プロローグ
「桜おねぇちゃん!トイレの花子さんってホントにいるの?」
小学四年生の加藤春は帰宅早々、居間にいる同居人の東雲桜に尋ねた。
「何ですか?そのトイレの花子さんとは?」
桜はうっとおしそうに視線は今見ているものを直視したままで返事をした。
「学校のトイレに住むお化けだよ!」
突拍子のない返答が返ってきたが、桜はいつものことだと、まだ視線を維持したまま、回答した。
「知らないです。」
今、視線をそらすと、これまでの努力…半日以上は時間をかけてきたこの作業が全て無駄になってしまう。
桜はもう本当にうっとおしそうに、煩わしそうに返答した。
ハルはムッとして、おもむろにリモコンでテレビを消した。
「あっ!!」
桜は顔を真っ青にした。
桜はすぐにハルの持っているリモコンに目を向けて、集中し出した。
すると、テレビが点いたのだ。
桜はリモコンに一切触れていないにも関わらず、テレビが点いたのである。
もちろん、ハルもリモコンを持っているだけで、操作は全くしていなかった。
現実にはあり得ないことが起こっている。
しかし、ハルは全く気にする様子もなく、また、リモコンの電源ボタンを押して、テレビを消した。
すると、また桜がリモコンを見つめて、テレビを付けた。
そんなやり取りを数回続けている内に桜の方が折れて大きなため息をついた。
「はぁ~~」
桜はあきらめた様子で目をつむった。
「…全く…この裏ボスを倒すのにどれだけの時間が必要だと思うのですか…」
桜はPBのコントローラを放り投げた。
桜の興味の目的とはPBプレイボックスというゲーム機のRPGソフト、「Final Story 12」であった。
その裏ボスを倒している最中であったようだ。
「で、何ですって?」
「だ・か・ら!
トイレの花子さんって本当にいるの?」
ハルは聞いていなかったのかと初めよりも声を大きくして聞いた。
桜はため息をつきながら、答えた。
「何度も言っていますが、私はあなたが思っているほど他のお化けについては詳しくありません。
とりあえず、トイレの花子さんというものをもっとよくお聞かせください。」
ハルは桜なら何でも知っていると思っていたので、少し残念そうではあったが、トイレの花子さんについて知っていることを話した。
「私の通っている学校で今流行ってるんだけど、2階の女子トイレの端っこのドアを夜中に3回たたいてから、「花子さん、遊びましょ」って誘ったら、誰もいないはずなのに、「はぁい」って返事が返ってきて、ドアを開けると、あの世にひきづりこまれちゃうっていう話なんだけど、何か知らない?」
桜は少し考えた後に答えた。
「…トイレ以外で花子さんが出たという話はないのですか?」
「う~ん…私は聞いたことない。」
「そのトイレの部屋で過去に事件、事故があったという話は?」
「そんなの知るわけないじゃん。」
「…どうして、今、そんな話が流行っているんですか?」
桜はこんな話のために半日かけた裏ボス攻略を無下にされたのかと思うと、ため息が止まらなかった。
しかし、ハルは気にする様子もなく続けた。
「実際に見た人がいるの!!」
ハルは目を輝かせながら言った。
「6年生の遥香ちゃんって子で、おんなじ登校班の班長なの。
すっごく真面目な子で嘘なんてつくような人じゃないの!
だから、私もみんなも信じてて、怖いなってなってるの!」
ハルは全く怖がっている様子もなく、嬉々として桜に説明した。
「で、あなたには見えたのですか?」
桜は最も気になっていることをハルに聞いた。
「ううん。実は見えなかったの。昼間に行ったせいかなとも思ったけど。」
「では、遥香さんという子が嘘をついている可能性が高いですね。」
桜はいかにこの話を早く切り上げられるかを試行錯誤しながら、答えた。
「いや、ひょっとしたら、私が見えなくなったのかな~って?」
ハルは冗談めかして答えた。
「いやいや、ハルあなた、今、私のことが見えて、私の声がしっかりと聞こえているでしょう?」
そう、東雲桜はとうの昔に既に死んでいる。つまり、幽霊、お化けの類のものであった。
そして、加藤春には見えないものが見える。つまり、幽霊、お化けの類のものと通じることができるのであった。
先ほどのテレビの挙動は、桜が尋常ならざる存在であるが故に起こした一種のポルターガイストであったのだ。
また、その現象はお化けの見えるハルにとっては日常茶飯事のことなのであった。
「やっぱり、そうだよね…でも、どうしても遥香ちゃんが嘘ついているように見えなくて。」
ハルはどうしても納得できない様子であった。
こうなると、ハルは自分で納得するまで行動し続けてしまう。
挙句、周囲から奇異の目で見られることだってある。
何より、危険な目にあう可能性が高くなってしまうことを桜は常日頃、危惧していた。
「いっそ、深夜に忍び込んでみようかな!?」
「やめておきなさい!」
考えたそばからのハルの発言に桜は食い気味にハルを諭した。
(どうやら、今日はもうゲームはあきらめるしかないですね。)
桜は悟り、真剣に「トイレの花子さん」について、考えることにした。
「総一郎に相談するのが手っ取り早いですが、帰ってくるまでに話を整理しておきましょう」
総一郎とは加藤春の叔父であり、保護者である加藤総一郎のことである。
総一郎は私立梅野橋大学の電子工学科の准教授をしている。
バリバリの理系学者であるにも関わらず、総一郎はオカルト的なハルの体質については全く疑うことがない、よき理解者である。
だから、こういった怪奇的現象について、ハルは桜と総一郎にいつも相談していた。
桜はお化けとしての視点、オカルト側での意見を説明し、総一郎は学者としての視点、理論的な怪奇現象の解釈について、説明した。
ハルは「見える」が故に小学4年生にして、いくつもの怪奇現象に出会ってきたが、その度にいつもこの二人の意見・解釈を聞いて、一定の理解をしていた。
ハルは決して、お化けが怖くないわけではない。
「人間でもお化けでも、理解できれば怖くなくなるよ。」
ハルは総一郎のこの言葉を信じており、実際に理解できると今まで恐怖しか抱かなかったお化けに対しても、恐怖を抱くことは少なくなった。
ハルは自分の体質上、怪奇現象が避けられないことが分かった時、逃げるのではなく、立ち向かうことを決心したのだった。
そのため、ハルはこういった怪奇的現象が発生すると、桜と総一郎に話を聞いてもらい、現象についての理解を深めて、恐怖を克服しようと決めたのだった。
「そうだね。
総一郎はいつも通り、6時くらいに帰ってくると思うから、それまでにちゃんと説明できるようにしないとね。」
ハルは桜がきちんと話を聞いてくれると分かって、少し安心した。
「ところで、桜おねぇちゃんはほんとに「トイレの花子さん」って知らないの?
私の学校だけじゃなくて、テレビでやるくらい有名だよ?」
ハルはやはり納得ができなくて、始めと同様の質問をした。
「いいえ。知っていますよ。」
こともなげに桜は答えた。
「えっ!じゃあ、なんで?」
「裏ボス戦は気が抜けないのですよ。少しでも操作を失敗すると全滅してしまうので、適当に答えました。」
桜は恐ろしいほど正直に回答した。
「お化けでもダメになるゲームってよっぽど面白いんだろうけど、それが今世の中に出ていると思うと、それが一番怖いよ…」
ハルは日本の現状を危惧した。
「いや、私の感覚はどうも一般人とは違うようで、こんなゲームをやっているのはそれこそ死んだ人間くらいだそうですよ。
そもそも、かなり古いゲームのようですし。」
桜は淡々と「Final Story12」について説明した。
「なんで、桜おねぇちゃんがそんなこと知ってるの?」
「ネットのレビューに書かれていました。」
桜は近くのテーブルに置かれているタブレットを指さして、リモコンの時と同様に集中しだした。
すると、何も触れていないのに、タブレットの画面が立ち上がり、ブラウザアプリが起動した。
更に検索ワードに「Final Story12 レビュー」が入力され、検索結果から、Final Story12のレビューが表示された。
ハルは特に驚きもせず、その表示された画面を読んだ。
「う~んと、Final Story12はバトルシステムはし、秀・・・なんて読むのこれ?
とりあえず、戦うのはまぁまぁ面白いけど、ストーリーがダメすぎる。
戦うのも極めるのは途方もない時間が必要で、死んでもやりたくない、みたいな感じ?」
小学4年では読めないような難しい字が並んでいたが、ハルは文意をなんとなく理解した
「その通りです。その途方もない時間を費やした先の裏ボスに挑んでいた最中なのです。」
桜は自慢げに答えた。
「…にしても、桜おねぇちゃん、ゲーム機とかパソコンとかの操作、上手くなったよね。」
ハルは関心するでもなく、あきれた様子で桜に言った。
「総一郎の実験で、タブレット、PC、テレビ、ゲーム機は私のために用意していただきましたからね。
頑張りましたよ。
しかし、総一郎の言う通り、電子機器はお化けにとって、干渉しやすいものみたいですね。」
タブレット、PC、テレビ、ゲーム機は元々、この家にはなかった。
総一郎がそう言った娯楽用の電子機器には興味がないのと、ハルがそういった機器が嫌いだったからである。
ハルが電子機器が嫌いな理由は、そういった電子機器に関する怪奇現象がハルの身の回りで多かったため、できるだけ遠ざけていたのである。
後に、お化けが電子機器に関わりやすいものであると総一郎と桜によって証明されることで、今はそこまで毛嫌いしているわけではなくなった。
「まぁとにかく、桜おねぇちゃんがトイレの花子さんについて知っていることを教えてよ。」
ハルはこれ以上、ゲームの話をされてもかなわないので、話を戻した。
「私が知っているのは、トイレの花子さんは私と同様、その地に未練を残した地縛霊だということです。」
桜はタブレットから目を離して、ハルに視線をやり、答えた。
「その未練ていうのはどういうものなの。」
ハルは一気に真剣な表情になり、桜を見つめた。
「気持ちの悪い話ですが、いいですか?」
桜は無表情で答えた。
「…うん。私は知りたい…」
ハルは少しおびえながらも答えた。
「…単純に言うと、「いじめ」です。
しかし、昔の「いじめ」です。
今はまだ、いじめに関する理解が大人にも子供にも浸透してきているところではあると思いますが、昔は「いじめ」という言葉はなく、単なる「迫害」が小さな子供の間でも起こっていました。」
桜はハルをじっと見つめながら、続けた。
「ここでいう「いじめ」と「迫害」の違いとは何か、と聞かれると、私には明確な答えが出せなさそうですが、私なりの解釈でいうと「いじめ」は人が周囲に流されることで発生するものだと思います。
何か些細な理由があって誰かが誰かを嫌い、拒絶することで、対象者が決まり、それが伝搬し、周囲に広がっていく一種の伝染病のようなものです。
しかし、「いじめ」という伝染病に対抗するワクチンはあると思っています。
周囲に流されず、いじめられている被害者を思いやり理解してくれる人が、一人でも近くにいることで、その伝染病はいずれ消えて行ってくれるはずです。
それはハル、あなたは良く分かっているでしょう。」
ハルは桜の言葉を黙って聞きながら、うなづいた。
「これに対して、「迫害」は他人を根本的に嫌うことです。
生まれ、土地柄、宗教、それらの生まれ持った考え方・生活様式の違いで他人を根本的に排除することだと思います。
今はそう言った偏見を正しいとしない教育が浸透しているため、少なくはなっていますが、昔はそうではなかった。
子供だけでなく、大人の間ですら、こういった「迫害」はありました。
その標的となったのが「花子さん」でした。」
桜は目を伏せ、話をつづけた。
「「迫害」の対象者となった「花子さん」という女子学生は今では考えられないような直接的な暴力、言葉による精神的な暴力を日常的に受けました。
口で言うのもためらわれるような行為が行われました。
しかも、加害者は学生のみならず、教師にまで及び、唯一の理解者であるはずの両親も同様に「迫害」の対象者であったため、仕方がないものだと諭すだけでした。
助けを呼ぶこともできない状況で彼女は肉体的にも精神的にも限界が訪れ、いつも逃げ隠れていたトイレの個室で首をつって自殺しました。」
桜は感情の起伏は少ないものの、悲しそうな顔で話しを続けた。
ハルも悲しくなり、泣きそうになったが、桜の顔をじっと見つめて話を聞いた。
「生まれながらにある他人とのどうしようもなく大きな隔たりは、一人の少女には決して越えられないものでした。
それでも真面目で努力家の彼女は自分には何かできなかったのか、本当にどうしようもなかったのか、努力でどうにかできなかったのか、首をつって、意識が遠のく中、憎しみではなく無念の意識を抱きながら、息絶えたそうです。
そうした無念の思いがトイレに住み着き、訪れるものに対して、「どうすればよかったの?」と死してなお、問いかけているそうです。」
「…以上が私の知っている「トイレの花子さん」の話です。」
桜の話を聞いたハルはやるせない気持ちでいっぱいになったが、桜の話に何か違和感を感じた。
しかし、この時はその違和感が何なのかは分からなかった。
とりあえず、気持ちを切り替えて、まずは桜の話した「花子さん」と私の学校の「花子さん」は同じなのかについて、考えることにした。
ハルは最初の質問を桜に投げかけた。
「最初にトイレ以外でお化けが出ていないかを聞いたのは、それ以外の場所で出てたら、そもそも地縛霊じゃないから、花子さんではないってことを確かめるため?」
「その通りです。賢いですね。」
ハルは完全に馬鹿にされていることは分かっていたが、無視して続けた。
「次にトイレで事件・事故が起こったのかを確認したのは、その花子さんの事件が私の学校で起こったのかを確認するためなの?」
「そうですよ。まぁ、これは全く意味のない質問になりましたがね。」
桜は食い気味に質問に答えた。ハルは無知な自分をバカにされたような気がして、反論した。
「そんなこと言ったって、普通、そんなこと知ってるわけないでしょ!」
「そうですね。もちろんハルは知らないと思っていました。
しかし、今後、人にものを尋ねる時は自分で調査なり確認なりして、ある程度の理解をしてからにしてください。
でないと、尋ねられる方も困るし、かえって時間がかかってしまうので、気を付けてください。」
桜はまたも食い気味に返答して、ハルを諭した。
「…分かった…気を付けます…」
ハルは少しずるい気がしたが、反論する余地が全くなかったので、素直に従うことにした。
その様子を見た桜は少し微笑み、というよりも嘲笑に近い笑いで気持ちよさそうにしていた。
ハルは苛立ったが、ここで拗ねては意味がないと自分を律した。
ハルは次に桜の話で気になったことを問いかけた。
「あと、気になったのは桜おねぇちゃんの「花子さん」はトイレに来る人に無条件に「どうすればよかったの?」って聞くんだよね?」
「そうですよ。」
「私の学校の「花子さん」は2階の奥の部屋のドアを夜中に3回たたいて、「花子さん、遊びましょ」って誘うの。
そしたら、「はぁい」って返事がきて、トイレに引きずり込まれるんだけど、桜おねぇちゃんの「花子さん」とは全然違うよね?」
「そうでしょうね。
間違いなく、違う存在でしょうね。」
桜は全く気にする様子もなく、ハルの質問に答えた。
「分かってて、じゃあなんで違う「花子さん」の話をしたの!
悲しくなっただけじゃん!」
ハルはがっくりしながら、桜に問い詰めた。
「私は私が知っている「トイレの花子さん」の話をしただけで、誰もハルの学校の「トイレの花子さん」の話をするとは言っていないじゃないですか。」
桜は踏ん反りかえって、ハルの質問に答えた。
(ゲームを途中で辞めさせられた腹いせか?)
ハルは怒りよりも大人げないという呆れた顔で桜を見つめた。
「大体、「トイレの花子さん」とは所謂、都市伝説の一種で地方によって様々な解釈がされています。
ましてやトイレとは水回りであり、お化けの住みやすいところとされており、トイレに関連するお化けなんて、数知れず存在します。
その中でハルの学校のトイレに住み着いているお化けを特定するなど、ほぼ不可能に近いです。
それに、ハルに見えていないのでしたら、そもそもいるかどうかも怪しいものです。」
桜はハルの話を聞いて、思っていたことを全て吐き出した。
「じゃあ、遥香ちゃんが嘘ついてるってこと!?」
ハルは我慢できず、桜に反論した。
「ただいま~」
総一郎が帰ってきた。
続く