加藤総一郎という男
「お帰り!「トイレの花子さん」は私の学校にいるよね!?」
帰宅早々、ハルは総一郎に詰め寄った。
「また、分からないことがあったのかな?」
総一郎はハルの頭を撫でながら、優しく聞いた。
「うん!今、学校で噂になってる「トイレの花子さん」について、桜おねぇちゃんと話してたの!」
ハルは興奮しながら、総一郎に言った。
「帰ったばかりだから、着替えたいし、何よりお腹がへったから、晩御飯を食べながら話を聞かせてもらおうかな。」
総一郎は興奮しているハルを落ち着かせるように話した。
「うん!分かった!私もお腹へったし、すぐに夕飯の準備するね!」
ハルはそう言って、早速、台所に向かおうとした。
そんなハルを総一郎はハルを呼び止めた。
「ちょっとまって。桜さんは今どこにいるの?」
総一郎が聞くと、ハルは桜のいる場所を指さして答えた。
「あそこに浮いてるよ。」
ハルの指さす方を見て、総一郎は軽くお辞儀をした。
「いつもありがとうございます。」
総一郎はそう言って、二階の自室に向かった。
ハルが桜の方を見ると、桜はハルに見えないように顔を手で覆っていた。
それを見たハルはニヤリとしながら、言った。
「毎回、そうやって照れるのはどうにかならないのですかね?」
「て、照れてなどいません!!さっさと夕飯の準備をしなさい!!」
桜はそう言って、サッと、どこかに行ってしまった。
(これまでの小言のお返しだよ)
ハルはしてやったりと満足げに台所に向かうのであった。
食卓にナポリタンとインスタントのコーンスープ、レタスとトマトのサラダが並べられていた。
これら全てハルが作ったものだ。
この屋敷の食事は平日はハルが、土日祝日は総一郎が準備する当番制となっている。
ハルが小学4年生で普通の料理ができるのは、両親を早くに交通事故で亡くして、親戚をたらい回しにされたことが原因である。
ハルの両親が亡くなってからは、親戚が引き取ってくれるのであるが、ハルの特異体質を気味悪がって、長い間、置いてくれるところはなかった。
そういった環境を転々とすることで、いかに親戚に気に入られて、出来るだけ長く家においてもらえるのかを幼いながらも考えた結果、ハルは料理を覚えることにした。
当たり前だが、住む家がなくなるのは誰にとっても怖いものだ。
どうしたらすがりつけるかを考えた結果だった。
そのため、生きるためのハルの料理の腕は一般的な主婦にも劣らないものとなった。
しかし、それでも、行く先々で長く続かなかった。
最終的には父親、加藤誠一の弟である加藤総一郎のところに引き取られ、落ち着くこととなった。
総一郎は現在、35歳で、若くして准教授になるほどの優秀な学者であり、顔だち、体形も整っているのだが、結婚しておらず、全くと言っていいほど浮いた話がない。
性格も温厚で真面目な男であるが、唯一の欠点が、驚くほど私生活がだらしないという点だ。
部屋を片付けれない、料理ができない。お金の管理ができない。
総一郎は罪悪感からか自ら土日祝日の料理当番を志願しているにも関わらず、ほとんどが出前で自分で作ったのは年に数回あるかないかである。
実際、ハルが来るまでは総一郎が一人で住んでいた大きな屋敷はごみ屋敷と化していた。
甲斐甲斐しいハルの働きにより、今では大分ましにはなっている。
小学4年生のハルが「一生結婚できないのでは?」と心配するほどのだらしなさである。
そのせいか、総一郎にとって、ハルは今や欠かせない存在であり、ハルにとっても、総一郎は自分の特異体質に関して理解してくれる唯一の存在であることから、両者の利害が一致して、バランスのいい生活を送っているのだった。
「…って話なんだけど、どう思う?」
ハルはナポリタンをすすった後、総一郎に聞いた。
「なるほど、桜さんが話した「花子さん」とハルの学校にいる「花子さん」は違う存在で、「トイレの花子さん」には諸説あって、特定するのは難しく、そもそも本当にハルの学校にいるのかも分からないという話だね。」
総一郎はこれまでの話を聞いて、分かりやすく要約した。
「そう!さすが総一郎!話がはやい!」
ハルは持っているフォークを総一郎に向けて答えた。
「察するに、ハルはみんなが怖がっているから、安心させるために「花子さん」がどういうものなのかを突き止めたいというところかな?」
総一郎はハルのそもそもの目的を確認しようとした。
「うん…そう…そうだったんだけど…」
ハルはうつむいて答えた。
「そうだったということは、今は違うんだね。
説明できるかな?」
総一郎は優しく言った。
「始めは総一郎の言う通り、みんなを助けたいと思って、「トイレの花子さん」について知りたいと思ったんだけど…
桜おねぇちゃんの話を聞いて、お化けになるくらい悲しくて、つらい思いをして、死んでも周りのみんなに自分の思いを伝えたい…
そんな「花子さん」をただ怖がって離れるなんて、かわいそうだなと思って…
だから、だからせめて、「トイレの花子さん」は悪くないんだよって、みんなに分かってほしいなって…」
「だから、何度も言っているようにお化けに感情移入するのはやめなさい。
今生きている人間だけを気にしていたらいいのです。」
テーブルの上をぷかぷか浮いている桜が、ハルの言葉をさえぎるように言った。
「でも、それじゃあ、私もいじめに加担しているみたいで、たとえお化けでも私はいじめたくないよ!」
ハルは浮いている桜を見上げて、答えた。
「桜さんはなんて?」
総一郎はハルの様子を見て、桜が何か言ったと感じて、ハルに尋ねた。
「お化けのなんか考えずに生きてる人間のことだけを考えなさいってさ!」
ハルは半分拗ねたように答えた。
「そうだね。私はハルの優しい考え方が大好きだよ。」
総一郎は持っていたフォークをテーブルにおいて、ハルを優しく見つめながら言った。
「でもね。お化けになるくらいの強い思いっていうのは、基本的には負の感情なんだ。」
「負の感情?」
ハルは良く分からない単語が出てきたので、聞いた。
「ごめん。少し難しかったね。
負の感情っていうのは、憎しみとか妬ましいとかうらやましいとか、そういった人間の良くない思いのことだよ。
嬉しいとか楽しいとかそういうのとは逆の思いのことだね。
楽しすぎてお化けになっちゃったなんて話は聞いたことがないだろう?」
「確かに。」
総一郎の話を聞いて、ハルは納得した。
「多分だけど、嬉しいとかのポジティブな感情よりも、辛いとか苦しいとかのネガティブな感情の方が性質的に強い思いになるんだと思う。
例えば、楽しく遊んでたけど、時間が来て帰らなくちゃいけなくなった時って、もうその時点で楽しいよりも、悲しいとか寂しい思いが勝っちゃうだろう?」
「うん。」
ハルは総一郎の話に聞き入っていた。
「お化けっていうのは人の良くない強烈な思いの塊みたいなもので、現実世界に干渉できるくらいの力があるんだ。
そして、強い思いは周囲に伝わって悪影響を与えてしまうものだ。
だから、ハルがお化けに関わることで、その良くない思いにあてられて危険な目にあうのが心配だから、桜さんはそう言ったんだと思うよ。」
総一郎はテーブルに置いたフォークを再び持って、サラダを一口分、口に入れた。
ハルはほとんど納得したが、一つだけ、納得できないことがあった。
いつも意地悪ばかりしてくる桜おねぇちゃんが私を心配するだろうかと。
ハルは桜の様子を見上げた。
桜は顔を両手で覆いながら、空中でジタバタしていた。
(こういうところがあるから、桜おねぇちゃんは嫌いになれないんだよな)
ハルはフフッと笑った。
一口分のサラダを食べ終えた総一郎は、再び話し始めた。
「ハルのお化けのことも気に掛ける考え方は素敵だし、大事にしてほしい。
でも、父親代わりの立場としては、あまり深くお化けには関わってほしくないと言わせてもらうよ。
これまで話してきたお化けの話はあくまで可能性の話であって、もっと危険な存在である可能性も否定できないんだから。
本当に危ない目、怖い目にあいそうな時は引くことを忘れないでほしい。
これからたくさんの経験をしていくと思うけど、その経験を通して、引き際を見極められるようにしてほしい。」
ハルは少し難しく感じたが、なんとなくは理解した。そして、ハルはナポリタンを頬張りながら言った。
「でもさ…桜おねぇちゃんとはかなり深く関わってると思うんだけど、いいの?」
ハルは素朴な疑問を総一郎に投げかけた。
「この家にずっと住んでいるけど、たまに食器とかが動いたりするくらいで、僕に影響が出たことはないし、何より、桜さんはハルのことを気にかけてくれる優しい素敵な人だと思ってるから心配してないよ。」
その瞬間、ハルは嫌な予感がして、ナポリタンとコーンスープの器をぐっと掴んだ。
すると、誰も触れていないにも関わらず、卓上にある食器がガタガタと震えだし、瞬く間に宙に浮いて、ひっくり返った。
ハルは事前に器を抑えていたため、サラダがダメになったくらいだったが、総一郎はコーンスープを頭からかぶり、ナポリタンは服にかかって、サラダは床に零れ落ちていた。
「もう!!桜おねぇちゃん!またやった!!」
ハルはペットをしかりつけるかのように桜に怒ったが、桜はいつの間にかいなくなっていた。
「ははは。今日は一段とすごかったね。」
総一郎は笑いながら、食器類を片していた。
桜の感情が高ぶると桜の意思とは関係なしにポルタ―ガイストが発生してしまうのだ。
「滅茶苦茶、悪影響受けてると思うんだけど…」
ハルは食器を片しながら、シンプルなツッコミをした。
続く