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滅天  作者: わるだくみ
第一章
10/11

(九)対峙

 感じたのは、純粋な恐怖だった。

「全部、研究所の命令だよ」

 淡々と発言した陽茉(ひま)の顔は冷たい。これが彼女の素なのだろうと、嫌でも気付かされた。

(あん)の存在を知った()()()()達は、すぐにぼくを小学校に転入させた。観察を目的に、何回も報告書を書かされたよ」

「報告書って?」

「例えば、失神したときとか、症状とか。それと、学校の成績とか」

 自らの爪を眺めてから、こちらに視線を送る。

 普段と違う仕草に、やはり、恐怖を感じざるを得なかった。

 まるで別人だ。全くの別人だ。

 髪をお団子に纏めていないのも相まって、自分達の知っている倉内(くらうち)陽茉ではないように感じる。

「それから庵が一人暮らしを始めたのは、センセイ達にとって好機だっただろうね。すぐにそこへ住むように命令されたよ」

 そうして偽りの家族が完成していった。

 明確にそうは言わなかった。言いたくない様子だった。

 命令で生まれたものだったとしても、陽茉にとって、人生で一度として存在しなかった「家族」だった。だから、偽りなんて言いたくない。

 そんな気持ちが庵には受け止められて、大きく安堵する。陽茉に、少しでも本当の家族でありたいという気持ちがあるのであれば、それで充分だった。

「天使を滅ぼす、なんて言い出すのも好機だったんだろうけれど…センセイはそれを言っても驚かなかった。多分、予想通りだったんだと思う」

 陽茉はそう言うと目を固く瞑り、また開いた。

「それからも私は、命令通り」

 空気が冷たかった。初夏に入りかけているというのに、陽茉の声があまりにも冷たくて、部屋が静まり返っていた。

 誰一人として口を開かない。何を言うべきか、やはりわからない。

 失望でも絶望でもなく、ただただ陽茉の苦労を考えた哀しさと、それを命ずる政府への恐怖が大きくて、何も言えなかった。

「ジーザイルを始末したのも、中華街へ行くように仕向けたのも、全部私。瑾龍(じんろん)さんが協力するとは思っていなかったみたいだけれど…こうして私の素性が、瑾龍さんから知られてしまったのだし」

 陽茉の笑顔には、解放されたような感情が映っていた。

 しかし、哀らしい。また、重荷が載っているような、そういう風に見えた。

 陽茉は髪を耳にかけ、一息つく。

「ぼくのこと、知られたってバレたら始末されちゃう」

 碧眼は相変わらず輝きを保っていて、怯えた雰囲気とのギャップがなんとも奇妙だった。恐怖はなく、諦めを感じられる。陽茉のその言動からは、政府への抵抗のしようのない残虐さが、容易に伝わってきた。

 児童の身体で実験し、研究を行う、そんな組織。

 これほどまでに腐った政府という言葉が相応しいことはない。一人の少女の人生を、政府は丸ごと殺したのだ。

 しかし、そのような残酷な研究を要するほどに、天国とは、更に残酷で恐ろしい存在なのだろう。

「話してくれてありがとう」

「うん」

 陽茉は感謝されるとはにかんで、照れくさそうに目を伏せた。

 先ほどよりも荷が下りたように見えて、庵は少し安心する。少しでも陽茉の助けになりたい。少しでも、陽茉の人生を変えたい。そんな力が、自分にあるだろうか。

「で、これからどうするよ」

 話を切り出したのはキルディだ。いつも空気を一転させ、新たな緊張感を生んでくれる。

「仲間は出揃った。こっからは、天に向かって一直線だろ」

「そうだね。政府のことは気になるけれど…まずは天を滅ぼさないと」

 庵はそう言って首を撫でる。目指す場所は変わらない。様々なことが起きて、たくさんの情報を得たけれど、使命はずっと変わらないのだ。

 そうは言っても、行くあてもない。

 暫く庵が黙り込んでいると、陽茉が小さく手を挙げた。

「ぼく、ゴーメットさんから聞いたんだけれど」


 聖ヶ谷(ひじりがたに)。訪れるのは、五日ぶりだ。もっとも、また訪れることになるとは思ってもいなかったが。

 あの時、見逃したジーザイルは元気だろうか。

 陽茉のことを知ってから考えると、そういえば、ジーザイルとの戦いにとどめを刺したのは陽茉だった。天使側の人間には容赦をしないと、教育されているのだろう。耳に響いた骨の折れる音が、フラッシュバックする。

「アタシ達が出会った場所ね」

「そうなのか」

 ヴァレエラの言葉に、颯凜(そんりぇん)は驚いた様子で自由に散策を始める。

 廃れた村だ、奇妙だ、などと一人で呟きながら歩き、そのうち鼬凛(ゆうりぇん)に止められて帰ってくる。危ないよ、と一言。

 今日は、以前来た時とは違う。

 ゴーメットの情報をもとにして訪れたのだ。充分に警戒する必要がある。

「ジーザイル、元気だといいな」

 陽茉が不安そうに呟く。

 政府の命令といえど、彼女が致命傷を負わせたのだ。気にかけるのも無理ない。

「教会に行けば、会えるかな」

 行こう、と陽茉は庵の手を掴み、弱く引き寄せた。

 今までの陽茉だったら、強引に連れて行っていただろうに。

 周囲の音に気を付けながら、彼らは真っすぐ教会へ向かった。特に異変もなく、無事に到着することができた。

「ジーザイル、いるか」

 扉をノックする。中から微かに、足音が聞こえた。依然としてゆったりとした、等間隔で重厚な足音は、おそらくジーザイルのものだろうと予想できた。しばらくして、足音が近付いてくる。

「如何様」

 数センチだけ扉が開き、ジーザイルが睨みつけてくる。

 当然の反応だった。警戒心が見られた。陽茉はその態度に罪悪感が一気に湧き、咄嗟に頭を下げる。

「ご、ごめんなさい!」

「な…」

 ジーザイルの表情が、少し動いた。どうやら驚いたらしい。人間らしいところを見たのは、初めてなような気がする。

「敵意がないなら、それでいい。何の用だ、一体」

 案外、話が通じるらしい。

 庵は少々思考した後に、言葉を選んで話す。

「天使、いないか」

 暫く、沈黙があった。

 考えて、考え込んだ後に、ジーザイルは答える。

「いるぞ」


  ♰


 教会から出て、山を登った。

 足場の悪い獣道を進み、森の奥へ入っていく。このまま殺されて埋められてしまうのではないか、という考えも浮かんだが、今、自分の周りにはたくさんの仲間がいる。丞以外の全員が総動員で来て、人数は七人。呼べば、ゴーメットも来てくれるはずだ。

 陽茉の力だってある。今までと違って、彼女は持つその力を隠して使う必要もない。堂々と挑めるのだ。

 何も、怖くない。

 天使だって、怖くない。

「戦うのだろう、君達は」

 庵達を先導しているジーザイルが、背を向けたまま言う。

「文句あるか」

 キルディが強気に答えると、ジーザイルはふむ、と声を上げた。

 それから一度立ち止まり、顔をこちらに少し傾ける。

「ない。ないが、死にたいのか」

 心配をしている様子だった。

 ジーザイルは、天を信仰している。前に会った時から、変わらないはずだ。敵対する彼は、天使と戦う我々に対して、本来は敵意を示すはずだった。しかし、それよりも心配が先行する。

 その心配は、ジーザイルの心の内の単純な優しさから、という点もあるかもしれない。ただそれよりも、彼が心配を見せた理由は、至って単純で。


 天使が勝つと、確信しているからだった。


  ♰


 奇妙だ。

 開けた場所に、ただ一つ十字架の石碑が建っており、一面に花が咲いている。

 小鳥のさえずりが聞こえる、穏やかな場所だった。

 天使の姿は見えない。でも、ジーザイルが戦おうという様子もない。

「私は、これで」

 ジーザイルは深くお辞儀をして、山を下りていく。

 聞きたいことが山ほどあったが、背後をとられて殺されては大変だ。ジーザイルに警戒を割いて、見送ることにする。姿が完全に見えなくなってから、また、石碑を眺めた。

 それと同時に、鳥の羽ばたく姿が見えた。しかし、羽ばたく()は、聴こえない。

 異様なまでに、音が聴こえない。

 何の音もしない。先ほどまで聞こえていた風の音も、森の音もしない。

 耳に違和感を覚える。圧迫感がある。

 それは、まるで、真空のような――


 呼吸が、止まる。


「な、何、どういうこと」

「どうした」

 庵と、琳を除いて。


 悪魔までもが首を押さえ、脱力し、痙攣して、苦しんでいる。

 颯凜や鼬凛は、既に意識が消えかかっている。

 人体を改造されている陽茉でさえも、その目は虚ろだった。

 陽茉が口を動かした。声は出ない。

『 て ん し だ 』

 空が眩しかった。花が発光して、眩しさに目を覆うと、既に、()()

 柔らかそうな髪が、不自然なまでに風に揺れる。踊るように舞う。

 尖った耳に、大きなリングのピアス。肌は純白で、頬や関節が淡い黄色に染まっている。

 大きな羽。真っ白い羽。

 人々が描く、美しい天使そのものだ。

 目を除けば。

 美しい長い睫毛に合わない、グロテスクな瞳をしている。

 それは昆虫のような複眼、或いは集眼か。

 一つの眼球の中に、数ミリほどの小さな、青緑色の瞳が、びっしりと、白目が見えないほどに埋め尽くされていた。

 そして、血のような粘度を感じる液体が、目の際からどろどろと流れている。

 天使は話さず、一度、笑った。

 薄く、優しく、美しく、儚く、醜く、恐ろしく、愛らしく。

 笑う、笑う、笑う、笑う、笑う。笑うのだ。

「殺、される」

 琳が弱く呟いた。

「殺されるわ」

 今度は、声を荒げる。

 圧力に塞がれている耳にも、しっかりと届いた。

 しかし、全員を抱えて帰るなんて、不可能だ。

 庵も琳も天使に細工された人間ではあるものの、力が強いわけではない。倒れた五人を担ぎながら逃げるなど、不可能だった。

 逃げ出すことは、できない。

 琳は月光を纏う。

 庵と接敵したときのように、月光が差し込み、肌が、髪が、淡い桃色に変色していく。傷は黄に白に、マゼンタにシアンに光り輝く。淡い金色の服が体を包む。

 ナイフを握る手が、震えていた。

 怖い。

 先ほどまであった自信が、全て崩れ落ちる。

 気付いたころには、空間に酸素が戻っていた。倒れていた皆が咳き込みながら呼吸する。どれも既に意識がほぼほぼないようで、生理現象で呼吸している様子だった。

 早く天使をなんとかしないと、全員死んでしまう。

「行くぞ」

 琳に活を入れる。

 雄叫びを上げた。

 走る。猫の如き速度で、とにかく走る。琳も隣を走った。走って走って、走って、思い切り刃物を振る。二人で一緒に、腹に切りかかる。

 血が噴き出した。

 しかし、それだけだ。

 血が出た。

 出ただけだ。

 天使の表情は微塵も崩れない。依然と微笑んでいる。

 愛おしそうに。

「人間」

 知らない声。その声が天使のものであるとわかるまで、少し時間がかかった。

「人間、間、人間人」

 出ている血を微塵も気にせずに、天使は笑い出す。

 痛みではなく、ただ、面白くて腹を抱える。

 腹を抱えて、笑う。

 楽しい。

 楽しいのだと。

「人一、捧ゲは、見逃」

 何を言っているのか、よくわからなかった。

 混乱しているまま、再び刃を突き立てる。否、突き立てようとした。

 視線を感じて、身体が硬直する。動けない。それはまるで、メデューサかのような、そんな超常現象。もがいてももがいても、動けない。目しか動かない。それは琳も同じようで、目が合った。目が合って、焦燥した。

 声も出ない。ゴーメットも呼べない。

 終わった、終わったのだ。

 勝てるはずが、ない。

 勝てるはずがなかったのだ。

「良い、良。良い、資質」

 天使が動く音が聴こえる。

 可能な限り目を動かして、動きを追った。

 彼は、颯凜の目の前にいた。颯凜に対して、「()()()()」と言った。

 まずい。

(アマ)(ツボミ)、天ノ蕾だ、天使、天蕾(テンライ)

 颯凜の首を片手で掴み、乱暴に持ち上げる。脱力している颯凜は、無抵抗で全体重を天使に預けていた。

 目を瞑っている。こうして見ると、鼬凛のように、美しい。

 白くて、まるで、俗によく言われる()使()のようだ。

 天使にとっての、良い資質とは――


ザシュ。

ドサ。


 うなじに、()()

 罰印に切り刻まれて、血が吹き出した。

 目の限界がきて、詳細には見られない。

 ただ、傷を抉るような、ぐちゃぐちゃという気味の悪い音がする。

 次第に、身体が同じ体勢でいるのが苦しくなった。全身が痛くなってくる。

 そう考えていると、突如、頭に衝撃が走る。

 パチン、と意識が消えた。恐らくは、殴られた。とても強い力で。

 皆、どうか無事で。

 いるはずもない神に、庵はそう願った。

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