3話
「ごめんなさい、私のせいで……」
「だからかすり傷だって言ってるだろ。お前の治癒魔法で血も止まってる。これくらい平気だって」
「でも、血は止まってるだけで、傷はついたままなのよ……」
「冒険者として箔が付くってもんだ」
泣きながら謝るウィズに、ルドが快活に笑った。
新米パーティーの四人は町外れの門の側にいた。
魔物討伐の最中、ウィズを庇ってルドが腕を負傷したのだ。すぐに魔物を返り討ちにして、ウィズが治癒魔法を施した。傷口には適当な布で止血している。
教会で僧侶に治療をしてもらえば問題ないと何度もルドが説明するが、パーティーを結成してから初めての流血沙汰で、ウィズのショックは大きかった。
気落ちするウィズに、ソッドは優しく肩を叩いた。
「ウィズ、ルドに教会まで付き添ってくれないか? 治療費ネコババされたら敵わない」
「俺はそんなセコい真似はしねぇよ。飲み代欲しくなったら堂々と強請るわ」
「そこは甲斐性見せろ」
財布を持たされたウィズは、小さく頷いてルドと教会に向かった。
ソッドとラーサはその後姿を見送る。
「さてと、俺達は先に酒場行くか。依頼の報告しないと」
「ウィズさん、大丈夫でしょうか? かなり取り乱していましたね」
「少し前までは、戦いとは無縁の生活だったから、無理もないよ。ラーサは平気か?」
ラーサはキョトンとした顔で、ソッドを見上げて頷いた。
「そうか……そろそろ移動しよう。アイツらが戻ってくるまで飯でも」
ふと、甲高い悲鳴が微かに聞こえた。
声の方を見ると、泣き叫ぶ子供を抱えて走る男の姿があった。あの灰色の頭は、酒場の客が草毟りと呼んでいた男だ。
草毟りは人気の無い裏路地に走り去っていった。
ソッドの背筋に悪寒が走る。
冒険者の中には、仄暗い経歴を持った訳アリもいる。そういった連中が、その土地の住民に手を出すことは珍しくない。
草毟りが入った路地を、ラーサが指差した。
「あれヤバいですか?」
「ヤバいかもな。追うぞ」
ソッド達は草毟りの後を追い駆けた。子供の泣き声がはっきり聞こえてきた。二人は物陰に身を隠す。
「痛い、痛いよぉ」
「泣くな。男の子だろ」
ソッドは腰の剣に手をかけて、そっと様子を伺う。
井戸の前、草毟りは子供の小さな手を水で洗い流していた。その手は赤くかぶれていた。
「全く、赤星ブドウを素手で触るなんて、危ない真似を。果汁に触れたらこんなものじゃ済まなかったぞ。酒場で冒険者の依頼書でも見たんだろうが、そういう薬草は入手困難な場所に生息するものか、毒草がほとんどだ。簡単そうに見えるだろうが、少しでも扱いを間違えれば命を落とす。何も知らないまま手を出すな!」
草毟りの低い声は、とても真剣で厳しかった。子供は静かに項垂れた。
彼は慣れた手つきで、子供の掌を布で拭い、薬を塗って、包帯を巻いていく。
「……うち、貧乏だから、お母さんに楽させたくて……草取りなら、できると思って……」
子供がポツポツと口を開いた。
「そっか」と草毟りが頷く。先ほどとは打って変わって、優しい響きがこもっていた。
「お母さんは好きか?」
「うん」
「なら、こんな無茶するな。焦らなくても、お前がお母さんのためにできることはこれから増えていく。それまでは、毎日元気な姿を見せろ。それが親の支えになるんだ」
包帯を結んだ草毟りは、子供の頭を撫でる。
「待ち切れないなら知識をつけなさい。この町の薬屋は腕利きで、薬草のことならなんでも知ってる。色々聞くと良い」
「ありがとう、おじさん」
子供はパッと顔を明るくして、その場を後にした。
ソッドは物陰で呆然としていた。剣から手を離し、しゃがみ込むラーサを見下ろした。
ラーサは瞬きもせずに、子供に向かって小さく手を振る草毟りをじっと見つめている。
「ソッド! ラーサ!」
背後から大声で呼びかけられ、ビクリと肩が上がる。ルドだった。隣にはウィズがぽかんとした顔をしている。教会から戻ってきたらしく、ルドの腕には緩く包帯が巻かれていた。
「こんなところで何してんだ、探したぞ」
「ルド、静かに!」
「ソッドさんも声大きい。ああ、めっちゃ見られてますよ」
あっと振り向くと、草毟りがこちらに顔を向けていた。前髪に隠れて表情はよく見えない。
だがソッド達を気にする素振りもなく、広げていた荷物を片付け始めた。
「アイツは昨日の酒場の、草毟りだっけ?」
「何かあったの?」
「そのことは後で話すよ。ところでルド、腕の具合はどうだ?」
ああ、とルドが眉を寄せて、腕を見せた。雑に包帯が巻かれていた。ウィズが続ける。
「教会で診てもらったんだけど、傷の手当もロクになくて、適当に包帯巻いただけだったわ。患者が大勢いて忙しいならまだわかるけど、そこまで人はいなかった。私達の後から来た冒険者には、かなり丁寧な対応をしていたのに……」
「あの冒険者、迷宮潜りの中堅でそこそこ稼いでるからな。ったく、むかつく坊主だったぜ。患者の身なりで態度変えやがって。金だけはしっかり持っていきやがった」
「大変だったな」
「あれ、ラーサは?」
ラーサは井戸の側に立って、「おじさん」と草毟りに話しかけていた。
「少しでいいので仲間の傷を診てくれませんか?」
ソッドが慌てて駆け寄った。
「ラーサ、勝手に!」
「でもルドさんの腕、酷い処置だし、悪化したら大変じゃないですか」
草毟りが、ラーサの顔を覗き込んだ。
「お前、その耳……」
その言葉に、ラーサがスカーフを掴んで顔を隠した。
ソッド達に緊張が走る。
「だったら何だ?」
ソッドがラーサを背に隠し、草毟りを睨みつけた。
「アタシは気にしてませんから」とラーサがソッドを宥めた。
草毟りはソッドを見た。そして奥のウィズとルドに顔を向けると、ルドを指して手招きをした。
「言っておくが慈善じゃない。少しは払ってもらうぞ」
「……いくらだ?」
草毟りが提示した額に、ソッド達は目を丸くする。
「教会に払った額の半分もねぇぞ」
「本当に少しじゃないか……」
「別に本業でもないからな」
「闇医者かよ」
「医者じゃない」
ソッドが目配せをすると、不安気なルドが恐る恐る腕を差し出した。
「この歯型は、齧歯類か?」
「角ウサギだ。原野で別の魔物を討伐していたら、茂みに隠れていた個体に襲われたんだ」
「それは災難だったな。でも角ウサギは本来の森の奥にいて、原野には滅多に降りてこないはずなのに。傷を消毒する。沁みるぞ」
「ぃでぇ! もっと優しくしてくれ!」
「男だろ、我慢しろ」
草毟りが子どもを処置していた光景が重なって、ソッドとラーサはこみ上げる笑いを噛み殺した。
草毟りは傷口を丁寧に処置して、包帯を巻いていく。
「あの生臭坊主が金持ちを優遇するのは、貧乏な冒険者は金持ちの冒険者に比べて、死にやすいからだ。単純に武器や防具の質の違いだ。良い物使えるやつらが生き残りやすい。夢のない話だがな」
草毟りはそう言って、ルドに塗り薬を渡し去っていった。