龍の心残り
「うし!!今日も居残り練習やるぞ!!」
龍は拳をパンパンと叩き、練習後の疲れ切ったハルの前でニヤリと笑った。
ハルは正式に川田道場に入門し、冬休みの間は年末・年始以外はほとんど通うことになった。
もちろん龍は練習の度にハルにつきまとったのであった。
しかし、龍は初めの日のことを気にしてか、突然、ハルを驚かせたり等の意地悪は決してしなかったので、生徒達に気味悪がられることは無かった。
ただ、ハルが一つ困ったのは龍がとてもスパルタであったことだ。
「どうせ、親父が来るまで暇だろ?俺がつきっきりで教えてやるからよ。」
学校が始まってからは週2回の練習だったが、龍はいつもそう言って、総一郎が迎えに来てくれるまで、居残り練習をハルに指示した。
正直、疲れてやりたくなかったが、ハルが居残り練習してもいいかと川田に聞くと、川田は感心した様子で答えた。
「もちろん!
私は整骨院の方に行かなければならないので、ここを空けますが、好きに使ってください。
この道場には特に盗まれるものもないので、帰るときは開けっ放しでいいですよ。」
ハルはできれば断ってほしかったが、残念ながら、願いは届かなかった。
そんな感じで、ハルは半分あきらめの胸中で練習を続けていたのであった。
練習量も他の生徒と比べると多く、また、龍のアドバイスが的確だったこともあり、みるみる内にハルは上達していった。
ハル自身も上手になっていくのを実感して、1カ月たった頃にはすっかり空手のことが好きになっていた。
そして、3年生になる4月にハルは初めて公式戦に出ることとなった。
今まで、何かのスポーツで試合になんか出たことが無かったので、ハルはワクワクして、より一層練習に励んだ。
ハルよりも龍の方がやる気に満ち溢れているようで、絶対優勝するぞ!と指導に熱が入っていた。
そんな日々を過ごして、気づくと3学期が終わり、春休みに入っていた。
ある日、試合が近づいて、練習が厳しくなってきていたが、ハルはいつも通り、龍に言われて居残り練習を一人していた。
「よし!一旦休憩すっか。」
「疲れた~」
ハルはばたんと仰向けに大の字に倒れた。
「マシになってきてるじゃねぇか!ちびっこ!これならマジで優勝狙えるぞ!」
龍は悪そうな顔で笑いながら、言った。
「そ、そうかな?でも、緊張するな~大丈夫かな~」
この頃にはハルはすっかり龍と打ち解けていた。
「緊張なんてしなくていいんだよ!相変わらず気がちっちぇえな~
そんなんじゃ、お化けにビビらなくなるなんてできねぇぞ!」
「そういえば、お化けにびっくりしなくなるために空手始めたんだった!
すっかり忘れてたよ。」
「なんじゃそら?」
二人は思わず笑ってしまった。
ハルは話の流れからなんとなく、龍に聞いてみた。
「龍はどうして空手始めたの?」
「俺か?まぁ、実は俺、こう見えて、グレてたんだ…」
龍はのっけからツッコミ待ちの言葉を吐いたが、ハルは無視した。
「やることもねぇから、適当に喧嘩吹っ掛けたり、家帰っても親たちが喧嘩してるしで、ホントつまんねぇ毎日を送ってたわけよ。」
ハルは見たまんまの生活を送ってたんだなと思って聞いていた。
「んで、この「川田道場」ってのが目に入ってよ。丁度その時、漫画でそういうのを読んだばっかだったから、いっちょ道場破りでもしてみっかって、たのも~って入ってたのよ!」
「マジで?」
ハルはあまりに無秩序な話に突っ込まずにはいられなかった。
「マジマジ!そしたら、じじいにさ。コテンパンにのされてよ!
素人相手に容赦ねぇんだよ!あいつ!」
「川田師範が?そんなことしたの?
優しいのに怒ると怖いのか…気を付けよう…」
ハルは龍の話を聞いて、少し怖くなった。
「あ?じじいは今でこそあんなだけど、俺がいた頃はマジで鬼だったぞ!
ボコられた後は強引に入門させられたんだよ。金いらねぇからって、こいつは自分が叩き直してやるって!
俺も悔しかったから、こいつに学んで、いつかボコり返してやるって思って、空手を始めたんだよ。
いい話だろ?」
「いい話ではないと思う…結局、川田師範に仕返しするために空手始めたってことでしょ?」
「ん?まぁそういうことだな。
気づいたら空手が好きになっちまってて、そっちがメインになったけどな。
ただ、最後までじじいに仕返しする機会を狙ってたぜ!」
龍はがははと笑って、ハルに言った。
ハルは呆れながらも、これまでずっと聞けなかったことを聞いた。
「龍はどうして、お化けになっちゃったの?」
龍は珍しく考えた様子で答えた。
「…いや、実は分かんねぇだよ。
なんで俺がここにいるのかってのは。」
「分かんないってのは、「思い」ていうか、心残りみたいなものが別にないってこと?」
ハルはお化けは「思い」の塊のようなものと、総一郎と桜に教えられていたので、龍に聞いた。
「…確か全国大会前だったか?空手始める前に俺がボコった不良に絡まれてよ。
そいつが仲間よんで、ちょっとこりゃ逃げられないなと、まぁボコった俺がわりぃとも思ってたし、素直にボコられてやったのよ。
そしたら、打ち所が悪かったのか、気づいたら、この姿でここにいたんだよ。」
「龍なら仲間呼ばれても勝てそうなのに…相手がそんな強かったの?」
ハルは龍が喧嘩に負けるなんてことが信じられなかった。
「あ?んなわけねぇだろ!
普通にやってたら、ぜってぇ勝ってたぜ!
…ただよ。じじいに言われてたんだよ…
「空手は相手を傷つけたり、打ち負かすためのものではない。自分を律するためのものだ。だから、喧嘩に空手を使うことは絶対に許さない」ってな。
んでよ。ここで手ぇ出したらじじいに負けたことになるって思って、やり返さなかったんだよ。
…まぁ、結果、死んじまっちゃあ世話ねぇんだけどな。」
ハルは悲しい顔をして、龍に聞いた。
「…そっか。じゃあ、全国大会に出たかったとかが心残りになってるんじゃないの?」
「それはちげぇな。
その頃には俺は結果よりも、自分の強さみたいなものを追いかけてたからな。
特に大会とかは気にしてなかったんだよ。」
龍は自信満々に即答した。
そして、最後にニコッと笑って言った。
「それにな、死んじまったあんとき、俺は初めて自分が強くなったって、確信できたんだよ。
だから、心残りみてぇなもんはねぇはずなんだ。
なんで、俺はお化けになったんだろうな?わかんねぇや!」
ハルも龍のことが色々と分かって嬉しくて、笑って言った。
「確かに何にも考えてなさそうな龍が、お化けになるのっておかしいよね?」
「んだと~!!よっしゃ、休憩終わり!!
親父さんが来るまで俺の得意な上段蹴りを教えてやるよ!!」
「いやいや、無理だから!!」
「うっせぇ!!いいからやれって!!」
「え~ホントに~?」
そうして、二人の練習は総一郎が来るまで続いたのだった。
大会当日、ハルは道着を着て、会場である地元の体育館にやってきた。
もちろん総一郎も一緒に来ていたが、なんと桜も見に来ていたのだった。
「ハルは小学3年生の組み手で出るんですね。
でも寸止め空手なんですね。少し残念です。」
桜はこの町の地縛霊のため、町の中にある体育館であれば、自由に行けるのであった。
そんな桜が、ハルの持っているパンフレットを見ながら、残念そうに言った。
ハルは不思議に思って、桜に聞いた。
「桜おねぇちゃんって、空手知ってるの?」
「まぁ、人並みには。なんせ長い時間暇してましたからね。
この体育館にも何度か来て、こういった空手の試合とかバスケットの試合とか見て、なんとなくルールは知ってますよ。」
桜は慣れた感じでハルに答えた。
「そうなんだ。意外だわ。」
「…ところで、あの龍という方は来てなさそうですね。」
桜は周囲を見回しながら、ハルに聞いた。
「うん。あの人、あの道場限定の地縛霊みたいで、外に出れないんだって。」
ハルは少し残念そうに桜に言った。
「そうですか。ちょっと会いたかったのですがね。」
桜は無表情でハルに言った。
「ハル、緊張してない?大丈夫?」
桜と会話していると察して、黙っていた総一郎がハルに聞いた。
「大丈夫だよ。龍にとりあえず、楽しめって言われたから。
まぁ、頑張るよ!」
総一郎は笑ってハルに言った。
「そっか。龍君にいい知らせができるといいね。
頑張って。」
すると、聡と恵一とその妻もやってきた。
「久しぶりだね。恵一兄さん。」
「おぉ。総一郎。来てたのか。
お前あれから一つも連絡くれないから、少し心配してたんだぞ。」
「いや。わざわざ必要ないかなと思って。」
「お前らしいな。」
総一郎と恵一は兄弟らしい挨拶をして、雑談した。
ハルも恵一の妻に頭を下げて、丁寧にあいさつした。
「お久しぶりです。」
「あら、久しぶりね。元気にしてたかしら?」
恵一の妻は笑ってハルに答えた。
「今日が初めての試合だって言ってたけど、大丈夫?
どんな結果になっても、ケガしないように頑張ってね?」
恵一の妻は意地悪そうな笑顔で、どうせすぐ負けるだろうといった感じでハルに言った。
「…はい。頑張ります。」
ハルは少しむかついたが、気にせず、言った。
「でも、あなたがいなくなってから、大変だったわ。
いつでも戻ってきていいんだからね。」
恵一の妻は思ってもいないようなことをハルに言った。
ハルは嫌な気持ちになって、少し黙ってしまった。
「母さん!こっちで俺の5年生の試合やるから、いい席を教えてやるよ。」
聡が母親の手をひいて、強引に連れて行こうとした。
「あらそう。じゃあ、頑張ってね。ハルさん。」
そう言って、恵一の妻は聡に手を引かれて、向こうに行った。
ハルは早々に嫌な人から離れることができて、少しほっとした。
(聡お兄ちゃん、ひょっとして、私に気を遣ってくれたのかな?)
そんなことをハルは思ったが、集合時間が近づいてきたのに気付いた。
そして、ハルは総一郎と桜に手を振って、川田道場一門の集まるところに集合したのだった。
ハルは順調に試合に勝ち進んでいった。
実戦経験は少なかったものの、練習量は他の誰にも負けないものがあったため、他の選手を圧倒していった。
また、聡の母に言われたことを根に持って、気合の乗りも違っていた。
そうして、ハルはついに決勝までたどり着いたのであった。
「すごいじゃないか!ハル!!まさか決勝まで来るなんて!!」
総一郎は興奮気味にハルに言った。
「…正直私もここまでいけると思ってなかったよ。
でも今、最高に楽しい!」
ハルは今までにない充実感を感じているようだった。
「そうか。ハルになんとなくでだけど空手を提案して本当によかったよ。
スポーツドリンク買ってくるから、少し待ってて。」
総一郎は嬉しくてたまらないような感じで、自動販売機に向かった。
そばにいた川田もハルを絶賛した。
「すごいよ!加藤さん!初めてでここまで来れるとは!!
あと1試合。悔いの無いよう頑張ろう!!」
「はい!!」
ハルは力強く川田に言った。
他の生徒達もハルに応援の言葉を投げかけた。
聡も準決勝で惜しくも負けたばかりだったが、少し悔しそうにハルに言った。
「…俺の分まで、頑張れよ…」
「うん!ありがとう!聡お兄ちゃん!」
ハルと聡は拳を突き合わせた。
川田一門は他の生徒の試合もあったため、ハルの元から離れた。
ハルは一人で休憩していた。
「なかなかやりますね。
まさか、決勝まで来れると思ってませんでしたよ。」
桜が来て、いつもの無表情でハルに言った。
ハルは笑って桜に答えた。
「へへへ。私もやるもんでしょ?」
「しかし、決勝の相手は格上ですよ。去年も優勝してましたからね。」
「桜おねぇちゃん、知ってるの?」
「ええ。去年もこの大会をのぞき見してましたからね。」
桜はゲームの時もそうだったが、スポーツでもなんでも勝負事が好きなんだなとハルは疲れながらも思った。
しかし、ハルは笑って桜に言った。
「空手は自分との戦いだからね。相手は関係ないよ。」
それを聞いた桜は少しだけ笑って、ハルに言った。
「随分かっこいいことを言うようになったじゃないですか。
まぁ、頑張りなさい。」
桜なりのエールを送って、どこかに行ってしまった。
そして、ハルの決勝戦が始まった。
さすがに去年の優勝者だけあって、動きが俊敏で、試合開始早々、突きによる有効を取られてしまった。
しかし、ハルも負けじとすぐに隙をついた突きで有効を返した。
一進一退の勝負が続いたが、ハルは徐々にポイントを離されていってしまった。
試合終了間際、ハルは相手の突きをかわして、龍直伝の上段蹴りを見事に決めて、一本を取った。
その後、ポイントのやり取りはなく、そのまま試合が終わり、判定となった。
結果、終了間際の一本でハルは逆転勝利したのだった。
ハルは試合後の挨拶をして、対戦相手と握手して、一門のところに戻ってきた。
皆が喜んで、ハルに集まって、ハルは胴上げされた。
川田も喜んでいたが、なぜか少しだけ複雑な顔をしていた。
総一郎はもちろんすごく喜んで、ちゃっかり胴上げに参加していた。
桜も笑って、ハルに気付かれないようにふっとどこかに消えていった。
恵一の妻だけ、少しつまらない顔をしていたが、皆がハルを祝福したのだった。
ハル自身は初めてこんな扱いをされたので、戸惑った様子でまだ実感がわいていないような感じだった。
表彰式で金メダルをもらって、首からかけると、ハルにようやく実感がわいてきて、嬉しくて嬉しくてたまらなくなり、涙を浮かべたのだった。
そうしてハルの初めての大会が終わって、川田が生徒たちに最後の挨拶をして、解散となった。
ハルは解散後、川田に駆け寄って、聞いた。
「川田師範!あの~この後、少しだけ道場によってもいいですか?」
川田は驚いて、ハルに言った。
「まだやり足りないのですか?すごいですね!
心がけは感心しますが、もう今日はやめておいた方がいい。ケガをしてしまう。」
「い、いえ…そういうわけではなく…なんというか、今日の最後にあの道場になんとなく挨拶したいんです!別に練習するわけではないので、お願いします!」
ハルは龍に早く報告したいとは言えず、苦し紛れの理由を言った。
川田は少し不思議そうな顔をした。
「私からもお願いします。
こういったら聞かない子ですので。私も付き添いますから。」
総一郎も川田にお願いした。
「…分かりました。いいでしょう。
まぁ、道場はいつでも空いていますからね。
ただし!決して、練習はしないこと!今日は体を休めること!分かりましたね?」
「はい!ありがとうございます!!」
ハルは嬉しくて、総一郎の手をひいて、小走りに道場へ向かった。
「ちょっと待ってください!」
川田はハルを突然、引き留めた。
ハルはびっくりして、ピタッと止まり、振り返って言った。
「はい!何ですか?」
「…いや、今日の最後の上段蹴りは見事でした。
私はあそこまで完璧に教えれていなかったと思うのですが、一体どうやって…
まるで、龍のようだった…」
川田は考え込んでいる様子で、ハルに言った。
ハルは龍のようだったと言われたのが、これまでの他のどんな言葉よりも嬉しくて、笑って川田につい言ってしまった。
「でしょ?龍直伝だからね!!」
「えっ?」
川田はあっけにとられた顔をして、ハルを見た。
ハルはしまったと思った。
「あっ!いや、え~と、それじゃあ、急いでるので、失礼します~!!」
「ちょ、ちょっと!」
ハルは総一郎の手をひいて、振り返らずに走り去った。
川田は呆然とそれを見送るしかできないのであった。
続く




