テスト後の休憩
「疲れた……疲れた……」
五時間目のテストが終わった瞬間、俺の体はスライムのように机に崩れ落ちた。
数学、英語、国語、理科、社会。一日で五教科全部とか、正気の沙汰じゃない。最後の社会なんて、途中から何を書いてるのか自分でも分からなくなった。
「そうだね〜、疲れたね〜」
不知火が俺の隣に来て、心配そうに覗き込んでいる。
「京極くん、大丈夫? 顔色悪いよ?」
「大丈夫じゃない……脳みそ溶けた……」
「ははっ、お前弱すぎだろ!」
一方、優作は自信満々な表情で胸を張っている。
「俺は余裕だったぜ! 満点間違いなし!」
「その自信はどこから来るんだよ……」
俺は呆れながら顔を上げる。
教室を見回すと、みんな疲れた顔をしている。ある者は机に突っ伏し、ある者はぼんやりと窓の外を眺めている。
その中で――一人だけ、異様に余裕のある人物がいた。
「それにしても、お前の妹さんは相変わらずの人気だな。それに、すごく余裕そうだし」
優作が視線を向けた先には、涼香がいた。
友人たちに囲まれて、優雅に微笑みながら談笑している。疲れた様子など微塵もない。背筋はピンと伸び、所作の一つ一つが品がある。まるでテストなど朝の準備運動程度だったかのような余裕ぶりだ。
……あいつ、昨日夜中まで配信してたよな?
確か、配信が終わったのは夜の十時過ぎだった。それから勉強したとしても、そんなに時間はなかったはずだ。しかも、配信中は「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」言いまくってたくせに。
どうなってるんだよ、あいつ。
「涼香さん、本当にすごいよね」
不知火が感心したように言う。
「勉強もできて、スポーツもできて、みんなから慕われて……完璧超人って感じ。それに、すごく上品で」
「……まあな」
俺は曖昧に答えた。
完璧超人。確かに、周りから見ればそうだろう。でも、俺は知っている。涼香の別の顔を。夜中にゲームをして、視聴者を笑わせて、時々ゲームオーバーになって悔しがる、普通の女の子の顔を。そして、俺への想いを配信中に隠さず言葉にする、ブラコンな妹の顔を。
「そういえば」
不知火が思い出したように言った。
「今日はもう終わりだけど、帰りにどこか行ったりする?」
「おっ! それじゃあファミレスにでも行かね?」
優作が即座に反応した。
「昼飯まだだし、腹減ってんだよ!」
「いいな、それ」
俺も頷く。テスト後にみんなでファミレス。定番だけど、悪くない。
「じゃあ決まりだね。三人で行こう」
不知火が嬉しそうに笑った。
俺たちはカバンを持って、教室を出ようとした。
その瞬間――。
視線を感じた。
振り向くと、涼香と目が合った。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ。
涼香は何か言いたげな表情をしていた。優雅な微笑みの裏に、どこか寂しそうな光が宿っている。でも、すぐに友人の方を向いて、完璧な笑顔を作った。
……気のせいか?
首を傾げながら、俺は教室を出た。
※ ※ ※
学校から歩いて十分ほどの場所にあるファミレス。放課後の時間帯だから、学生でそれなりに混んでいる。
俺たちは窓際の四人席に座った。俺と優作が向かい合って、不知火が俺の隣に座る。
「何食べよっか」
不知火がメニューを開く。俺と優作もそれに続いた。
ハンバーグ、パスタ、カレー、グラタン。どれも美味そうだ。テスト後の疲れた体には、ガッツリした食事が欲しい。
「じゃあ、俺はボロネーゼのパスタで」
「俺はカツカレー! 大盛りで!」
「私は……エビグラタンにしようかな」
注文をタブレットに入力する。数分で料理が来るだろう。
「っていうか、健星」
優作が急に真面目な顔で言った。
「お前、いいよな」
「……なんだよ、いきなり」
「だって、あんな可愛い妹さんがいてさ。羨ましいぜ、マジで!」
ああ、またこの話か。
俺はため息をついた。
「あのなあ……」
「いや、マジで! あんな美少女と一つ屋根の下で暮らせるんだぜ? 言うなれば、女優と暮らしてるようなもんじゃん!」
「お前、想像力豊かすぎだろ……」
優作の興奮ぶりに、俺は頭を抱える。
確かに、傍から見れば涼香は完璧超人で美人な妹だ。そう見られても仕方ない。
でも、当事者にしか分からない苦悩ってものがあるんだよ。部屋にカメラつけられてるとか。
「あのな、こっちも妹に色々言われたりして大変なんだぜ」
「京極くんの言う通りだよ」
不知火が優しくフォローしてくれる。
「男の子と女の子の兄妹って、色々と大変らしいよ。思春期だと特にね」
「でもよお!」
優作は諦めない。
「あんな美少女が家にいるってだけで、俺なら毎日幸せだぜ!」
「はいはい、分かったから……」
この話題、いつまで続くんだ。
そんな時、店員さんが料理を運んできた。
「お待たせしました。ボロネーゼのパスタ、カツカレー、エビグラタンです」
「ありがとうございます」
俺たちは料理を受け取って、「いただきます」と手を合わせた。
熱々のパスタにフォークを刺す。トマトソースとひき肉の香りが食欲をそそる。
「うまっ」
一口食べて、思わず声が出た。テスト後の疲れが、少しだけ和らぐ気がする。
「てか、話変わるけどさ」
優作がカレーを口に運びながら言った。
「昨日の『さすまた』の配信、なんか見やすくなってなかった? しかも、いつもより『お兄ちゃん』って言う回数増えてた気がする」
「……っ」
俺はフォークを止めた。
心臓がドクンと跳ねる。
「そう? どんな風に?」
不知火が首を傾げる。
「なんていうか、配信画面のレイアウトが整理されててさ。コメント欄も見やすくなったし、ゲーム画面も大きく表示されてて。あと、音質も良くなった気がする。それと、『お兄ちゃんならこうする』とか『お兄ちゃんと一緒にプレイしたい』とか、いつもよりブラコン全開だった」
全部、俺がやったことだ。そして、全部俺のことだ。
昨日の夜、涼香の配信の裏方をしながら、配線を整理して、画面レイアウトを調整して、音声レベルも細かくチェックした。涼香は俺が部屋にいることで、いつもより嬉しそうだった。
「へえ、そうなんだ」
不知火が興味深そうに言う。
「裏方でも雇ったのかな? 確か『さすまた』さんって、個人勢だよね? それに、お兄ちゃんって本当にいるのかな」
「だよな! 俺も裏方に回りてえ! それに、お兄ちゃんが本当にいるなら会ってみたい!」
優作が目を輝かせる。
「いや、無理だろ」
俺は平静を装って言った。
「あれ、色々とめんどくさいんだぞ。配線とか、音声調整とか、画面レイアウトとか……」
言いながら、昨日の作業を思い出す。涼香に指示されながら、あれこれ調整した時間。めんどくさかったけど、意外と楽しかった。涼香が俺を頼りにしてる感じが、悪くなかった。
「……なんでお前、そんなこと知ってんの?」
優作が不思議そうな顔で俺を見た。
しまった。
裏方の仕事なんて、当事者しか分からないことだ。
「え、いや、その……」
俺は言い訳を探す。頭がフル回転する。
「まあでも、私もテストが終わったら見てみるよ」
不知火がすかさずフォローを入れた。
「『さすまた』さんの配信、面白いって聞くし。京極くんのおすすめとか、教えてね」
「あ、ああ……」
助かった。
ナイス、不知火。
「絶対面白いから! 気になったら、いつでも聞いて!」
優作が熱く語り始める。
俺は内心でホッと息を吐きながら、再びパスタを食べ始めた。
そんな会話をしていた時だった。
ファミレスの入口から、チャリンとベルの音が鳴った。
それ自体は、何の変哲もない日常の音。
でも――。
店内の空気が、一瞬で変わった。
ざわざわとした話し声が、急に静まる。
何人かの視線が、一斉に入口の方を向く。
「……なんだ?」
優作が不思議そうに振り向いた。
俺も、釣られるように視線を向ける。
そして――固まった。
「な……!?」
思わず立ち上がりそうになる。
入口に立っていたのは――涼香だった。
数人の友人を連れて、涼香がそこにいた。
制服姿のまま。長い茶髪を風になびかせて。優雅な歩き方で、まるでお嬢様のように。周囲の視線を集めながら、堂々とした足取りで店内に入ってくる。
涼香の視線が――俺と合った。
一瞬、涼香の表情が柔らかくなった。いや、確実になった。
嬉しそうに、微笑んだ。
でも、すぐに友人の方を向いて、いつもの完璧な笑顔に戻る。
……なんで、あいつがこんなところに!?
心臓が早鐘を打つ。
涼香たちは、店員に案内されて、俺たちから少し離れた――でも、俺の視界に入る絶妙な位置の席に座った。四人席。涼香と、見覚えのある女子生徒たち。
「わあ、京極くんの妹さんだ」
不知火が小声で言った。
「偶然だね」
「偶然……かな」
俺は小さく呟いた。
偶然? 本当に?
涼香がこのファミレスに来るなんて、今まで一度もなかった。それなのに、よりによって今日。俺たちと同じ時間に。しかも、俺が見える位置に。
涼香は友人たちとメニューを見ながら、優雅に談笑している。上品な笑い方。丁寧な言葉遣い。完璧な優等生。
でも、時々――チラリと、こっちを見ている。確実に見ている。
「おいおい、マジかよ」
優作が興奮気味に言った。
「涼香さん、こんな近くにいるじゃん! ラッキー!」
「ラッキーって……お前な」
「いや、だってさ! あんな美少女が同じ店にいるんだぜ? これは神の采配だろ!」
「神関係ないから……」
俺はため息をついて、再びパスタに向き合った。
でも、フォークを口に運ぶ手が、微妙に震えている。
落ち着け。落ち着け。
涼香は友人たちと来ただけだ。俺たちとは関係ない。
……本当に?
もう一度、チラリと涼香の方を見る。
涼香は――こっちを見ていた。
目が合う。
涼香は、少しだけ困ったような、それでいて楽しそうな、そして少し寂しそうな表情をしていた。優等生の仮面の下に、本当の感情が透けて見える。
そして、優雅に、でも小さく手を振った。友人たちに気づかれないように。
……おい。
俺は慌てて視線を逸らした。
「京極くん、大丈夫? 顔赤いよ?」
「だ、大丈夫……ちょっと暑いだけ」
「そう? じゃあ、水飲む?」
不知火が心配そうに水の入ったグラスを差し出す。
「あ、ありがとう……」
俺は水を一気に飲み干した。
冷たい水が喉を通って、少しだけ頭が冷える。
……ダメだ。動揺しすぎだ。
涼香は、何を考えてるんだ?
なんで、わざわざこんなところに?
俺と不知火が一緒にいるのを見て、嫉妬してるのか?
それとも、ただ単に俺の顔が見たかっただけなのか?
頭の中が混乱する。
そして――涼香の席から、優雅な笑い声が聞こえてきた。
完璧な優等生の笑い声。
でも、俺には分かる。
その笑顔の裏で、涼香はこちらを意識している。
『お兄ちゃん、私を見て』
そう言っているような気がした。
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