小学生編
私の実体験を書き綴っています。拙くはありますが、ASDならではの世の中の捉え方や感情を書き出したつもりです。もしかしたら、私だけの捉え方の部分があるかもしれませんが、お許しください。
「私、作ぎょうりょうほうしになりたい!」
そう口にしたのは小学校2年生の夏休み。その日は父が作業療法士として働く老健へ見学に来ていた。父は笑顔で優しい声掛けを行いながら、リハビリを進めていく。その光景は私にとって衝撃的だった。私の父は家族の前で笑わず、暴言と暴力を振るうのが当たり前だと思っていた。しかし、目の前にいる父は笑っていたのだ。そんな父を見て、私は作業療法士とはとっても楽しいのだろうと思った。笑うのが不得意な自分でも作業療法士になれる気がした。
私は笑顔の仕方が分からない子だった。いつも周りを観察し笑顔や怒り、泣き顔などを真似していた。家に帰ると鏡を見つめ、ほっぺたを引っ張りながら口元を動かし、表情を作る練習をしていた。周りはそんな私が気持ち悪かったらしく、いじめられた。陰口を叩かれた。しかし、それが「いじめ」だと気づいた頃にやっと「悲しい時には泣く」ということを覚えた。それほど私は感情と表情の関係性ががよく分からない子供だった。
小学校3年生になると、いじめっ子は別クラスになり幼稚園の時から一緒の子達とよく遊ぶようになった。友達と遊ぶ楽しさを笑顔で表すことを知った。
小学校4年生になって、転校をした。理由は母の鬱病の悪化であった。近所の人から嫌がらせを受けたのがきっかけで発病したのだ。転校するまではいつも防犯ブザーを握りしめて帰った。弟と母が襲われた、発作を起こす母の首を父が絞めた......そんなことを見聞きする度に恐怖で震えた。この時に恐怖で顔が歪むということを知った。
転校してからはさらにいじめられた。田舎だったため、外から来た人間が怖いのだろうと思っていた。しかし聴いてしまったのだ。
「なぎちゃんって、変だよね」
掃除の時間に女子二人がコソコソしていたものだから、つい聞き耳を立ててしまった。そうしたら私が「変」だって?
確かに私は人からいつも距離を取られる、だけど私は「変」なんかじゃない。「普通」だから......と女子の意見を心の中で否定した。
でも、本当に私は「普通」なのか疑問は心に残った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
決して作業療法士の全員が暴力や暴言を振るう訳ではありません。作業療法士を批判するようなことだけはおやめください。