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滅天  作者: わるだくみ
第一章
9/11

(八)いもうと

「どういうつもり」

「ただの暇つぶしの人助けさ」

 安定したバイクの走行は心地のいいもので、荒んだ心を少しだけ、ほんの少しだけ癒してくれた。

 ゴーメットがくれたタオルで汗を拭い、背中を抱き締めるようにして飛ばされないようにする。こうして触ってみると、見た目よりもずっと身体が華奢だということがわかる。身体よりも何倍も大きいコートを着ていて、広い肩パッドがたまに顔に当たって痛かった。急いで抜け出してきたせいで結ってすらいない髪が、風に連れていかれる。

「いやはや、暑いね。止まったら死んでしまいそうだ」

「貴方にも、体温が存在するの」

「おや、死神…いや、悪魔には詳しくないのかね。私だって暑い寒いと駄々をこねることはあるぞ」

 前よりずっと調子の低い声でも、ゴーメットは一切指摘しなかった。今の陽茉にはそれがとんでもなく心地よくて、安心できて、ゴーメットの身体をより強く抱き締めた。「お熱いね」なんてからかいを無視して、陽茉は顔を埋める。今は、寂しくて仕方がない。寂しさを埋めるために、人肌ならぬ、悪魔肌に触れていたかったのだ。

「ねえ、わがままを言ってもいいかしら」

「ほう。聞くだけなら」

「あのね」


  △

 

 一服。二本程吸い終わって、三本目に火をつけて、少し吸ってから、半分も残っているのに踏みつけて捨てた。

 帰ってきてすぐ眠りにつき、朝を迎えた。(あん)は誰よりも早く目を覚まし、メモ帳を片手に外へ出た。煙草を咥えながら、昨日の出来事を書き連ねていく。

 杰涵(じぇはん)朱亞(しゅあ)と出会ったことは省略し、要点だけを纏めていく。主に、瑾龍(じんろん)から聞いた、国家機関のことだ。政府には天使を撲滅するという計画があり、そのための研究所がある。天使を識別するための道具が点在し、瑾龍の持っていた扇子もその一つだという。そして、その研究所で幼い陽茉(ひま)と、同じくらいの年頃の少女がいたらしいこと。

 これらの説明を受けて、導き出された結論。それを、誰も直接口にしたがらなかった。人道に反していて、考えるのも阻まれるからだ。しかし、庵はそれを確信めいて、結論付けなければならない。彼は息を呑んでペンに力を入れ、大きく矢印を引く。


 陽茉は国家が生んだ()()だ。


 メモ帳を懐にしまうと、彼は部屋に戻った。既に皆が目を覚まし始めている。

「昨日はお疲れ、庵」

 (じょう)の言葉が、視線が痛かった。

 彼に事実を伝えるべきなのか、庵にはわからなかったのだ。

 自分にとって陽茉が大切な家族である以上、丞にとっても同じなのである。陽茉は、庵の妹の一人であり、丞にとっては娘代わりだ。

 これが、瑾龍の言うように本当に一から全て「演技」だったとしたら。

 それはどう転んでも、丞にとって傷になり得るだろう。受け止められる現実だとは、思えない。現に、庵もまだ冷静でいられないのだ。誘拐までされて帰ってきたばかりの丞に伝えるのは、少々酷な所業なのではないか。

 庵は少々思考した後に、メモを閉じる。

「ありがとう」

 一言だけ丞に返すと、庵は微笑んだ。

 それから丞に悟られないように片手だけで、(りん)に合図する。後で話があると、そんな旨で。しっかり伝わったようで、琳は少々怯えた様子だったが庵に承知の意をアイコンタクトした。

 しばらくは、昨日のことを忘れて和気あいあいと過ごした。机を囲んで朝食をとり、何もなかったかの如く雑談を交わす。会話の間のやかましく輝かしい、明るい太陽がいないことを抜きにして、彼らは至って普通で、普段通りだった。今日のところは計画を立てることもなく、食事を終えるとすぐに各自で解散する。

 廊下で琳を拾い、庵は外へ連れ出した。

「何よ」

 琳は俯き気味で、庵の顔を見上げた。叱られている最中の子どものような幼い表情で、怯えを帯びて、彼女はじっと目を見つめる。

 まだ、庵との接し方を模索しているようだった。家出して再会し、暴力を向け合ったので、当然のことだ。琳の中で罪悪感は勿論存在して、その一方でやはり、庵を責める気持ちもあった。どんな顔をして会えばいいのかわからないとはこのことで、琳の表情はというと、「複雑」以外に表現のしようのないものだった。

「何も緊張することはない。昨日知れた、陽茉についてのことを報告しようと思っていただけだ」

「…あら、そう」

 そこには落胆があった。

 なんだ、そんな話か、なんて顔だ。

 叱られるのではなくてよかったなんて顔ではなく、ただ、落胆。残念そうな顔。そんなものだった。予想外の反応に庵は少々驚くが、まずは話したいことを話してしまおうとメモを開く。概要を業務的に連ねていき、琳も業務的な返事をした。しかしどうでもいいというわけではなく、琳は琳なりに、陽茉について考えていた。どこにいるのか、どんな状態なのか、様々なことを推測する彼女の瞳は、至って真剣なもので、憎悪はなくなっていた。

「陽茉。倉内 陽茉ね」

 琳は庵のメモを乱暴に取り上げる。

「お、おい、何すんだ」

「借りるわ」

 先に言えばいいものを、琳は後から言った。

 それから素早くペンを滑らせた。庵が上から覗くと、綺麗な字が等間隔に揃っていた。視線に気づいた琳は、手を動かし続けながら話す。

「私やおにいちゃんみたいな、天使に手を加えられた人間は数人点在するわ。それでこれだけ研究が進んでいるとすれば」

 琳は庵と同様に、大きな矢印を引く。

「私たちのような()()()が、研究所に囚われているはずよ」

「実験体として、ってことか」

「そうよ。あくまで、憶測に過ぎないけれど…人間の体内に毒を仕込むのなら、仕込む前に効くかどうか試しているはず」

 十年前の妹に比べて、随分頼もしく見えた。これは天使の細工によるものなのか、彼女本人の努力の結晶なのか、今では判別することができない。綺麗なその字すら、天使のものなのだろうか。

 これだけ話して、琳は手を止めた。

「結局、陽茉がどこにいるか、だけれど…正直わからないわ」

 メモを押し付けるようにして返して、琳は大きくため息をついた。

「所詮私にできるのはこの程度のこと。天使に頼ったところでね」

「罪滅ぼしとでも考えているのか」

 琳は庵を一瞥する。高い鼻は庵に似て美しく、睫毛の際立つ横顔は神秘的ですらあった。

「悪いかしら」

 自虐的な笑みを浮かべて、琳は煙草を取り出した。キャビン五ミリ。いつから吸い始めたのやら、庵はすかさず取り上げた。残念そうな琳の表情は、不思議とどこか嬉しそうだった。

「兄妹なんだ、迷惑なんてかけてなんぼだろ。罪なんて感じなくていい」

「陽茉がいなくなったから、そう言えるのかしら」

「いなくたって、陽茉だって今でも俺の妹だよ」

 庵は屈み、琳の目線に合わせて話す。頭に軽く手を置いて、目を伏せて笑った。

「お前も陽茉も出ていっちゃったけれど…どっちも、ずっと大切な、愛おしい俺の家族だ」

「…そう」

 くしゃっと笑った琳は庵の手を退けて、笑顔のまま扉の前まで小走りした。

「もういい年なんだから、頭なんて撫でないで頂戴。いつまでも子供だと思ってたら、セクハラで突き出すわよ」

 いたずらにくすくす笑って、琳は拠点へ戻った。元気が戻ってよかったと、庵は一人安堵する。あと心配するべきは、丞と陽茉だ。

 研究所の実験体。興味深い、充分に信頼できる仮定だ。自分のような人間が実験体にされているかもしれない。そうだったとして、陽茉はどう感じたのだろう。自分と出会って、出会わされて、何を思ったのか。彼女は、今どんな気持ちなのだろう。

 今日は昨日と同様に、暑い日だった。風だけが春を感じさせるものの、雲や太陽は夏の顔をしている。空を見ると眩しくて、反射的に目を細めた。

 メモ帳を改めて読む。そこに、小さく字が()っていた。金色に反射する、書かれているというよりも、映っている字。

「…琳が」

 なんとなく、そう思った。そう思って庵は部屋に戻り、キルディとヴァレエラだけを呼び出す。

「行きたいところがある」

「ふうん、まあ、ここにいたって仕方ないもんな」

 仕事がなくて退屈だったとキルディは笑い、朝から飲んでいた酒を冷蔵庫に片付けた。

 そうして彼らは出かけたのである。


 心地よい風が頬を伝い、髪に絡みつく。特有の臭いは好みがわかれるが、少なくとも、庵は好きだった。

 なにより、この場所の特別感と、波の静かな音が好きで、度々訪れることがあった。それも、陽茉と二人で、学校帰りなんかで。

 海である。

 バスに乗ってどれほどかかっただろうか、それなりに長旅をした庵は、砂浜には入らずに堤防へ腰かけた。

「庵、俺らは海なんて初めて来たぞ」

「そうか」

 キルディの声が弾んでいるのを聞いて、庵は少し可笑しくて、笑みが零れる。

 彼は意気揚々と駆け出して、足を水に浸した。冷たく流動性のある感触が物珍しいらしく、波が来るとキルディは反射的に羽を出して、宙に浮かび上がった。お前も来いよ、なんてヴァレエラに声をかけて、二人は珍しく、子どものように遊び始める。ヴァレエラの表情はわからないが、楽しそうな顔をしていると、庵はそう感じた。

 しかし、庵は遊びに来たのではない。遊びに混ざることはなく、周囲をじっと観察した。

 季節外れの来訪のため、人はほぼほぼいなかった。今は海の家すら開店しておらず、寂しい雰囲気だ。もう一度メモを確認する。

『ひまは、うみにいるよ』

 金色の字は、変わらず日光を反射して輝いていた。琳が書いたとして、なぜ陽茉の所在を知っているのか、想像できなかった。諦めかけて身体を道路側に向けると、ふと、見覚えのあるバイクを発見する。影でできたような、輪郭が曖昧なあのバイクだ。

 山羊の角のついたヘルメットがバイクにかけられており、確信する。

 庵は咄嗟に駆け寄った。

「…おや」

 長い髪。薄暗い霧のような髪の先、翼になっているそれに目を奪われる。肌は真っ赤で、結膜は緑だ。耳が長く垂れており、少しだけ毛が生えている。獣かエルフか、どちらも彷彿とさせるが、いずれにせよそれは、人間のものではなかった。分けてセットしてある前髪をかき上げて、女性はこちらにニヒルな笑顔を見せた。

 美しい。美しく気高い女性だ。

 しかし不思議と、今までの印象を崩さない。まるで想像もしていなかった容姿だが、予想通りと言いたくなるような、そんな美貌だった。

「ゴーメットか」

「そうだとも。はじめまして、なんてね」

 庵は確認をするように、ゴーメットに声をかける。

「綺麗だ、いつもそれでいればいいのに」

「これじゃあ幾分、舐められることもあるのさ」

 よく見ると、彼女は煙草を手にしていた。ラッキーストライク。死神でも人間の作った嗜好品を嗜むのかと驚いたが、そういえば、キルディも人間の作った酒を好んでいた。悪魔って案外、そういうものなのだろうか。

「どうして君が、ここに」

 庵の言葉に、ゴーメットは目を伏せて「さあ」とだけ答える。

 彼女に倣って、庵は煙草を口にした。すかさずゴーメットが火をくれる。自然に隣に座る形となり、横に並んで煙を吐いた。日差しが暑く、ゴーメットが煙草を咥えて髪を一度まとめ上げた。

 しばらく吸って、遊んでいたはずのヴァレエラがいなくなり、キルディが近付いてきていることに気が付いた。

「ヴァレエラはどうした」

「ん~」

 キルディは曖昧な返事をすると、岩肌を指さした。どこからか買ってきたのだろうアイスを咥えながら、キルディは目を擦る。蛾には少々強い日光だったようだ。フリルのついた日傘をさして、キルディはゴーメットの隣に座り込む。

「ありがとう」

 彼のさした通り、岩の方まで歩いていく。

 そこには、向日葵が咲いていた。

「あ…」

 小さな声はか弱く、瞳は震えていた。

 しゃがみ込んで向日葵に埋もれた()()は、酷く怯えた様子だった。

 そんな少女の背中を、ヴァレエラはただ、優しく撫で続ける。

「ここに、隠れていたのよ」

 捨てられた子犬のようだ。

 陽茉は小さく、呟き続ける。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

「きらわないで、ごめんなさい」

 彼女は、耳を塞いだ。

 恐怖。

 絶望。

 そこには、それしかなかった。

 輝かしい太陽は火を失い、溶け切っていた。

「陽茉」

 声をかけると、体が大きく跳ね上がる。その姿は、虐待された子供かのようだった。実際に、そうだったのかもしれない。陽茉が、研究所でどんな扱いを受けていたかなど庵には想像もできない。

「陽茉、大丈夫、大丈夫だから」

「何が、何が大丈夫だ、ぼくのこと、ぼくのこと全部、知ったんだろ」

 感情が激動している。

 陽茉は声を徐々に荒げた。

「ぼくを、ぼくを知ったんだ。ぼくを知ってしまったら、もう」

 声を遮って、庵は抱き締める。

 大丈夫、大丈夫と背中を撫でる。

 庵の腕から、軋む音がした。陽茉の手が、庵の腕を壊そうとする。兵器には、そんなこと容易かった。しかし、すぐに力が弱まる。脱力して、全体重が庵にかけられる。涙が庵の身体を冷やした。

「もう、もうおしまいなんだよ、ぼくたち」

 全て、偽りだった。全て、偽りの家族で、全て、騙して生きてきた。

 それを命じられて、陽茉は生きてきた。何が正しいのかもわからずに、ただ妄信的に、縋り付くものもなく、命令通りに生きてきた。

 どこに、陽茉という少女は、存在していたのだろうか。

「大丈夫」

 庵には適切な言葉が浮かばなかった。

 ただ、大丈夫と声をかけるだけ。

 頭の良い、否、家族である庵には、陽茉の気持ちは痛いほど、吐いていしまいそうなほど、わかったのである。

 しばらくの沈黙。

 波の音と、陽茉の荒い呼吸の音だけがこだまする。誰も、誰の言葉も求めなかった。静かな空間で、傷がゆっくり、ゆっくり癒えるのを待つ。

「陽茉。俺はどうあっても、お前のことを家族だと思ってる」

 慎重で繊細で、しかしながらただ純粋で、素直な気持ちを庵は口にする。

 琳にも伝えたことだ。

 庵にとって、琳も陽茉も、どう足掻いても何が起きても、大切な家族である。

「ぼくが、きみを殺そうとしても。きみを殺そうとしてもか」

 陽茉の瞳は、真っ直ぐと庵を捉えていた。そこには、明確な殺意が感じられた。

「もう、知ってるでしょ。ぼくは、国に命令されれば、きみを殺す、そんな女なんだよ」

 今度は、笑う。哀しく、笑う。琳によく似た笑顔だ。歯を見せて、眉を顰めて笑った。

「関係ないよ」

 庵に恐怖はなかった。

 ただ、頭を撫でる。琳にしたように、大切な妹を愛した。

「そう、そっか、そう…」

 声が小さくなっていく。そして、陽茉は再び泣き出した。

 安堵の涙だと、庵にはわかった。ここに、偽りはない。

「愛しているよ」

「大好き、大好きだよ、庵、ごめんなさい」

 家族だ。家族なのだ。家族だから、過ちを犯したっていい。誰かが言った言葉だ。それを庵は真に思っている。

 庵はそっと、陽茉の涙を拭った。


 後に聞くと、ゴーメットが家出した陽茉を拾ってやり、食べ物を与え、海まで連れてきたのだと言う。海は陽茉が望んだそうだ。なにせ陽茉と庵が出会ったのは、今日のような天候の、海だったのである。

 琳はなぜ、陽茉の居所を知っていたのだろう。キルディにそう振ると、彼はすぐに「ゴーメットだろ」と答えた。

「なんせあいつ、死神なんて呼ばれて、死神を名乗ってるけど…本当は、『誘い(いざない)の悪魔』だからな」

 

 ゴーメットには丁寧にお礼を言い、何か返せないかと聞いた。ラッキーストライクを二カートン、ついでにお茶菓子だとか。思っていたよりも強欲だったが、要望通りに用意することにした。

 かくしてようやく、一度落ち着いた。計画を練らなくてはならない。

 庵は用意を急いだが、一同からの勧めで今日のところは休むこととした。

 今日は、まともな夢が見られるかもしれない。健全な心持ちで、眠りについた。

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