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38歳の新人衛兵、不眠症の年下騎士団長に「抱き枕」として徴用される  作者: 団田図


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第14話 雷鳴の夜

 その夜のことだった。

 王都の空が急に暗転し、激しい雷雨が襲いかかったのは。


 ベルンは残業で執務室に残っていた。

 ソファでは、クラウスが泥のように眠っていた。

 あまりに深く眠っているので、着替えさせるのも忍びなく、靴だけ脱がせて毛布を掛けておいたのだ。


 ドォォォオオオン!!


 窓の外で、一際大きな雷が炸裂した。

 建物全体が揺れるほどの衝撃。

 同時に、執務室の魔石灯がフツリと消え、辺りは闇に包まれた。


「――ッ!?」


 ソファから、布が擦れる激しい音がした。

 ベルンが振り返ると、暗闇の中でクラウスが跳ね起きていた。


「いやだ……来ないでくれ……ごめんなさい、先生……ッ!」

「団長?」


 雷光が一瞬だけ室内を照らし出した。

 そこにいたのは、冷静沈着な指揮官ではなかった。

 ソファの隅に小さく丸まり、頭を抱えてガタガタと震える、一人の怯えた青年だった。


「……あ、あ……閉じ込めないで……暗い、怖い……」


 錯乱している。

 目は見開かれているが、焦点が合っていない。

 過呼吸のような浅い呼吸。


(……トラウマか)


 ベルンは瞬時に悟った。

 雷鳴と暗闇。それが引き金となって、幼少期の記憶――おそらく、躾と称した虐待の記憶がフラッシュバックしているのだ。

 普段の「氷の処刑人」という仮面が剥がれ落ち、傷ついた素顔が露呈している。


「団長、落ち着いてください。私がいます」


 ベルンは駆け寄り、声をかけた。

 だが、クラウスの耳には届いていない。彼はパニック状態で、近づくベルンを手で払いのけようとした。


「来ないで! 叩かないで……!」

「クラウス!」


 ベルンは強く名前を呼んだ。

 上官への敬称ではなく、一人の人間としての名を。

 そして、暴れるクラウスの両手首を掴むのではなく、その震える両手を、自分の大きな掌で優しく包み込んだ。


 温かく、分厚く、タコだらけの料理人の手。

 それが、クラウスの冷え切った手をサンドイッチにする。


「……ひっ」

「見ろ。こっちを見ろ」


 ベルンは、クラウスの視線を自分に向けさせた。

 再び雷光が走る。

 そこにいるのは、恐ろしい父親でも、躾に厳しい家庭教師でもない。

 心配そうに眉を下げた、とぼけた顔の中年男だ。


「……べ、るン……?」

「そうだ。ベルンだ。お前の部下で、お前の飯係だ」


 ベルンは片手でクラウスの手を握ったまま、もう片方の手で、彼の背中を叩き始めた。

 トントン、トントン。

 心臓の鼓動よりも少しゆっくりとした、一定のリズム。

 昔、夜泣きする弟のエミルを寝かしつけた時のリズムだ。


「息を吸え。……そうだ。ゆっくり吐け」


 ベルンの低い声が、雷鳴の合間に響く。

 背中を叩く振動が、暴走するクラウスの心臓を、強制的に落ち着かせていく。


「怖いものは何もない。雷も、幽霊も、過去の亡霊もだ」


 ベルンは力強く言った。

 その時、咄嗟に口をついて出たのは、部下としての「私」ではなかった。


「大丈夫だ。《《俺》》がここにいる」


 俺。

 それは庇護者ひごしゃとしての、心が繋がった兄弟としての宣言だった。

 その言葉は、どんな気休めよりも深く、クラウスの心の深淵に届いた。


「……俺が……いる……?」

「ああ。朝まで離れない。だから、安心しろ」


 クラウスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 彼はベルンの手を握り返してきた。

 痛いほど強く。すがるように。


「……行かないでよ……」

「ああ、行かないさ」


 二人は暗闇の中、ソファに座り込んだまま寄り添った。

 外では嵐が吹き荒れているが、ベルンの腕の中だけは、静寂で温かいシェルターだった。

 ベルンの体温。匂い。そして、背中をトントンと叩く一定のリズム。

 クラウスの意識は、恐怖から安堵へと切り替わり、やがて深い安息の眠りへと落ちていった。


   +++


 翌朝。

 嵐は嘘のように去り、窓からは眩しい朝日が差し込んでいた。


「……ん……」


 クラウスは目を覚ました。

 体が重い。だが、不快な重さではない。

 温かい毛布と、何より――背中にある巨大な熱源のせいだ。


 状況を確認する。

 自分はソファに座っている。

 隣にはベルンが座り、自分の肩を抱くようにして眠っている。

 そして自分の両手は、ベルンの左手からの熱(安心)をむさぼるように握りしめている。


「…………ッ!!」


 記憶が、雪崩のように蘇った。

 雷。パニック。号泣。

 そして、「俺がここにいる」という甘い囁きに縋り付いて眠ったこと。


 ボッ!

 と音がする勢いで、クラウスの顔が沸騰した。


「~~ッ!!」


 クラウスはバネ仕掛けのように飛び起きた。

 その勢いでベルンも目を覚ます。


「……ん、あ? おはようございます、団長……」

「お、おお、おはようではない! 貴様、いつまで私の横で寝ている! 仕事の時間だぞ!」


 クラウスは乱暴に手を振り払った。

 だが、その顔は真っ赤で、耳まで茹で上がっている。

 昨夜の幼児退行ぶりを思い出せば、羞恥で死にたくなるのも無理はない。


「……あれは、その……不可抗力だ! 嵐の気圧変化による一時的な自律神経の乱れで……!」

「はい、分かっておりますとも」


 ベルンは何も追求せず、ただ穏やかに微笑んだ。

 その大人の対応が、逆にクラウスのプライドを刺激する。

 クラウスは咳払いをし、必死に「氷の処刑人」の仮面を被り直そうとした。


 執務室を出る間際、クラウスは足を止めた。

 ベルンの方を振り返らず、背中を向けたまま、ボソリと言った。


「……昨夜のことは忘れろ。記憶から消去しろ。これは命令だ」

「了解しました。団長。きれいさっぱり忘れましょう。」


 ベルンの返事に、クラウスは一瞬だけ肩を揺らした。

 そして、逃げるように部屋を出て行った。

 バタン、と扉が閉まる。


 残されたベルンは、やれやれと肩を回し、ポキポキと音を鳴らした。

 変な体勢で寝たせいで体はバキバキだが、心は不思議と晴れやかだった。

 そして、自分の左手を見つめる。

 そこには、クラウスが強く握りしめていた跡が、赤く残っていた。


「……素直じゃないねえ」


 ベルンはニヤリと笑った。


「ま、これだけの重労働だ。……今月は特別手当(何かいいこと)を期待していますよ、団長」


 ベルンは給湯室へと向かった。

 遠征から帰ってきたばかりの彼には、栄養たっぷりの朝食が必要だ。

 包丁を握るベルンの背中は、昨日までの「一人分」の寂しさを振り払い、活気に満ちていた。

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