喧嘩
翌朝、俺はいつも通りのやり方で支度をして家を出た。
昨日の出来事がいつまで経っても頭から離れない。
京極涼香、成績優秀、スポーツ万能、容姿淡麗、まさに物語に出るような完璧美少女。
そんな妹が俺の好きなVTuber『さすまた』だったなんて、今でも俺はそれを信じ切れてない。
しかも、配信で何度も口にしていた「お兄ちゃん」は全部俺のことで、部屋には俺の写真が壁一面に貼られていて――。
「おはよう! 京極くん」
学校の近くの横断歩道の前には、不知火佳澄がいた。
彼女のおっとりとした雰囲気を見ている中で、俺は昨日のことで遠い目をしていた。
「なんか元気ないね」
「あぁ、まぁな。ちょっと昨日いろいろあって」
佳澄は不思議そうな顔で俺を見ている。
「へぇ、もしかして妹さんと何かあったりしたの?」
「……ちょっと喧嘩みたいな? いざこざがあってな」
「へぇ、二人も喧嘩するんだ。まぁでも"喧嘩するほど仲がいい"っていうでしょ?」
「そ、そうだな……そうだといいんだが」
そんな会話をしていた時、佳澄の視線が俺の背後に向かう。
俺もふとその視線を追うと、そこには涼香が立っていた。
「おはようございます、佳澄さん。それから……兄さん」
涼香は柔らかく微笑んでいた。完璧な優等生の笑顔。でも、俺を呼ぶ時だけ、わずかに声のトーンが下がる。
その目は明らかに不知火を警戒している。
それを見て、昨日の出来事が脳裏をよぎる。
※ ※ ※
昨夜。
俺の部屋には、配信を中断した涼香が来ていた。
「なんだよ、話って」
俺は勉強机の前の椅子に座る。
ベッドの上には涼香が座っていた。ピンクのパーカー姿で、さっきまで配信で使っていたヘッドセットを膝の上に置いている。
「私の配信、見てたよね? 毎日」
「――それで、なんだよ? また俺を罵倒しに来たのかよ」
「なんでそういう言い方になるのよ。私は別に喧嘩しに来たわけじゃないんだけど! お兄ちゃんに、ちゃんと話したいことがあって……」
涼香が声を荒らげる。家の中では、こんな風に感情を露わにする。
しかし俺の中での京極涼香という女は、俺に対して支離滅裂なほど兄嫌いの妹――そう思っていた。
「じゃあ何しに来たんだよ」
俺が強い口調で言う。
「謝りに来た……ただそれだけ。お兄ちゃんの部屋、勝手に監視カメラつけて……ごめん」
「謝る?」
思わず聞き返すと、涼香はムスッとした表情のまま、視線をそらした。顔が赤い。
「だから……昨日の。配信のこととか、部屋に入られたこととか、色々……ちょっと言い過ぎたかなって……。でも、お兄ちゃんこそ、勝手に部屋入ってきたし」
「お前が謝るなんて珍しいな」
「はぁ? せっかく謝りに来てやったのに、その態度は何? お兄ちゃん、本当に分かってないでしょ! 私が配信で『お兄ちゃん』って言ってた時の気持ち、全然……!」
「なんで逆ギレするんだよ! というか、あれ全部俺のことだったのか!?」
「当たり前でしょ! 他に誰がいるのよ! お兄ちゃんしかいないじゃない!」
――結局、昨日はこんな感じで言い合いばかりだった。
謝りに来たくせに喧嘩腰で、でも言いたいことはちゃんとあるらしく、結局話はまとまらず、そのまま寝る時間になってしまった。
最後に涼香が部屋を出る時、小さく「お兄ちゃんの馬鹿」と呟いたのが聞こえた。
※ ※ ※
「おはようございます、佳澄さん。今日もお綺麗ですね」
現実に戻ると、涼香は不知火の前では完璧な笑顔を浮かべている。声も柔らかく、上品な口調だ。
対して俺には――視線が冷たい。
「京極くんの妹さんって、やっぱり可愛いね〜。それに品があって素敵」
「ありがとうございます。佳澄さんにそう言っていただけると嬉しいです」
涼香は優雅に微笑む。でも、その視線が一瞬だけ俺に向けられた時、明らかに『お兄ちゃん、デレデレしてんじゃないわよ』と言いたげな目をしていた。
不知火がクスクスと笑う。
「ふふっ、なんだかんだで仲良しじゃない。涼香ちゃん、お兄ちゃんのこと大好きなんだね」
「え……そ、そんなことは……」
一瞬、涼香の完璧な笑顔が崩れかける。顔がわずかに赤くなる。
「でもさ、京極くん。喧嘩できる相手って、それだけ心を許せてる証拠だよ? 特に兄妹って」
「……まぁ、そういうもんか?」
そう言った瞬間――
「兄さんには……その、信頼はしていますが……特別な感情というわけでは……」
涼香が優等生らしい丁寧な口調で答える。でも、その頬は明らかに赤い。言葉も詰まっている。
「お、お前なぁ……」
不知火は笑いながら、俺と涼香の間に入るように歩き出した。
「二人とも、学校着く前に機嫌直そ? 今日、三限で席近いんだから」
「え、三限……?」
そういえば、昨日の席替えで――
「京極くんと私、隣になったよ?」
「…………」
脳がバグった。
昨日のVTuberショックに続いて、今日の席替え爆撃。
そんな俺の顔を見て、不知火は口元を隠しながら小声で囁く。
「今日、ちょっと話したいこともあるし……よろしくね、京極くん」
「……っ」
何、その破壊力。
後ろで、涼香の笑顔がピクリと引きつる。でもすぐに優雅な微笑みに戻す。
「まあ、兄さんと佳澄さんがお隣だなんて……素敵な配置ですこと」
その声は上品だが、どこか冷たい。
「ありがとう、涼香ちゃん」
「ただ……兄さん、授業中はちゃんと集中なさってくださいね。佳澄さんに迷惑をかけてはいけませんから」
完璧な優等生の言葉。でも、その目は明らかに『お兄ちゃん、不知火さんとイチャイチャするなんて許さないから』と訴えている。
登校初っ端からこの騒がしさである。いや、表面上は優雅だが。
※ ※ ※
その後、学校に着き、三限の教室。
俺と不知火の席は――本当に隣だった。
そして、その後ろの席には――涼香が座っている。完全に俺たちを監視できる位置だ。
「ねぇ京極くん」
「……はい」
背筋が伸びる。
「妹さんの件、昨日から気になってるんだけどね」
「……え?」
まさかの核心。
不知火が少しだけ眉を下げ、柔らかい声で言う。
「京極くん、もしかして……私に"言ってないこと"、あるよね? 涼香ちゃん、すっごく京極くんのこと意識してるみたいだし」
「…………っ!」
心臓が跳ねた。
俺が推していたVTuber"さすまた"が妹であること。
そして、そんな妹にスパチャをしていたこと。
配信で「お兄ちゃん」と言われ続けていたこと。
全部、言えるはずがない。
「京極くん、隠し事してる時の顔、すぐわかるよ?」
「……そ、そうですか」
「うん。あとで、ちゃんと聞くからね? 涼香ちゃんのことも含めて」
そう微笑んだ不知火は、いつになく大人びて見えた。
俺の心臓は、もはや限界ギリギリ。
そして――後ろの席から、ペンでノートに何かを書く音が聞こえる。
振り返ると、涼香が優雅にノートをとっている。完璧な姿勢で、上品な所作で。
でも、そのペンを握る手に、少し力が入りすぎている。
そして、ノートの端には――『お兄ちゃんの馬鹿』という文字が、何度も何度も書かれていた。
――そしてその会話を、後ろの席で完璧な優等生の仮面をかぶりながらガチ聞きしている妹がいたことに気づくのは、もう少し後の話だ。いや、もう気づいているのかもしれないが。
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