもんだ」


 ベルンは苦笑し、持参した荷物袋を開けた。

 中には、市場での襲撃前に購入し、泥まみれになった後にベルンが執念で回収した「銅のレードル」が入っている。

 そして、途中で買い直した最低限の食材。


「腹、減ってるんでしょう? 何か作りますよ」

「……腕は大丈夫なのか」

「片手でもできる料理にします。……それに、この家のキッチンにも、そろそろ仕事を与えてやらないと可哀想だ」


 ベルンがエプロン(これも持参だ)を片手で器用に締めると、クラウスはソファに座ることもせず、キッチンの入り口でじっとその背中を見つめ始めた。


   +++


 カチャ、カチャ。

 静寂だった「城」に、初めて調理の音が響く。

 ベルンは片手で玉ねぎを刻み、鍋にバターを落とした。

 ジュワァ……という音と共に、芳醇ほうじゅんな香りが立ち上り、冷え切っていた空気を黄金色に染めていく。


「……いい匂いだ」


 背後でクラウスが呟いた。

 ベルンは米を透き通るまで炒め、そこにスープを少しずつ加えていく。

 今日は「キノコとチーズのクリームリゾット」。

 スプーン一本で食べられ、消化にも良く、何より心身を温めるメニューだ。


「手伝うことはあるか」

「ありません」

「だが、貴様は負傷者だ。私が……」

「団長。以前、ゆで卵を作ろうとして鍋を爆発させたのを忘れましたか? 貴方がキッチンに入ると、リゾットが炭や蒸気になります。座っていてください」


 ピシャリと言い放つと、クラウスは不貞腐ふてくされて椅子に座った。

 だが、その視線はずっとベルンの手元――正確には、鍋の中を回る動き――を追っている。


「……その杓子しゃくし

「ん?」

「私が買ったものだ。所有権は私にある」

「ええ、存じてますよ」

「だから……それで作られる料理も、全て私のものだ」


 遠回しで、独占欲に満ちた宣言。

 ベルンは鍋をかき混ぜながら、くすりと笑った。


「はいはい。全部貴方のものです、オーナー」


 十分後。

 湯気を立てる二つの皿がテーブルに並んだ。

 濃厚なチーズの香りと、キノコの旨味。

 一口食べたクラウスの瞳が、パァッと輝く。

 先ほどまでの不機嫌さはどこへやら、彼は夢中でスプーンを動かし始めた。

 その光景を見ながら、ベルンはふと、昼間の出来事を切り出した。


「……団長。あの魔獣のことですが」

「ん……なんだ」

「妙だと思いませんか。透明魔獣ステルス・マンティスは本来、人里離れた森の奥に棲む魔獣です。警戒心が強く、あんな風に白昼堂々、街中で人を襲うなんて習性はない」


 ベルンの指摘に、クラウスの手が止まった。

 食事の快楽に緩んでいた表情が引き締まり、指揮官の顔に戻る。


「……ああ。私も同意見だ。奴らは本来、単独行動を好む。だが今回は群れで現れ、しかも市民を襲った。無差別なのか狙ってなのか」

「狙ってたとしたら、誰かに誘導されたか」


 ベルンが言葉を継ぐと、クラウスは沈黙した。

 その瞳には、認めたくない疑念と、冷徹な理性がせめぎ合っている。


「……誰かが意図的に魔獣を王都に招き入れたと? だが、そんなことが可能なのは、結界の管理権限を持つ上位の……」


 そこまで言って、クラウスは口を閉ざした。

 王都の結界管理。それは治安判事であるヴァルデングの管轄だ。

 だが、クラウスにとって彼は「父」であり「恩人」。疑うことすら不敬だと、無意識に思考をブロックしているのが分かる。


(……まだ、言えないな)


 ベルンは心の中で溜息をついた。

 あの時、現場に残っていた「腐った果実」のような甘ったるい悪臭。

 それは、舞踏会の夜にヴァルデングから漂っていた臭いと同じだった。

 だが、確証がないまま告げれば、クラウスを傷つけるだけだ。


「……まあ、野生の魔獣が餌を求めて迷い込んだだけかもしれません。野良にしては、出現場所が街中過ぎましたが」


 ベルンが話題を濁すと、クラウスは少し安堵したように息を吐き、再びリゾットに向き合った。


「……調査は続ける。私の街で、好き勝手はさせん」


 その横顔は凛々しいが、どこか危うい。

 ベルンは決意した。この人が真実に直面して砕け散る時、支えられるのは自分しかいないのだと。


   +++


 食後の片付けを終えたベルンは、リビングの一角にある飾り棚に目を留めた。

 殺風景な部屋の中で、そこだけが異質なほど豪華だった。

 飾られているのは、アンティークの置時計。

 精巧な細工が施された、一級品だ。


「……綺麗な時計ですね」

「ああ。私が騎士団長に就任した時、ヴァルデング様が贈ってくださったものだ。『時は公平だが、使い手を選ぶ』とな」


 風呂上がりで髪を拭きながら現れたクラウスが、誇らしげに言った。

 ベルンは何気なく、その時計に近づいた。

 そして、鼻をひくつかせた。


(……ッ!?)


 心臓が跳ねた。

 その時計から、微かに――だが確実に、あの臭いがしたのだ。

 高級な木材の香りに混じって漂う、鉄錆と腐った果実の臭い。

 昼間の路地裏で嗅いだ、あの死臭。


「……どうかしたか?」

「い、いえ……。素晴らしい細工だなと」


 ベルンは咄嗟に作り笑いを浮かべ、一歩下がった。

 間違いない。

 この家の中にも、あの男の影が入り込んでいる。

 クラウスが最も信頼し、大切にしているこの贈り物が、実は彼を縛り付ける呪いのように見えて、ベルンは背筋が寒くなった。


「……ベルン?」


 不審に思ったのか、クラウスが覗き込んでくる。

 風呂上がりの彼は、濡れた銀髪を下ろし、いつもの軍服ではなくラフな寝間着姿だ。

 その姿はあまりに無防備で、あどけない。

 この無垢な忠誠心を利用している者がいるとしたら――。


「……なんでもありませんよ。さあ、髪を乾かさないと風邪を引きます」


 ベルンは暗い感情を腹の底に押し込め、努めて明るく振る舞った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ