表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

取り残されるもの

 私には妻がいる。

 まだ新婚だが、妻は物静かで、どこかのご令嬢ではないかと思ってしまうほどのオーラを持っている。

 いまだに何故付き合って結婚までできたのが分からない。

 思えば妻は学生時代から高嶺の花だった。

 付き合うことになった時も友人やクラスの子にどうして付き合うことになったのかと詰め寄られていたのはいい思い出だ。

 式の当日にそれを聞いてみたら、妻は微笑んで優しい瞳で私を見ていた。

 言葉もなかったけど、私にはそれで十分だった。

 これからもっと、幸せが広がっていく、そんな気がしていた。


 結婚生活といっても元々同棲生活を送っていたので生活が変わることはない。

 一つ変わったことと言ったら、私にも部下ができたので任される仕事もそれなりのものになり、夜遅くになることも多くなった。

 どんなに遅く帰ってきてもいつも私を待ち、一緒にご飯を食べ、一緒の時間に寝る。

 夜遅くまで私を待ち、他愛のない話を幸せそうに聞いてくれ、そばに寄り添ってくれた。

 だから私は妻のためなら何だってできる。

 親も親類もない私にとって、妻が私の全てだった。

 変わったのはそれだけではない。

 妻の身に纏う雰囲気も変わった。

 結婚した次の日、起きてすぐに妻を見て声をかけようとした時。

 ふと目を離してしまうと消えていくような、そこから消えていってしまうような気がして恐怖を感じ、気がつけば私は妻を強く抱きしめていた。

 どこにも行かないでくれ、無意識に出た自分の言葉に驚きつつ、冷静になって妻を公衆の面前で抱きしめているのに気がつき、いきなりごめん、と慌てて離れた。妻は驚いているのか、もしくは羞恥心からかしばらく俯いていたが直ぐに顔をあげ、ありがとう、と言った。

 どうしてそんな顔をするの?

 ありがとう、って言ったのに、どうしてそんな寂しそうな、悲しそうな泣き笑いのような顔を、しているの?

 

 それ以来、そんな雰囲気を纏う妻を見ることはなくなった。


 それからは、部下と妻が色々あって何故かお茶をするほど仲良くなっていたり、忘れてしまった弁当を届けてくれた妻を見て上司や同僚からいじられたり、羨ましがられたり。

 ありふれた日常が、続いていた。


 



 


 妻が事故にあった。


 頭が真っ白になった。

 ただ私の体は走り出していた。

 幾分か落ち着いた時に胃はすでに病院に着いていた。

 そのまま妻のいる場所に向かい、部屋に入ると妻らしき人がいた。

 そのそばで義父と義母は泣いていた。

 崩れ落ちて、その人に縋りつきながら。

「病院に着いた時にはー」


 どうして義父と義母は泣き崩れているのだろう?

 どうして?

 まるでそこにいる人が妻のようじゃないか。

 妻は、そんな顔をしてない。

 そんな抜け殻のような、顔ではない。

 だからこの人はダレ?




 満開の笑顔の妻の写真が黒い額縁の中にあった。

 ああ、あの写真って、新婚旅行の時に撮った写真だったな、そう思って懐かしくなり、隣にいるだろう妻には仕掛けようと隣を見ると義父と義母がいた。

 2人は泣いていた。

 大丈夫ですか、と声をかけるとこちらを見てもっと泣き出してしまい、どうしようかと辺りを見ると、みんな泣いていた。

 どうしてみんな泣いているんだろうか。

 さらに困った事態に頭を抱え、ふと気がついた。

 そういえば、妻はどこに行ったんだろうか?

 顔が見たい、笑顔が見たい。

 キミに会いたい。



 仕事を1週間も欠勤してしまっていた。

 謝罪をしに行ったらかなり心配され、もっと休んでいいとまで言われた。

 なんなら社長が突然来てかなり心配されてしまった。

 処分をくらう覚悟できたがそんなことはまるでなかった。

 なぜだろうと疑問に思いつつも一旦思考をやめ、溜まった仕事に集中する。

 とはいえ私が休んでいる間他チームの方達や、部下達がやってくれていたのでそれらをチェックするくらいだ。

 本当に申し訳ない。

 妻と仲の良かった部下はかなりよそよそしかったのでちょっぴりショックだった。

 さて、今日は遅くなるからメールを入れておこう。


 返事は返ってこない。


 ただいま、と言って入っても返ってくるのは静寂だけ。

 まだいないのかな?

 声を、聞きたい。

 キミに会いたい。



 「・・・あの・・・大丈夫、ですか・・・?」


 部下が私を呼ぶ声にハッと覚醒する。

 家にいたはずなのに、気づいたらオフィスにいて仕事中だった。

 すまない、と返事をしつつすぐに頭を仕事に切り替える。

 報告を聞いた後、そのまま去らずに留まっていた。

 聞きたいことがあるけど聞けない、そんな顔をしている。

 どうかしたの、と聞いてもやっぱり何も言わず、何か言おうとして。


 なんでもないです、と言って行ってしまった。


 ある日、部長が慌ててこちらに来た。

 何か仕事振られるんだろうな、と思いながら話を聞くとどうやら私がよく交渉やら商談に行っているところに打ち合わせをしに行って欲しいらしい。

 担当もいつもの人らしいし、そんなことならお安い御用だと承諾しようと思ったら話を聞いていた部下たちや、隣の部署の方達が猛反対。

 口論になるのもまずいからと慌てて部長に仕事を引き受ける件を伝えた。

 途端に静まり返り、もっと深刻な空気になってしまった。

 部長はハッとしたように表情を変え、今の話は忘れてくれ、と頼んできた時と真逆なことを言い出した。

 しかし相手は私が長く担当していた方だし、大丈夫です、行ってきます。

 というとすごく申し訳なさそうに、本当にすまない、と言って逃げるように去っていった。

 周りの皆んなには私を気遣ってくれたのでお礼と、行ってくると伝えて私は早速打ち合わせの準備を始める。

 あの、と言う声がした方を見ると部下がこちらを心配そうに見ていた。

 どうしたの、と声をかけると、無理はしないでください、奥さんのこともあるのに・・・・、そう言った。

 どうして妻が出てくるんだろう、と思いつつ、さては愛想をつかされるのを心配しているのだろうか?

 いやいや、妻は仕事が遅くとも私を待ち、私のために時間を作ってくれる人だ。

 そんなに心配しなくても大丈夫だよ、自慢の妻だから。

 そう言ってすぐに私はエレベーターに乗り、取引先に向かう。

 

 誰かの泣いている声が聞こえたような気がした。



 電話が鳴っている。


 その音に目が覚め、電話を取ると、義父からの電話だった。

 いつもは妻の方にかけているから珍しいな、と思いつつ電話に出ると人の良さそうな柔らかい口調で返事が返ってくる。

 義父と義母に初めて会ったのは妻と付き合い始めた時の頃。

 お付き合いの挨拶をするとのことでガチガチに緊張していたが2人の柔らかい、優しい雰囲気に当てられて緊張もほぐれたし、すぐに交際も認めてくれた。

 なんなら今すぐ結婚してもいいとまで言っていて、どこまでか冗談なのか分からなかったし、妻も珍しく顔を真っ赤に居心地悪そうにしていた。

 まあ私はその日会うまでずっとロボットみたいな動きをしていたみたいで恥をかいた度合いとしては私が勝っていた。

 眩しく、暖かい家庭だった。

 両親がいない私にとって、この家族が尊い光景に思えて、そこに私を暖かく引き入れてくれ、過ごした時間は私にとって本当の親子の過ごす時のようで。

 結婚してからもずっと、この幸せは続いていた。


 「久しぶりに会って話さないか?」



 快諾して、どこで会おうか聞こうとすると、どうやら近くまで来ているらしい。

 さて、少しばかり掃除でもして身なりも整えておこう。


 久しぶりに会った義父と義母は痩せていて、何処か暗い。

 大丈夫ですか、と言うと、君こそ大丈夫か、と返ってきた。

 質問に大丈夫と答え、今日の本題にさっそく入っていくことにした。

 すると義父の表情が強張って、押し黙ってしまう。

 戸惑い、不安、緊張。それを感じつつも義父が話始めるまで待つことにした。

 それでもなかなか話を切り出してくれない。

 意を決して私は義母は元気なのかを聞いた。

 どうやら少し前までは体調を崩していたらしいが、今は徐々に回復しているらしい。

 義父が今日1人なのはそう言うことか、と納得したが、どうして妻を呼ばなかったかを聞くと、コップが落ち、割れる音が辺りに響く。

 大丈夫ですか、と義父に聞くけども俯いていて表情が分からない。

 とりあえず割れたグラスをどうにかしないと、そう思い席を立ち片づけようとすると、義父がちょうど立ち上がり私の前まできて崩れ落ちた。

 私の足に縋りつき、すまない、すまない、と壊れた機械のように懺悔をこぼす。

 ああ、最近はこんなことばかりだ。

 いつも幸せそうに笑っていた人たちが、堪え切れない悲しみの底にいる。

 みんな、泣いている。

 私にはその涙を止める方法がない。

 今日でわかったことがただ一つ、私が彼らを悲しませ、苦しませている。

 私の欠ける言葉は、義父の悲しみを大きく広げるだけだった。

 義父の家までなんとか辿り着いた頃にはいくらか落ち着いてくれた。

 ここで失礼します、簡潔に告げ、帰ろうとした時、呼び止められた。


 「すまない。傷ついている君に真実を言うことができない愚かな私を、私たちを許さないでほしい。私には残酷な現実を口にすることも、君を受け止める覚悟もなかった。すまない。本当にすまない。」


 義父は涙を再び流しながらドアの向こうに消えてゆく。

 その後ろ姿に私は何も言えなかった。


 そんなかおは、みたくなかった。

 そんなことば、ききたくなかった。

 キミがいたらなんていったのだろう。

 こんなときにキミがいてくれれば、よかったのに。



 あれから義父たちと連絡をとっていない。

 また悲しませてしまうと思ったから。

 だから、連絡は取れない。

 忘れるようにひたすら仕事に打ち込んだ。

 ただ、会社でも同じなんだ。悲しみが、苦しみが、ずっと渦巻いてみんながよそよそしい。

 私は考えることを放棄した。

 部下が私の所に来た。

 最近のこの子は泣いてばかりだった。

 私の前では堪えて、私のいないところで泣いていた。

 会わなければいいのに。

 なのに、それでもこの子は私のところに来ていつもこう言うのだ。

 大丈夫ですか、と。

 涙を堪えて私を気遣う健気な彼女をなんとかしたいと思った私は妻の話をしていた。

 昔のこと、今のこと。

 彼女はその場でとうとう泣いてしまった。

 今まで堪えていたものが溢れてしまった。

 ああ、また泣かせてしまった。

 悲しませてしまった。

 苦しませてしまった。

 泣かないで、私が悲しませてしまったんだろう?

 話してくれ。

 彼女は首を横に振り、頑なに話そうとしなかった。

 やがて、人が集まっていき、彼女と仲の良い子が泣いている彼女に寄り添い、私たちに、ごめんなさい、もうこれ以上は。

 そう言うと、泣いている部下が豹変し、ダメ、やめて、そう言って詰め寄った。

 でも、周りにいた人達はそれを察して彼女を抑える。

 だめ、言っちゃダメ。

 そんな彼女の願いは叶わない。

 「おかしいって気がついた時にはもう遅かったんです。誰かが言ってくれればって、みんなずっとそう思っていた。でもそうしていたらこんなことになってしまった。誰も悪くないけど、誰もが悪いんです。でも、言わなきゃいけないから。言わないと、このままじゃ全部壊れてしまうから。だから、ごめんなさい。」


 息を吸う。


 「あなたの奥さんはもう亡くなっているんです。」

 今度ははっきりと聞こえた。




 時間を刻む音だけがこの空間に響いていた。

 暗い空間に身じろぎ一つせず、座っている影がいた。

 体は痩せ、目に生気はなかった。

 ただ虚にその目はその空間を写す。

 その目線がようやく他のものに移り、一つの写真をその目に写す。

 その写真は2人の男女が幸せそうに笑い合っている写真だった。

 それが目に入った瞬間、虚なものは、信じられない速度でその写真立てを乱暴に払う。

 こうして幸せを彩っていた「思い出」を壊し始めた。


 思い出なんていらない。

 そんなモノがあっても、キミがいない。

 ーどうして

 過去なんていらない。

 ーどうして。

 キミがいれば。

 ーどうして!

 どうしてキミがいないんだ!!

 キミさえいてくれればそれで良かった。

 裕福じゃ無くていい。

 貧乏でもいい。

 ただキミと話して、キミと触れて、キミと笑っていれば。

 ただ、キミが隣にいてくれればそれで良かったのに。

 でも、キミはいない。

 キミがいないのなら、思い出も、この場所も、全部、いらない。

 もう何もいらない。

 何も見たくない。

 キミのいない世界なんて。

 そんな世界、壊れてしまえ。




 嵐が通り過ぎた後のように、部屋はぐちゃぐちゃで見るも無惨な光景に変わってしまった。

 あれから青年は「思い出」を壊して回った。

 何もかも破壊し尽くしたのだ。

 全てを壊した青年はその手に鈍色に光るものを手にしていた。

 やがてそれを徐々に自らの首元へ突き立てる。

 最初から越していれば良かった。

 これを突き立てれば、キミのところに行けたのに。

 ー早くやってしまおう。

 それは偶然だった。ただ視界に写ってしまった。

 それを見てしまった。

 外の花壇。

 妻が世話をしていた花たち。

 その白い花の中にあるものがはっきりと見える。

 『あなたへ。』

 青年の目に灯火が、僅かに灯った。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ