第四話 太陽の陰り
夕方の鐘が鳴る。
ボーンボーンと低い街中に響く大きな音。
それは高砦の上で、近くにモンスターがいない事を確認して守衛が鳴らす事になっている。安全を知らせる音だ、でもこの街では冒険者も多くいて多少の危険はすぐに排除される。
だから毎日のように鳴らされる音は、住民達からすれば、夕方の時間を教える時方にもなっていた。
その緩く流れる音がヘリウスには重くのしかかるように聞こえる。
ヘリウスのスキルがなくなって、早20日。
ヘリウスの部屋が、開かなくなったのも丁度それぐらいだ。
窓のカーテンは閉められて、部屋も汚れ、
どこからか届いた手紙が玄関に小山を作っている。
その荒れた部屋の中で肝心のヘリウスは、
比較的物が少ない寝室で、ベットに深く座りかけ布団を頭から被っている。
布団は頭巾のようにして被り、布団の端っこを体の前で手で持ち、顔だけは出している。
そのボーッと開いた目は、焦点も合わず生気がなく、口もぽかんと開けていて、口の端でだらしなくヨダレがたれている。
ヘリウスはこの数日間、本当に何もしていないんだろう。毎朝美容には力を入れていなくても、ヒゲだけは老けて見えると思って。
剃っていたのに、今はヒゲも伸びて、酷いストレスの影響か、いつもより年齢を感じさせる顔になっている。
ヘリウスは、重度の引きこもりになっていた。朝、飛龍の鳴き声で起きては、夕方、鐘の音を聞いて、すぐ眠ってしまう生活。
魔鉱のライトもつけず、部屋は暗い。
だがそんな部屋よりも暗い顔をしたおっさん、
経験から言わせてもらおう、おっさんの引きこもりは、かなり粘り強い。
それは何もない自分に絶望して、自分自身に落胆したことをまた絶望しているからだ。
それは、一種の自己防衛本能であり、また年齢が上であればあるほど、もうやりたい事もそこまで無い、諦めの局地にいることが多い。
一度降ろした腰は重い事だろう。
そしてまた、そんな自分に絶望する。
「……剣聖がない俺なんて、やっぱりダメダメだったんだ。」
それもこれも、全てはあの夜、酔っ払って帰って来たらスキルがなくなった日から始まった。
「俺はみんなの剣聖じゃなかったッ…ハ」
ヘリウスはこの数日間の時間で何度同じ事を言っただろう自責の言葉、何度でも、涙は出て来る。
ヘリウスの潤んで震える目頭から、大粒の涙が流れ、素早く頬を伝いベットに落ちる、
その時扉の音が鳴った。
コンコン…、
この宿は一定の宿泊費から、朝昼夕の三食の飯を作ってくれるサービスがある、通常は宿の一階で食べるのだが、店主が料理を運んでくれる時もある。
また別で頼めばドアの前に置いて、出来るだけ関わらないでもくれる。
ヘリウスはギルドから帰った、引きこもり初日に、コレから落ち込むだろう自分を見越して、それを頼んでいた。
ノックの音がして、少ししたら出ようと思っていたが、その日は不意に扉の開く音も聞こえて来た。
「入るよー!ヘリウス!」
「…え?」
声だけでわかる、活発な大人の女性は、この宿『飛龍の宿木』の女店主。
その体は、確かな筋肉があって、ふくよかなお母ちゃん系。言動からもそのお節介と、その溢れ出る、頼れる母性が目的でこの宿に泊まる者もいる。
ドスンドスンと重目な音が近づいてくるたびに、この散らかった状況を知られて、また怒られるのかと思った。
寝室の壁から、少し出たお腹が見えた時、子供のように焦ったヘリウスは、少しでも汚れた部屋を隠そうと布団を広げようとした、でもそんな足掻きも虚しく。
その後ろからひょこっと出て来たテネスちゃんがズンズンと入って来る。
「テっテネスちゃん!?」
驚きで目を丸くするヘリウスを、捉えてしっかりと目を見てくる。
テネスのその顔は、何かを決心しているようで、目と眉が静かに燃えていて、口が中心から少しズレた所でへの字に曲がっている。
その顔を見て、自然と布団を掴む手に力が入る。
「…依頼を受けてくれませんか。」
優しく、いつも通り受付で少し申し訳なさそうに、頼み込むように言った。
いっそのこと、今の状況を激しく罵って依頼書でも突き出しながら、言ってくれた方が楽で良いのにと思ったが、テネスの差し出したその手には何も持っていない。
「い…いや俺には何も、もう残ってないんだよ。テネスちゃんも一緒にいたし、知ってるだろ?」
ヘリウスは、ベットのシーツを手でいじりながら断った。
すると、すかさずテネスが逃げ道を断つ。
「諦めないでください。」
ベットに膝を立て体を乗り出して、ヘリウスと顔が触れ合いそうなほど近くに寄る
「私の知ってるヘリウスさんは、
そんな簡単に諦める人じゃないです。」
シーツがピンと伸びていじっている部分がなくなり、恥ずかしさもあり、テネスの顔から視線を外す。
「諦めるも何も、今までは全部上手くいっていたからさ。それが無くなったら俺なんて、」
また、何度言ったか分からない、小言を繰り返す。
そのヘリウスのつい溢した小さな小言が、表面張力ギリギリだったコップに注がれた。
「違います!ヘリウスさんは強いんです!」
目をつぶって、喉を締め上げて出した大声。
テネスは、痛くなった喉を抑えることなく、手は自分の制服の裾を掴んで、固く力が入っている。
そんな手を出しそうなほどの勢いを、必死に我慢する、テネスの姿を、文字通り間近で見たのにヘリウスは、
「剣聖がなくなったら、俺はただのおじさんだよ。身体もろくに鍛えてない、ただのおっさん、」
心からの叫びを聞いても、また断る。
しばらくの間、空調の音だけが鳴って、遠くに残った鐘の残響だけが響いた。
その間に、お互い少し落ち着いた時間に、テネスはベットから降りた。
拳を握ったまま。
「では何故あの時、銀獅子に挑んだんですか!!
…彼方いる勇者も、勝てない獣の王ですよ!
国で少し名をあげていただけの貴方が、何で挑んだんですか!!」
「あの時は…」剣聖として名をあげた時、何もヘリウスは、冒険者になった最初っから『剣聖』になったんじゃない。
確かあの時はとヘリウスが思い出したのは、やっとの事で上位冒険者になって少し後。
この国の王様に始めた会って、自分の国を守っている王様がこんな、どこにでも居そうな普通のおじさんだったなんて、と衝撃を受けていた。
冒険者として、多大な公益を持ったものは、国王から、お言葉をもらえると言う、お祭りにギルドから参加させられた時。
まだ、考え方が良くも悪くも若く、自分には価値があると思っていた。
「あの時は調子に乗って、、」
思い出すと、背中が冷たくなることも、沢山あった事があった事を思い出し、気まずそうに言葉尻を濁す。
「違う、人が暗い顔をしていたからでしょう?」
獣の王、銀獅子に近い都市、それはここアキレスだった。
力を持った獣の寿命は長く、永年、代替わりを繰り返しても以前変わらない、銀獅子に悩まされた国民は暗い顔をしていた。
銀獅子の近くにあるだけで、野は荒れ、畑は腐って落ちた。自分たちの都市で賄えなくなった住民は、他の街から援助をして貰いたかったが、近くに銀獅子がいると知れば、顔色を変えて逃げた。
それを聞いた住民は国からも見捨てられたと思い、または、いつかは来る銀獅子の気まぐれに恐怖し、その状況にまた絶望していた。
暗い顔をした住民の中には、幼い時のテネスも、ヘリウスのよく知る、今の顔馴染みも、幼い顔つきで居た。
そこに現れ、銀獅子を倒した太陽のような光こそが。
「あなたは強い。だからそんな簡単に諦めないでくださいヘリウスさん。」
少し、シリアスになっていた雰囲気をも吹き飛ばすほどの、涙がダバダバ出て息も絶え絶えにヘリウスの素晴らしさを話すテネス。
「ヘリウスさん、が、今まで助けた人にとっては、剣聖がヘリウスさんだったんじゃ無い、ヘリウスさんが剣聖なんです。」
そんな昔見た、自分の太陽が、
「ごめん、」
また謝罪や諦めの籠った言葉を吐いて、ゆっくりと顔が下を向いて行く。
その姿に、テネスは感情の底なしの流砂に飲まれたような感覚、足掻くことも、これ以上ただの受付嬢としては何を言うこともできないと、目の光に暗い陰《《かげ》》りが見えてきて、勝手に手が震えてきた。
そして、ヘリウスはベットのすぐ横の、テーブルにそのまま置かれた、大剣に手を伸ばす。剣を掴む。
「テネスちゃんが俺のためにそこまで言ってくれるなら、行くよ。」
申し訳なさそうにヘラァっと潰れたような笑顔を向ける、ヘリウスの姿があった。
すると、ヘリウスがベットから起き上がり、一歩近づいて、そのあったかい手でテネスの涙を拭く。
「ごめん、迷惑かけて、じゃあちょっくら行ってくる。」
ヘリウスは、何の変哲もない剣をかけて、
またいつもの様に、新しい冒険へ出かけて行った。
その背中にある剣は、太陽に照らされて金色に輝いていた。
〜サブコーナー的な小話〜
数分後ヘリウスの部屋で、部屋を片付ける女主人とテネスは、テキパキと手を止めることなく、言葉を交わしていた。
「…大丈夫なのかい?」
「ハイ、ヘリウスさんは絶対に帰ってきます、帰ってきてまたみんなを明るくしてくださいます。」
「そうかいアンタは、もう安心だね。」
「ハイ…!…あれコレはなんでしょう?ヘリウスさん大事そうに小袋に入れて。」
テーブルの掃除中、たまたま繋ぎ目もない隠し棚の中が開いて出てきた、小さな袋のキツく絞められた口を手で紐解く。
片手の中に出てきた、ソレを見た瞬間、テネスの顔は耳から、赤く燃え上がった。
なんか、コレから話が始まりそうな空気を作っておいて、裏切るの自分好きなんですよね。
さぁどうなるのか。
ご愛読ありがとうございます。
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