#06 気障
暗雲の空。
その暗色をかいくぐった幾重もの光が、暗夜節々に筋を立て始める。
それは一重に落ちた月光。
その下で、一際大きな幹に腰かけ、黙々と何かを打ちつけては歯噛みをする女の子の姿がそこにはあった。
彼女の瞳の焦点は、右手で押さえた石塊へと引き絞られ、その石くれが叩き砕ける様を、瞬きもせずひたすらに映し込んでいた。
左右に取り持った石同士を打ち付け、時に削り合わせる作業を延々と繰り返す。
おざなりに手当てした左腕が、工程を経る度に流血を落とし込み、石くれを万遍に潤わせるも気にしない。
なんら変哲ない石ころを鳴り研がし、切っ先と呼べるに穂先を擦り尖らすことだけに力を費やす。
そんな彼女の行為のなれ果ては、矢尻か血塊か、それが一目ではわからないくらいにその石くれを、苛烈醜い変貌へと遂げさせるものであった。
腕を伝う彼女の流血が石くれへと浸り付く。
擦りとがした剣頭同然の石くれをかざし、その血濡れた断片に映りこむ、体液にまみれる彼女の立ち姿が冷ややかに反照する。
血糊が乾ききり、隅の隅まで皮膚や衣服を覆った。
それは斜角に掲げた刃と遜色ない、覗き込む彼女も一重に等しく、血糊で飾った吐瀉ように赤く醜いものであった。
赤錆の自身の姿。
しかし開き切った瞳孔までは覆うことはできず、刃を見ているようで、その実虚空を見上げる瞳は、それそのものが彼女の胸中を物語るものだった。
あの化け物を生かすことは許さない。
淀みを含ませ、虚ろな眼球がどこか馳せるよう天を見通す。
奴が自分の大切なものを穢すなら、死しても殺してみせる。
母の為。
妖しげに瞳を滾らせ、口端を吊り上げる彼女に恐れなどありはしない。
自身を投じ、身を粉にする。
その粉が母を繋ぎ止め、生かし続けるのならば、余すことなくわが身を砕く。
いい子へと。
それこそが、とても、とても喜ばしいことだったのだから。
そう最後に胸の内を締めくくり、静かに笑みをこぼすと、掲げた刃を仕舞い込むべく懐へと手をかける。
懐へ刃物を直し込む間際、刀身が照らす側面から、こちらを覗き込む、真っ更な自分の顔が覗き込んでいるのがみえた。
血濡れた顔なら己のもの。
そう、ならば、真っ更なもの、は。
すべてを察し、駆け出すも遅かった。
木の幹に同化する、肉をもつけたあの彫像が彼女の背に食らいつき、口端で引きちぎるかのようにかぶりを振る。
狙いが逸れたおかげか、背面の服越しにそれが食らいつくも、この歯牙は構うことなく追いすがる。
縦横に首を回し、引き摺るように自身の宿り木へと誘うその行為、その執念に、正気そのものが飛びそうになる。
衣服に齧りついた人面に、途中何度か肘鉄をぶつけ、逆手に握りこんだ刃で突き刺すも衰えはない。
木の器から這い出す湿りの水音が耳元まで迫り、拒む意思を肘鉄にくわえ、何度でも押し返す。
鈍く砕ける音、突き刺さる音を背に奏でながら、筆舌しがたい焦りでもう一撃加えようと切っ先を立てたところで刺さらない。
立ちあがった粘着質な音を聞き、抜きん出た刃を覗いて度肝を抜く。
そこには串刺しになった眼球が粟立ち、潤んだ瞳で彼女の焦点に合わせようとする人面の一部がそこにはあった。
おどろおどろしい光景に思わず刃を取り落とすと、草木に落ちた眼球が慌ただしく瞳を滾らせ、濡れた切っ先から、血液を吸い出している様がまざまざと繰り広げられた。
途方もない光景。
目を覆いたくなる鮮烈に食い入るうち、繊維が裂けでる音が鳴る。
次ぐように自らの後ろ身頃が破れ、堰を切ったかのように千切れ去ると、布越しの顎から、からがら逃れることができた。
解放の勢いに押され、たたらを踏みながら蹴躓く。
受け身も取れぬまま草木の間へと転がり込むも、緑生い茂る隙間から、前触れなく彼女の両足が攫われる。
動転する視界の中、自分の足首を掬い上げる、一対の腕が目端の先に微かに映った。
こちらを引きずり込むことにしか興味のない、筋肉実った可愛い手の甲。
それらを視界に収めるや否や、石刃に刺さった眼球を抜き払い、足首を握りしめてくるその腕をこちらから掴みあげると、迷いなく突き刺した。
吹きあがる血潮を目に刻み、ひるがえす刃に重みを乗せ、力の限り重圧をかける。
のたうつ指は逐一切り飛ばし、乱舞する手の平を無尽に刺し連ねながら、波打ち痙攣する腕を払い、踏みしめる。
裁断にかけるよう上下に刃を振り下ろし、部位を断ち続けるその刃、姿に、容赦などありはしない。
散っていった断片がたちどころに地に撒かれ、独楽回しのように飛び交う様は痛快この上なく、ここに行き着くまでの鬱屈したすべてが、この光景ひとつで報われた気さえした。
舞を踊ってくれているみたい
柄も知れぬ何かが、心の内で踊りだす。
血流に酔い、酩酊が益体のない例えで彼女の頭中にうずめるなか、しかしそれがさらなる絶頂へと、自身を昇華させていくようだった。
常闇の袖幕からは叫喚が沸き、月光差し込む舞台で演武を重ねるのは大小豊かな真っ赤な独楽。
見入る自身へ振舞われるのは臭気濃厚な深紅の美酒。
気も触れる悪臭。
帳が下りるまでの香木とは、なんと忘我極まるもてなしか。
だがいたる間際、彼女は、これだけは、これだけは告げなくてはいけないと、飛んでは乱痴気騒ぎを興す演者達を見据え、閉ざした口を開く。
まだはやい、と
喜色満面のおもてから、滑り落ちた声音は何処までも重く、暗い。
漏れ出た想いをそのままに、色濃い暗黒を束ね乗せた短文小さい呟き。
その消えゆきそうな黒い想いは、楔を穿つ呪文のごとく、舞台も、演者も、彼女すらも打ちつけ、誰もかも一転させた。
恐れを隠そうともせず、雲の千切りへと立ち帰った満ち月。
いつの間にやら勢いを無くし、踊りをやめた肉の束。
差す照明を切り、静寂へ還った舞台でもの悲しく肉片が横たわる中、坂上の中心へと躍り出た彼女は、高鳴る鼓動で足を踏み出す。