ヤンキーのお化け
「おぉ~~これが空手道場か~」
翌朝、ハルと仕事が休みだった総一郎は運動のしやすそうな服装で近くの空手道場に来たのだった。
道場は整骨院に併設されていて、その整骨院には既に何人かのお年寄り達が入っている様子だった。
同じ敷地内に左を見れば整骨院、右を見れば「川田道場」の看板が掲げられた一階建ての小さな家屋あるといった様子だった。
「こんなすぐ隣に病院があるんだね。」
「多分、普段はこの整骨院のお医者さんをやってて、空いてる時間に空手を教えてるんじゃないかな。」
「へぇ〜そんなのありなんだ〜怪我してもすぐ見てもらえるね。」
ハルは見た事のない光景に少し興奮気味だった。
そして、総一郎は「川田道場」の門を叩いた。
「おはようございます。よくおいでになられました。
私がこの道場で教えている川田と言います。」
そう言ってこの道場の主人である川田はハル達を出迎えてくれた。
川田は中々歳をいっていそうな半分おじいちゃんのような顔つきだった。
体型は筋骨隆々というわけではなく、むしろ細いのだが、背筋はピンとしており、細さを感じさせない強そうな雰囲気がある男だった。
「おはようございます。こちら本日お世話になります加藤春です。今日は宜しくお願いします。」
そう言って総一郎は川田に挨拶した。
「おはようございます!加藤春です!宜しくお願いします!」
ハルもしっかりと挨拶をした。
「おはようございます。元気があって大変良いですね。
こちらこそ宜しくお願いします。
では、こちらへどうぞ。」
二人は川田に促されて、道場に入った。
道場は畳ばりで、エアコンもなく、冬の朝のため、とても寒かった。
なぜか外よりも寒いと感じ、ハルは体をさすった。
「寒いでしょう。時間が早くて申し訳ないね。
他の生徒が来る前に軽く説明しておきたかったから。」
「いえいえ。大丈夫ですよ。」
総一郎もそうは言ったものの少しだけ体を震わせながら言っていた。
しかし、奥の部屋に入ると昔ながらの古いストーブがついていて、暖かくなっていた。
二人は助かったと安堵した。
その部屋は会議室のような部屋で大きな机に椅子が並べられて、壁にはホワイトボードがあった。
「どうぞ、座ってください。」
川田に促されて、ハルと総一郎は椅子に座った。
そして、川田はとりあえず、教え方や必要な心構え、お金のことなどの事務的な話を総一郎にした。
ハルには少し難しい話もあり、ふと壁に飾られている写真を見た。
その写真は一人の中学生くらいのやんちゃそうな男の子が笑顔でメダルを掲げて立っていて、川田も今よりも少し若い姿で笑って写っていた。
「…と、まぁとにかく、一度体験して頂きましょうか。
そろそろ生徒が来る頃ですので、一緒に準備体操でもしておきましょう。
お父さんもご一緒にどうぞ。」
川田は一通り説明し終わり、また、あの寒い道場に向かった。
「この人すごいね。金メダル取ってるじゃん!」
ハルは少しでも時間を稼ごうと写真を指差して言った。
「あぁ。はは。金メダルっていってもオリンピックではないですよ。
この子は県大会で優勝したんです。」
「すごいじゃないですか。全国大会に出場したってことですよね?」
総一郎は感心しながら言った。
「…そうですね。この子は柴田龍といって、とても真っ直ぐな強い子でした…」
そう言って、川田はこれ以上は話さない様子で道場へと足早に向かった。
総一郎は何かを察したのか、それに黙ってついていった。
ハルはダメだったかと諦めた様子で道場に向かった。
川田とハルと総一郎が軽く準備体操をしていると、生徒たちが元気な声で挨拶をしながら、入ってきた。
すると、ある一人の生徒が入ってきた。
「おはようございます!」
元気よく挨拶をして、顔を上げるとハルは驚いた。
「聡お兄ちゃんじゃん!」
そう、以前ハルが引き取られていた加藤恵一の子供である聡だったのである。
「えっ!なんでお前がいるの?」
顔を上げた聡もびっくりして、ハルに問いかけた。
「私は体験に来たんだよ。聡お兄ちゃんって空手なんてやってたっけ?」
「お前が出て行った時くらいから始めたんだよ。」
「そうだったんだ。奇遇だね。」
ハルは知ってる人がいて、少し安心したようだった。
一方、聡は少し照れているようだった。
そうこうしてるうちにいよいよ時間がきた。
「はい!皆、揃いましたね。おはようございます!
では、今日の鍛錬を始めます!」
川田が元気よく生徒達に挨拶をして、練習が始まったのであった。
「とりあえず、加藤さんは皆の動きを真似してみて下さい。
都度、修正していくようにしますので。」
川田はそう言って、普段行っている練習メニューを開始した。
始めは軽い柔軟と腕立て、腹筋、体幹を鍛える筋トレをした。
道場には10数人の生徒がいて、学年は小学生が多いが、中には中学生もいるようだった。
高学年になるほど、メニューは厳しいものになっていた。
ハルはあまりやったことのない筋トレだったので、最初は戸惑ったが、川田が優しく教えてくれたため、何とかついていけていた。
筋トレが終わると正拳突きの練習になった。
皆がいつも通りと声を出しながら、正拳突きを繰り返しているのを見よう見まねでハルもまねていた。
「うん。力が入りすぎているね。
力よりも早さが重要なんだ。
肩の力を抜いて、やってみてごらん。」
川田はハルに手取り足取り、教えてあげた。
「こんな感じですか?」
「そうそう。いいですね。
では、もう少し、頑張りましょう!」
そう言って、川田は他の生徒の指導をしに行った。
ハルは少し楽しくなってきて、言われた通りに突きを繰り返した。
ふと、何か気になって、突きをしながら、ハルがちらっと川田に目をやると、川田の目の前で睨みきかせている、言わば、メンチを切っている柄の悪そうな道着を来た男がいた。
「えっ?」
ハルは驚いたが、川田が全く気付いてない様子を見て、すぐにお化けだと分かり、知らんぷりをした。
「…ったく。じじいが…そんな甘いこと言ってたら強くなんねぇぞ?」
お化けは川田に文句を言っているようだった。
そして、川田の前から移動して、他の生徒の様子を見ながら、ハルの方に向かってきた。
(やぱ!こっち来るし!)
ハルは絶対に無視するぞと、一心不乱に突きを続けた。
「新顔か…ふん。筋は悪くなさそうだな…
もうちょっと姿勢よくして、腰を落とした方がいいな。」
お化けはハルの横でヤンキー座りをして、観察しながら、言った。
ハルは思わず言われた通りにすると、先ほどよりも少し突きがしやすくなったように感じた。
「おっ。急にマシになったな。
でも、まだまだだな。
腕だけに力が入りすぎてるわ。
足をもっと広げて、全身を使うように突きをしないと。」
お化けはハルにも分かるようなアドバイスをした。
ハルは反応してはダメだと分かってはいるものの、つい言われた通りにしてしまった。
「あん?また動きがよくなったな。
てか、こいつ…俺の言うこと聞こえてね?」
お化けはハルの目の前に移動して、じっとハルを見た。
ハルは絶対に目線は維持しようとお化けの顔を初めて真ん前から見つめた。
お化けは髪がほぼ坊主に近い程短く、目がキリッとしているが、柄の悪い細い眉毛をしていた。
ハルは先ほど見た写真の男だということにすぐ気づいた。
そんな男に睨みつけられながら、ハルは早く終わってくれ!と祈りながら、突きを繰り返すのだった。
「おし!じゃあ、後30回!」
「押忍!!」
川田の号令で皆が気合を入れて最後のスパートに入った。
ハルはそれどころじゃなかったが、必死にお化けを無視して突きを繰り返した。
「お前、実は見えてんじゃねぇのか?ああん?」
お化けは執拗にハルにメンチを切りながら、脅しているようだった。
すると、川田がハルを見て、言った。
「すごい。加藤さん、少ししか教えてないのに、随分上手になりましたね。
ラスト10回頑張って!!」
(だから、それどころじゃないんだって!!)
ハルはそう思いながら、必死に頑張った。
「ちげぇよ!じじい!俺の教え方がうめぇんだよ!!」
お化けは川田に向かって、文句を言っているようだった。
ハルはお化けの注意が川田に向かって少し安心して、最後の正拳突きを終えた。
ハルは色んな意味で疲れて、膝に腕をついて、はぁはぁと息を吐いた。
「大丈夫かい?一旦、休憩だよ。水を飲んで。」
「はぁはぁ…はい。大丈夫です。」
ハルは息を整えながら、スポーツドリンクを持っている総一郎の方に向かった。
気づくとお化けはいなくなっていた。
「はい。飲み物。ハル、カッコよかったよ。
なかなかしんどそうだったね。」
「ありがと…というか、お化けがいた。
すっごい疲れた…」
「えっ!大丈夫なの!?
しんどかったら、無理せず、やめていいからね。」
総一郎は驚いて、ハルを案じた。
「うん。大丈夫。
多分、そんなに悪いお化けじゃないと思うし、こんなところでやめてたら、お化けに驚かなくなるなんて無理だからね!頑張るよ!!」
ハルは意気揚々と答えた。
「本当?でも、本当に無理なら言ってよ。」
総一郎は心配そうに言った。
「大丈夫だって!見ててよ!」
今までになく強気なハルだった。
そして、次の突きの練習が始まった。
さっきとは違う型の突きを同じように繰り返す練習だった。
「…さっきの話、聞いてたぜ。
やっぱり、俺のこと見えてたんだな。」
お化けはそう言ってハルの前に現れた。
(しまった!気づかれた!!でも、負けないぞ!!)
ハルはばれてしまったものはしょうがないと練習をそのまま続けた。
「お化けにビビりたくないから、ここに来たってか!!いいじゃねぇか!気に入ったぜ!!
この柴田龍が直々に強くしてやるよ!!」
どうしてか龍に気に入られてしまったハルはそれから、最後まで龍に付きまとわれながら練習を続けたのだった。
「…疲れた…」
初めての練習であったが、他の生徒と変わらないメニューを龍に付きまとわれながらこなしたハルは疲れ切っていた。
「お疲れ様。よく頑張ったね。」
総一郎はタオルとスポーツドリンクをハルに渡して言った。
「ありがと。疲れたけど、何だろ?
結構、気持ちいいよ。」
ハルは顔をタオルで拭きながら、総一郎に言った。
「だろ?練習後の炭酸がすげぇうめぇんだよ!
だから、コーラ飲めって!」
龍はまだそばにいたようで、ハルに言った。
「炭酸なんかこんなにしんどいのに飲めないよ!ホントうるさいな~」
ハルは思わず大きな声で龍に言ってしまった。
龍もハルの言葉に驚いて、言葉をなくしていた。
生徒の皆もハルの声に驚いたようだった。
ハルはしまったと思い、顔を伏せてしまった。
「ごめんごめん!
僕、運動後の炭酸がすごい好きでね~悪かったよ~」
総一郎は察して、皆に聞こえる大きな声でごまかした。
すると、聡が近づいてきて、総一郎に声をかけた。
「…練習後に炭酸はダメだよ。おじさん。
だから、そんなヒョロヒョロなんだよ。」
「えっ?そうなの?おいしんだけどな~」
聡と総一郎の掛け合いに生徒達の間で少し笑いがこぼれたのだった。
「そうですね。運動後に炭酸はあまり良くないですね。
まぁ、好きな人もいますし、好きな気持ちもわかりますよ。
私も今、ビールが飲みたくてたまりませんからね。」
川田も乗っかるように言った。
「えぇ~師範はお酒飲んだらダメでしょ~」
「でも、酔ったら師範すごい強かったりするんじゃね?酔拳的な?」
「何だよそれ~?」
と、生徒たちも盛り上がった。
ハルは総一郎の気遣いをありがたいと思い、こっそり総一郎に感謝した。
「総一郎…ありがと…」
総一郎はにっこり笑って、ハルに言った。
「ここは良い道場だと思うよ。皆、楽しそうだ。」
ハルははにかみ、そばにいた聡にも言った。
「…なんのことか分からないと思うけど、聡お兄ちゃんもありがと。」
聡は顔を真っ赤にして、ハルに言った。
「き、急になんだよ!マジで意味わかんねぇよ!!」
聡は小走りにそのまま道場を出て帰って行った。
ハルは不思議に思ったが、とりあえず、皆に気味悪がられなかったことに安堵した。
「じゃあ、今後のことを話しましょうか。」
川田はハルと総一郎にそう言って、会議室へと向かった。
ハルは総一郎に向かって言った。
「総一郎、私、この道場通いたいんだけど、いいかな?」
総一郎はすぐに答えた。
「もちろん!じゃあ、川田師範に伝えようよ。」
「ごめん!私ちょっと、お化けに話がしたいから、川田先生には話しといてくれない?」
ハルは正直に今思っていることを言った。
総一郎は少し驚いたが、すぐに納得した顔をして、ハルに言った。
「分かったよ。あんまり、危ないことはしないでね。」
「うん!」
ハルはお化けのことをここまで正直に言えることが本当にうれしくて、満面の笑みを浮かべた。
そして、総一郎は会議室に向かい、ハルは誰もいなさそうな道場の裏手に回った。
「龍さん!いるんでしょ?出てきてよ!」
ハルは龍がいるだろうと思って、声をかけた。
「…さっきは悪かったな…
お前がお化けにビビりたくねぇってのがなんとなく分かったよ…」
龍は申し訳なさそうに出てきた。
「まぁ、俺もダチは少なかったからな。
要は俺みてぇなやつにビビるとダチができねぇって思ってんだろ?」
龍はふてぶてしくハルに言った。
頭が悪そうなのに意外と分かってるんだなとハルは失礼なことを思いながら、龍に頼んだ。
「その通りだよ。
だから、空手を教えてくれるのは嬉しいんだけど、あんまり私に構ってほしくないの。
お願い!」
龍は少し黙って、ハルに答えた。
「…俺のことを見えるやつにあって、テンション高くなったのは謝る。
だがな、お前の考え方は気にくわねぇ。だから、今後もお前には教育的指導をしていく!」
「なんでだよ!!」
ハルは典型的なツッコミをした。
「だから、あなたに関わってると友達ができないから、お願いだから、関わらないでよ!」
せっかく話が分かってくれそうなお化けだったのにと、ハルはとにかく心からお願いした。
「やだよ。俺はお前のダチが欲しいから、ダチに合わせるって考え方が大っ嫌いだ!
それに俺はヤンキーだからな。やれと言われるとやりたくなくなるんだよ!」
そう言って、龍はふっと消えてしまった。
「…こんの!ヤンキーが!!」
ハルは腹が立って、小さな声で叫んだのだった。
続く