第1話 38歳の新人と氷の処刑人
王都グラン・アヴェルラの空は、今日も泣き出しそうな灰色だった。
共同墓地の外れ。真新しい墓石の前で、ベルン・ガーランドは静かに膝をついていた。
墓石には、『エミル・ガーランド 享年24』と刻まれている。
「……エミル。俺はもう、フライパンは握らない」
ベルンは小ぶりな花束を供えた。
かつて二人で切り盛りしていた食堂『陽だまり亭』。そこはもうない。弟の命と共に、不審火によって燃え落ちたからだ。
瞼を閉じれば、あの夜の光景が焼き付いている。
暗い路地裏。何もない空間から響いた、「カチ、カチ……」という硬質な音。
そして、突如として虚空から噴き出した弟の鮮血。
見えない何か。透明な悪魔。
だが、警察はベルンの証言を「ショックによる幻覚」と断定し、捜査を打ち切った。王都の結界内に魔獣などいるはずがない、と。
嘘だ。あれは通り魔などではない。
弟を殺し、店を焼き払い、真実を闇に葬った「何か」がいる。
「お前を殺した『透明な悪魔』を、必ずこの手で見つけ出す」
ベルンは立ち上がった。
その掌には、長年包丁を握り続けてできたタコの上に、新しく、剣による無骨なマメがいくつも重なっていた。
38歳。世間では「オッサン」と呼ばれる年齢だ。
それでも、ベルンは死に物狂いで剣を振るった。すべては、王立騎士団に入り、法が裁かぬ悪を討つために。
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王立騎士団の本部は、王都の中央に聳え立つ堅牢な城塞の中にあった。
磨き上げられた鎧を纏った若い騎士たちが、闊歩している。彼らの瞳には希望と野心が宿り、その肌は張りがあって眩しい。
対して、ベルンが支給されたのは、サイズの合わない草臥れた軍服と、刃こぼれを研ぎ直しただけの量産品の剣だった。
「ベルン・ガーランド二等兵……38歳?」
受付の若い騎士が、書類とベルンの顔を交互に見比べ、眉をひそめた。
まるで、迷い込んできた野良犬を見るような目だった。
「よく入団試験を通りましたね。……まあ、実技はギリギリだったようですが」
「……配属先は、どこでしょうか」
ベルンは卑屈な笑みを浮かべず、静かに問うた。
かつての愛想の良い店主の顔は、もうない。
受付の騎士は、鼻で笑って書類にスタンプを押した。
「第零班……ああ、団長肝入りで試験的に作られた『改革班』ですね。(小声で)まあ、実態は団長の道楽に付き合わされる何でも屋ですが……ご愁傷様です」
その名を聞いた周囲の騎士たちが、一斉にクスクスと笑い声を漏らす。
「おい、あそこだぞ」「墓場行きか」「あのオッサン、腰抜かすんじゃねえか?」「『氷の処刑人』だろ? 三日で逃げ出すに賭けるぜ」
嘲笑の雨を浴びながら、ベルンは一礼して歩き出した。
どんな場所でも構わない。魔獣の情報に近づけるなら、そこが地獄でも。
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地下へと続く階段は、降りるごとに空気が冷え込み、湿り気を帯びていった。
突き当たりにある重厚な扉。
『第零班』と書かれたプレートは薄汚れている。
ベルンは一つ深呼吸をして、ノックをした。返事はない。
意を決して扉を開けると、そこは書類の山に埋もれた薄暗い空間だった。
「……本日付で配属されました、ベルン・ガーランド二等兵です」
敬礼するベルンの視線の先、部屋の最奥にある執務机に、一人の青年が座っていた。
窓のない部屋を照らすのは、机上の魔石ランプの青白い光だけ。
その光の中に浮かび上がる青年の姿に、ベルンは息を呑んだ。
銀色の髪。陶器のように白く滑らかな肌。そして、氷細工のように整った冷徹な美貌。
だが、その青い瞳の下には、病的なほど濃い隈が刻まれている。
手には、見るからに味気なさそうなゼリー状の『完全栄養食』のパックが握られていた。
第零班・班長。クラウス・フェン・アルゼイン。
若干22歳にして騎士団長を務める剣の天才。そして、冷酷無比な任務遂行ぶりから『氷の処刑人』と恐れられる男。
クラウスは書類から目を離さず、冷たい声で言った。
「元・料理人だと?」
室温が数度下がったような錯覚を覚える声だった。
「騎士団はいつから、炊き出し係を募集したんだ。……人事局の嫌がらせか」
「……炊き出し係ではありません。魔獣討伐のために参りました」
「ほう」
クラウスが初めて顔を上げ、ベルンを見た。
その瞳には、感情のかけらもなかった。ただ、無価値なゴミを見るような、底冷えする視線。
「38歳の新人。剣術の成績は下の中。体力測定は中の下。……貴様のような熟れすぎたジャガイモに用はない」
クラウスは立ち上がった。細身だが、張り詰めたピアノ線のような鋭い威圧感がある。
「私はこの腐った騎士団を変えたい。階級章だけでふんぞり返る無能どもではなく、本当に戦える集団を作る。第零班はそのための実験場だ。討伐ごっこがしたいなら他所へ行け。ここはお遊びの場所じゃない。私の視界に入るな」
「帰りません」
ベルンの言葉に、クラウスの眉がぴくりと動く。
ベルンは、入団までの半年の地獄を思い出しながら、真っ直ぐに上司を見返した。
「私は、ここに必要とされて来たわけではないことは分かっています。ですが、弟の仇を討つまでは、ここを動きません」
「仇だと? ……口だけは達者だな」
クラウスは鼻で笑うと、壁にかかっていた訓練用の木剣を手に取り、ベルンに投げつけた。
「いいだろう。今日の訓練で生き残れたら、武器整備係くらいにはしてやる。……ついて来い、オッサン」




