7話 吹雪
夕方、人気のない境内。歌雁は鳥居を見上げて昔のことを思い出していた。
それは麗鷺がまだ小さい頃のこと。
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夕方の人気がない境内で、麗鷺はおもちゃのステッキを手にあちこち走って振り回して遊んでいた。
麗鷺は石の鳥居から伸びる影を見て立ち止まった。その影は鳥居の形だけでなく、その上に何かがいることが影の形から分かったからだ。
上を向いて鳥居を見上げると、そこにはワンピースを着た大人の女が座っているのが後ろから見えた。
「駄目だよ、そこに乗っちゃ」
麗鷺は声を張ってそう言ったが、女は聞く耳を持たず、どこかを眺めていた。
「乗っちゃ駄目、降りて来て」
麗鷺は前に回り込んで両手を振りながら声をかけると、女は麗鷺に気づいたようで下に目を遣った。
『わらわは良いのじゃ』
「駄目だよ、それは鳥居と言って大事なものだって」
『やかましいのう。ほれ』
麗鷺は体が宙に浮かび上がり、その妙な女の膝の上に飛ばされた。女は両腕を麗鷺の胴に回して抱きかかえた。麗鷺は最初は抵抗しようとしたが、抱き着かれれるとなぜかそうされるのが自然であるかのように気分が落ち着き、大人しく従った。
『どうじゃ?いい景色じゃろ?』
女は片腕を麗鷺から離して夕陽を指さした。
地平線の近くは橙色で、その少し上が金色で、その上は薄くくすんだ黒い青空が見えた。空にかかる雲は夕陽を受けた色の縁と、濃い灰色の影がかかり、ゆったりと流れていた。奥の山は逆光を受けて黒く見え、下に広がる街は建物の明かりや街灯や信号機の光、車のランプの光などで彩られていた。
「?」
『子供には退屈かえ?まあ良い、わらわはこれを見るのが好きじゃからそれで十分。美しいものは酔えて心地良いのう』
女はそれきり黙り、麗鷺を抱きかかえてぼんやりと眺めていた。
『麗鷺よ、歌は好きかの?』
「好き」
『それは良い。わらわも好きじゃ』
女は麗鷺をぎゅっと抱きしめた。
『古くから続く洗練されたものも良いが、新しい歌も新鮮で魅力的じゃ。どちらも良い。良いか?わらわは10曲に1曲良いものが聴ければそれで妥協しよう。無論、全曲素晴らしければそれに越したことは無いがの。しかしいつまでもまだ未完成だと聴けないのは駄目じゃ。そうなればもうこの地に用はない。ま、おぬしらがおる間はそんな心配は無さそうじゃがの』
女は麗鷺の頭を撫でて鳥居から浮かんでゆっくり降り、胴を両手で掴んで地面に降ろした。
『わらわの好きな場所じゃ。おぬしも気が向いたらそこから眺めるとよい。美しいものは何度も見たくなるものじゃ』
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その後、目を離した次の瞬間にはあの女の人は消えていた。祭神である邪馬依神だったのか、そう思わせようとした別の存在か、それともただの変な人だったのか。結局のところ分からずじまいだ。邪馬依神はこの地にやって来てその力で災害や災厄を抑え込んでおり、離れればまたこの地に災いが訪れると言われている。だから祭事では守ってくれている感謝を伝え、彼女の好きな歌と踊りを捧げて留まってもらう。
彼女は美を求める。美しいと思うのは快感の一種という説がある。何となく分かる。私は漫画が好きでよく読むが、雑誌で読むだけでなく単行本で読み返したくなるものには快感を求めていると思う。オチを知ってそれっきり満足ではなく、もう一度読み返したいと思うものには何らかの快感がある。恐怖からの安堵、かわいさや幸福感、爽快感、かけがえのなさ、その他諸々…。美しさをまた味わいたいというものもある。
美が快感の一つであるならば、私が読み返したい漫画は全て快感という共通点でまとめられ、何種類も分類分けが要らない一つの美しい式で表せる。美しいのはいいことだ。
うちの神社の祭神様は歌や踊りを求めるお方。美しい歌と踊りにするためには私たち自身が美しさを求め、確かな目を持たなければならない。美という快感に貪欲にならねばならない。
麗鷺は下を向いて箒で道を掃き終え、家に戻ると廊下で実奈萌に会った。
「麗鷺、ちょっといいかしら?」
「どうしたの?」
2人は部屋に入り、ストーブの前の椅子に座って話をした。
「雨乞いではなく雪乞いの依頼が来たのだけど、私と一緒に行きましょ?」
「雪?」
「ええ、雪が欲しいみたい」
数日後、麗鷺は実奈萌と一緒にスキー場へ向かっていた。登っていく道中のバスで並んで座り、話をしていた。
「麗鷺、迷うと危ないから一人で勝手にどこか行っちゃだめよ」
「分かってるって。私を何だと思ってるのさ」
「だっていつもフラフラといなくなっちゃうじゃない」
「ちゃんと戻ってるじゃん」
「冬の山で迷子になったら大変だわ」
「だから分かってるって。こんな寒い中うろつかないよ」
「ならいいけど…」
実奈萌は面倒見がいいけどちょっと口うるさい。出る前だって、忘れ物は無いかとか、明日はちゃんと起きるのよとか、電話番号覚えているかとか、言われなくても分かってるって。心配性なんだよ。私は一人で自由にしているのが好きであれこれ口出しされるのは好きじゃない。
静かな場所が好き同士、他人との勝ち負けに拘らない同士と気は合うのだけどね。口うるさいことを除けば。
そしてスキー場のセンターハウスに着き、中に入って依頼人と話をした。
依頼人は郡谷さんというお爺さんで、場所は雪が少ないスキー場。その地域は今冬は雪が少なく、スキー場がまだ開けないようだ。夏も解放しているスキー場もあるが、そこは冬の間しか開いておらず、従業員たちはオフシーズンは別の仕事をしているらしい。
冬の間しか稼働できないため、開場できる日数が減ればその影響は大きい。一年のうち数日減少ではなく、ワンシーズンのうち数日減少なのだから。農業やスキー場など、年に一度の稼ぐ機会が自然次第だからリスキーだ。
「ここ数年どんどん短くなって今年で閉鎖する。だが最後の一年、有終の美を飾りたい」
「今回上手く行ったら閉鎖はやめにしたりは…」
「いや、閉める。わしらもここの設備も歳だからな」
「そうですか…」
もし今年、私たちが雪を増やしたとして来年以降はどうするのか気になっていた。成程、閉鎖か…。そう思うと何だか寂しいな。
「麗鷺、やる気無くしてないかしら?」
実奈萌は心配そうに麗鷺を見た。
「どうして?これから閉まるから?」
しかし麗鷺はやる気を失うどころか気合が入っていた。
「人間はいずれ死ぬから頑張る意味なんてない…なんてこと無いと思うよ。いずれ卒業する学校も、いずれ食べられて消える料理もそう。私たちもどこかに嫁いであの家からいなくなるかもね。仕事の時だけ神社に来てさ。でも無くなるから頑張る意味がないなんてことはない。むしろ限られた時間をより充実させたくなる」
実奈萌は驚いた。麗鷺は思っていたよりもしっかりしていて、心配で自分が守らなければいけない存在と誤解していたと自覚した。
「実奈萌、外に出よう。思いっきり行くよ」
「ええ、やりましょ」
実奈萌と麗鷺は外に出て口ずさみ始め、手を振ると衣装が変わり、湖は凍り付いてスケート場となった。2人は歌いながら氷上を滑り始めた。
実奈萌と麗鷺の合唱により、透き通る氷のような雰囲気に呼応し、湖のみならず周囲の木や岩も氷に包まれていった。
2人は両手を伸ばし、左右から弧を描くように氷上を滑って互いに近づいた。近づくと2人並んでその場に留まりながら回転し、体を丸め、捻らせ、そして伸ばし、艶やかな花が咲くように舞った。するとその渦の上空に黒い雲が現れて広がっていき、雪がちらつき始めた。
クライマックス、2人は手を取り合って並んで滑り、手を離して回りながら飛び跳ねると雷が背後に落ち、辺りが吹雪始めた。そして2人は羽衣を纏って宙に浮き、球体のバリアで身を守りながら吹雪の中を歌い終えた。
そして建物の前に着地して衣装が元に戻り、すぐに中に入った。吹雪は消えずに続き、みるみるうちに雪が積もっていった。
「これなら十分行けそうね」
「上手く行ったね」
雪質はよく分からないけど、厚みが無いとどうにもならないからひとまずはこれでいいだろう。
「おお、これでスキー場が開ける!ありがとう!素晴らしい最後になりそうだ!」
「それは良かったです」
「応援していますわ」
その後、2人は名物の料理と飲み物を振舞われ、帰りのバスが来るまで個室の温かい部屋の中で、ソファに座って窓の外を静かに眺めて待った。外の雪は弱まり、雪化粧がされた景色が見えた。一面が白く染まり、色があるのは雪の合間に見える木の枝や常緑樹の葉くらいのもの。寂しくも美しい銀世界。
「麗鷺、ごめんなさい。私はどこかであなたを子供扱いしてたわ。なんだか危なっかしくて。今度からは控えるわ」
「私の方こそごめん。実奈萌に伝える努力が足りなかった。何か言い返されそうだと面倒がって伝えてこなかった」
「あはは…確かにあなたが言うように、言い返してたかもしれないわ。それじゃ言いにくいわよね」
2人は顔を合わせて微笑み、窓の外をぼんやりと眺めた。ストーブの音やその上の沸騰しているお湯の音、廊下のスタッフたちの話し声が微かに聞こえる静かな空間だった。2人は何かを喋るでもなく、その静寂と安心感に心地よく浸っていた。
そして雪は止み、帰りのバスがやってきた。
「お嬢ちゃんたちありがとな!」
「皆さんお元気で」
「頑張ってください」
「おう!」
2人は郡谷さん含むスタッフたちに見送られ、バスに乗って帰路に就いた。雪の降ったスキー場から離れていくと道路脇には厚い雪は見られなくなった。
山沿いの道を曲がりながら下る途中、窓からスキー場とセンターが見えた。
来年はもう無いんだな。あの銀世界をまた見たかったな。
そしてトンネルに入り、ガラスに自分の顔が薄っすら映り、外は見えなくなった。
麗鷺は目を閉じて椅子にもたれ、息をゆっくり吐いて眠りに落ちた。




