剣聖だった義弟への想いは墓場まで持って行く事にした
無限煉獄に落とされてから二億年が経過した時、男は既にこの地獄の一部と化していた。
あらゆる肉体的苦痛と精神的苦痛を数万年受け続けた。その後は、この地獄に落ちる原因となった生前の自分の行動を数百万年後悔し続けた。
五千万年が過ぎた頃、記憶と自我が薄れ始め、今度は己の消失に対する恐怖が襲いかかってきた。彼が自分が何故この地獄に来たのかも忘れた時、漸く苦しみが小さくなっていった。
無限煉獄での拷問が一億年を経過した頃、彼の肉体はガス状になり、大気と地面に溶け込み環境の一部と化していった。そして、そこからおよそ一億年が過ぎ、遂に終わりが近付いて来ていた。
過去の罪を浄化し、魂の濁りを取り除いた時、彼はこの無限煉獄から解放され新たな生命として生まれ変わる。しかし、それに対し彼は何の喜びも達成感も湧いてこなかった。己が誰だったかも、どんな罪を犯してここへ来たのかも魂の汚れと共に漂白されてしまい、ただただ『もうすぐ終わるのか』という事実認識をするだけだった。
無限煉獄全体に散らばっていた彼の魂が現世へ続く道へと寄せ集められ、失われていた五感が僅かに取り戻される。それを狙ったかの様に、一枚の紙が舞い落ち、彼の足元へと滑り込んだ。
「これは手紙…?アイナスの…」
手紙を拾い上げた彼は、そこに書いてある文字を見て思い出した。これは彼の義理の姉アイナスの文字だ。間違い無い。こんな場所に手紙を送れる存在なぞ他には居ない。
アイナスは公爵家の跡取りになる予定の少女だった。しかし、十五歳の時に神からハズレスキルを与えられた事で継承権を失い、公爵家を追い出される事になった。その代わりとして後継者になったのが、公爵の愛人の子供だった彼だった。
彼は平民だった愛人の連れ子であり、公爵家の血は一滴たりとも流れておらず、貴族社会で生きていく為の教育も受けられ無かった。しかし、アイナスがハズレスキルを得たのと同じ日、最高のスキルとされる剣聖を得た事で彼の人生は大きく変わった。
これまで自分の事を人間扱いしてなかった周囲が自分に平伏し、憧れの存在だった義姉が得るはずだった地位が転がり込んできた。彼はこの幸運を与えてくれた神に感謝し、スキルが与えてくれた力に見合った働きをすると誓った。
だが、そこから彼の人生は何一つ上手く行かなかった。剣聖のスキルを得た者は超人的な身体能力と剣技を得て、戦争や魔物の討伐で国に貢献する事を期待されていた。だが、彼の実力は歴代の剣聖スキル持ちの中でも飛び抜けて低かった。
彼は元来臆病で戦いに致命的に向いていない性格だった。そして、剣聖のスキルを得るまでは戦闘訓練すら一切してなかった。剣聖になったから自分は強いと思い込んだ彼は、人生初の魔物討伐において本来そこには現れないはずの古竜と出会い、片腕を切り落とされ失禁しながら逃亡した。
この事は直ぐに貴族社会に広まり、過去の剣聖達の名誉を汚した男と呼ばれた彼は、父に見放され、出来たばかりの婚約者からは婚約破棄され、母からも期待して損したと罵られた。
手に入れた物を全て失い途方に暮れていた彼の前に、一人の女魔族が現れた。彼女は剣聖というスキル以外何も無い空っぽの存在となった彼に目を付け、言葉巧みに誘導し契約を結ばせた。
怪物と化した彼は、自分が何をしたいのかも分からず、破壊の衝動に身を任せ広場で暴れていた。そこに彼を止める為に現れたのは、公爵家を追放されたアイナスだった。彼女は追放された後、ハズレスキルの真の力に目覚め、元々の努力の積み重ねも合わさり人類史上最強無敵の完璧超人へとなっていた。
追放される前以上に光り輝く存在へとなっていたアイナスは、魔族化した彼を一方的に撃破し、誰も犠牲を出さずに場を収めた。正気に戻った彼は人々へ謝罪しようとしたが、それは叶わなかった。
怪物化の副作用で寿命を使い果たしていた彼は、うめき声と共に崩れ去った。そして、魔族との契約により彼の魂は死後即座に無限煉獄へ送られ、最低でも一億年以上そこで責め苦を受ける事が決まっていた。
「そうだ、俺はこんなつまらない理由でここへ来たんだった」
記憶を取り戻した彼は、義姉アイナスからの手紙の続きを読む。手紙には誰にも語っていないアイナスの本音が書かれていた。
『私の大切な義弟ケンタイへ。貴方の死後、世界は大きく変わりました。ハズレスキル持ちの私が剣聖の貴方を倒した事により、神様から与えられるスキルにより人生が決まるという常識は無くなりつつあります。これこそが私の望んだ社会の形であり、これは私と貴方のどちらが欠けても成し得なかった事でしょう。貴方が居なかったら、私はここまで頑張れ無かった。貴方が私を意識していた様に、いえ、それよりもずっと前から私は貴方を想い続けそれが追放された後の行動へと繋がったのです。私は貴方に感謝し、家族として強い愛を抱いています。この様な思いは決して世には出せませんので、せめて墓場へ持っていきましょう。無限煉獄に居る貴方にこの手紙が届き、私の本当の想いが伝わる事を祈ります。そして、もし叶うのなら無限煉獄で罪を償い生まれ変わった貴方と会いたいと思っています』
アイナスからの手紙にはその様な内容の事が書かれていた。
「あ、姉上っ…!あねうえー!」
手紙を読み終えた後、彼は手紙を握りしめ現世に続く道に向かい叫び続ける。その道はあっという間に細くなり消えて行った。罪人としての人格を取り戻した彼は再び無限煉獄へ繋がれあらゆる苦痛を一億年以上受ける事となったのだ。
だが、彼に恐怖は無かった。アイナスに会って手紙の返事をしたいと思った彼は、何とかして自我を残したまま転生する事を試みながら炎の中に包まれたのだった。
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「アイナスよ、昨日書いておった手紙はどうした?」
「もう届けました」
「ふむ、そうか。じゃが、昨日は郵便局は閉まっておるし、お前の手紙を受け取った者もおらん」
古竜様の鋭い目が私を見据える。この方には下手な嘘は通じない。古竜様に疑われ続けるのも嫌なので、私は話せる部分だけを口にする事にした。
「昨日書いていた手紙は、転送魔法で届けたのです。郵便局や使用人を使わなかったのではなく、使えなかった。彼の今居る場所には、私の転送魔法でしか手紙を届けられないのです」
「ならば送り先は無限煉獄か。あの愚かな義弟に手紙を送ったのか?」
古竜様は僅かなヒントから一発で送り先を言い当てた。私は、観念したかの様に顔を伏せながら、手紙の送り先が正しいと白状する。
「古竜様のおっしゃる通りです。私は弟と呼んでいたあの剣聖に手紙を書きました。何億年も苦しみ続ける彼に、その人生には意味があったのだと伝えたかったのです」
「そういう事か。王国中に大犯罪者として名が広まったあの男を庇うような手紙なぞ、世間の目に晒せぬからな」
「はい。ですから、手紙を出した事それ自体も世間に知られる訳には行きませんし、古竜様にもこれ以上の内容は話す事は出来ません」
「家族同士のプライベートというやつか。…ならば、追求するのはこれまでとしよう。アイナスよ、怖がらせて悪かったな」
小さく震える私の肩にポンと手を置き、古竜様は頭を下げた。助かった。あの手紙の内容は他人には話せないアレやコレで一杯だ。特に、弟に関する私の長年の想いの部分は絶対に知られてはならない。
もしバレてしまったら、変わりつつあるこの社会も古竜様からの信頼も全部台無しになってしまうだろう。でも、この想いだけは必ず彼に伝えたかった。
だから私は本当の想いを墓場まで持って行くと決めたのだ。
「無限煉獄と現世では時間の流れが異なる。あの弱き剣聖が死んでからまだ六年しか経っておらんが、無限煉獄におるあやつは数千万年以上苦しみ続けておるのじゃろうな」
「はい。ですから、もしかしたら私達の生きている内に生まれ変わった彼とまた会えるかも知れません。神様が気まぐれに与えるスキルに左右されていた世の中が大きく変わった事を知った彼が私達の元へやって来る日を、私は夢見ているのです」
「転生した者が記憶を保持しているのは非常に稀だぞ?」
「分かっています。それでも、密かに期待するぐらいは良いじゃありませんか」
「うむ。それでお前の心が安らぐのならば、それで良かろう」
これからも私は彼の帰還を心の中で祈り続け手紙を送るだろう。この命が尽きるまで。
【へいへーい!糞馬鹿弟君元気ー?えー、君がこの手紙を見ているという事は、今の君には自我が復活してるって事です。せっかく転生寸前だったのに、また一億年苦しむハメになってごめんねごめんねごめんね〜。そんで、なーんで俺がこんな手紙を君に送ったかと言いますと理由は二つある訳よ。一つ目は、君の人生がこんなになってしまったのは、ぜーんぶ俺のせいだったって事。俺さー、神様がスキル与えてー、それの良し悪しで偉い偉くないが決まる世界がホントに嫌でさー、ハズレスキルで無双したら世の中変わるんじゃね?って思ってやってみたワケ。でもさー、それやっても実はハズレスキルと思っていたスキルが強かったとなるだけだった。だから俺は転生してやり直す事にしたの。今度は自分がハズレスキルで無双するだけてなく、強いスキル得たのに駄目な人生送るアホも世間に知らしめる事にした。そう、ハズレスキルを得たけど健気に努力して成り上がる美少女が今世の俺アイナスで、それとは対照的に剣聖という大当たりスキルを得てもそれ以外ダメダメで落ちぶれたのがお前、実験体25号ことケンタイ君、お前だよ。俺は記憶を持ったまま何度も転生を繰り返し、神様がどんなスキルを誰に与えるのかの傾向を調査し、貴族社会に手を回してダメ人間に剣聖のスキルが渡る可能性を高め準備を続けていた。そんで今回、よーやく条件が揃ってくれた。前世の俺が作ったガキが今世の俺の弟として公爵家に来た時は最大のチャンスが来たと興奮した。何度も神に祈ったよ。俺にハズレスキルを、こいつに剣聖をってな。そして祈りは天に届き俺はこの時代でハズレスキルとされているものを貰い、お前は剣聖。計画通りに追放された俺は、必死でハズレスキルの有効な使い方を見つけだし、空いた時間でお前が無限煉獄へ落ちて行く様に誘導した。人類の希望である剣聖を怪物にすれば魔族にとって有益だとアドバイスしてやったら、魔族は喜んて俺の共犯者になった。あ、勿論俺の正体と本当の目的は隠したし、お前と契約した女魔族はあの後倒しておいたよ?ま、そんなこんなてハズレスキル無双と剣聖の転落人生を同時に目にした人々は流石に目が覚めた。今までの常識を疑い、スキル以外の要素も重要視する様になった。これって今までの歴史で誰も出来なかった事だぜ?俺凄いよな?でも、お前も俺と同じぐらい凄い。これは、俺とお前か揃わないと出来なかった事なんだ。そこは本当に感謝している。俺がこの手紙を送ったのはこの感謝を伝えたかったからなんだ。25号、我が最高の失敗作にして俺の息子にして私の愛する弟よ、本当にありがとうございます。さて、ここまでが一つ目の理由だ。ここからは、二つ目の理由について話そう。俺はお前に転生して現世へと生まれ変わって欲しいんだ。スキル第一の社会が変わっても、俺達は未だ神様の掌から出てはいない。神様の作ったルールも、神様そのものも俺はどうにかしたい。それに必要なのは想いを語れる仲間だ。俺の非常識で腐りきった理想をぶち撒けられる秘密の共有者だ。こんな想いを話せるのは他でもないお前だけだ。弟よ、どうか頑張って記憶を持ったまま転生して、俺の本当の家族になって欲しい。これを読んでるお前は、無限煉獄の炎に焼かれて苦しんでるだろ?一度は克服した地獄をまた味わっているだろう?糞みたいな人生によーやく区切りを付けれてやり直せるはずだったのが全部無駄になって、こんな手紙を出した俺に心底殺意を抱いてるだろ?その想いこそが記憶を残したまま転生するコツだ。糞くだらない感情を手放さないで耐え続けるんだ。何度洗っても消えない雑巾のシミみたいに俺への憎しみを絶やさないでくれ。俺はこれからも数年おきに、そっちの世界の時間では数千万年おきぐらいに手紙を送り続けるから、お前が負の感情を消し切って普通の転生を果たす事はまず無理だ。お前に与えられた選択肢は二つ。記憶を持ったままの転生に成功し俺に会いに来るか、俺が今世を満了し手紙を出せなくなる数十億年後までそこて苦しみ続けるかだ。じゃあな、また会える事を期待してるぜ】
「こ、この、く、くそガアアアァァァァァァ!」
今まてに無い程に負の感情が湧き上がり続ける。女魔族と契約して怪物になった時以上の憎しみと悲しみと苦しみだった。そして、それを消そうとして無限煉獄の炎はこれまて以上に火力を上げ彼を焼き続けた。