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滅天  作者: わるだくみ
第一章
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プロローグ

 恥の多い生涯を送って来ました。

 そうオマージュするには、かの有名な彼よりも、男は、幾分も容易な人生を送ってきたかもしれません。しかしそれでも男は、確かに、恥の多い生涯を送ることとなったのです。


 男は完璧でした。

 シルクのような真っ白な毛に、長い睫毛。鋭い目頭の先、目尻はキリッとつり上がり、髪の色に対照的な濃いマゼンタの瞳は人を吸い込んでしまうかのようで、実に幻想的で、中性的な容姿にあります。人に気を遣うこともでき、臨機応変に対応して、無論、彼は女に困ることも一切ありませんでした。尤も、本人は色恋にほぼほぼ興味がなく、あまり相手にしませんので、巷では「高嶺の花」と呼ばれる対象にありました。

 学業に関しては教科書を一読すれば全てを理解し、数字に表せば、常に満点をとりました。それと共に運動も欠かすことなく、簡単になんでもこなすことができました。そんな彼は文武両道という言葉がよく似合うものの、世に言われるような「努力」によって勝ち取られた成績ではなく、彼のそれは、まさしく「才能」と言われるものであって、努力をしたことは一度もありませんでした。

 そんな彼の唯一の欠点は、重大な病気でした。時に吐血し、時に失神し、時に、言語能力を失う。正確に言うと、これらは原因不明の「症状」であって、病気と断定することができないものでした。

 ただそれは、その正体が何であろうと、確かに、彼自身の人生にとって、唯一の障碍でした。


 また、その男の名は、祟羽 庵(たたらばね あん)という。


 _____________________



 某日。

 ソファの上、薄い毛布の中で目が覚める。

 体調が悪い時は、決まって嫌な夢を見る。(あん)は不愉快そうに目を擦り、伸びをしては、体を折り畳むようにして脱力した。

「目が覚めたか」

 その様子を眺めていた三十代程度の男は、慣れた様子で、ある種呆れを帯びた表情で、庵にコップ一杯の水を差し出した。

「…俺の金は?」

「貰えるだけ貰ってきたけど。お前、いっつも倒れんだから賭場なんてやめちまえよ」

 庵は話の半分を聞いていなかった。彼は、説教くさいのは嫌いな性分なのである。男の叱る御託の其々を記憶してしまわぬように耳を閉ざしながら、庵は例の金の確認に集中していた。

 大量の札束。幾ら連勝し続ければその量になるのか、想像すらできないほどの現金の山は、庵にとっては貴重な生活費だった。

 膨大な情報を有する庵にとって、賭場とは、最も稼ぎやすい職場だったのだ。彼の生活の全ては此処から供給される金にあり、それが例え危険でも、犯罪でも関係のないことだった。敗北というリスクのない賭場が何よりも最高の稼ぎ場であることは、誰でも理解することができるだろう。

(じょう)だって賭場に入り浸っているくせに」

「俺は酒を飲んでいるだけだ」

 丞と呼ばれた男は、庵に言い返されて尚説教を続ける。

 将来有望な若者が、大学にも行かずに賭場に入り浸っていれば、口を出したくなるのも当然だ。丞は庵を息子のように思い、守り、暮らしを支えている。そんな彼が今賭場に行って、賭け事もせずに酒ばかり飲んでいるのは、言うまでもなく、庵の体調が急変しないか見守っているためだった。倒れた時には運んできて看病してやり、説教をする。そんな日々が、彼らの当たり前になっていて、それは実際の親子同然の信頼関係であった。

 長い説教を聞き流し、数秒の静けさが、部屋を冷え込ませる。

「…庵、俺は」

 そう言いかけた一瞬、眩しいという感情に支配される。

「庵!!」

 大きな声、大きな音だった。大きな光、大きな…嵐。

「また倒れたの!人に心配ばっかりかけちゃって!」

「ああ、落ち着け陽茉(ひま)。いいか、深呼吸だ。いいな」

 庵は抱きついてくるその陽茉という少女をうざったるそうに退けながら、冷静に宥める。

 大きなお団子に大きな胸に、大きな力に、大きな瞳に輝く大きな十字の光に、陽茉とは太陽のような女で、冷え込んだ部屋を一瞬で暖めた。

「心配かける庵が悪いんだ!」

 文句をうだうだ吐き続ける陽茉は、五歳程度の幼児のようで、庵はそれを、慣れたように対処する。これも、彼らの日常の一部なのだ。説教された後は、決まって陽茉がやってきて、大騒ぎする。丞もさして驚いた様子もなく、やれやれとため息をついて、煙草を一本取り出すのだ。

 今日も、日常が過ぎ去っていく。日常が流れていく。そのはずだった。

 それでよかったはずなのに。

 庵は突如、吐血した。

「庵!?」

 白黒、キラキラチカチカと、移り変わる世界。

 揺れる瞳、痺れる手足。

 脳が冷たい感じがして、今度は熱くて苦しくなって、呼吸ができなくなる。

 喉奥から赤黒い血が漏れて、漏れて、止まらなくて、漏れて、漏れて。

 また、意識が途切れるのだ。


 嫌な夢を、嫌な夢を見るのだ。

 首を真横に切られて、地面に落ちた頭についている瞳で、自分の首の切断面を眺める。

 肺が膨らむ、呼吸をする、そういった感覚はない。呼吸ができない。

 鈍痛の底で今にも飛んでしまいそうな意識を繋ぎ止めて、自分の視野を留めている。

 その視野で、“白い羽を持った化物”が、その切断面に種のようなものを植え付けているところを確認する。

 そして、この頭を、元あった場所に戻し、金色の糸で縫い付けて、元あったように直される。

 そんな、嫌な夢だ。嫌な、夢。

 幼少期の、鮮明な記憶の、夢。


 再び目が覚める。

 日常ではない目覚め。丞と陽茉が、庵の顔をじっと覗き込んでいて、胸に手を当てて呼吸をしていることを常に確認している。

 庵はその二人の様子を察して、目を開くと同時に、一言呟いた。

「天を、滅ぼそう」

 彼らの日常の崩壊。

 これは逃れられないものであるのだと、庵は自覚していた。

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