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38歳の新人衛兵、不眠症の年下騎士団長に「抱き枕」として徴用される  作者: 団田図


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第15話 市場の襲撃

 王都グラン・アヴェルラの下町エリアは、夕刻の活気に包まれていた。

 あちこちの店先から威勢のいい呼び込みの声が響き、夕食の支度をする匂いが漂い始めている。

 そんな庶民的な雑踏の中を、明らかに場違いな二人組が歩いていた。


「……団長。これ、本当に『視察』なんですか?」


 ため息交じりに尋ねたのは、両手にずっしりと重い買い物袋を提げたベルンだ。

 袋からは立派な大根の葉と、長ネギの青い部分が元気に飛び出している。


「当然だ。市民生活の安寧を確認するのも騎士の務めだ」


 前を歩くクラウス・フェン・アルゼインは、純白のマントを優雅に翻しながら答えた。

 その顔は涼しげだが、やっていることは完全に「補佐官の買い物への付き添い」である。

 周囲の主婦たちからは、「あら、騎士様がお買い物?」「新婚さんみたいねえ」などと、的外れかつ微笑ましい視線を向けられていた。


「……それに、貴様の作るスープの在庫が切れかけているだろう。兵站へいたんの確保は指揮官の最優先事項だ」

「はいはい。今日のカブは良さそうですよ」


 ベルンは苦笑した。

 この上司は、自分が行動したいことを遠回しに「任務」と言う癖がある。

 だが、その横顔は執務室にいる時よりもずっと柔らかく、年相応の青年のように見えた。


 ふと、一軒の金物屋の前でベルンの足が止まった。

 店頭に並べられた調理器具の数々。

 その中に、鈍い輝きを放つ銅製のレードル(お玉)があった。

 鍛冶職人が手打ちした一点物だ。柄のカーブが絶妙で、使い込めば手に馴染むだろう。


(……いい仕事をしてるな。あれでスープを掬えば、冷めにくくて香りも立つだろうに)


 ベルンは元料理人のさがで、そのレードルを食い入るように見つめてしまった。

 だが、今の自分は薄給の二等兵。あのクラスの道具は高嶺の花だ。

 ベルンは名残惜しそうに視線を外し、歩き出そうとした。


「……おい、店主」


 不意に、クラウスの声が響いた。

 彼は金物屋の店主に、懐から取り出した金貨を放り投げた。


「あの銅の杓子しゃくしを包め。釣りはいらん」

「えっ、団長!?」

「まいどどうも! ありがとうございやす!」


 店主が慌ててレードルを最高級の紙で包む。

 クラウスはそれを受け取ると、無造作にベルンの買い物袋に突っ込んだ。

 大根とネギの間に、ピカピカの銅製レードルが鎮座する。


「……い、いいんですか? これ、私の給料三ヶ月分はしますよ」

「勘違いするな。貴様へのプレゼントではない」


 クラウスはふいと顔を背け、少し早口で言った。


「私のスープを作るための『装備品』への投資だ。……大賢者、杖を選ばずと言うが、道具が悪ければ味も落ちる。貴様の腕に見合う道具を使え」

「……はは。厳しい出資者ですね」


 ベルンは破顔した。

 素直じゃない。だが、その不器用な優しさが、胸の奥をじんわりと温める。


(……大事に使わせてもらいますよ、ボス)


 二人は並んで歩き出した。

 平和な夕暮れ。

 この穏やかな時間が、ずっと続けばいい。

 そう思った、その時だった。


 フワッ……。


 風に乗って、奇妙な匂いが鼻を掠めた。

 下町の生活臭ではない。

 もっと甘ったるく、粘着質な……熟れすぎて腐り落ちた果実のような匂い。


(……なんだ、この臭いは?)


 ベルンは眉をひそめた。

 記憶にある。

 つい先日、舞踏会のバルコニーで、ヴァルデング判事と握手した時に感じた、あの微かな違和感と同じ臭いだ。


「カチ、カチ……」


 次の瞬間。

 雑踏の喧騒の裏で、硬質な音が響いた。

 誰かが石を打ち合わせているような、巨大な昆虫が顎を鳴らすような音。


 ベルンの全身の血が凍りついた。

 半年前。雨の夜。

 弟のエミルが殺された時に聞いた、あの音。


「――ッ!!」


 ベルンの「観察眼」が、広場の中心にある噴水付近の空間の「歪み」を捉えた。

 そこには誰もいないはずなのに、水しぶきが不自然に弾かれている。


「みんな!! 伏せろ!!」

「なっ……!?」


 ベルンは買い物袋を放り投げ、叫んだ。

 だが、遅かった。

 通行人の男性が、見えない刃に切り裂かれ、突如として鮮血が噴き出した。


「ギャアアアアッ!!」


 通行人は、血飛沫を上げて倒れる。

 悲鳴。パニック。逃げ惑う人々。

 平和な市場は一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。


「……透明魔獣ステルス・マンティスか!?」


 クラウスが瞬時に抜刀する。

 だが、敵の姿は見えない。

 逃げ遅れた子供が一人、へたり込んでいるのが見えた。

 その直前、空気が揺らぐ。

 死神の鎌が、子供の首を狙って振り下ろされようとしていた。


「――させねえッ!!」


 ベルンは考えるよりも先に体が動いていた。

 全速力で駆け出し、子供を抱きかかえて地面に転がる。

 その背後を、見えない刃が通過した。


 ザシュッ!!


「ぐっ……!!」


 鈍い音と共に、ベルンの左腕に灼熱の痛みが走った。

 軍服の袖が裂け、鮮血が舞う。


「ベルンッ!!」


 クラウスの悲鳴に近い絶叫が響いた。

 倒れ込んだベルンの腕から流れる血が、石畳を赤く染めていく。

 ベルンは歯を食いしばり、腕を押さえて立ち上がろうとした。


「大丈夫です……浅い……!」


 嘘だった。傷は深く、骨まで達しているかもしれない。

 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。


「貴様ァッ……!!」


 クラウスの青い瞳が、怒りで真っ赤に染まっていた。

 彼はベルンを傷つけた「空間」を睨みつけた。

 そこには、何もいないように見える。

 だが――。


「……見つけたぞ、下郎」


 クラウスが低く唸った。

 空中に、赤い液体が浮いている。

 ベルンの血だ。

 透明な魔獣の爪に付着した血が、敵の居場所を如実に示していた。

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