# 01 世界の切れ端
母が子に、ゆっくりと絵本を読み聞かせるような、それは和やかなはじまりだった。
物語もまた緩やかな軌跡を辿り、とある女の子が山の畔で小鳥とじゃれあう、それはささやかで微笑ましい話が延々とつづいていた。
いつまでも続く幸せいっぱいの日常。
しかしそんな満ち足りた日常はあるとき、少女の母親が病魔に伏したことをかわきりに、大きく曲折しはじめる。
突然の悲劇に、当初少女はどうしたらよいかも分からず、ひどくうろたえ涙した。
“この手に母の命がかかっている”
少女ははじめて背負う命の重みを震える思いで飲み込むと、これから襲い来る未来をおもい、悲嘆にくれた。
だが急ぎ取りつぎ診察を施してもらった医者から、命にかかわる病ではない、養生すれば直よくなる。そう告げられ、またなに不自由のない元の生活を過ごせるのだと深い安堵で胸を撫で下ろした。
床に伏した母を一刻もはやく救うべく、治療費の捻出のため、職種問わず様々な仕事を彼女は請け負った。
それは酒場の給仕に始まり、鍛冶屋の小間使い、教会の清掃、果ては危険伴う害獣退治に至るまで、多岐に渡る仕事に従事し、奮闘した。
“母は笑顔がよく似合う。だからはやく元気になってほしい”それだけの思いが先行し、ただがむしゃらに働くことができた。
しかしそんな奮起をあざ笑うかのように、母親の容体は悪化をたどる一方であった。
日に日に痩せていく母と、それに反比例するかのようにかさむ治療費。
少女は終わりの見えない暗闇の中、じりじりと身を焼かれていくような、酷な焦燥に堪えながら、それでもいつの日か報いを受けれるとそう自分を騙し看病に励んだ。
そんな悪循環に溺れた少女は、まことしやかに囁かれる、はるか遠くの山頂に自生する薬草を知る。
“これで助かるかもしれない”少女はいてもたってもいられず家を飛び出すと、実在するか定かではない幻を求め、追われるように旅に出た。
旅路は順調だった。
なけなしの貯金を叩いて買った装備は見事に身を守ることを果たしたし、通りかかる旅人たちに同行させてもらうことで、目的の山脈の噂をおぼろげながら手に入れることができた。
“もう後戻りはできない”その思いが募るほど景色は移ろいでいき、月日は流れていった。
少女はやっとの思いで山の麓に辿り着くと、急ぎ駆け上がるかのように探索を開始した。
その日の天候は晴れ間の覗く曇り空。
時折のぞいた太陽が、山全体を照らしては消えを繰り返す、浮き沈みの激しい空模様を呈していた。
少女はそんな浮き沈みの空を仰ぎ見ながらも、はやる気持ちで頂を目指すと、山脈の中腹にそびえる、とてつもなく大きな大樹を視界にとらえた。
巨大と呼ぶに相応しい木々の群れ。
その中でも埋没しない、一際大きな体躯をもつ巨木がそこにはあった。
サニーウッズといったか。
少女は書き留めてあったメモをゴソゴソと見直すと、あらためてあの木には注意を払わなくてはと心に留める。
しばらくの間じっとサニーウッズを注視した少女は、思い出したかの様に再度探索を続行すると、その巨影から遠ざかるように急ぎ迂回をし始めた。
どれくらいの時がたったのだろう。
再三渡って鬱々とした山林を彷徨い歩いた少女は、やっとの思いで木々の迷路を抜け出すと、つい目と鼻の先、山の天辺が見える箇所にまで自分が歩を進み抜いたことに気がついた。
少女は腰に下げた水袋を一口あおると、目の前にそびえる頂を強く睨みつける。
“ここからが本番だ”
少女は言い聞かせるように胸に手をあてると、休むことなく一直線に頂を目指す。
気がつけばあたりはすっかり夜の帳をおろし、晴れ間が覗いた曇り空はいまや黒雲。月光さえぎる暗夜が、どこまでもあたりを覆いつくしている。
灯したランタンを頼りに急だった斜面を登り終えると、そこには静かな輝きを見せる、白白とした野草が自生しているのが見えた。
これだ。
一目散に駆け寄り覗き込むと、冷めやらぬ胸の内で手をかける。
手をかけた瞬間、遠方の彼方、眼下に居を構える大木がほんの一瞬
ブレたように視えた
身を駆け巡る悪寒。
思わず掴んだ片手を離しかけると、少女は即座にもう片方の手で怖気をおさえこむ。
“母がまっているんだ”“長くつらい日々はもう終しまいなんだ”
脳裏によぎった母の笑顔を想い出し、喉まででかかる恐れを飲み込むと、覚悟とともに、今度はあらん限りの力で引き抜いた。
そうして
赤い赤い、真っ赤な血の濁流が大地を駆け巡った。