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#09 異郷

 

 湖面に漂う血の群れ。

 日の目をみた白草はいまや民草(たみくさ)の渦に呑まれ跡形もない。

 あれだけの情熱を焦がした彼女も返事なく、いまは草木が喘いだ様を愛でるだけ。

 次第強まる雨脚に雷撃が乗り、山の近くで火が回る。

 嵐に相応しい散々な豪雨に撃ち抜かれ、湿った寒さに震えあがる民草たちはあたりへ逃げ惑いながら、無事な葉の根のもとへと走り寄る。


 極寒を恐れた草木の一部が手に乗り上げ、かすめとった腕へとへばりつき、彼女の皮膚で暖を取る。

 皮膚に張り付いていく枝木に、勢い余る雨粒が下り落ちると、共に濡れ落ちた枝木の先から見えるほどの茶色い粉がそぎ落とされた。


 視界の万遍に(こぼ)れ落ちていく木の粉。


 茶色を筆頭に、次々と滴り落ちる木々の色は実に富んでおり、彼女は次にどれをみようか決めかねるほどに、そこらかしこに散りばめられていった。

 見れば見るほど増えつづける色彩に、今度は近場の大木が大きく(なぎ)()つと、場を溢れかえさせるほどの栗川(くりかわ)色を大いに振るい落とした。

 他の色々を吹き飛ばす、強烈な木の粉塵(ふんじん)

 ふんだんにまぶされた粉にまみれ、視界が遮られるも、間髪入れずに先ほどの大木が舞い込み、その一際大きな樹影(じゅえい)によって視野のすべては呑みこまれた。


 根本から折れた大樹に、草木が数舜の合間に覆われ、(まばたき)の内に彼女も下敷きにされる。

 しかしそれは奇妙なもので、塔の如きその巨体に潰されてなお死んだものはおらず、横たわる大木から草木が這い出してくるくらいには、大事に至るものなどいなかった。


 いまだ張り付く枝木とともに生きながらえる彼女も、倒れ込んだ木の内でその光景を眺めていた。

 降り注いだ大木はひどくもろいもので、触れるだけで腐り落ちる薄皮一枚の巨像でしかなかった。

 中身らしい中身も持ち合わせず、幼い彼女ですらも突き破れるほどの柔い皮で守られたそれは、木というのにもおこがましいまがい物。

 皮だけで成り立つ入れ物を木として扱ったあやまちは悔やむことだが、今となってはそれ以上に、その大きな誤認によって救われていたんだと肌で感じとった。



 それはいつわりの大木に潜む彼女の赤らんだ瞳を超える血肉の巣。



 目に見えるのはおびただしい血糊の束で、脈動して渦巻く根の群像。

 張り巡らされた根がどこまでも伸び続け、その身に込めた黒い血液を、どこか遠くへ運び出す。


 血流。


 流れ出した根の奔流(ほんりゅう)はとめどなく、ひたむきに深部へ向かうさまはそのようにしかとらえられない。

 血の流れは秒で増し、今ではうごめく胎動が彼女を震わすぐらいに木霊(こだま)する。

 ともなうように彼女の心臓もざわめきはじめ、着々と迫りくる根の響きに合わせて、はちきれんばかりに鼓動する。

 草木に縫い付けられた手足は震えだし、ついには自失しようとも抗えない衝動にまかせて彼女はもがく。

 根の群集、根の奔流にいまだ意識は奪われているのに、荒ぶる呼吸はとめどなく、振り払う両手足は囚われ続けているのに抗い続ける。


 逃げたい。逃げられない。


 つられた本能を盲従し、張り付けの身体に駆られた彼女はただもがく。

 移ろう世界はどこまでも残酷で、急き立てられるように向かう根の行く末は、彼女の終着をあらわしていた。


 彼女の末路はそこにある。

 黒い濁流。こびりつく根。途方もない血の連鎖のその終点。

 それらすべては、報われることのない宙の“彼等”へと至るのだ。




 人。人。

 身も心も突き立てられた、枯れた人々。

 人の目。人の臓。人。人。

 自らの死生すらも左右できないその人々。




 暗い極地。

 黒の深部で忘れ去られた彼等は皆みな臓と、そして唯一瞳をむき出され、生かされていた。


 そう、生かされて、いた。


 群がる血管(ちくだ)で彼等を繋ぎ、永らえた命で晩餐を催すものたち。


 人のことわりをも超えたものたち。



 うつし身すら持たない、その冥府に生きた怪物たちに。       




            #



 様々な言葉が思い起こされた。

 人の様で、聖霊の様。

 児女のように無垢な姿で、惨忍たる幽鬼の沙汰。

 人を騙し、人を喰らう。

 荒れ果てた山林に住まう生気の霊。


 魑魅(すだま)


 白色(はくしょく)。白。

 姿かたちは子供であれど、その透いた身体は人ではない。

 なにものですらない。


 一面を泳ぐ小さな影らは仄かな白。


 黒色の世界で異色を放ち、一点の白を落とし込んでは新たな黒に染まっていく。

 漂う点は幾度と色づきまた染まる。


 光彩を放ち、線を描きながら吸い寄せられるこの影は、彼等に寄り添い何度でも。

 色あせる様は、繰り返される。

 その間際は鮮明。

 目ですがり、追いかける彼女が映し続けるというのならなおさらに。



 月白(つきしろ)の腕に、物言わぬ彼等を抱く影。

 摘むには軟らかな彼等を握る両の指先。

 指を絡め、抱きしめたその身体に湿り気が帯びて朽ちる間際、絞りだされたその腐肉は、うねりをもって滲ませた血潮で自らの死期を彩る。


 これが人の辿っていく最期。


 血肉より吹きあがる血潮は世界の色。

 溢れ返る世界に溶け込み彼等が見えない。

 世界から消えゆく彼等は実に空しく見るに堪えない。


 これが人の辿っていく末路。


 こうして起こっていった人の末路。


 そうしてこれから起こりゆく人の末路。


 それから起きるであろう、今を生きた、彼女の末路とも。

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