魔物育成キット! 〜底辺魔族の少年は魔物を育てて最強の大魔王に成り上がるようです〜[短編編集版]
"落ちこぼれ"のディロ、それが俺の呼び名である。
この世界では俺達のような魔族と、人族やエルフ、ドワーフといった人間種族が存在する。
俺達魔族は遠い昔から人間種族とは敵対関係にある。
俺達のような魔族と人間種族の外見上の違いなんて、肌の色が褐色に近い濃い色であることくらいなもんだ。
なのに、どうして互いにそれほど嫌い合うのかと、俺はいつも不思議に思う。
そんなことを皆の前で言ったら怒られるのだが。
魔族は種族を通して魔法が得意だ。
でも俺は魔法がほとんど使えない。
二年前に成人を迎えて今年でもう十七歳。さらにあと半年もすれば十八になる。でも魔法の方はからきしだ。周りの大人には、三歳児だってもう少しマシな魔法が使えるぞと馬鹿にされる。
だから、"落ちこぼれ"と呼ばれるのだ。
両親には、成人と同時に厄介払いするように家を追い出された。
まあ元々、三つ上の兄と二つ下の弟に構ってばかりの両親には、同じ家に住んでいる他人という印象しか抱けていなかったのだけれど。
という訳で、俺には友達もいない。恋人も当然同様だ。これに関しては正直かなり辛い。友達や彼女と談笑しながらご飯を食べてる兄弟達の姿は、素直に羨ましいなと思う。
そんな俺の細やかな楽しみは読書だ。俺が住んでいる集落の本は粗方読みつくし、少し前からは人間種族が捨てたと思われる本を拾ってきて読んでいる。
本は良い。人のことを蔑まないし、見捨てない。
人間種族の文字を独学で読めるようになるのは凄い大変だったけど、俺は読めるようになって良かったと思っている。
なぜなら、面白いからだ。人間種族の文字は魔族の文字に比べてとても複雑だけど、その分内容に具体性があって理解しやすい。
集落で唯一人間種族の文字が読めるという事は、密かな俺の自慢だ。自慢する相手はいないけど。
こんな俺にだって夢がある。それは『大魔王』になる事だ。
魔族は『ダンジョン』という生命体と共生している。
魔族はダンジョンが存在するために必要なエネルギーを提供し、ダンジョンは魔族が安心して暮らせる住処となる場所を提供する。
ちなみに、エネルギーの提供といっても俺達魔族は普通に暮らし、ダンジョン内で出た廃棄物等を献上するだけでいい。
こういう状況を相利共生と言うんだって本に書いてあった。うちの魔王様も、お互いに利益を得られる関係なんだと言っていた。
俺達魔族の集落はダンジョンの最下層にある。洞窟の中に入っている筈なのに、陽の光が刺し、草木が生え、水が湧く。そんな不思議な場所だ。
そこで暮らす魔族の代表は、ダンジョンと契約をして『ダンジョンマスター』になる。このダンジョンマスターを、世間では『魔王』と呼ぶ。
全く関係ないが、うちのダンジョンの魔王様の事を村長と呼ぶとめちゃめちゃ怒る。
さて、話を戻そう。
ダンジョンは世界中に幾つもある。
俺達の暮らすダンジョンは、単純な洞窟や少し広めの部屋が最下層を除いてたった五階層しかないが、中には何十何百も色々な地形の階層があり、最下層には巨大な街が広がっている場所もあるらしい。
そんな巨大なダンジョンを統べる魔王の頂点達は、人間種族からは畏怖を、魔族からは敬意を込めて『大魔王』と呼ばれる。
控えめに言ってめちゃめちゃカッコイイ。
憧れるなと言う方が無理な話だと思うんだよ。
まあ魔法すらまともに使えず、万年ダンジョンの掃除をやらされてる俺みたいな奴がそうなるなんて不可能なことなんだけどさ。
◆◇◆◇◆
「おい、落ちこぼれ。そのゴミ落とすんじゃねーぞ」
「はい、分かっています」
魔王様に注意されてしまった。でもこの廃棄物結構重いし臭いんだから、俺の事も少しは気遣って欲しい。
そして、これから共生しているダンジョンに献上する物を堂々とゴミと言ってしまっていいのだろうか。
「落とすなよー、落ちこぼれ。いくら自分が落ちこぼれだからって、落としたり、零したりしちゃだめだぞー?」
「ぷぷっ、何それ兄さん!めちゃめちゃ面白いんだけど!」
全然面白くねーよ。まあ口に出しては言えないんだけど。殴られるし。
このうるさい二人組は兄のディオと弟のディンだ。非常にやかましい。
俺、魔王様、兄弟二人の計四人は今、ダンジョン最下層の、最奥、最深部へと向かっている。
「おし、着いたぞ。んじゃ、始めるか。」
ダンジョンマスターは主にこの最深部でダンジョンとやり取りをする。
ダンジョンはこの場所で廃棄物や排泄物をエネルギーとして取り込むことができる。
だから、俺たち魔族は生活の中で出た廃棄物をこの場所まで持ってくる必要があるのだ。
ダンジョンはこのエネルギーの一部を変換して、人間種族が最下層に侵入しようとするのを拒むための魔物を創造したり、布や資材、家畜等の生活必需品や武器、防具を提供したりする。
魔族にとって、ダンジョンから恵まれる物は生きるための生命線。だからこそ、ダンジョンとのここでのやり取りはとても大切なものなのである。
「エネルギーの糧になる物を持ってきたぞ。こちらとしてはダンジョンを守護する新たな魔物が欲しい」
『確認シマシタ。了承シマス。ドノヨウナ魔物ヲ希望シマスカ?』
後者の機械じみた声の主がダンジョンだ。
ダンジョン側がダンジョンマスターへ話しかける事はほとんど無いらしいが、ダンジョンマスターがダンジョンに声をかけると必要に応じて返答してくれるらしい。
「そうだな、ゴブリンとかクラウドウルフはもうかなり数がいるから、なるべく個として強いやつがいいな」
『把握シマシタ。核トナル素材ヲ置イテクダサイ』
ちなみに、魔物というのはダンジョンが創造するダンジョンを守る役割を担う生命体のことだ。
侵入者には容赦なく襲いかかるが、魔族に対してはダンジョンマスターの指示がある場合を除いて攻撃しない。
また、魔物も食事や排泄をするが、俺達ほど頻繁にする必要はない。
ダンジョン内では強い魔物が弱い魔物を喰らっていたり、同族同士で殺しあったりしている場面を見かけることがある。
俺もゴブリンの同族喰いの場面に偶然遭遇してしまった時は吐き気を催した。
そして生殖行為も行うため、繁殖能力の強い魔物はある程度の数がいると勝手に増える。
最も、魔族側からすると無給金のボディガードが増えるだけなので何も問題はない。
つまるところ、普通の生き物と大した違いは無い。
この魔物を創造するためには、核となる素材が必要だ。
ここでいう素材とは、生きた人間種族か魔族の身体の一部である。
身体の一部といっても手や足を切り落とす訳ではなく、毛髪や切った爪の先などで充分だ。
この素材提供は基本的にダンジョンマスターが行う。
今回は髪の毛にしたようだ。
「んじゃ、いっちょ強力なの頼むわ」
ダンジョン最深部が一瞬にして眩い光に包まれる。
――ゴトッ
何やら硬いものが落ちたような音と共に、強い光が自己主張を落ち着けた時、そこにいたのは二足歩行の牛型の魔物だった。
「貴方ガ我ガ主デスカ。私ハミノタウロスデゴザイマス。以後オ見知リオキヲ」
「おい!お前喋れるのか!?」
驚きの声をあげる魔王様。
それもそのはず。強力な魔物は高い知能を有すると言われているが、そんな魔物、ましてや人語を喋る魔物なんてこのダンジョンには存在しない。
これは相当に強力な魔物が創造されたと期待できるのではないだろうか。
「どれどれ……なにっ!Bランクだと!?こいつはすげぇ!!」
「すごいですね!村長!」
「やりましたね!村長!」
「誰が村長だゴラ!魔王様と呼ばんかい!」
皆驚きすぎて変なテンションになっている。
でも、それもしょうがないと思う。
ダンジョンマスターは、自分のダンジョンの魔物の能力を見ることができるという。
魔物のランクは基本的に最低がE、最高がAと表されるとされている。
噂ではAを超えるランクもあるらしいのだが、そんな魔物が本当に存在するのかは分からない。
ちなみに、このランクの存在は人間種族の間でも知られていて、ほとんどの魔物のランクは人間種族側も把握しているらしい。そして、その情報は戦況判断に利用しているようだ。
今回創造されたミノタウロスのランクBだが、これは非常に強力な部類に入る。
参考までに、今までのうちのダンジョンの魔物の最高ランクはDだ。
Cランクを飛ばして一気にBランクの魔物の登場という訳である。
それはもう皆変なテンションになるのも当然だ。
「ん……?」
俺はミノタウロスの後ろに四角い箱の様なものを見つけた。
先程の何かが落ちたような音の正体はこれだろうか。
「あのー、これ、落ちてました」
「ん?なんだよこれ、人間共の文字じゃねーか。なんでこんなもんダンジョンの最深部に落ちてんだよ。そんなもん捨てておけ」
「えっと……捨ててしまうんですか?なら、貰っても構いませんか?」
「兄さん、アイツ人間共の物なんかが欲しいって言ってるよ?」
「放っておけ。友達もおらず、一人で人間共の本なんか拾ってきて読んでいる奇特な奴にはお似合いだろう」
「それもそうだね!むしろこれ以上無いくらいに持ち主に相応しいかもね!」
「ふっ、あまり言ってやるなよ」
我が兄弟ながら激しくムカつく野郎どもだ。だが、ここは耐える。
「あー、いいぞいいぞ。そんなもんくれてやる。持ってけ持ってけ」
早くミノタウロスの力を見たいのか投げやりな態度でそう言い残して魔王様は去っていった。そしてそれを追うように兄弟達もだ。
さて、なんで俺はこの箱に興味を示したのか。
それはこの箱の表面に、この集落で俺しか読めない人間種族の文字でこう書いてあったからだ。
『魔物育成キット』
◆◇◆◇◆
「つっかれたー!」
あの日から一月以上が過ぎた。
俺は思わず自分の家で一人、そう叫んでしまっていた。
あの日、あれから俺は家に帰り、魔物育成キットなるものを開封してみた。
件の四角い箱の中に入っていたのは、辞書と形容するのも生温いほど分厚い四冊の本と、謎の手のひらサイズの白いドーム状の立体的な物体、そして魔法の袋だった。
魔法の袋とは、異空間収納とも呼ばれる見た目よりも多くの物を収納することができる袋型の魔道具のことだ。この異空間収納には鞄型も存在し、それらはアイテムボックスと呼ばれる。
魔物育成キットの中に入っていた魔法の袋には、何かの種や希少な鉱石の類、人間種族のものと思われる通貨に、一目で一級品と伺える武具など、沢山の物が入っていた。しかし、それらはまだ使い道が無い。
加えて、ドームの方は何なのかも謎。そこで俺は、とりあえず四冊の分厚い本に手をつけるしかなかった訳だ。
分厚い本の表紙にはご丁寧にもこう記されていたし。
『取扱説明書』
分厚すぎるわ!仕事以外の時間のほとんど全てを読書に費やして一冊一週間以上かかったんだけど!?
まあ、おかげ様で魔物育成キットについては隅々まで理解することができたけれど。
だが、俺は思うんだ。
製作者達のプロフィールとか取扱説明書に必要だろうか?ご丁寧にサインまで書いてあったし。
朝はパン派か米派かなんて間違いなくどうでもいいよな?
ちなみに俺は米派だ。
まあ、そんなどうでもいい話は置いておこう。
そう、この魔物育成キットなる物は人工物だったのだ。
何百年も前に旅をしていた人族、エルフ、ドワーフの三人組が餓死寸前で倒れた所を、かつてこのダンジョンのダンジョンマスターとして暮らしていた当時の魔王様が種族の差と周囲の反対も省みずに助けたらしい。
そしてそのまま四人は意気投合したらしく、三人組は魔族の街に移住を決意。なんともアクティブな人間達である。
魔族の街に暮らし始めた人間種族三人組は元々科学者や発明家だった。三人は自分達が暮らす街を守るため、そして己の知識欲を満たすため、当時の魔王様と協力してダンジョンを守護する魔物を強化する方法を確立しようとした。
それを実現するために、三人組に当時の魔王様が加わった四人が思い至った思考が、『ダンジョンの構造を参考にしたアイテムを作ろう』という傍から見たら馬鹿げているとしか言えない意味不明なものだった。
並の人間なら一生どころか何世紀かけたところで完成しない研究だっただろう。しかし、彼らはどうやら凡人ではなく天才だったらしい。
何度も何度も施行を繰り返した末、奇跡的にその研究を完成させることができた。こうして、紆余曲折を経て成功した実験を元に作られた奇跡の完成品。それこそが、この魔物育成キットだという。
ちなみに、これらの情報も全て取扱説明書に書いてあった。
一体この説明のどこに"取扱"の要素があるのだろうか。ただの歴史である。取扱説明書の定義とやらをもう一度確認したい気分である。
しかし、この話を読んで不可解な点も幾つかあった。まず、何百年も前にそれほど大きな街がこの場所に存在していたのなら、その街は一体どうなったのか。
順当にいけば壊滅したということなのだろう。
かつて、人間種族達から隠れ住むように暮らしていた俺達の集落がこのダンジョンを発見したのは割と最近で、まだ数十年しか経ってないらしい。当時からダンジョン自体の規模も小さく、先住民もいなかったため、てっきり最近できたばかりのダンジョンだと思われていたようだ。
しかし、実際はかつて栄えていたダンジョンの成れの果てであったということなのだろう。
ダンジョンも充分なエネルギーが得られなければ、衰退し、規模が縮小し、最終的にはダンジョンとしての機能が消滅し、何の変哲もないただの洞窟に戻ってしまうという。
このダンジョンはかなり衰退が進んでいたのだろう。だから、新しくできたばかりのダンジョンだと勘違いされることになったと考えれば納得がいく。
だとしても、何百年も経っても消滅していないという点は少し疑問に思うが。
また、仮にそうだとして、一体なぜそれほどの街が壊滅したのだろうか。
俺の頭の中を、そういった色々な考えがよぎっていた。
そんな時のことだった。
「ん?」
ふと、裏表紙の一点が目に入った。それは、明らかに人為的な切れ込み。
切れ込みから出てきたのは一枚の手紙。そこに書かれていた文字は取扱説明書に書かれていたような達筆なものではなく、まるで焦り、急いている、殴り書きのような文字だった。
『 これを読んでいるであろう誰かへ。
キミがこの手紙を読んでいる時、私はこの世にはいないだろう。
突然こんな事を言われて、キミは混乱しているに違いない。
しかし、私達にはもうほとんど時間が残されていない。
だから、簡潔に、キミにとって重要であり、この取扱説明書の中に書いていない事を記そう。
私達はこれより、この魔物育成キットをダンジョンに預けることで封印する。
そしてその封印が解ける時と場所を、「ダンジョンの存続が危機に瀕するレベルでエネルギーが不足した時の、ダンジョンが信頼できると判断した存在の前」という様に設定した。
故に、今キミがこの手紙を読んでいる時点でそのダンジョンは深刻なエネルギー不足に陥っているという事になる。
そのダンジョンは、私達にとっても思い出が沢山詰まった大切な場所だ。だから、私達の遺品であり形見であるこの魔物育成キットを使ってそのダンジョンを守って欲しい。
具体的にどうすれば良いのかは取扱説明書を読めば分かるだろう。
ああ、もう一つ。その中に一人の少女がいる。
私達が世話係として創った人造人間だ。
人造人間と言っても、身体が金属で構成されていたりはしない。不老であり、少し身体が丈夫である事以外は普通の人間と変わらない。
本当は彼女の友達も創ってあげるはずだったのだが、そういう訳にはいかなくなってしまった。
きっと、寂しい思いをさせてしまっている事だろう。
彼女には本当に申し訳ない事を頼んでしまったと思っている。
できることならば、彼女の事も気にかけてやってくれたら嬉しい。
彼女の名はアルファ。
すまないが、よろしく頼む。
エドガー・アシュクロフト,グラン,エルフィ・フィア・フリージア,ガルーダ・カタストロフ 』
……なんかすんごいの出てきた。
新たな発見や原理の解明を星の数ほどした人族の天才科学者『大賢者』エドガー・アシュクロフト。
万物を作り何度も技術革新を起こした神の手を持つとされるドワーフの天才発明家『発明王』グラン。
世界各地の環境や生態系から生物を構成する要素まで調べあげたエルフの姫巫女にして生物学の第一人者『生命姫』エルフィ・フィア・フリージア。
かつて数多の魔物を率いてこの地に一大勢力を築き最強の名を欲しいままにしていた魔族『大魔王』ガルーダ・カタストロフ。
彼らが、今俺がこの手に持つ魔物育成キットの製作者達だ。
これらの情報は勿論当然の様に取扱説明書に書いてあった。血液型等のプロフィールと共に。
本当に取扱説明書とは何なのか分からなくなりそうである。
ちなみに、四冊の取扱説明書はそれぞれ『【賢】の書』、『【創】の書』、『【生】の書』、『【魔】の書』と命名されていて、順にエドガー・アシュクロフト、グラン、エルフィ・フィア・フリージア、ガルーダ・カタストロフが執筆している。
『【賢】の書』には『大賢者』エドガー・アシュクロフトの知識の全てが。『【創】の書』には『発明王』グランが作成可能な物の作り方が。『【生】の書』には『生命姫』エルフィ・フィア・フリージアが調べ上げた世界中の生き物の生態と環境についてが。『【魔】の書』には『大魔王』ガルーダ・カタストロフ自らの手によって魔族の事について記されているのだ。
さて、手紙についてに話題を戻そう。
この手紙、口調は丁寧だが殴り書きのように文字が崩れ崩れになっている。これを見る限り、これを書いた時はかなり切羽詰まった状況だったのだろう。
その状況から察するに、おそらく本当に伝えたい事のみを抜粋して書き記したのだろう。
そうなってくると、必然的にこの話の信憑性も上がってくるわけで……。
つまり、エネルギー不足でダンジョン消滅の危機というのは紛れもない事実である可能性が高い。
……めちゃめちゃ一大事じゃねーか!
まさかそこまでこのダンジョンの衰退が進んでいたなんて……。
でもまあ、考えてみたら分からない話じゃない。
俺が産まれてから十七年ほど経ったが、今まで一度もダンジョンの規模が拡大したところを見たことがない。
ミノタウロスとか、かなりのエネルギーを使いそうだしな。元々エネルギー不足が続いているダンジョンに王手をかけるようなキツい創造だったのかもしれない。
でも、俺としてもダンジョンが無くなってしまうのは非常に困る。
決して住み心地が良いとは言えないが、このダンジョンは紛れもなく俺の暮らす場所なのだ。
取扱説明書を読んで、この魔物育成キットがどんな物かもわかったし、とてもとてもとてもひじょ〜に面白そうではある。
だが、これはダンジョン全体の危機だ。
手紙に書いてある事が本当ならば、「ダンジョンが信頼できると判断した存在」というのはうちの魔王様のことだろう。
そう考えるとやはり、事情を話して魔王様に有効活用してもらうのが一番良い。
さて、魔物育成キットに関しては名残惜しいけれど、これもこのダンジョンのためだ。
そう割り切って、俺は魔物育成キットを渡すために、魔王様の住む集落で一番大きな家へと向かった。
◆◇◆◇◆
ダンジョンのために魔物育成キットは魔王様に渡すべきだ!……なんて思ってた時期が俺にもありました。
なんだなんだ全く。人が折角親切心から警告したのにあの対応は。
ここまで頭に血が登った日は一週間ぶりだぜ、全く。あれ?結構最近な気がするな。まあいいか。
ではここで、先程の会話のハイライトをご覧頂きましょう。
「ん?どうした落ちこぼれ」
「魔王様、先日頂戴いたしました人間種族の文字が書かれた四角い箱状の物に関してなのですが、どうやらあれは魔物を育てて強くすることができる代物のようです」
「魔物を育てて強くするだあ?魔物の強さってのが創造された瞬間に決まってるなんて常識だろ?おい。
第一、アイツらは育てるまでもなく勝手に増えてくじゃねえか。なんで態々育ててやらなきゃいけねえんだよ」
「ですが、実際にそう書いてありましたので……」
「てめぇはバカか。人間共の文字でだろう?魔族より人間共の方が魔物に詳しい訳がねえだろうが」
「で、では、ダンジョンに献上する物の増加をお願いします。どうやら深刻なエネルギー不足のようでして……」
「なんでてめぇにダンジョンの状況なんてわかんだよ。今までオレら魔族はダンジョンと上手くやってきた。それはこれからも変わらねぇ。
食料、資材、布類、そしてこの間はBランクの魔物。これまでダンジョンがオレ達が必要とする物を渋ることがあったか?ねえよな?それはエネルギーが足りてるってことだろう。それにな、こっちがダンジョンに渡すものだって他にはねぇ。
分かったらさっさと帰れ落ちこぼれ。くだらない事言ってる暇があったら帰って魔法の練習でもしてろ。オレは忙しいんだ。この後もミノくんの所へ行く必要がある。てめぇなんぞに構ってやる時間なんて存在しねぇ!」
どうでしょうか。これ俺怒っていいですよね。
相手にされないどころか、邪魔者扱いでしたけど何か?
確かに俺は魔法使えませんよ。落ちこぼれですよ。でも話くらい聞いてくれても良いんじゃないですか?
挙句の果てにはオレは忙しいだぁ?ミノタウロスの所へ行く必要があるとか仕事風に言ってたけど、どうせまたよいしょしてもらいながら酒盛りするだけだろう?
この前それで酔い潰れてたのも知ってるからな!
これで魔法の実力だけはあるから救えない。
ああ、イライラする。
決めた、決めました。この魔物育成キット使ってすんごい強い魔物育てて、あのムカつく魔王に度肝抜かせてやります。
ついでにダンジョンのエネルギー問題も陰から助ける。
幸い、魔物育成キットの使い方は一週間以上かけて読んだ取扱説明書のおかげで頭の中にビッシリと入ってる。
見とけよ。あれだけ馬鹿にした事、絶対に後悔させてやる。
魔王だけじゃない。この集落に住んでる奴全員驚かせて、二度と落ちこぼれなんて言えないようにしてやる。
そしてあわよくば次期魔王に……ぐへへ。
そんな恨み言、時々欲望を連ねながら、俺は手のひらサイズの白いドーム状の立体的な物体を手に取った。
そして、白いドームは手に持ったまま、取扱説明書に書いてあった魔物育成キットを使用するための台詞を言った。
「管理者登録申請」
『申請を受理しました。管理者登録を実行します。
登録完了しました』
よし、これでこの白いドームの持ち主は俺として登録されたはずだ。
もう俺が管理者登録を解除しない限り、魔物育成キットを勝手に他者が使用する事は出来ない。
続けて俺は、白いドームを握りしめたままその中に入るイメージを浮かべた。
次の瞬間、部屋にあった俺の姿は、白いドーム状の物体に吸い込まれるようにして消えていった。
◆◇◆◇◆
私達はこの白いドーム状の物を『箱庭』と読んでいる。
箱庭の中には異空間が広がっている。
箱庭自体は小さいが、中に広がる空間は尋常ではないほどに広い。
太陽が照りつけ、大自然が広がったまるで別世界の様な空間。
その空間は、大きく分けて七つのエリアからなる。
――草原、森林、雪原、山岳、火山、砂漠、海原
巨大な海を中心に、それを囲うように六つのエリアが円状に並ぶ。
どんな魔物も、自分に合った環境で生活することができる。
言わば、魔物の理想郷。
それこそが、魔物育成キットの本質である。
魔物育成キット取扱説明書 『【賢】の書』
『箱庭と魔物育成キットの本質』より抜粋―――。
◆◇◆◇◆
俺の意識が再び覚醒した時、目の前には、心地よい風が吹く、穏やかな草原が広がっていた。
予め取扱説明書を読んでいたため、知ってはいた。だが、それでも少なくない衝撃を受けた。
この大自然が広がる場所は、あの白いドームの中だというのだ。
しばらく、瞬きすらも忘れてしまうほど呆然としてしまった。
この『箱庭』は俺の予想を遥かに超えて凄すぎた。
これを作り上げた四人の製作者の天才っぷりをこれでもかという程に実感した。
記述を見るに、彼らが最も苦労したのがその小型化だったようだ。だがそれも、実際にこの景色を見てしまえば納得である。
この人工の異空間は、ダンジョンを参考にして作られているらしい。簡単に言えばプチダンジョンだ。
ただし、違いもある。
ダンジョンの様に任意で地形や環境を変更する事はできない。最低限の環境維持がされるだけ。
つまるところ、この箱庭はダンジョンと違って生命体では無いのだ。
故に、エネルギーを供給する必要は無い。その空間の中でサイクルが完成されているからだ。
しかも、永久機関である。もう一度言うが、永久機関である。さらっと言ったが、永久機関である。世界中の科学者達の夢、永久機関である。
そんなものがここにあるなんて事実が知られたら、一体どうなるか分かったもんじゃない。この事は絶対に秘密にしておこうと俺は心に誓った。
………………
…………
……と、これらの情報は取扱説明書に書いてあった。
俺は草原を歩き始めた。
少し歩くと、巨大な牧場が見えてきた。
あの牧場は、肉食の魔物達が新鮮な食事を取れるようにする為に無駄にある土地を利用して作ったものらしい。
ここから見る限りでも、馬、牛、豚、鶏、羊と多種多様な家畜達が見える。
あれ?ひょっとしたらアレ、集落の方の家畜より数も多く質も良いんじゃないか?
いや、考えなかったことにしよう。それがいい。
更に少し遠くにはかなりの規模の農場も見える。広大な畑と色とりどりの野菜達が草原を彩っていた。
また、小規模の村と言ったふうに、幾つか家が立ち並んでいる。
でも、なんというか不自然に綺麗すぎるな。キチンと手入れが行き届いている。使われずに、何百年も経っている筈なのに。
そんな事を考えながら歩いているうちに牧場に隣接するように建てられているかなり大きな家の前に辿り着いた。
□
――ガチャ
「おじゃましまー……」
ディロがその家の扉を開けると、その誰もいないはずの家の中には人がいた。
ディロの黒髪とは正反対の純白の髪を肩までより少し長い程度に切りそろえ、瞳はまるで紅玉のように美しい紅色。どこか儚げな美しさを持つ十六歳から十七歳ほどの見た目をした少女だ。
その少女は、美しい白い髪を振り回し、奇妙な掛け声をあげながら、見る者が見ればまるで盆踊りとソーラン節を足して二で割ったかのようだと表現するだろう奇妙な踊りを、裸で踊っていた。
「よいしょ、あほいっ、それそれそれそれっ」
当然ディロは絶句し、表情は凍りついた。
そして、それから少し遅れて互いの視線が交わる。
「「……」」
数秒の間、互いに声を発さない二人の間に、何とも言えない空気が流れた。
その沈黙を破ったのは、意外な事に少女の方だった。
「え、えーっと……どちら様でしょうか」
□
驚いた。多分、今までの人生の中で一番だと思う。
誰もいないと思った家の扉を開けたら、謎の全裸美少女がいたんだ。驚かないはずがないと思う。
しかも変な踊り踊ってたし。
でもまあ、あれだけ手入れされている牧場と農場を見て、誰か他にも人がいると予想できなかった俺にも非はあるのか?
彼女はあの後、「失礼しましゅっ!」と言って奥の部屋に言ってしまった。向こうも相当焦ってたんだろうな。噛んでたし。
なので、とりあえず玄関で待つことにしたのだ。
「お、お待たせしました〜」
奥の部屋から、再びあの少女がやってきた。
よかった、今度はちゃんと服を着ている。
髪色と同じ純白のワンピースだ。身長は百六十センチほど。こうして見るとやはり超が付くほどの美少女である。
最も、最初のインパクトが強すぎるから台無しなんだけれど。
ちなみに、肌の色は魔族よりも人間種族に近い薄い色だ。
「えーっと、どうぞ!上がってください!」
俺は少女に案内されて、家の中にある部屋のリビングの様な一室に通された。部屋には机と椅子の他にもキッチンがあり、椅子に腰掛けると少女はお茶を入れてくれた。
「「……」」
そして、再び訪れる沈黙。
「本日はお日柄もよく……」
気を利かせて少女の方から話しかけてくれた。
でもあれだな。この娘、同種の匂いがするぞ。孤高の一匹狼、ボッチの匂いだ。
そう思うと、不思議と俺は肩の力が抜けていた。
「ふふっ」
「あ、なんで笑うんですか!」
少女はプンスカと怒ったような仕草をしている。その様子を見て、なんだか変に緊張しているのが馬鹿らしくなってしまった。
「ごめんごめん、お互い馬鹿みたいに固くなってると思ったら、可笑しくなっちゃってな。俺は魔族のディロ。よろしく」
「あ、これはこれはご丁寧にどうも。私はアルファと言います。よろしくお願いします」
「アルファ……アルファ……。どこかで聞いたような見たような。うーん……あ!思い出した!あの手紙だ!」
「な、なんですか!?やるんですか!!」
思わず立ち上がって指を差した俺にビックリしたアルファも立ち上がってファイティングポーズからのシャドーボクシング。
しかし、全く強そうに見えなければ怖くもない。ていていっという掛け声が聞こえてきそうな可愛いものだ。
「驚かせてごめん。ここの製作者であるエドガー・アシュクロフトの手紙に、アルファという名前の人造人間の事が書いてあったのを思い出したんだ」
「エドガー様の……。はい、多分そのアルファというのは私の事で間違いないと思います」
「やっぱりそうだったのか、君が人造人間の……」
「ほ、人造人間と言っても普通の人と変わりませんからね!ご飯だって食べますし、トイレだって行きます。そ、それに……こ、子どもも作れるんですから!」
顔を真っ赤にしてアルファが叫ぶ。そんなに恥ずかしいなら言わなきゃいいのに……。やっぱりこの子、どことなく残念臭が漂っているな……。
「じゃあ、あれも人造人間の文化か?ほら、俺がこの家に入った時にやっていた……」
「あ、あれはちがうんですぅ〜!!そ、その……尊敬している人を倣ったというか……なんというか……」
恥ずかしさからあうあう言ってるアルファを見て、俺は更に穏やかな気持ちになったのだった。
その後も、互いに色んな話をした。俺の身の上話もだ。アルファはその話を、初めは嬉々として、途中からは度々憤慨しながら聞いてくれた。
こんなにも他者と話す事が楽しいと感じたのは久しぶりだ。
エドガー達四人の研究者はかつて、アルファと一緒にこの箱庭の製作と調整を行っていた。
しかし、さあ魔物を実際に育ててみようという段階で、外の世界でエドガー達に何かがあったらしい。
おそらく、外の世界でダンジョンが何者かの襲撃にあったのだろうとアルファは推測していた。
思い詰めた表情をしたエドガー達から、外のダンジョンの状況が危うい事と、万が一の時は残って箱庭を管理し、守って欲しいという意を伝えられ了承したのだという。
しかし、実際にエドガー達を襲った具体的な出来事についてはアルファも知らないらしい。
それがかれこれ三百年以上も前の話。つまり、彼女は三百年もの間、たった一人でこの箱庭を管理し続けていたという訳だ。
エドガー・アシュクロフトの手紙を見た際には昔を思い出して涙を流していたし。きっと、想像もできないほど寂しかったに違いない。
それを考えると、暇を潰すためにあの奇妙な踊りを開発してしまったと考えればおかしくないのかもしれない。いや、やっぱりあれはおかしいと思う。
話し終えた後、アルファに事情を伝えて箱庭で排出された廃棄物を譲り受け、うちの魔王様には内緒でこっそりダンジョンに提供した。
三百年で溜まった廃棄物は保存しようがない生物を除いてもかなりの量があり、隣接している倉庫扱いの小屋いっぱいに敷きつめられていた。
箱庭の管理者は、自由に箱庭の中と外を行き来できる。
また、他者や物を一緒に行き来させることもできる。ただし、管理者が触れる必要がある。また、管理者に触れている人が持っている物も同時に認識して移動することができる。
ちなみに、無生物や自我の無い生命体なら無条件だが、自我のある生命体であれば互いの了承がいる。
お分かりいただけただろうか。このルールによって、俺は軽く百回を越える往復をせざるを得なくなったわけだ。とてもとても疲れました。
だが、これでダンジョンの深刻なエネルギー不足は一先ず解決したと見てもいいだろう。
ちなみに、魔法の袋を使えば良かったということには全て終わってから気づきました。おれのアホォ!!
まあ、何はともあれ、こうして俺に初めての友達ができたのだった。
◆◇◆◇◆
次の日、俺は再び箱庭内の牧場エリアに来ていた。
昨日できた初めての友達であるアルファとの親交を深めたかったからだ。
アルファは家の中にはいなかったので、アルファを探すために少し歩いてみることにした。
そうしてしばらく歩き回った後に、ふとアルファの声が聞こえてきた。
――聞いてくださいよ?昨日およそ三百年ぶりに人にあったんですよ?
――ディロさんという方なのですけれど、これがいい人でしてね。
――私とも心良く友達になってくださったんですよ!
この声を聞いて、俺はふと違和感に襲われた。
ここは箱庭の中なのだ。
俺とアルファ以外の人がいるのだろうか?いや、そんなはずは無い。
ここには人が誰も居ないからこそ、アルファはずっとひとりぼっちだったのだ。
だから、俺は不思議に思って覗いてみた。否、覗いてみてしまった。そして後悔した。
なぜか。それは、彼女の話し相手に問題があったからだ。
俺を驚愕させたアルファの話し相手……それは、馬である。もう一度言う、馬である。人語を喋る特殊な馬というわけではなく、何の変哲もない普通の馬である。
ただの馬に本気の人生相談をする見た目十七歳ほどの少女。何ともシュールな絵面である。
俺は、彼女の業垣間見てしまった気がした。
しかし、それが彼女が三百年もの間ひとりぼっちだったことによる弊害だと考えると、何とも言えない気持ちになる。
そして、もう少し遅ければ自分もああなっていた可能性があるという事実にほんの少しの戦慄を覚えた。
◆◇◆◇◆
俺はアルファに声をかけるため、アルファの元へ歩み寄った。
「よっアルファ、昨日ぶり」
「あっ、ディロさん!昨日ぶりです!」
アルファは嬉しそうに俺の方へ来ると、笑顔を浮かべながら返答してくれた。
一応言っておくと、アルファは残念な部分もあるが、超が付くほどの美少女である。くっ!笑顔が眩しすぎるぜ!
「今日はどうされましたか?」
アルファが首をコテッと傾けてそう聞いてきた。
「いやー……な、せっかく友達になれたんだし遊びに行こうかなと思ったんだが……その……ダメだったか?」
「い、いえ!全然!そんなわけないです!」
やべぇ、自分の顔が赤くなってるのが分かる。よく見ると、アルファも少し照れているようだ。
どうしよう、くっそ恥ずかしいぞこれ。
で、でもな?十七年間で初めての友達だぞ?昨日のやり取りも楽しかったし、また話したいと思っちゃうのもしょうがないと思うんだ。
ついでに言えば、昨晩は初めて友達ができた事にテンションが上がりすぎて一睡もできなかったりしたのだが、その件に関しての詳細は黙秘させて頂く。
とりあえず、俺は話を進めるべく口を開く。
「えっと……じゃあ、箱庭の管理の仕事で何か俺に手伝える事はないか?」
「え、手伝ってくれるんですか?」
「もちろん。迷惑じゃなければだけどな」
「迷惑だなんてそんな!あ、ありがたいです!」
こうして、俺はアルファの箱庭を管理する仕事を手伝うことになった。
□
「ここをこうやって、こうしてください」
アルファが今やっているのは、牧場に隣接している畑への種まきだ。ただし、今まいている種はただの種じゃない。
『生命姫』エルフィ・フィア・フリージアの手によって特殊な品種改良が成された植物の種だ。
この植物達は、普通の植物よりも収穫までの期間が短い上にみずみずしくておいしいのだそうだ。
加えて気温や環境の変化にあまり影響されないようになっているので、あまりに厳しい条件下でなければ実を付けることができる。
そのように品種改良済みの植物は何も一種類では無い。トマトにキュウリ、ナスからニンジンやダイコンといった根野菜まで色とりどりの野菜が揃っているのだ。
おかげで、この箱庭の中では一年中様々な野菜が食べ放題なのだという。
本当にさすがの天才っぷりである。
それにしてもだ。速い、速すぎる。
え、何がだって?アルファの種まきのスピードに決まっているだろう。
尋常ではない速さなのだ。正直、所々目で追えない。
何故それほどまでに速いのかと聞いてみたところ、「三百年間やり続けてますからね、当然速くもなりますよ」と返された。
反応に困るよ!
それはともかく、俺も種まきを手伝うことにしたのだが、何気に体勢が辛いのだ。
普段の生活で長い間中腰の体勢になることなど無いので、俺の腰は既にかなり悲鳴をあげていた。
しかし――。
「ずっと一人でやっていたので、手伝ってくれる人がいるなんて新鮮で、いつもと同じ事の筈なのに少し楽しく感じます!」
守りたい、この笑顔。
明るい笑顔を向けられた俺に休憩という選択肢は無いのだ。
アルファが仕事を一休みするまでは、全力で付き合う所存である。
□
結果、俺が腰を休める事が出来たのは二時間後だった。
俺の腰は、今までにないほど大きな悲鳴をバキボキとあげている。
俺は農作業歴三百年を甘く見ていたようだ……。
しかし、得られたものも当然あった。
アルファとは種まきをしながら会話することができ、お互いのことを更によく知ることができた。
また少し、アルファとの距離が縮まった気がする。
アルファ自身も、随分と長い間会話をすることができる相手がいなかったから誰かと話せるのは嬉しいし、俺と雑談をするのは楽しいと言ってくれたからよかった。
俺があれこれ考えている所に、休憩に入ってから一度何処かへ行っていたアルファが戻ってきた。
「どうぞ、疲れたでしょう?」
どうやらお茶を入れてきてくれたようだ。
「おお、ありがとう」
一言礼を言って、俺はお茶を口に含んだ。
「!?」
その途端、俺は思わず目を見開いてしまった。
「ど、どうしました?お口に合いませんでしたか?」
アルファが心配そうに俺に問いかける。しかし違う、逆なのだ。
「違う違う、逆だよ。美味しすぎてびっくりしたんだ」
「そうですか、それなら良かったです」
俺が思わず目を見開いてしまった理由を告げると、アルファはほっと胸を撫で下ろし、それから嬉しそうに微笑んだ。
そして、自慢気にこう言った。
「疲労回復に美容、免疫力上昇の効果が得られる私特性のお茶です。どうやらお口に合ったみたいで良かったですよ。ディロさんも寝不足なんでしょう?このお茶は身体にとても良いですから、どんどん飲んでくださいね」
待て待て待て待て!
な、何故寝不足の事がバレたっ!?まさか、思考を読み取る力でもあるのかっ!?
そんな俺の驚愕を知ってか知らぬか、アルファは苦笑しながら俺に告げた。
「目の下に濃い隈ができてますよ」
どうやら俺の寝不足はバレバレだったらしい。
「それなのに、わざわざ私のことを手伝ってくれて、何と言うか、その、ありがとうございます」
まあそんな風にお礼を言われるのは悪い気分では無いので良しとしよう。
ん?ちょっと待てよ。
「なあアルファ、俺もってどういう意味だ?」
俺がそう問いかけると、アルファはそっと目を逸らした。
「笑わないで下さいよ?」
「お、おう」
「実はですね……三百年ぶりに人と会い、更に初めて友達という存在ができたことがとても嬉しくてですね……興奮して、昨日は一睡もできなかったんですよね……」
アルファは恥ずかしそうに、視線を下に向けてそう語った。
そんな姿を見た俺は、思わず笑いが込み上げてきていた。
「はは、ははは、はははははは!」
「ひ、ひどいです!笑わないで下さいって言ったのに!」
「違う違う、アルファのことを笑った訳じゃないよ?いやさ、アルファも同じだったんだって思ったら可笑しく思えちゃったんだ」
「ほえ?」
「実は俺もね、昨日は初めて友達ができた事に喜び過ぎて一睡もできなかったんだ」
「ディ、ディロさんも……」
「ディロ」
「へ?」
「アルファも、俺の事は呼び捨てで呼んで欲しい。折角友達になったんだからな」
俺がそう言うと、アルファはこの二日間俺が見た中で最も輝いた笑顔を俺へ向けた後こう言った。
「はい!これからもよろしくお願いしますね!ディロ!」
何となくだが、俺はアルファとなら上手くやっていけるような気がしたのだった。
◆◇◆◇◆
ある日のこと。
「「海だーー!!」」
青い空!白い雲!照りつける太陽に波の音!
そう、俺とアルファは海に来ている!
まあ、ここも箱庭の中なんだけどな!
ここは草原エリアに隣接する海原エリア。だが、今いるところは白い砂浜では無く岸壁である。故に、アルファも水着ではない。無念だ。
少し歩けば砂浜もあるので、いつかは海水浴に誘ってみたいとも思っている。しかし、脱ボッチ一週間の俺にはあまりにも荷が重い。無念だ。
しかも今日の目的は釣りであるため、俺とアルファの物理的な距離感はそこそこ遠い。無念だ。
なぜ急に釣りをしに来たのかというと、アルファが釣りが得意だという話になったからである。
この箱庭の中に広がる海は、他のエリアに比べてしっかりとした生態系が確立されているらしい。
なんでも、海は特にある程度の生態系ができていないと成立しないのだとか。
そんな話をしている時にアルファに釣りの話を振られ、こうして一緒に海原エリアを訪れ、釣りをすることになったのだ。ちなみに、アルファは釣り歴二百年越えの大ベテランである。
俺とアルファは釣り糸を垂らしながら、今後の予定について話し合う。
「折角だし、何か魔物を育ててみようよ。アルファは何がいいと思う?……おっ、釣れた」
「……まあゴブリン辺りじゃないですか?ディロの暮らすダンジョンにもたくさんいるらしいですし」
早々に釣れた俺に対して少しムッとしながら返答するアルファ。
彼女が俺を、ディロと名前で呼んでくれるようになってからおよそ一週間が経った。この一週間、暇さえあれば俺はアルファの元へ通っていたので、あの時よりも更に距離が縮まっていると思う。
俺としては、もう少し崩した話し方でいいと思うのだが、敬語になってしまうのは癖らしいので、しょうがないと割り切っている。
ちなみに、ゴブリンとは緑色の肌を持った小人の様な魔物だ。
「ゴブリンかぁ。確かに最初に育てる魔物としてはピッタリかもな。……あっ、また釣れた」
「むう……ゴブリンの育て方とかは分かるんですか?」
「大丈夫、魔物育成キットの取扱説明書にゴブリンの生態が書いてあるからな。……よしっ、また釣れたぞ」
「よし!私もきました!……ああっ!逃げられました……」
アルファは血走った目で「まだこれから……これからです……。釣れる……絶対に釣れる」と呟きながら必死に釣り糸を垂らしている。
俺はその姿に、鬼気迫るものを感じた。
もう一度言うが、アルファは釣り歴二百年越えの大ベテランである。ただし、だからといって釣れるとは言っていない。
二時間粘った結果は、俺が十二匹のアルファがボウズだ。
アルファは虚ろな目をしていたが、俺が釣った魚で料理を作ってあげたら機嫌は回復した。
一人暮らしの男の料理の腕前を見たか。フハハハハハ。
ちなみに、エリア間の移動は管理者なら自由に転移ができる。これは箱庭内外の移動と同様で、触れている物や人も一緒に転移可能だ。
そしてなんと、この転移はアルファもできる。アルファ曰く、四人の箱庭の製作者達も自由に転移できたようだ。忘れがちだけど、アルファはこの箱庭に製作段階からいるんだもんな。箱庭の中を自由に転移できるくらい、当然といえば当然なのかもしれない。
とにかく、これを利用してひとっ飛びという訳だ。
そうして釣りイベントも一段落着いた所で、ゴブリンの生態を確認することになった。
魔物育成キットの取扱説明書は、初日以来箱庭内に持ってきている。
そのため、偶にアルファが一生懸命読んで唸っているのを見かけることがある。終わりが見えないって辛いよな。よく分かるよ、その気持ち。
「確かゴブリンは『【生】の書』の二百六十一ページだったか。あったあった、これだな。【ゴブリンの育て方】だってさ」
「ふむふむ、この分だと草原エリアに暮らして貰うのが良さそうですね」
「そうだな。後は……肉食みたいだが、大丈夫か?家畜とはいえ、大切に育てていたんだろう……?」
「問題ありませんよ。その葛藤は三百年前に克服しましたから。そこは割り切らないと、生きていけませんよ?」
どこか不気味な笑みを見せて語るアルファを見て、俺は色々と悟った。
アルファとの話を終えた後、俺はダンジョンに戻ったきた。
理由は言わずもがな、ゴブリンを連れてくるためだ。
このダンジョンでは、第一階層にゴブリンの集団がいる。
ゴブリンは数え切れないほどいるので、一匹や二匹いなくなった所でバレることは無い。
活きがいいのを選ぶため、俺は第一階層に歩を進めた。
◆◇◆◇◆
ゴブリンは非常に弱い魔物である。
肉を好んで食し、一匹一匹は大した力を持たないために数に頼って獲物を狩る。
力は弱い代わりに、その繁殖力には目を見張るものがあり、同種だけではなく、他種族とも積極的に交尾をする。森が近くにある草原地帯には、ゴブリンが形成した集落が見られる事もある。
雄と雌を見分けるには耳を見る必要があり、雄は尖った耳、雌は多少丸みを帯びた耳を持つ。
深く濃い緑色の体表を持つゴブリンは、健康かつ優れた力を持つとされる。
魔物育成キット取扱説明書 『【生】の書』
『ゴブリンの生態』より抜粋―――。
◆◇◆◇◆
第一階層に着くと、ゴブリン達の騒がしい声がよく聞こえた。
「グギャギャ」
「グギャ」
「ギャッギャッギャッ」
同族の事を喰らう者、意味も無く跳び回る者、寝っ転がったまま動かない者と、している事は様々だ。
その中から特に肌の色が深く濃い緑色をしたゴブリンを雄雌各一匹ずつ連れてきた。
ダンジョン内の魔物が同じダンジョンで暮らす魔族に対して、逆らったり攻撃したりすることは魔王の命令でも無い限りない。
それにより、箱庭内に二匹を連れてくる事は比較的簡単にできた。
俺は今、草原エリアの端、森林エリアとの境界線付近に来ている。
当然アルファも一緒だ。
「これが魔物、ゴブリンですか」
「そうだよ。アルファは魔物を見るのは初めてだったか?」
「はい。昔お手伝いで資料をまとめたり、生態を記録したりした事はありますが、こんな感じでまともに見るのは初めてですね。なんというか……迫力があります」
「これからもっと色んな魔物を見せてあげられるように頑張るな」
「はい!楽しみにしてますね!」
おっと、これは頑張らなきゃいけない理由ができてしまったな。
本当に魔物にとっての理想郷を作れるように頑張ろう。
さて、何故ゴブリン達を連れてきたのが森林付近かということについて説明しよう。
ゴブリンは落ち葉や木の棒等を使って家を作る。
つまり、この草原に隣接する森林の落ち葉や枯れ木を使って家を作れるようにという配慮だ。
各エリアの境界には薄い膜のような結界が張られていて、それぞれの環境が互いに悪影響を与えないようになっている。
これにより、各エリアは特殊な気候を保ち続けることが出来るのだ。
この特殊な結界は、生き物が通る分にはなんの影響も無いので、管理者である俺だけでなく、アルファはもちろんのこと、ゴブリンも自由に通ることが出来る。
ただし、通る際は急な環境の変化に注意が必要だ。草原エリアと森林エリアでは大した違いは無いが、これが火山エリアや雪原エリアだと話が変わってくる。
二匹のゴブリンに、同じ草原エリアにいるアルファや家畜達に手を出さないように伝える。ここから牧場や農場がある場所まで距離はあるが、念の為だ。
新しい魔物を育てる時は、顔合わせをさせて、仲良くするように伝えるのを忘れないようにしなくてはいけないな。
箱庭で暮らす魔物同士が殺し合うような事になったら目も当てられない。
そんなこんなで、この箱庭に初めての魔物の住人であるゴブリンが加わったのだった。
ちなみに、今回加わった二匹のゴブリンの内ガタイの良い雄ゴブリンをゴブ助と名付けた。
我ながら、シンプルかつ合理的で分かりやすい素晴らしい名前だと思う。
そうアルファに自信満々に伝えたら凄いジト目を向けられた。
何故だ!
解せぬ!!
◆◇◆◇◆
「むほむほふぁらふぃふぁももふぁふぃふぁもうふぉ」
俺はまた、箱庭の中に来ている。
そして今俺の目の前で、俺が作ったシチューを頬張りながら何か言っている、どこか残念な美少女はアルファ。俺の初めての友達で人造人間だ。
「むぐむぐ……ごっくん。今何か失礼な事考えませんでしたか?」
「そ、そんなことないよ?」
「ならいいのですが……。それよりもです!そろそろ新しい魔物を育ててみませんか!?」
なんて勘のいいやつなんだ。恐ろしいぜ。
それはともかく、アルファの言うことも最もだ。
ゴブリンのゴブ助達が箱庭の中で生活し始めてから二週間が経った。
二匹はすっかり箱庭の環境に慣れ、森林エリアから持ってきた枯れ木や落ち葉等を使って家も作っていた。
更に、箱庭で暮らし始めてから四日ほど経って以降、雌の方のゴブリンは三日おきに出産している。
今では子ゴブリンが四匹増えた。ゴブリンの成長は早いようで、最初に産まれた子ゴブリンなんかは、既にゴブ助と同じくらいの大きさに成長している。
元気に育ってくれるのはいい事なのだが、この超ハイペースで増えて、まだまだ備蓄に余裕があるとはいえ、食料不足に陥らないかが心配である。
さて、話を戻そう。新しい魔物か。うん、いいんじゃないかな。
「そうだな。ゴブリン達も落ち着いてきたし、そろそろ新しい魔物を育ててみるのも良いかもしれないな」
「そうしましょうそうしましょう!では、どんな魔物にするのですか?」
「そうだな……。コボルトとクラウドウルフ辺りかな」
コボルトは二足歩行型の犬の魔物だ。イメージとしては集団行動が上手いゴブリンという所。
生態はほとんどゴブリンと同じだ。
ではなぜ、次に育てるのがコボルトなのかについてだ。それは、ゴブリン一家の良き隣人になれるかもしれないと期待できるからだ。
この箱庭の中では、いずれ多種多様な魔物達が共生できるようにしたいと思っている。そのための第一歩をコボルトとゴブリンで踏み出そうという魂胆だ。
次いでクラウドウルフ。彼らは常に群れで行動する狼の魔物だ。
彼らの群れにはヒエラルキーが存在し、下の者は上位者の命令に絶対服従。言わば、忠実なワンコなのである。
彼らを育てたい理由は牧場と農場の警備を頼むためだ。
これから魔物が増えていく中で、今は大丈夫でも、畑の作物や牧場の家畜達にちょっかいを出してくるやつがいるかもしれない。
だから、万が一を兼ねて狼達にパトロールをお願いしようと思ったわけだ。
それに、もしこれからアルファに何かあったら大変だ。それだけは絶対に避けなければならない。クラウドウルフ達が俺やアルファを主人と認めてくれれば、俺やアルファを守り、手助けしてくれることだろう。
後ついでに言えばあの毛並みを好きなだけもふもふしたい。
……まあこの理由はあくまでついでだがな。本当だぞ?ホントについでだからな?
そんな理由を、所々ぼかしながらアルファに伝えた。
「なるほど。ふふ、心配してくれてありがとうございます。でも、こう見えても私、結構強いんですよ?」
照れ隠しをする様に薄く笑い、力こぶを作ってみせるアルファ。でも、残念ながら俺には柔らかそうな二の腕にしか見えなかった。
◆◇◆◇◆
俺はその後、ゴブリンの時と同じようにしてコボルトを箱庭の中に連れてきた。
勿論今度も番いのコボルトだ。
ゴブリン達にしたのと同じ注意をして自由にしてやると、ゴブリン達の家から少しだけ離れた所に住処を作り暮らし始めた。
ゴブリン達との顔合わせも問題無く終わり、これからは良き隣人としてやっていってくれそうだ。
そういえば、最初に箱庭の中に連れてきた番いゴブリンであるゴブ助達の肉付きがかなり良くなった気がする。しかも、心做しか身体も少し大きくなっているような気がするのだが……。まあ気のせいだろう。
そうしてコボルトの一件が落ち着いてから、俺は再びダンジョンにやってきていた。
目的は勿論、クラウドウルフである。
しかし、クラウドウルフはゴブリンやコボルトと同じ様にはいかない。
クラウドウルフは上位者に対して絶対服従する魔物だからだ。
うちのダンジョンの上位者とは、そう魔王様である。
クラウドウルフはうちのダンジョンの第三階層に沢山いるが、「少しついてきて」程度のお願いならまだしも、箱庭に連れていき、共に生活してもらうためには、魔王の「コイツが今日からお前達のボスだ」という口添えが必要だ。
だから俺は今、久しぶりに魔王の前にいる。
「よう、落ちこぼれ。今日は何しに来たんだ?」
初っ端からムカつく態度である。口を開けば落ちこぼれ。もしかしてこの人、俺の名前知らないんじゃないのかな?
だが、耐える。アルファという友を得た俺の心は、前にも増して穏やかになったのだ。元々穏やかじゃなかっただろって?やかましいわ。
「本日は魔王様にお願いがあって参りました。私めにクラウドウルフを五匹ほど譲って頂きたいのです」
「クラウドウルフだと?何のために?」
この質問は、偽っても仕方がないのである程度本当の理由を返す。
「魔物を育ててみたいと考えているからです」
「ああ……そういえば少し前にそんな戯言を言ってたような気もするな。まあクラウドウルフが五匹くらいいいけどよ、オレに何か要求するなら対価が必要だろ?なぁ?」
ああ……やっぱりこうなったか。何も無しで済むのが一番だったんだが背に腹はかえられない。まあしょうがないか。
「では、こちらを」
そう言って俺は、箱庭の中で取れた作物を一籠分渡した。
「ほう、作物か。お前が育てたものか?」
「左様でございます」
「うーん……よし、良いだろう。じゃあオレはどうすりゃいい?」
「クラウドウルフは魔王様に忠実な魔物です。この後私が、五匹のクラウドウルフを魔王様の元に連れてきます。魔王様はその場で、クラウドウルフ達に以後は私に従うようにと言っていただければ結構でございます」
「そんなことでいいのか。わかったわかった、さっさとクラウドウルフを連れてこい」
斯くして、俺は第三階層に行き、魔王の元にクラウドウルフを連れてくることになった。
◆◇◆◇◆
クラウドウルフは常に群れで行動する、白い毛を持つ狼の魔物である。
魔物の中では弱い部類に入るが、群れて戦う事で、格上に勝利することもある。
知能が高く、敵や獲物と戦う際には戦略を用いる。また、人の言葉を理解する個体もいる。
食性は肉食で、群れで狩りを行う。仕留めた獲物は仲間同士で分け合うという仲間意識の強さが見られる一面も持つ。
雄と雌を見分ける方法だが、雄の首周りは鬣の様な雌に比べて分厚い毛で覆われているため、首を見ることで区別できる。
柔らかく、毛並みの良い毛を持つクラウドウルフは、健康かつ優れた力を持つとされる。
魔物育成キット取扱説明書 『【生】の書』
『クラウドウルフの生態』より抜粋―――。
◆◇◆◇◆
クラウドウルフの選別は思ったよりも早く終わった。五匹とも、一目見てこの子にしようと決めた子達だからだ。
その中でも最初に見つけた一匹は一目惚れに近かった。美しい毛並みの雄だ。
内訳は雄三匹の雌二匹だ。
ああ、早く箱庭の中に帰ってアルファと一緒にモフりたい。
そんなことを考えながら、俺は再び魔王の元へやってきた。
「連れてきました」
「おお、早かったな」
「では彼らに、コイツが今日からお前達のボスだと伝えていただいてもよろしいですか?」
俺から聞いたセリフを魔王は俺のことを指差しながら言った。
「お前達、コイツが今日からお前達のボスだ。分かったな?……よし、これでいいんだろ?」
「はい。ありがとうございます」
「構わねぇよ。それよりもだ!あの作物、落ちこぼれが作った割には美味しかったぜ?だからよ、またオレの所に持ってこい。わかったな?」
「……はい。分かりました」
ああ〜……こうなるって分かってたから嫌だったんだよ、作物渡すの。
量は処理しきれないほどあるから問題無いんだけど、箱庭で作られた野菜を、幾らこのダンジョンの魔王とはいえ魔物育成キットをよく見もせずに馬鹿にした奴に渡すのが何か無性に嫌だったんだよなぁ。
まあ、今回に関してはしょうがないな。諦めよう。
何はともあれ、我が箱庭の中に新しくクラウドウルフ達がメンバーとして加わった訳だ。
クラウドウルフ達の名前は、最初に一目惚れした雄がアインス。残りの雄はツヴァイとドライ。二匹の雌はそれぞれフィーアとフュンフだ。
ちなみにこの名前はアルファが命名した。どうやらアルファも、クラウドウルフ達には即効メロメロになってしまったようなのだ。
そして焦ったように、「この子達はディロに名前を付けさせてはいけないっ!」と口走りながら順番に名前を付けていったのである。
なんだかとても失礼な事を考えられていた気がするが、気にしないでおく。とりあえずクラウドウルフ達がお気に召したようで何よりだ。
クラウドウルフ達とゴブリンとコボルトの挨拶も済ませ、牧場と農場周辺のパトロールもお願いすることができた。
そうしてとりあえず一段落した後、俺は魔王との会話で溜まったストレスを発散するように、クラウドウルフをめちゃめちゃもふもふした。
◆◇◆◇◆
そしてクラウドウルフ達が箱庭内の仲間に加わってから、大体四ヶ月が過ぎた。
四ヶ月の間に本当に色々な事があった。
まず、箱庭の中で新たにオークとスライムを育て始めた。
オークは、二足歩行の豚型の魔物だ。ゴブリンやコボルトよりも大きな体とデップリとした体型が特徴である。
ダンジョンから連れてきたオークの番いは無事適応し、今ではゴブリン達とも仲良くやっている。
しかし、問題も発生した。それは、ゴブリン、コボルト、オークの三種族が仲が良すぎてしまった事だ。
これだけ聞けば、別に何も問題ないじゃないかと思うかもしれない。
では、俺が何を目にしてしまったかを語ろう。そう、あれはゴブリン、コボルト、オーク達に食料としてお肉を渡しに行った時の事だ。
ゴブリンのゴブ助の元へ歩いている途中、近くの家の中から何やら奇妙な音が聞こえてきた。
一体何をやっているんだと思いつつ、俺はその家を覗いてみた……。覗いてみてしまったのだ……。
その光景が目に入った時、俺は思わず目を見開いてしまった。
家の中で、ゴブリンとコボルトが夜の営みを行っていたのだ。
俺氏、超パニック。
後から聞いた話であるが、違う種類の魔物が交わる事は、一般的に普通かどうかはともかく、我が箱庭内ではかなり多く行われているらしい。
しかも、その際はちゃんと互いに合意を取っているのだというから驚きだ。もしかしたら、うちのゴブリンは俺の兄より賢くて紳士かもしれないと思ってしまった。ああ、比べちゃ可哀想か、ゴブリンが。
とにかくそれを聞いた俺は、一連の行為が性的暴行でゴブリンとコボルトの全面戦争に発展、という事態にならずに済んだことに一先ず安堵し、半ば無理矢理納得することにしたのだった。
ちなみに、違う魔物と子を作った時は、父の種族か母の種族のどちらかになるようだ。その確率は五分五分といったところである。
次のスライムだが、これは今まで育ててきた魔物とは全く違うタイプの魔物だ。
透明なジェル状の身体を持ち、地面を這って移動する。性別は無く、分裂によって数を増やす。
スライムを育て始める事にした理由は、魔物達の排泄物の処理に困り始めたからだ。
今現在箱庭の中には、ゴブリンが三十四、コボルトが二十七、オークが十九いる。
最初のうちは肥料として活用するため問題無かった排泄物も、これだけの大所帯になると、臭いや衛生面に問題が出た。
スライムは本当に何でも食べるので、この排泄物の処理をお願いした訳だ。ちなみに、ダンジョンでもスライムによる排泄物の処理は行われている。
連れてきたスライム達は最初は三匹だったが、分裂によって六匹に数を増やし、各々自由に動き回っている。
実はこれで、今うちのダンジョン内にいる魔物は全種類箱庭の中に連れてきた事になっていたりする。
次の出来事は全俺を震撼させた。
なんと、魔物達が進化したようなのだ。
こんな曖昧な言い方になってしまうのは、魔物の進化なんて今まで見たことが無かったからだ
魔物が進化するという可能性がある事は、取扱説明書に書かれていたので知ってはいた。しかし、実際にその事象に立ち会った時に、冷静でいられるかとなると話は別だ。
――魔物の強さが変わることは無い。
これは、一種の常識と言ってもいい。しかし、この表現の仕方は正確じゃあない。
正しくは、ダンジョン内の魔物は進化しないのだ。
これは、ダンジョンの性質が関係しているというのが『大賢者』エドガー・アシュクロフトの仮説であり、彼に『発明王』グラン、『生命姫』エルフィ・フィア・フリージア、『大魔王』ガルーダ・カタストロフを加えた四人が提唱した「魔物進化説」である。
魔族や魔物は生命活動を維持する為に、体内で魔力などと呼ばれる生命力のエネルギーを生成している。
とりあえず、ここではそのエネルギーをまとめて魔力と呼称しよう。
その魔力の大半は己の生命活動に利用されて消費される。しかし、一部の余剰な魔力は貯蓄される。
魔物は、その貯蓄された魔力を一定以上一気に使用する事で進化をし、魔族は貯蓄されて増加した魔力量に身体を慣らす事で総魔力量を増やすことができる。
しかし、ダンジョン内ではこの余剰魔力がダンジョンによってエネルギーとして吸収されてしまう。故に、ダンジョン内の魔物は基本的に進化なんてすることはできないし、魔族の魔力量も一生変わらない。
ダンジョンから溢れて野生化した魔物や、ごく稀にいる旅をする魔族、エネルギーの生産効率が異常に良い魔物や魔族は進化したり、魔力量が増えたりする可能性がある。
しかし、充分な量と高い栄養価を持つ食事と、ストレスが溜まらない環境が無ければ、体内で生成される魔力は基本的には大した量にならず、貯蓄される量も微々たる物にしかならない。
したがって、ほとんどの魔物は進化までかなりの年月が結果的に必要になり、大抵の場合は進化する前に寿命で死んでしまう。
では、エネルギーを吸収されない人工的に作られた魔物にとって暮らしやすい環境があれば、魔物は進化できるのではないか。
この仮説を発端として、四人の天才達はダンジョンの構造を元に、後に箱庭と呼ばれるようになる異空間を作り始めることになった。
余談だが、箱庭にはエネルギーの生産効率を上昇させる効果のある結界が張ってある。
この結界により、魔物の成長効率を更に上げることができるのだ。まさに、魔物を育成するための結界である。
そして今、三百年の時を経て、その仮説が正しかったと証明された。
まあ実際には繰り返し行われたという実験や観察で彼らはほぼほぼ確信に至っていたのだろうけれど。
俺がこの事実に気づいたのは、とある朝、いつものようにアインス達をモフりに行った時だ。
これはもう日課になっていると言ってもいい。当然の如くアルファも同様だ。
アルファもアインス達をモフる時は、決まって「にへらぁ」と、だらしない笑みを浮かべている。
だが、その日は様子が違ったのだ。
いつものように外に出ると、そこにいつものアインス達はいなかった。
クラウドウルフの体高は、元々一メートル程である。寝る前に見た時も確かにそうだった。しかし、その朝俺達二人は目を疑った。
彼らの体高が二メートル近かったからである。
俺の身長が百七十五センチほどなので、たった一晩で抜かれてしまったわけだ。
いや、成長期にも程があるだろ。
加えて、アインス以外の四匹の毛の色が、白から灰色へと変色していた。
これはさすがにおかしいぞと思っていた時に、取扱説明書に述べられていた魔物の進化について思い出したのである。
まあ確かに、前々からゴブリンとコボルト達は体つきが良くなったなぁとか、オーク達は身体が引き締まってきた気がするなぁとか、思ってはいたけれど。
まさか進化してたとは……。箱庭の管理者もビックリである。箱庭の管理者ってのは俺の事だけど。
ちなみに、なぜアインスだけ身体は大きくなったのに体毛の色が変色しなかったのかは謎だ。唯一独り身だからかな。
そう。ツヴァイとフィーア、ドライとフュンフがそれぞれ番いとなり、アインスだけがハブれてしまったのだ。
やっぱり雌をもう一匹連れてくるべきだったかもしれない……。
それは一先ず置いておいて、それ以降、齢十七彼女いない歴=年齢の俺は、シンパシーを感じて一層アインスを可愛がるようになったのはここだけの話だ。
二組のウルフ達はそれぞれ四匹の子宝に恵まれ、我が牧場周辺には今や計十三のウルフ達が闊歩している。
その八匹の子狼達も実は灰色の体毛になっていたりする。
さて、ゴブリン達の話に移ろう。
ゴブリン、コボルト、オークは全体的に体つきが良くなったが、更に特出して大きくなった者達が現れた。
その者達は、箱庭内で産まれた者達では無く、最初に俺がダンジョンから箱庭に連れてきた番いの片割れである雄達だ。
――ゴブリンのゴブ助。
――コボルトのポチ。
――オークのゴンザレス。
この三匹だ。おそらく群れのボス的な立ち位置なのだと思われる。
え、名前のセンスが無いって?うっせぇ。ほっとけ。文句あんのか。あぁん?
彼らの進化については体の変化にも驚いたが、それ以上に驚くことがあった。
なんと、この三匹は流暢にではないが、人語を話す事ができるようになったのだ!
これによって彼らとのコミュニケーションがより捗るようになった。
実は、先程語った彼らの性事情は、ゴブリンのゴブ助から聞いたものだったりする。
そして、彼らに頼まれて正式にゴブリン、コボルト、オークの集団を一つに纏めることになった。
元々かなり深く交流していた様だが、これを機にとお願いされたので了承した。
今や、ゴブリンとコボルトとオークが仲良くひとつ屋根の下で食事をしている所を見かけたりもする。
別種の魔物達による一つの集団なんて、何とも心躍るものがある。俺達魔族と人間種族もこれくらい手を取り合えたらいいんだけどな。
後もう一つ。彼らが進化してからは、あの超ハイペースの出産も落ち着きを見せた。
これで、恐れていた急激な人口増加による食糧危機も心配しなくて済むようになり、とりあえずは一安心である。
また、産まれてくる子どももかなり体つきが良い状態で産まれるようになったので、どうやら進化した状態で産まれてくるようになったみたいだ。
これは群れのボス的な立ち位置の者が更に進化したからなのか、群れを構成している者のほとんどが進化したからなのかは分からない。
このように、魔物の進化は箱庭内に多大な影響を及ぼした。
しかし、それらが悪いことかと問われればそうではなく、全て良い影響なので前向きに喜ぶとしよう。
こうして、箱庭の中は四ヶ月の間に更なる発展を遂げたのだった。
◆◇◆◇◆
怒涛の四ヶ月が過ぎ、俺は今、アルファに呼び出されていつもの牧場エリアにある家へと向かっている。
もう日は落ちて夜七時を回ったところだ。この箱庭の昼夜は外の時間と連動しているので、こちらの世界でも偽りの月が顔を覗かせている。
なぜこんなことになっているのかというと、昨日、アルファに言われたのだ。明日の夜七時、歩いてこの家まで来いと。
しかし、一体どうしたのだろうか。怒らせたわけじゃないと良いんだけど……。
それにしても、不気味なほど静かだ。いつもなら真っ先に駆け寄ってくるウルフ達もおらず、馬や牛と言った家畜達の鳴き声が僅かに聞こえてくるだけ。
少しの不安に襲われながら、俺は恐る恐る家の扉を開けた。
――ガチャ
「…………おたんじょうびっ!おめでとうございますーっ!!」
「「「「「わっふーーーん!」」」」」
「「「「「グギャッギャッギャー!」」」」」
一瞬の静寂の後に言われた言葉に、思わず呆然としてしまった。
誕生日?誰の?ああ、俺のか。
今までまともに祝われた事が無かったから自分でも忘れていた。
そういえば前にアルファに聞かれて話した事があったっけ。
覚えててくれたのかぁ……。
はは、ウルフ達だけじゃなくて、ゴブリンやコボルト、オークの皆も家の裏に隠れてたのか。
そっかぁ……。皆、俺の誕生日をお祝いするために集まってくれたのかぁ……。
「これ、プレゼントです。確か、誕生日にはプレゼントを渡すんでしたよね?まあ、あまり上等な物ではありませんが、私なりに一生懸命作りました。喜んでいただけたら嬉しいです」
そう言ってアルファが俺に差し出したのは、箱庭で暮らす魔物達の抜け落ちた牙で作ったと思われるブレスレット。
確かに歪で、決して上等な物とは言えないだろう出来だ。でも、このブレスレットにはアルファが慣れないながらも試行錯誤した努力の跡がハッキリと見えた。
喜んでくれたら嬉しい?馬鹿言え。こんな物渡されて、喜ばないわけないじゃんか。俺にとってこのブレスレットは、どんな高価な宝石よりも価値があるよ。
そんな事を思いながら、俺はブレスレットを腕につけた。
その時、俺の頬を上から下に、何かが通り過ぎた。
え……。あれ……?なにこれ…………?
「……え、ディ、ディロ、泣いてるのですか?」
変だな。なんでこんな……勝手に。しかも止まんないし。うわあ……なんか情けねえなぁ。
「こんな風に……誰かに誕生日を祝ってもらうことなんて……今まで無かったからさ…………」
でもなんだろう。本当に嬉しい時って、言葉が出なくなるんだな。ああ……俺は今、本当に幸せだ。
それから俺は、アルファが作った料理を食べて、ウルフ達をもふもふし、ゴブリン達と騒ぎ散らした。
俺の今までの人生で、最も騒がしい夕食も一段落つき、俺はアルファと二人で並んで草原に寝っ転がっていた。
目の前に広がる星空は、この場所が人の手によって作られた空間である事を忘れそうになるくらい美しく輝いていた。
「アルファ、今日はありがとうな」
「なんですか急に。水臭いですね」
「でも、思わずそう伝えたくなるくらい嬉しかったんだ」
「そうですか。喜んで貰えたなら良かったです」
アルファは寝っ転がった体勢のまま、こっちを見て思い切り笑った。
その笑みは、広がる星空と相まって一層美しく見えた。
そして、再び星空に顔を向けてポツリポツリと語りだした。
「私、三百年ここに一人でいたじゃないですか。実は寂しかったんですよ、かなり。でもですね、ディロが来てからは毎日本当に楽しいんです。だから、これはその……お礼も兼ねているというかなんというか……。まあ、これからもよろしくお願いしますという事ですね」
所々声が小さくなりながらも語る彼女の頬は、ほのかに赤く染まっていた。
「俺も同じだよ……。アルファと出会ってから毎日が本当に楽しいんだ。だから、こちらこそだ。アルファ、俺と友達になってくれてありがとう。アルファと出会えて本当によかった」
自分はこんなキャラじゃないと思いながらも、俺はそんな気障なセリフを口にした。
俺の、できる限りの感謝と親愛の気持ちだ。
俺が今、この箱庭の中の世界で幸せを感じ、その事にこの上ない程の満足感を得ている事を、俺の兄弟達が知れば、外の世界からの逃げだと非難するのかもしれない。
でも、それでいい。その上で、心地いい。
俺はこの小さな白いドームの中にあるちっぽけな幸せを、もうどうしようもないほどに堪らなく愛おしく思ってしまっているのだから。
こうして、俺の十八回目の誕生日は、忘れられない最高の一日になった。
ただ、とりあえずは家の影からこっちを見てニヤニヤ笑っているゴブリン、コボルト、オークにウルフ達に文句を言いたい。
いつからお前達はそんな人間味溢れるようになったんだよ。
しかし、この時は思ってもみなかった。まさか、平和な箱庭の外にあるダンジョンでは、あんな事になっているなんて……。
◆◇◆◇◆
男は走っていた。ただただ走っていた。
男の名はガルド・ディスペリ。
現在ディロが暮らすダンジョンのダンジョンマスターを務め、ディロから魔王と呼ばれる男である。
男はかつて、同じ集落で暮らしていた同胞達と共に、人間種族から時に隠れて、時に逃げ回って暮らしていた。
男は弱者だった。世の中に、搾取する者とされる者が居るとすれば、男は紛れもなく搾取される側の存在だった。
しかし、そんな生活は数十年前に終わりを告げた。
無人のダンジョンを発見したのだ。
男は決して強者では無かったが、同胞達の中では最も強かった。
故に、男は魔王となった。
始めは何をすればいいのかも分からなかった。ダンジョンに人間種族が攻めてこないか、ダンジョンに創造してもらう物は本当にこれでいいのか。
根本に染み付いた臆病な感情というものは簡単に拭い取ることができるものではなかった。
しかしある時、男はダンジョンに侵入した人間を魔物等を使って撃退することに成功した。
その時、男は確信した。
自分は強者になったのだと。
自分は搾取する側の存在になったのだと。
それから男は変わった。
男は自分に自信を持てるようになり、尊大な態度で振る舞うようになった。
魔族として産まれた男は、産まれて始めて生を謳歌できるようになった。
男は、これからもずっと自分が強者として振る舞うことができるはずだと信じて疑わなかった。
そう、できるはずだったのだ。
では、今はどうだ。
自分を追う存在から逃げ回ることしかできない。
これではかつての自分と何も変わっていないではないか。
自分を追う存在――銀色の鎧を纏い、剣を携えた人族の剣士。
その存在に、沢山の同胞が斬られた。
突然の人族の軍隊による奇襲。
魔物による防衛は簡単に突破され、最下層に暮らす魔族達は全く対応できなかった。
魔王であった男は、得意の魔法を使って応戦した。
自分でも、決して負けていなかったと思う。
しかし、その存在が出てきてから状況は一変した。
――勝てない。
そう確信した。それほどまでに、その存在が纏っていたオーラは強者のそれだった。
実際、自分では歯が立たなかった。
こうして、今は必死に逃げている。
どうにかして生き残るために。
しかし、現実はそう甘くない。
男は辿り着いてしまったのだ。ダンジョンとやり取りを行うために日常的に訪れるその場所――最深部に。
もうこれ以上、逃げ回ることはできない。
今にして思えば、最初からここに逃げ込むように誘導されていたのかもしれない。
だが、今はそんなことどうでもいい。
大事なのはどうすれば生き残ることができるかだ。
「我ガ主!オ下ガリヲッ!!」
そこへ乱入してきたのは、男にとって最も信頼できる存在――ミノタウロスだった。
男は笑みを浮かべた。自分とミノタウロスの二人がかりであれば、この剣士にだって決して負けることはないと思ったからだ。
しかし――。
その剣士が浮かべていたのもまた、笑みだった。
男は目を見開いた。
その剣士が自分の前に出たミノタウロスを越え、あっという間に眼前へと迫っていたからだ。
そして振り下ろされるロングソード。
男はその一瞬がとても長く感じた。
チラリと目を向ければミノタウロスの頭と胴が分かれている。
いつの間に斬ったのだろうと、今となってはどうでもいい事を考えてしまう。
剣士が振り下ろしたロングソードが己を斬り裂くその瞬間、漸く男は思い出した。
――自分は弱者であったのだと。
□
「魔族の掃討完了致しました」
「ご苦労」
ガルド・ディスペリの首を斬り落としたその剣士――ガルプテン王国軍副兵士長フェリックス・ブリーマーは部下の報告を聞いて、事もなげにそう返した。
「では、見張りのために兵士を何人か置いて報告に戻るぞ」
「はっ!」
それにしても手応えがなかったとフェリックスは思う。
フェリックスは世界的に見ても間違いなく強者に属するだろう。
そんな彼にとって、出てくる魔物の殆どがEランクの迷宮を攻略するなんてことは些か簡単すぎた。
まあ、所詮推定難度【下等級】の迷宮か。そう思いながらフェリックスは踵を返した。
こうして、ディロが生まれ育ったダンジョンは、ディロが知り得ぬところで壊滅したのだった。
◆◇◆◇◆
閑話:sideアルファ
私はアルファ。
私は、普通の人間ではありません。人造人間というやつです。
ああ、とは言っても私は別に身体が金属でできていたりはしないですよ?殆ど普通の人間と変わりません。
このアルファという名前を付けたのは、私の生みの親である人族のエドガー・アシュクロフト様。たしか、『大賢者』と呼ばれていたと思います。
私には四人の親がいます。一人は先ほど話の中で触れた『大賢者』エドガー・アシュクロフト様。二人目は、天才発明家のドワーフ『発明王』グラン様。三人目がエルフの姫巫女『生命姫』エルフィ・フィア・フリージア様。最後が魔族『大魔王』ガルーダ・カタストロフ様です。
凄い人達で、私の自慢の親です。
この人達に創られた存在である私にも一切理解できないハイレベルな会話を平然と繰り広げます。
そして意見がぶつかり、度々喧嘩するのです。
ああ、あの時は楽しかった。四人の親達と共にこの箱庭という世界の事を調査して、記録して、研究して、改善する。
成功の喜びから笑い合って、誰かの失敗から馬鹿にし合う。
とても楽しい日々でした。
でも、そんな日々は唐突に、何の脈絡も無く終わりを告げます。
ある日、私の元にやってきた四人の親達は、暗く思い詰めた顔をして、この地にもう戻って来る事ができないかもしれないと私に伝えました。
私は聞き返しました。何故ですか、と。でも、それに関して詳しくは話して貰えませんでした。
切羽詰まった状況だったのでしょう。顔を見れば分かります。
親達は私に、このまま牛や馬達の世話をして、作物を作り、箱庭の環境に異変が起きたら軽く調整して欲しいと頼みました。
この箱庭はほぼ完成に漕ぎ着けていたのです。
だからこそ、四人はきっと私にこの箱庭の事を守って欲しかったのだと思います。
素晴らしい研究成果であり、皆で頑張った大切な思い出でもあるこの箱庭を。
私は了承しました。
あの人達が頭を下げて本気で私に頼んだんですよ?
断れる訳ないじゃないですか。
それに、私にとってもこの場所とここで培った思い出は大切なものでしたから。
でも、この時の私は分かっていませんでした。
この箱庭の現状維持。それがどれだけ大変で、孤独な仕事なのかという事が。
そしてやはりというか、私が尊敬し敬愛する四人の親達は、この日を境に箱庭の中には現れなくなりました。
それでも私は、いつの日かあの方達が帰ってきてくれると心のどこかで信じていました。今のこれはきっと、一時的なものだと。
ですが、現実とは非情なもので、何日経っても、何週間経っても、何年経っても、とうとうそんな日が訪れることはありませんでした。
こうして私の、たった一人の箱庭での生活が始まったのです。
最初の五十年ほどは私にもまだ余裕があったと思います。
家畜達の世話をして、作物を収穫し、転移を使って各エリアを回る。
順調に仕事をこなしていました。
家畜達からお肉をいただく時は、血の涙を流しましたけどね。まあそんな事は些細なことなのです。
でも、その生活がさらに十年、二十年と続いていくにつれて私は強い孤独を感じるようになりました。
多分その理由は、私の仕事が順調だったからだと思います。ああ、この言い方だと語弊がありますね。順調過ぎたのですよ。
この箱庭は、四人の天才達が完成だと言い切る事ができる段階まで漕ぎ着けていたのですよ?
そうそう異常なんて起こるわけないじゃないですか。
代わり映えのしない生活に、代わり映えのしない景色。そしてその場所にいるのは私一人。
私の中の何かが、明確に狂い始めました。
それから私は、絶え間なく生まれてくる寂しさを誤魔化すように色々な事を試しました。
釣り、森林浴、登山、雪遊び。けれど、私の心にかかったモヤが晴れる事は決してありませんでした。
私は何度も何度も寂しさから枕を濡らしました。
動物達相手に本気で話すようにもなっていました。
独り言も増えました。
かつての輝きに溢れていた生活を思い出す回数も増えました。
ああなんであの時私もそっちに連れて行ってくれなかったんだと、私も巻き込んで欲しかったんだと、四人の親達を恨んだ事もありました。
私が一人で生活を始めて、三百年と少し経ったある日の事です。
私に転機が訪れました。
この日私は、いつものように一人でご飯を食べていました。
ご飯を食べ終え猛烈な寂しさに襲われた私は、かつて親の一人であるグラン様が、酔った時に宴会の席で披露していた踊りを唐突に思い出しました。
あの時グラン様は裸で踊られていましたが、それも意味がある事なのでしょうか。いえ、流石にあれは酔ってテンションがおかしくなっていただけでしょうね。
しかし、酷い孤独感に苛まれた私は当時の光景を懐かしむように、そして寂しさを誤魔化すように、かつてのグラン様をそっくりそのまま真似ました。
その踊りは確か、『ベゴニアダンス』と言っていたと思います。ドワーフの言葉で、幸せを呼ぶ踊りという意味らしいです。
あの暖かい空間を。
あの騒がしい情景を。
脳に強く刻まれた思い出が蘇り、思わず涙が零れそうになった――その時でした。
――ガチャ
私の耳に入ってきたのは、聞こえるはずの無い音。誰かがドアノブを回す音でした。
私は耳を疑いました。だってこの場所には、私しかいないはずなんですから。
でも、その音は決して私の聞き間違いではありませんでした。ドアから家の中に入ってきたのは一人の魔族の少年。
およそ三百年ぶりに私は他人に出会いました。
本当に驚いた時って無意識に固まってしまうものなんですね。
まあ少年の方は違う理由で驚いて固まってたみたいですけどね!そうですよ!私この時、当時のグラン様を真似て全裸だったんですよ!ああ、今思い出しても恥ずかしい……。なんであのタイミングだったのですか……。
まあ兎にも角にも、私はその少年と話をする事になりました。久しぶりの会話で私はかなりテンパってしまいましたが……。
少年の名前はディロ。
ディロは魔族の中でも特に魔法が使えないらしく、差別を受けているようです。
なんなんですか、魔法が使えないくらいで人の事を仲間外れにして。独りの辛さを知ってるんですか。三百年一人ぼっちになった事あるんですか。彼らに味あわせてやりたいですね全く。
エドガー様の手紙も読みました。懐かしい字で、思わず涙が溢れてしまいました。
ディロは、私の話も聞いてくれました。それも本当に私と話すのが楽しいというように。
誰かと話すというのがこんなに楽しいものだったという事も思い出しました。
こうして、この日この時この場所で、私に初めて一人のお友達ができました。
そして気づけば、私の心にかかっていたモヤも綺麗サッパリ晴れていました。
たった一人のお友達。客観的に見れば、変化としてはとても小さな物なのかもしれません。
でも、私にとってはそんなことはありませんでした。
たった一滴のインクが大きな波紋を描き、透明な水に色をつけるように。
その小さな変化は、私の生活を大きく変えました。
何百何千何万と繰り返した家畜の世話も、農作業も、食事も。白黒の絵に色がつけられたように輝いたものになりました。
まあ私より釣りが上手いのはどうかと思いますけど。釣り歴二百年越えですよ?私。
とにかく、ディロと過ごすようになってから、本当に楽しくて、飽きない毎日が続いています。
ディロのご飯は美味しいのです。もしかしたら私より上手いかもしれません。まあ、もしかしたらですけどね?
初めて間近で本物の魔物を見ました。ウルフ達は可愛いです。モフモフ気持ちいいです。
魔物の進化も目にする事ができました。ゴブリンのゴブ助にコボルトのポチ、オークのゴンザレスは片言ですが喋れるようになりました。そして彼らは、私とも快くお友達になってくれました。
ディロは暇を見つけてはこっちの空間に来てくれます。寂しいと思う事も、気づけば無くなっていました。
私はこの気持ちを、この感謝を、ディロに伝えたいと思いました。
でも、どうすればいいのでしょうか。ボッチ歴三百年には難しすぎる課題です。
そんな時、私はふと思い出しました。そういえば、ディロの誕生日がもうすぐではないかと。
魔族や人間種族には、産まれた日をお祝いする風習があるというのを聞いた事があります。
生憎、自分が創られた日なんて覚えていません。しかし、ディロの誕生日なら少し前に聞く事ができました。
ならば、サプライズでお祝いしましょう。感謝の気持ちを伝えるためにも、ディロに喜んでもらうためにも。
こうして私の、誕生日サプライズ計画が始まりました。
ゴブリン、コボルト、オーク達にも事情を話して協力を頼みました。皆、快く引き受けてくれました。
私はプレゼントを作り始めました。抜け落ちた魔物達の牙を使ってブレスレットを作る事にしたのですが、中々これが難しかったです。手先の器用さには自信があったんですけれどね。
慣れない作業に四苦八苦し、失敗する度に試行錯誤を重ねて何とか形になりました。
喜んでもらえるといいのですが……。
そして迎えた誕生日当日。私はこれまでにないほど緊張しながらディロの事を待ちました。
サプライズは、結果的にいえば大成功で終わりました。
まさか、泣くほど喜んでもらえるとは思わなかったです。
頑張った甲斐がありました。
私が作ったブレスレットを、ディロが腕に付けてニヤニヤしている様を見ると、私まで恥ずかしくなってしまいます。
夕食も一段落ついて、私とディロは草原に寝っ転がって星を見ていました。
作り物とは思えないほど綺麗な星空です。何となくですが、この日の星空は三百年見た中で一番美しく見えた気がしました。
そんな事を考えていると、ディロが私に声をかけてきました。
「アルファ、今日はありがとうな」
「なんですか急に。水臭いですね」
「でも、思わずそう伝えたくなるくらい嬉しかったんだ」
「そうですか。喜んで貰えたなら良かったです」
そうですか。そんなに喜んでいただけたのですか。何だかこっちまで嬉しくなっちゃいますね。
そして私は、意を決して伝え始めました。ずっと前から考えて、伝えたいと思っていた、感謝の気持ちを。
「私、三百年ここに一人でいたじゃないですか。実は寂しかったんですよ、かなり。でもですね、ディロが来てからは毎日本当に楽しいんです。だから、これはその……お礼も兼ねているというかなんというか……。まあ、これからもよろしくお願いしますという事ですね」
私は少し恥ずかしくなって顔を逸らしてしまいました。所々声も小さくなってしまったと思います。
けれど、ちゃんと伝えることができました。私の想いを。私の感謝を。
すると、私に応えるように、ディロもゆっくりと語り始めました。
「俺も同じだよ……。アルファと出会ってから毎日が本当に楽しいんだ。だから、こちらこそだ。アルファ、俺と友達になってくれてありがとう。アルファと出会えて本当によかった」
そう言って私の方を向いて笑顔を見せた彼の姿を見た時、私の胸の奥がトクンと鳴りました。
なんでしょうか、この気持ちは。身体が凄く熱いです。恥ずかしいような嬉しいような。けれど、決して嫌ではないそんな気持ち。
この気持ちの正体はよく分かりませんが、一つだけ言える事があります。
ドワーフに伝わる幸せを呼ぶ踊りは、確かに私に幸せを運んでくれました。
私は今、とても幸せです。
◆◇◆◇◆
一夜明け朝を迎えた中、俺は一人ベットの中で悶えていた。
「んむぅううううううううううう〜!!」
なんだなんだあのセリフは!確かに嬉しくて良い気分になってたけどさ!何処のナンパ男だよ全く!
あああああああああああああぁ〜〜〜!
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいぃ〜〜〜!
俺は一体どんな顔してアルファと顔を合わせればいいんだあぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!
まあここで悶えていても仕方ない。諦めて部屋から出るか……。
俺は今、箱庭内の家にいる。元々寂しい一人暮らし。最近はかなりの頻度でこっちの家に泊まるようになった。
もちろん、アルファとは別の部屋だ。やましい事なんてしてないし、考えてもない。ホントに考えてもないぞ?ないったらないぞ?
まあともかく、俺は覚悟を決め、今や宝物筆頭であるブレスレットを付けて部屋から出たわけだが、リビングにアルファの姿は無かった。
まさか……あのイタ過ぎる発言にドン引きして出ていってしまったとか!?
少しの焦りを覚えて家を出ると、そこにはゴブリンのゴブ助、コボルトのポチ、オークのゴンザレスが集まって何やら話していた。
コイツらも昨日俺の誕生日を祝いに来てくれたのだ。ゴブ助達は魔物だが、今ではもう俺にとって大切な仲間で友達だ。
彼らにアルファが何処にいるか聞こうと思い歩みを進めると、近づいてくる俺に気づいた彼らはニヤニヤと笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「アルファト出会ッテカラ毎日ガ本当ニタノシインダ」
「俺ト友達ニナッテクレテアリガトウ」
「アルファト出会エテ本当ニヨカッタ」
うがああああああああああああああ!
前言撤回!こんなヤツら仲間でも友達でもねぇ!!
コイツらニヤニヤしながら未だに悶え足りない傷を抉りにきやがった!鬼か!鬼なのか!?あ、ゴブリンは普通に鬼だったわ。
だがしかし、前にも言ったがアルファと出会った俺の心は増し増しで穏やかになったのだ。
この程度で冷静さを保てなくなるような俺じゃないのだよ。
「ディロ様、昨日ハ良ク寝ムレタ?」
再度ニヤニヤしながら聞いてくるゴブリンのゴブ助に、穏やかな俺の心は我慢の限界を迎えた。
「オラァ!ちょっと表でろやコノォ!!」
そうして十五分ほど取っ組みあった後、俺は肝心のアルファの居場所を聞いた。
アルファはどうやら厩舎の方にいるらしい。
気を取り直して厩舎の方に向かうと、その道の途中でアルファに遭遇した。
「お、おはよう」
「お、おはようございます」
き、気まずい……。
なんて声をかければいいんだ……。
頑張れ俺!負けるな俺!
「き、昨日はありがとう……」
「い、いえ。付けてくれてるんですね、そのブレスレット」
「ああ、俺の宝物だからな」
「……ありがとうございます」
軽く言葉を交わし、俺達は朝食を取った。
口数は互いにいつもに比べると少なかった。
けれど、それは決して嫌いな静けさではなく、むしろいつも以上に温かい朝だった。
◆◇◆◇◆
一晩ぶりに箱庭の中からダンジョンの方に戻ってくると、辺りは不気味なほど静かだった。
俺はいつものように箱庭の中から持ってきた廃棄物をダンジョンに提供するため、玄関の方へと向かった。
「え……?」
思わずポツリと呟いてしまう。俺の家のドアが思い切り壊されていたからだ。
集落の中で落ちこぼれと呼ばれる俺の家には自慢じゃないが何も無い。最低限の食器と寝るための布団があるだけ。価値がある物は箱庭くらいだ。
その事は、ほかの魔族達も知っているし、その魔族達は箱庭の価値を知らない。
故に、俺の家に誰かが泥棒に入る事はない。
もしかして、ダンジョンに何かあったのだろうか。
そう思いながら壊れた玄関を出た俺は、目を疑い、言葉を失った。
あれだけ騒がしかった集落は見る影もなく、家は壊され、血の海が広がっていた。
その惨状はもはや地獄絵図と言っても過言ではなく、あれほど煩かった俺の兄弟も、俺を厄介払いするように追い出した両親も、散々俺を馬鹿にしてきた近所の人達も、誰一人として生き残ってはいなかった。
死体になった元隣人達は、皆虚ろな目で虚空を見つめていた。
「おえええええええええ……」
俺は吐いた。ダンジョン内の掃除もよくさせられているので、死体には慣れている。しかし、それが知人のものとなると些か刺激が強すぎた。
でも、不思議なことに俺の心はそれほど動揺していなかった。気持ち悪いという感情は勿論あったが、悲しみや怒りといった気持ちより、驚きの方が強かったのだ。
そこで俺は改めて、自分にとっての家であり、帰るべき場所は、完全に箱庭の中のアルファ達の元になったんだなと実感した。
家を出て、ゆっくりと歩き始めた俺は、遠目からだがダンジョン内を徘徊する人族の兵士と見られる存在を発見した。
俺はそいつらに見つからないように、よりひっそりと歩を進めた。
そしてそのまま、このダンジョンの最奥にして最深部、ダンジョンマスターがダンジョンと会話をし、エネルギーを献上し、報酬を貰う、何より俺が魔物育成キットと出会ったあの場所に向かうことにした。
俺の家からさほど遠くないので、さほと時間がかからずに到着する。
そこにあったのは、生前の姿が見る影もない変わり果てた姿の死体となった魔王と、それを守るような位置で息絶えたミノタウロスの姿だった。
俺はそれを一瞥して歩みを進めた。
そして最奥に着くと同時に小さな声で叫んだ。
「ダンジョン、俺の声が聞こえるか!応答してくれ!」
「応答シマス。生存スル魔族ノ反応ヲ確認。ダンジョンマスター契約ヲ希望シマス」
その声に答えるようにして出てきたダンジョンの声は相変わらず無機質なものだったが、どこか悲しそうにも聞こえた。
「わかった!その契約受ける!今日から俺がダンジョンマスターだ!」
こうして、俺はダンジョンマスターとなった。
つまり、魔王と呼ばれる存在になったのだ。
◆◇◆◇◆
俺は一度箱庭に帰り、事の顛末をアルファに伝えた。
「ええええええええぇぇぇ!?ダンジョンマスターですか!?ディロも魔王になったんですか!?なんというか……凄い急ですね……」
「ああ、正直俺もビックリで状況に頭が追いついてない」
アルファが上げる驚きの声に苦笑しながら答える。
「それに……大丈夫なんですか……?あまり良い関係は築けてなかったみたいですけど、知人の死を目の当たりにしたんです……。無理はしないでくださいね?」
「大丈夫だよ。自分でも薄情だとは思うけど、思ったよりも動揺は無かったんだ。きっと、俺の中ではアルファ達を大切に思うようになって、かつての隣人達のことは一応他人として割り切れているんだと思う」
「私たちのことを大切に思うようになってから、ですか……。なんというか……私も薄情だとは思うんですけど、やっぱり嬉しいですね」
そう言ってアルファは照れ笑いを浮かべた。
「でも、ダンジョンマスターになるなら一言相談が欲しかったですけどねっ」
アルファが頬を膨らませながら言う。
「人族の兵士がいて余裕無かったしな……それに、まあ絶対になっておきたい理由があったんだよ」
俺はアルファにゆっくりと説明し始める。
そう、俺はダンジョンマスターになっておきたい理由が四つほどあった。
まず一つ目は、魔王になる事は俺の夢だったからだ。まあ今の生活は充分幸せなので、絶対というほど優先順位は高くなかったが、そのチャンスが目の前に転がっているのなら掴みたい。
二つ目、何故昨日まではいつも通りだったダンジョンが壊滅していたのかを知る必要があると思ったからだ。
ダンジョンに起こった出来事次第では、俺や箱庭の中にいるアルファ達にまで被害が及ぶ可能性がある。それは何としてでも避けたい。
その為の情報をダンジョンから得るのに最も確実な方法だったのがダンジョンマスターになる事だった。
三つ目は、新たな魔物を育ててみたかったからだ。
今箱庭の中には、元々ダンジョンの中にいた魔物はミノタウロス以外全種類いる。
新たな魔物を育て始めるには、魔物を創造することができるダンジョンマスターになる必要があった。
そして四つ目―――。
「ダンジョンマスターになると不老になるからだ」
「不老……ですか?」
アルファはいまいちピンと来なかったようで、首を傾げている。
「前にエドガー・アシュクロフトの手紙を読んだじゃないか?そこに書いてあったことを思い出したんだけどさ、人造人間のアルファって不老なんだろ?」
「え、ええ。そうですけど……」
「なら、これで俺が不老になれば、もうアルファは一人ぼっちに絶対ならないじゃんか」
そう、四つ目はもうアルファを二度と一人にさせないためだ。
アルファは昨日言っていた。三百年の間、どうしようもなく寂しかったんだと。辛かったんだと。
俺が不老になる事で、アルファがもう二度とそんな思いをしなくて済むのなら俺は悩むこと無く不老になる。
そう言い切った俺を見て、目を丸くしたアルファは続けてこう問いかけた。
「でも、いいんですか……?私なんかのために不老になんかなって」
そう聞くアルファの表情は、嬉しいけれど申し訳ないような、そんな微妙なものだった。
だから俺は、こう返す。
「いいんだよ。それに俺は、他の誰でもないアルファのためだから迷わず不老になったんだ。俺の初めての友達であり、幸せを教えてくれたアルファのためだからね。……まあ、元々ダンジョンマスターに憧れがあったってのもあるけどさ」
「本当に馬鹿ですね……。不老って結構大変ですよ?」
「はは、肝に銘じておくよ」
そう言って苦笑するアルファだったが、その表情には喜びを隠せていなかった。
そんな様子を見せられた俺は、少しドキッとして、嬉しさと愛おしさが混じりあった変な気持ちになってしまったのだった。
何はともあれ、明日からまた忙しくなりそうだ。
………………
…………
……
ほらそこのゴブリン!もう付き合っちゃえよとか言わない!
はあ……また明日も悶えることになりそうだ。
◆◇◆◇◆
翌朝、一頻りベッドの上で悶えた俺は再びダンジョンに来ていた。
昨日、唐突にダンジョンマスターになった俺だが、これからやらなくてはいけない事は山積みだ。
まず確認すべきはダンジョンが壊滅した原因だ。
これは昨日のうちに情報の整理を済ませておいていた。
ダンジョンに攻め込んできたのは恐らくガルプテン王国という国に間違いないだろう。
このダンジョンからほど近い所に首都を構える人族が主に形成する小国だ。
間違いなく、この国とは近いうちに正面切って争うことになるだろう。
今現在はダンジョンの入口に兵士の見張りを付け、新たな魔族がダンジョンに入りダンジョンマスターになるのを防ぐと共に、魔族のいなくなったこのダンジョンがエネルギー不足で消滅するのを待っているといった状況だ。
ちなみに、ダンジョン内に散乱していた魔物や魔族の死体も彼ら兵士達が処理をしていた。
病気が広まったり、死体がアンデッド化したりするのはやはり避けたかったのだろう。
また、一日に二回ほどダンジョン内の様子の見回りに兵士がやってくる。
彼らもまさかダンジョン内にまだ魔族の生き残りがいたとは思っていまい。
箱庭様様である。
つまり、ガルプテン王国は今、ここを無人のダンジョンだと思っているわけだ。
しかし、何れ違和感に気づき、新たなダンジョンマスターが存在している事がバレるだろう。
その時までに如何に準備を整えられるかが勝負の鍵となる。
さて、早速準備に取り掛かろう。
◆◇◆◇◆
まず必要なのは武器と戦闘技術だ。
国の兵士が相手ということは、練度ではなく数に頼らざるを得ない場面が出てくるだろう。
心苦しいが、ゴブ助にポチ、ゴンザレス達にも出てもらう事になるだろう。
最も、彼ら自身はメチャメチャ乗り気だったけどな。「ヒャッフー!暴レルゼェ!」とか言ってたし。
まあ、元々魔物はダンジョンを防衛するのが仕事みたいなものだし、戦いは決して嫌いなものではないのだろう。
彼らは現在戦闘訓練の真っ只中だ。
ちなみに、武器は魔法の袋に入っていたものを利用させてもらうことにした。
正直、武具の性能があまりにも良すぎるせいで俺達の身の丈には全く合っていないのだが……。
まあ、兎にも角にも武器の事に関しては心配する必要は無いのだ。
さて、俺がダンジョンマスターになったことでできるようになったことがあった。
それは、自分のダンジョン内の魔物の能力を見ることだ。
ダンジョンマスターには魔物の能力を見る力があるという事は知っていた。
具体的に言えば、ここで見ることのできる魔物の能力はステータスと呼ばれ、【体力】【攻撃】【防御】【魔力】【魔耐】【敏速】の六つの観点で評価される。そして、それら全ての観点を考慮した【総合】で魔物のランクが決まる。これは全て、A〜Eと評価されるらしい。最高がA、最低がEだ。Aより上のランクがあるという噂を聞いたことはあるが、本当にそんなものが存在するかどうかは分からない。
ゴブリンやコボルト、スライムがEランクであること。オークやクラウドウルフがDランクであることなどは知識として持っている。
だが、進化していると思われる今の箱庭内の魔物達の能力は知らなかった。だからこそ、この機会に知っておこうと思ったわけだ。
その結果がこちらだ。
まずは一般のゴブリン、コボルト、オークにウルフ達。
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種族:ホブゴブリン
【体力】:D
【攻撃】:C
【防御】:C
【魔力】:D
【魔耐】:D
【敏速】:C
【総合】:C
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:エルダーコボルト
【体力】:D
【攻撃】:C
【防御】:D
【魔力】:C
【魔耐】:D
【敏速】:B
【総合】:C
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:ハイオーク
【体力】:B
【攻撃】:C
【防御】:C
【魔力】:D
【魔耐】:C
【敏速】:E
【総合】:C
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:グレートウルフ
【体力】:D
【攻撃】:C
【防御】:D
【魔力】:C
【魔耐】:C
【敏速】:B
【総合】:C
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
やはり進化していたようだ。皆、進化前よりランクが上がっていた。コボルトとゴブリンに関しては二段階だ。
次に、ゴブ助とポチ、ゴンザレスのステータスだ。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:ゴブリンキング
【体力】:B
【攻撃】:B
【防御】:B
【魔力】:C
【魔耐】:C
【敏速】:B
【総合】:B
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:コボルトキング
【体力】:C
【攻撃】:B
【防御】:C
【魔力】:B
【魔耐】:C
【敏速】:A
【総合】:B
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種族:オークキング
【体力】:A
【攻撃】:B
【防御】:B
【魔力】:C
【魔耐】:B
【敏速】:D
【総合】:B
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
うん。もう見た瞬間ビックリしたよね。
お前らそんな強かったのかよってさ。普通にミノタウロスと同格じゃん。
てっきりヒトの事を物陰から見てニヤニヤしてるだけの奴らだと思ってたぜ。
まあアイツらがBランクだろうがAランクだろうが、あのにやけヅラは絶対許さねえけどな。
だが、これから始まる戦いにおいては頼もしい限りだ。思う存分暴れてもらおう。
最後に、アインス、ツヴァイ、ドライ、フィーア、フュンフのステータスだ。
実は、ツヴァイ、ドライ、フィーア、フュンフの四匹はグレートウルフからもう一段階進化したのだ。
グレートウルフになって灰色となった毛色が今回の進化で漆黒に変色した。
アインスはまだ二度目の進化は来ていないが、毛色が変色せず白のままだったため、まさかと思っていたが、案の定グレートウルフとは別の種族へと進化していたようだ。
ではまずは、そのアインスのステータスを見てもらおう。
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種族:プライドウルフ
【体力】:C
【攻撃】:B
【防御】:C
【魔力】:B
【魔耐】:C
【敏速】:A
【総合】:B
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うん強い。進化した回数が一度の魔物の中じゃ断トツのステータスだ。
もし、アインスも二回目の進化を控えているのならば、一体どうなってしまうのか。
怖いような楽しみなような複雑な気持ちである。
次は、二度の進化を果たしたツヴァイ達のステータスを見ていこう。
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種族:デモンウルフ
【体力】:B
【攻撃】:A
【防御】:B
【魔力】:A
【魔耐】:A
【敏速】:A
【総合】:A
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攻撃力、速度、魔法に対する耐性が大幅に上がったステータスとなっている。
そして、ランクがAだ。もう一度言うぞ?ランクAだ。
体毛の一部が赤くなっており、見た目の方も闇のような黒に赤のラインという非常にカッコイイものとなっている。
本当に言うことなしの心強い戦力となったのであった。
◆◇◆◇◆
さて、そんなこんなで戦闘準備を進め、まもなく三ヶ月が経とうとしている。
そろそろガルプテン王国も、全く衰退しないダンジョンに違和感を感じてくる頃だろう。
こちらもやりたい事はやり終えた。
国の一つが何のそのだ。
俺は今や魔王なのだ。
ようやく手に入れた幸せを邪魔し、あまつさえ壊そうとする敵は返り討ちにしてやる。
かかってこいガルプテン王国。
さあ、開戦だ。
◆◇◆◇◆
ガルプテン王国は、大陸における人間種族国家内最大の領土と人口を誇る国であるガスマン帝国の、西側に位置する小国である。
この国が小国でありながら帝国に併合されないのは、偏に国王に仕える一人の男の影響によるものだろう。
その男の名は、ヴォルフガング・ナルディエッロ。
ガルプテン王国軍の兵士長にして国の英雄である。
彼が英雄と呼ばれ始めたのは、およそ十年前。
ガルプテン王国に突如三頭の竜が飛来したのだ。
竜は三頭ともAランク相当。国民は絶望に晒された。
誰もが絶望する中、ヴォルフガングは勇敢にも最前線に立ち、三頭の竜をたった一人で討伐した。
たった一人で三頭もの竜を迎え撃ち、黙々とその手に持つ大剣を振るう様から付けられた二つ名は『竜狩り』。
彼という武力の象徴がある限り、帝国はガルプテン王国に手を出すことができない。
まあその他にも、彼を扱う国王の手腕の力というのもある訳だが。
場面はそんな彼と国王がいる執務室。
執務室に一つの知らせが届く所から始まる。
ガルプテン王国は誤ったのだ。
その迷宮は決して攻め滅ぼすべきではなかった。
ガルプテン王国は遅かったのだ。
その迷宮は半年前に発見するべきだった。
だがもうどちらも既に遅い。
手遅れだ。
最強の魔王は既に誕生してしまったのだから。
◆◇◆◇◆
「ヴォルフガング兵士長!ほ、報告します!緊急事態です!三ヶ月前に発見されたダンジョン前に駐屯していた兵士達が全滅した模様!ダンジョンが再び機能し始めました!」
「なんだと!あのダンジョンに魔族の残党は確かにいなかったはずだ!まさか……外からか!?」
突如執務室に入ってきた自身の側近からもたらされた報告にいち早く反応した人物はガルプテン王国国王。
本来、国王側近とはいえ国王の執務室に許可を得る前に飛び込んで来るというのは相当な無礼に当たるのだが、この国王は親しみやすい良き主君である事で有名だった。
この唐突にもたらされた報告は、その親しみやすい国王に、ひどい頭痛と、強い胃の痛みをもたらした。
「ふざけるな……こちらは帝国への対応で一杯一杯だというのに……。
兵を出せ!まだ機能してからそれほど時間は経っていまい!三百の兵をもって、ダンジョンが本格的に機能する前に再び攻め滅ぼすのだ!」
「了解しました!」
国王の指示が飛ぶ。その指示は極めて的確なものだった。
しかし、何やら納得のいかない様子の人物が一人。
かの英雄ヴォルフガング・ナルディエッロは腕を組んで唸っていた。
「おい、ヴォルフガングよ一体どうした?」
「陛下、俺も出る」
「なに?」
「嫌な予感がする」
「その根拠は?」
「勘だ」
「………………わかった、行ってこい。その代わり、早々に済ませ帰還しろ」
「わかった」
静かだが力強く、ガルプテン王国最強の戦士が動き出した。
「アイツの勘はよく当たるからな……。大事にはならないといいが…………」
執務室を出ていく親友にして最大の信頼を寄せる部下でもある男の後ろ姿を見て、国王はそう独りごちたのだった。
◆◇◆◇◆
初戦は大勝利だった。
いつも通り見回りに来た兵士二人を落とし穴にはめ、見回りの帰りが遅く戸惑っている駐屯地の兵士達を少数精鋭で強襲。
敵は全滅。対してこちらの被害はゼロ。完全勝利と言っても良い。
しかし、本番はここからだ。
おそらく、もう暫くすれば王国から本命の兵士達が送られてくるだろう。
つまり、ここからが本当の戦いだ。
今回の戦いにおいて、ダンジョンの階層は増やしていない。今まで通り五つの階層で迎え撃たなければならない。
これは、階層の追加に膨大なエネルギーが必要になるためだ。
できないこともなかったが、エネルギーは他の事に使いたかった。そのため、階層の追加はしていない。
だが、地形は大きく変更した。
選んだ地形は迷路だ。今ダンジョンは第二階層以降、最下層を除いて全て迷路になっている。
この地形変更も、階層の追加ほどではないにしろかなり膨大なエネルギーが必要になった。
では、どうやってただでさえ不足している筈のエネルギーを賄ったのか。
お忘れだろうが、箱庭の中の魔物達は全員進化済みだ。つまり、体内で作られる魔力量も非常に多い。それは、生成される余剰魔力の量も多い事と同義なのだ。
それ故に、彼らに箱庭の外に出てもらい、余剰魔力を少しエネルギーとしてダンジョンに供給すれば、あら不思議。あっという間にエネルギーを賄えるって訳だ。
……まあこの方法を考えたのはアルファなんだが…………。
閑話休題。
ところで、実はこの迷路、普通の迷路とは違った点がある。
この迷路はとても入り組んでいるが行き止まりが無い。
途中分かれたとしても、最終的には同じ場所に到着する様になっている。
加えて、迷路内に魔物が出現しない。
その代わり、尋常じゃないほどの数のトラップが仕掛けられている。
今回の作戦は単純だ。
普通の迷路より更に入り組んだ迷路で敵の分断を誘い、トラップが発動する様子を見る。
ダンジョンマスターは自分のダンジョン内の状況を自由に見ることができる。これを利用してトラップへの反応を見て、敵の中の強者を事前に選別することができる。
選別した強者はトラップによって討ち取れれば良し。無理でもトラップで精神面を削れるし、魔物達に注意を呼びかける事もできる。
ちなみに、迷路を抜けた先には三つの階段がある。
この三つの階段はどれも大きな部屋に繋がっていて、その部屋を抜けることができれば、どの部屋からでも俺のいる最下層に到着できる。
逆に言えば、三つの部屋それぞれに送られる兵士の質を見て、こちらは自由に送る魔物達を選べるのだ。
おっと、アルファが来た。つまり……来たのか。
「ディロ、ガルプテン王国軍本隊が来ました。数は推定三百。まもなく、迷宮入口付近に到着します。」
「わかった。ありがとう、アルファ」
さて、目指すは被害ゼロだ。
こっちには幾つか奥の手もある。
絶対に乗り越えてみせるさ。
「それと……ディロ。お願いがあります」
「ん……?」
「お願いというのはですね……」
「ええええええええええ!?いや、それはダメだろ!」
「お願いします」
「ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……」
やばい、まさかそんなお願いされるとは思わなかった。
早速乗り越えられなそうだ……どうしよう。
◆◇◆◇◆
俺は誇り高きガルプテン王国軍兵士の一人カール・ベッカー!
これでも王国軍のエリートだ!
俺は今モーレツに興奮している!
何故かって?そりゃあ目の前に憧れの英雄ヴォルフガング・ナルディエッロ兵士長がいるからさ!
ヴォルフガング兵士長は普段は表に出てこない。基本的に国王陛下の護衛に付いているからだ。
しかし、特別な任務の時だけは兵を率いて先頭に立つ。
そう、今はガルプテン王国首都からほど近い所にあるとあるダンジョンへ進軍中。
だが聞くところによると、そのダンジョンは三ヶ月前に一度壊滅させたそうじゃないか。
一度壊滅したダンジョンが消滅せず、新たな魔王を得て再び機能し始めたとしても、ダンジョン本来の力を取り戻すまで時間がかかるのは常識だ。
こりゃ今回の任務は余裕かな。ヴォルフガング兵士長もいる訳だしな。
つーか、ヴォルフガング兵士長が出張る程の任務なのか?これ。
まあいいや。沢山活躍して、ヴォルフガング兵士長にアピールするとするか!
話が違う。
それがこのダンジョンに対して抱いた俺の感想だ。
このダンジョンは最近再び機能し始めたんじゃないのか。
第一階層は噂通り衰退したダンジョンを思わせるただの広い一本道だった。あるのも所々にある落とし穴程度。
しかし、第二階層から様子が変わった。
第二階層は広大な迷路になってたんだ。
だが、ただ広いだけの迷路なら何の問題も無かった。
問題だったのはそのトラップの数。
落とし穴だけでなく、飛んでくる矢に吹き出す炎、落石までも。他にも多種多様な罠が至る所に仕掛けられていた。
本当にここが再び機能し始めたのは最近なのか?
俺達はトラップに怯えながら迷路を進み、何とか罠だらけの迷路を抜けることができた。
しかし、神経はすり減らされ、体中傷だらけ。
これがここの魔王の狙いなら大したもんだよ本当に。
最初は三百人いた仲間達も今はその半分くらいしかいねぇ。
楽な任務だと思ってたんだがなぁ……全くよぉ。
ん?また分かれ道だ。階段が三つに分かれてる。
ヴォルフガング兵士長が悩んでいる。
実は、この場所に至るまでの迷路はとても入り組んでいたが最終的には全て同じ道に繋がっていたんだ。
だから、今回の階段も同じでどれを選ぼうと最終的には同じ場所に出るのか、はたまた前の迷路がそうだったからこの階段もそうだろうと思わせるためのブラフなのか。
多分ヴォルフガング兵士長が悩んでいるのはそんなとこだろう。
本当にこのダンジョンは嫌なつくりをしてやがる。
製作者の性格が伺えるな。
おっ、ヴォルフガング兵士長が何やら決めたみたいだ。
「よし。俺は一人で真ん中の階段を行く。フェリックスは五十人ほど率いて左、残りの百人ほどは右に進め。右の指揮はカールに頼む」
りょーかい、りょーかいって……えっ!?えええええええ!?俺が指揮!?
まじかよ……大役じゃねーか……。だが、憧れのヴォルフガング兵士長直々の指名だ。
ここでやらなきゃ男じゃねぇ!!
「了解しましぃた!!」
やっべぇ……声裏返っちまった…………。
でもやる気出てきた!絶対ヴォルフガング兵士長の期待に応えてやるぜ!
ちなみに左の道の指揮を任された男はフェリックス・ブリーマー。副兵士長にしてヴォルフガング兵士長に次ぐ実力者だ。
普段ヴォルフガング兵士長はあまり表に出てこないからな、基本的にはこの人が兵士長みたいなもんだ。
確か前に此処を壊滅させた時、このダンジョンを統べる魔王とそれを守るミノタウロスを討ったのもこの人だ。
まあとにかくすげー人って事だ。
え?ヴォルフガング兵士長は一人でいいのかって?
いいんだよ。あの人の事は心配するだけ無駄だ。文字通り格がちげえからな。
三頭もの竜をたった一人でぶっ飛ばした英雄だぜ?
むしろ、中途半端に人がいたら邪魔になっちまう。
てか俺こんなすげえ人達と並べられてんのか。身の程を知ってる俺からすると、ちょっと萎縮しちまうな……。
まあでも、うだうだ言ってても仕方ねえ。
その人達と並べられても遜色ないくらいの結果を残せばいいんだもんな!
そういえば、このダンジョンでまだ魔物は一匹も見てねえな。
迷路も抜けたし、このまま何事もなく魔王の所まで辿り着けりゃあいいんだけど……。
おっ、開けた場所に出るみたいだ。
□
そこにいたのは、美しい純白の髪を肩の辺りで切りそろえた、綺麗な紅の瞳を持つ少女と無数の狼だった。
内四匹の漆黒の毛を持つ狼は、闇に潜む悪魔の様な不気味なオーラを醸し出している。
しかし、本来なら真っ先に目がいくであろうその狼達は眼中に入らず、ガルプテン王国の兵士達は純白の髪を持つ少女に目が釘付けになってしまっていた。
その姿がまさに、絶世の美を体現していると言えたからだ。
その美貌は、ガルプテン王国の兵士達が誰一人欠けることなく見惚れ、今自分が立っている場所が戦場であることを一瞬忘れてしまうほどだった。
□
第一印象は女神様だな。本当に、それくらいこの部屋で俺達を待ち受けていた白い髪の少女は美しかった。
他の奴らも見惚れてやがんなこりゃ。
おっ、何か目が合った気がする。ラッキー。
それにしても、何でこんな場所にあんな可愛い女の子がいるんだ……?
あれ、なんか本当にずっとこっち見てない?
その誰もが見惚れる美しさを持つ少女はこちらを見ながら言い放った。
「長旅ご苦労さまでした。私の名はアルファ。さて、私の手に入れた幸せを壊そうとするゴミの皆様方、さっさと死んでいただきますようお願い申し上げます」
――ドゴォゥッ
凄まじい音と共に、少女は拳を構え、床を踏み込み俺の方へと跳躍した。
一瞬にして俺の視界は黒く染まり、直後に凄まじい衝撃が俺を襲った。
そして、その衝撃と同時に俺の意識は闇に飲み込まれてしまったのだった。
◆◇◆◇◆
ダンジョン内の大部屋の一つにて敵を待ち受けるアルファは震えていた。
ディロに頼み込み、自分も戦いに参加させてもらったはいいが、実は彼女は生まれてこの方戦った事など無かったのだ。
本当は、戦いに参加するつもりも無かった。
にもかかわらず、彼女が戦いに参加したのは、仲間をできる限り失いたくないという思いから。
大切な仲間達が命を賭けて戦っている中、自分だけが何もできないのは嫌だったのだ。
彼女にまともな戦闘経験は無い。
しかし、彼女は自分に闘える力があることを知っていた。否、聞かされていた。
彼女の創造主の一人であり、尊敬する人物でもある『大賢者』エドガー・アシュクロフトに。
だから、彼女は戦場に立つ。自分ができる事をやるために。
怖い。とても怖い。
殴られるかもしれない。
蹴られるかもしれない。
死ぬかもしれない。
でも、彼女は闘う。
かつて、何も出来ずに自分の知らぬ場所で親を失い、三百年もの間孤独を味わった彼女はもう戻れない。
ディロと出会い、友を得た彼女はもう二度とあの孤独を耐え凌ぐ事が出来ないだろう。
アルファにとって、また独りになることは死ぬことよりも怖いのだ。
だから、彼女は闘う。
敵が来た事を視認した彼女は、覚悟を決め口を開いた。
「長旅ご苦労さまでした。私の名はアルファ。さて、私の手に入れた幸せを壊そうとするゴミの皆様方、さっさと死んでいただきますようお願い申し上げます」
なるべく敵に威圧感を与えられるように睨みを利かせて。
その姿が傍から見ると可愛らしかったのはご愛嬌だ。
彼女にとってただ一つの誤算は自分の強さ。
歴史に名を残す天才達が創り上げたその身体は、とてつもなくハイスペックだった。
斯くして、蹂躙が始まった。
「うぉふうぉふうぉっふ(アルファ姐さんつっよ)」
「うぉふうぉふ〜(俺アルファ姐さんには逆らわないようにしよ)」
「うぉっふうぉふ(アルファ様を守ってくれとディロ様に頼まれたけど……これ私達いるのかしら?)」
「うぉふうぉっふ(間違いなくいらないね。てか、アルファ姐さんひょっとしたら僕達より強くない?)」
「うぉふ!(その可能性は充分にあるな!)」
「うぉっふうぉっふ!(ほら!くだらない事ばっか言ってないで私達も行くわよ!)」
「「「うぉん!(おう!)」」」
アルファがガルプテン王国の兵士達を相手に無双している様を見て呆然としていたツヴァイ達の間では、そんな気の抜けた会話が繰り広げられていたとかいないとか。
◆◇◆◇◆
俺が今いるのはダンジョン最下層の最深部である。
ダンジョンとやり取りを交わすその場所で、ダンジョンマスターは多数のモニター越しにダンジョン内の様子を見ることができるのだ。
――ドゴォゥッ
その場所で俺は、アルファが人が踏み込みで出しちゃいけない音を出しながら、敵の指揮官っぽい男に跳びかかっていくのを見て言葉を失っていた。
アルファが自分も戦いたいと頼んできた時はどうしようかと思ったが……あいつあんなに強かったのかよ…………。
うっわー。
それがアルファの戦いぶりを見た俺の感想。
敵の指揮官さんの頭部とか見事に四散しちゃってんじゃん。
ほら、ウルフ達もぽかんとしちゃってるし。
目にも留まらぬスピードで急接近し、バケモノみたいなパワーで敵を一撃粉砕。
それをあの絶世の美少女の姿でやってるのだから不気味さが増して倍怖い。
忘れがちだけど、アルファはあの箱庭とかいう異空間を、人の手で作り上げやがったキチガイ共によって創られた人造人間だもんな。
戦闘面もあれほどまでに高性能でも納得がいくというものだ。
ケガでもしたらどうしようという俺の心配を返して欲しい。
まあ何かあるよりはいいんだけどさ。
あ、また一人肉塊になった。
ウルフ達も動き出したし、こっちはもう大丈夫だな。
さて、問題は…………。
◆◇◆◇◆
ガルプテン王国軍副兵士長であるフェリックス・ブリーマーは、戦局が思うように傾かず、苛立ちを募らせていた。
ヴォルフガングや百人ほどの兵士と別れ、五十人ほどの兵士を率いて歩みを進めた先にあったのは広い部屋だった。
その部屋にいたのはダンジョンに入ってから今までで一切現れることの無かった魔物達。
しかし、そこにいた魔物はどれも見覚えのある雑魚ばかりだった。
舐められたものだと思いながら再び歩みを進めると、魔物の集団の奥から三つの大きな影が姿を現した。
三つの並んだ影の真ん中の個体――巨大なゴブリンはこちらに向けてこう宣言した。
「ワレハゴブリンキングノゴブ助。我ガ主ノ安寧ヲ妨ゲル者ドモヨ、今引キ返スノナラ見逃ソウ。シカシ、コレヨリ先ニ進モウト言ウノナラ、相応ノ覚悟ヲ持ツコトダ」
その魔物は、ゴブリンとは思えないほど強者のオーラを漂わせていた。
フェリックスは最下級の魔物であるはずのゴブリンが人の言語を扱う事に驚き、改めて気を引き締めながらこう返した。
「愚問だな。貴様らこそ死ぬ覚悟はできているのか?」
斯くして、この部屋でも戦闘が始まったわけだ。
しかし、戦局はフェリックスの思うようには傾かなかった。
最下級の魔物だと思っていたその魔物達は、三人一組でチームを組み、必ず一対三の状況になるように攻めてきた。
オークが攻撃を止め、コボルトはヒットアンドアウェイを繰り返し、ミスがあればゴブリンがフォローに入る。
完璧なチームワークといえた。
一般的な魔物ではありえない行動である。
更に、余程質の良い武器を使っているのか、剣と剣を打ち合わせると、刃こぼれするのはこちらなのだ。
かと思えば、腹立たしい事に戦況が劣勢になったと判断すると三匹揃ってすぐさま撤退する。
ダンジョンの構造といい、この作戦といい、ここのダンジョンマスターは性根が腐っているに違いない。思わず、そう思ってしまったのも仕方ないと言えよう。
数の上では有利を得ているが、ゴブ助と名乗る巨大なゴブリンと、ポチと名乗る巨大なコボルトが大勢の兵士を一人で相手取っているためそれも決定的なものではない。
加えて自分はゴンザレスと名乗るオークに動きを封じられて思うように動けない。
状況は最悪であった。
このままではジリ貧である。
しかし、彼はこんな所で死ぬわけにはいかないという強い思いがあった。
彼には夢があったのだ。それは、国の英雄であり上司でもある『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロを越えること。
自分は『竜狩り』を越える英雄になるんだと、それを信じて、彼は血のにじむ様な訓練を行ってきた。
結果として、副兵士長にまでなった。
後もう少しなのだ。
もう少しで手が届くのだ。
故に、こんな所で死ぬわけにはいかない。
行動を起こすべきだと判断したフェリックスは思い切って攻めに転じた。
手に持っていたロングソードを振り抜くと見せかけて、隠し持っていた短剣でゴンザレスの足を攻撃。
それによって生まれた隙をついて、ロングソードで今度はゴンザレスの腹を切り裂いた。
そのままフェリックスが向かったのはゴブ助とポチの元。
彼は、この二体さえ倒す事ができれば数の有利をもって勝利を掴めると判断したのだ。
その判断は正しい。
ただし、それは魔物達に奥の手が無かった場合に限る。
「ウガァァァァァァアア!!!」
接近するフェリックスを視認したゴブ助は、地面が揺れていると思わず錯覚してしまうほどの咆哮をフェリックスに向けて放った。
それと同時に、天井から巨大な何かの塊が降ってきた。
――ズドォォォォォォォン!!!
「ハーイッスヨ、ゴブ助サン!漸クオレノ出番ッスカ!待チクタビレタッス!ツーカゴンザレスサン大丈夫ッスカ?」
陽気な声と共に天井からフェリックスの目の前に降ってきたのは、ゴブ助よりも、ポチよりも、ゴンザレスよりも巨大な大鬼。
「オーガキングノタケシッス。オ手合ワセ願ウッスヨ」
Aランクの魔物、オーガキングだった。
更に、それに続くように天井から八体の大鬼が降ってきた。
そのどれもが、フェリックスの元に降り立った大鬼ほどではないにしろ、並のゴブリンとは比べ物にならない気配を纏っていた。
こうして、戦局は大きく傾いた。フェリックスにとって最も悪い方向に。
「くそおおおおおおおおおおお!!」
絶望的な状況に、半ばヤケになって剣を振るうフェリックス。
しかし――。
「軽イッスネ」
「あっ……」
次の瞬間、彼の頭は胴体から切り離されていた。
彼の命を刈り取ったのは、奇しくも彼が目標にしていた男を思わせる大剣だった。
◆◇◆◇◆
よっし!
俺は一人最下層でガッツポーズを取っていた。
奇襲が上手く嵌ったからだ。
奥の手の一つであるオーガ達だ。
俺は三ヶ月前、武器よりもトラップよりもまずオーガをダンジョンに創造してもらっていた。
単純な戦力増強を図りたかったからだ。
そのための魔物としてオーガを選んだ理由は二つある。
一つ目が、オーガは限りなくCに近いDランクの強力な魔物だが、単体行動が多いという点以外はゴブリンに性質が似ている事。
故に、育てやすいと判断したのだ。
二つ目が、武器を持てる事。
武器を持つ事ができ、力任せの攻撃が主体というのは、ゴブリン達に訓練してもらっていた戦術に非常に取り込みやすかった。
結果としてその策は大成功。
いけるかもしれないと思わせてからの絶望という精神的なダメージも重なり、ゴンザレスを相手に一歩も引かずに戦っていた敵の指揮官を見事討ち取ることに成功した。
ちなみに、オーガ達はこの三ヶ月の間に全員進化を果たしハイオーガとなっている。
また、ゴブリン達と同様に、最初に連れて来た番いの雄は二度進化をしてオーガキングとなった。
名前はタケシだ。
オーガ達はゴブリン達とも上手くやっている。
仲がいいのは良い事だ。
特にタケシは非常にフレンドリーで、ゴブ助やポチ、ゴンザレスの事をサン付けで呼び、慕っている。
彼が一番強いのにというのはご愛嬌だ。
タケシという名前の偉人は、「お前の物は俺の物」という名言を残した暴力の象徴と言える将軍や、「お前ら人間じゃねぇ!」という名言を残したモンスターブリーダーが挙げられるとかつて読んだ人間種族の本には書かれていたが、うちのタケシはそんなことは決して言わない好い子なのである。
さて、では彼らのステータスを見せようと思う。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:ハイオーガ
【体力】:C
【攻撃】:B
【防御】:B
【魔力】:C
【魔耐】:C
【敏速】:C
【総合】:C
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:オーガキング
【体力】:A
【攻撃】:A
【防御】:A
【魔力】:B
【魔耐】:B
【敏速】:B
【総合】:A
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
うん。かなり強い。
ただでさえ芳しくない状況に、コイツらが合計九体も降ってくるとか確かに悪夢だわ。
まあ、とにかく二勝。
さて、残るはめちゃめちゃ強そうなゴッツイ体をして、背中に大剣背負った三十代くらいのおっさんだ。
大剣のおっさんはアイツが待つ部屋に向かって駆けている。
尋常じゃないスピードだ。
真ん中の道は、他の道に比べて部屋まで断トツで距離がある。にもかかわらず、もう数十秒もすれば大剣のおっさんは部屋に到着するだろう。
だがまあこの道は大丈夫だ。
確かにあのおっさんは強いんだと思う。
それも尋常じゃなく。
部下も連れずにたった一人で進むと言い張り、部下達は誰も反論しなかった。
それはおそらく信頼の証。
でも、それでも俺はこの道は大丈夫だと言い切れる。
だって、あの部屋の防衛に向かったのは、このダンジョン最強の魔物なんだから。
◆◇◆◇◆
ガルプテン王国最強の男『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロは、己が率いる軍の半数を失ったにもかかわらず冷静だった。
(やはり悪い予感というのは当たるものだな……)
そんな事を考えながら、彼は長い一本道を猛スピードで駆けていた。
彼が体力を浪費するにもかかわらず猛スピードで駆けているのには理由がある。
彼はガルプテン王国軍の中の誰よりもこの迷宮の事をよく見ていた。
国の英雄であり、一流の戦士でもある彼は、ダンジョンの完全制覇を成し遂げた事も何度かあった。
そんな彼がダンジョンの様相を見てダンジョンマスターに抱いた印象は、冷静で情報の大切さを知っていて、確実性を好み保険をしっかりと掛けるタイプだ。
このタイプの魔王は、力任せの魔王や後先考えず数に頼る魔王より数段厄介と言えた。
だからこそ彼は、先ほどの三つに分かれた階段は最終的には全て魔王の元に繋がっていると予想した。
なぜなら、もし進んだ先が行き止まりであれば、自軍が劣勢になった時に援軍を送る事も、戦力差を見て自軍の兵の位置取りを変える事も出来ないからだ。
そう、驚くべき事にヴォルフガングは、階段を降りた先に今まで一切いなかった魔物がいることも予想していたのだ。
彼がその事に確信を持ったのは、階段前で思索に耽る中、迷路に仕掛けられていたトラップを思い出した時のこと。
彼はあの大量のトラップが敵の実力を測るための物だと見抜いていた。
あの迷路は非常に入り組んでいた。それこそ必要以上にだ。まるでこちらの戦力を分断させ、各個の実力を測る事が目的かの如く。
ならばいるのだろう。その情報を渡すこれから戦う"何か"が。
これらの予測と情報を踏まえて、これ以上被害を増やさないために彼が選んだ作戦は、自分一人で三つの道のうち一つを進み、いち早く部屋に到着することでそこにいる魔物を蹴散らし、他の部屋にいる魔物や魔王が控えさせている援軍を自分に引きつけることだった。
そして彼は自分にはそれが可能だと予測した。
全員で一つの道を進むより、数的有利が取れなくなっても三手に別れ、自分は一人で進み攻略した方が確実かつスムースだと判断したのだ。
今頃他の道を進んでいるだろうフェリックスとカールはヴォルフガングの目から見ても優秀な部下だ。他の部下を任せても問題は無い。何より自分が一人でダンジョンを攻略して魔王の首を討ち取ってしまえばいい話。自分にはそれができるという自信もある。
彼の考えは恐ろしいほどに正確だった。
しかし、二点ほど考慮できていない点がある。
一点目は魔物がいる部屋までの距離だ。
これは、ヴォルフガングも階段を降り、道を駆ける中で気がついた。さすがに魔物がいるであろう部屋までの距離が遠すぎると。
もしかすると、他の道も同じくらい部屋までの距離は遠いのかもしれない。しかし、それは楽観的な観測と言わざるを得ないだろう。戦闘が始まる時間をずらすことで、三つのグループを同時に相手取らないようにしていると考えるのが妥当だ。
そうなると、既に他の道では戦闘が始まっている可能性が非常に高い。
それでは彼の作戦は意味の無いものとなってしまう。
無論、それは考え過ぎという可能性も無いわけではない。
だがしかし――。
(俺の悪い予感は当たるからな……)
彼自身、自分の予想が当たっていることを半ば確信していた。
余計な思考をせず、全員で一つの道に進むべきだったかと少しの後悔を滲ませながら彼はその大きな体に似合わないスピードで駆ける。
そんな力だけでなく、知性にも優れたヴォルフガングであったが、彼は考慮できていないもう一つの点を未だ見落としていた。
それは――。
進んだ先にいる魔物が彼よりも強い場合だ。
□
ヴォルフガングは長い長い通路を抜け、漸く部屋に出ることができた。
その部屋の様子を見たヴォルフガングは己の予想を裏切られることとなる。
彼は、この部屋には無数の魔物がいると予想していたのだ。
しかし、実際にいたのはたったの一体。
雪のように美しい白い毛を持つ巨大な狼のみだった。
予想外の光景に少しの間唖然とした後、ヴォルフガングは白狼に声をかけた。
「この部屋にいるのはお前だけか?俺も舐められたものだな。どうやら俺はここの魔王を過大評価してしまっていたらしい……」
哀れみと嘲りの気持ちを込めて言った。それは決して返答を期待してのものではなかったが、この発言に応える声があった。
『舐めているだと?ふざけるな。主は貴様のことを最も警戒していたぞ。だから我が出てきたのだ。
貴様の方こそ目の前に敵がいるにもかかわらず彼我の実力差すら見極められないとは……。どうやら主は貴様のことを過大評価していたらしい』
「これは……念話か!?」
『左様』
ヴォルフガングは驚きを顕にした。なぜなら、念話を使える魔物など魔物の中でもひと握りしか存在しないからだ。
それこそ土地神として祀られるような存在ぐらいなものだ。
彼がかつて倒し、『竜狩り』と呼ばれる所以となったAランク相当の三頭の竜さえ、念話を使うことはできなかった。
そこで彼は漸く気づく。目の前の白狼が静かに怒っていることを。
そして、その白狼が放つ自分に勝るとも劣らない強者のオーラを。
そう、その白狼――アインスは、大好きな主を馬鹿にされて怒っていたのだ。
怒れるアインスが纏う雰囲気はまさに烈火の如し。
一人と一匹の間は一瞬にして一触即発の状態になった。
そしてついに、アインスの宣言を合図として戦いの火蓋が切られた。
『ゆくぞ』
「来い」
『《雷装・爪》』
刹那、ヴォルフガングは腹部に焼かれるような痛みを感じた。
事実、ヴォルフガングの腹部は焼かれていた。腹には肌が焼けたことでできた三本の線。その三本の線――爪の跡は微かに電気を帯びていた。
「ぐううううぅぅぅ!」
一瞬だった。ヴォルフガングはアインスの攻撃を目で追うことすらできなかったのだ。
先程会話を交した位置に再び戻っていたアインスは、美しい白い毛を逆立て、身体中に稲妻を纏っていた。
纏った稲妻が放つバチバチという大きな音は、まるでヴォルフガングを威嚇しているかの様だった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
『ふむ、どうした。もう終わりか?たった一度の攻撃で随分と情けない様じゃないか。先程我に向けて張っていたのは虚勢だったわけか』
ヴォルフガングの顔に悔しさが滲み出る。
息を整えたヴォルフガングは、自分の相棒である竜の素材を使って作った大剣を眼前に構えると、アインスに向けて飛びかかった。
「舐めるなぁっ!《竜牙》ッ!」
『《雷装・牙》ッ!』
己の前に立ち塞がるもの全てを砕く竜の牙と、雷を纏った神速の狼の牙が激突した。
――ドゴォォォォォン!!
その激突によって生まれた衝撃は、決して壊すことができないと言われるほど丈夫なダンジョンを揺らすほど。
「まだまだぁっ!《竜刃》!」
『遅いわっ!《雷装・尾》!』
ヴォルフガングが振るった横払いの剣を、アインスは雷を纏った尻尾で迎え撃った。
――ガギィィィィィン!!
二つの刃が衝突した瞬間、今度はまるで鐘を打ち鳴らしたかのような高く大きな音が部屋に響く。
ヴォルフガングの全ての攻撃を完璧に相殺するアインスも恐ろしいが、アインスのスピードについていき始めているヴォルフガングも恐ろしい。
ヴォルフガングは今、正に人間の限界を越えていると言えるだろう。
それほどまでに、この一人と一匹の打ち合いは速い。
ガルプテン王国軍でヴォルフガングに次ぐ実力を持つフェリックスですら、この戦いを目で追うことはできないだろう。それどころか、何処で何が起こっているのかさえ分からないに違いない。
「《竜咆》ッ!」
『《轟雷》ッ!』
ヴォルフガングは斬撃を飛ばし、アインスはそれを咆哮と同時に放った雷撃で打ち消した。
その様はまるで、息吹の衝突のよう。
「ふぅ……ふぅ……」
『ふむ、なかなかやるではないか。もし我が、この姿になる前に貴様と相対していたとしたら、負けていたのは我の方だったかもしれぬな』
「はっ……!もう勝ったつもりでいるのか白狼よ!少し気が早いのではないか?俺はまだ負けていないぞ?」
『ふんっ!威勢だけは大したものだな貴様は』
「なに……?」
『この我とここまで戦えたことに敬意を払い、我の本気を少しだけ見せてやろう。光栄に思え』
「ほざけっ!次の一撃でけりを付けてくれるっ!」
ヴォルフガングが持つ大剣に、今まで繰り出したどの技よりも強い力が集まっていた。
その様を見たアインスは、構えることも、力を溜めることもせず、ただただ何もせずに佇んでいた。
ヴォルフガングはそんなアインスを不思議に思う。
「まさか、諦めたのか?」
『そんなわけがあるまい。まあ見ていろ。《加速超越》』
アインスがそう呟くと、今までアインスの身体にバチバチと迸っていた稲妻は消え、代わりに白緑のオーラがアインスの身体を包み込んだ。
「だろうな、言ってみただけだ。白狼よ、名を聞いておこう」
『名だと?まあ、よかろう。我の名はアインス。フェンリルのアインスだ。偉大なる主ディロ様の僕である。
お前を殺す者の名だ。よく覚えておけ』
「本当に傲岸不遜な狼だ……。俺は、ガルプテン王国軍兵士長『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロだ。覚えておくといい」
『そうか、わかった。覚えておこう』
名乗り合う。
これは互いを強者と認めた一人と一匹の、静かだが最大限の敬意の払い方と言えよう。
「くらえっ!《滅竜斬》ッ!!」
ヴォルフガングが放ったのは、彼の前方を埋め尽くすほど巨大にして強大な飛ぶ斬撃。
これをまともに食らったならば、例え巨大な竜であっても一撃で真っ二つになるに違いない。
それほどまでの威力を誇る斬撃がアインスの元へ飛来した。
しかし、斬撃が通り過ぎた後、そこにアインスの姿は無かった。
では、アインスは消し飛ばされてしまったのか。その答えは否である。
避けていたのだ。回避不能と思われた斬撃を。
その速度は先ほどの更に倍以上。
《加速超越》とは、身体に迸る雷を更に凝縮し、より速さに特化させた状態で身に纏う技法である。
魔力の消費が激しく、短時間しか持続できないものの、《加速超越》を使用している際のアインスの最高速度は光速に届く。
それは正しく、神速を誇るフェンリルの本気であった。
『ゆくぞっ!』
「なっ!?」
『《稲妻を纏いし爪撃》ッ!』
瞬く間に後ろを取られたヴォルフガングに向けて放たれたのは巨大な雷の爪擊。
その威力と速度は、最初にヴォルフガングが食らったものとは比べ物にならない。
圧倒的なまでの力を持つ雷を前に、ヴォルフガングは己の死を悟った。
「ふっ、竜より強い獣とは、全く理不尽この上ないな……。すまん……クラウディア…………」
それが、彼の最後の言葉となった。
直撃した《稲妻を纏いし爪撃》は、ヴォルフガングの細胞を焼き尽くした。
こうして、ガルプテン王国の英雄にして超越者でもある『竜狩り』ヴォルフガング・ナルディエッロの生涯は、名も無き迷宮でその幕を閉じたのだった。
そしてそれは、ダンジョンに攻め込んだ総勢三百のガルプテン王国軍の兵士が全滅したことを示していた。
◆◇◆◇◆
クックック……
フハハハハハ
ハーッハッハッハ!!
おっと思わず三段笑いが飛び出ちまったぜ。
え?頭でも打ったのかって?
違うわい。
変な食べ物でも食ったのかって?
違うわい。
しょうがないだろう!なんてったって、完全勝利なんだから!
こっちは怪我人は多数いるけど死者は無し。対して相手さんは三百の兵が全滅。
これは少しくらい調子に乗っていいと思わないかい?
え?お前は何かやったのかって?うるさい、黙れ。
今回の戦いにおける最優秀賞はやはり、我が最強の僕にして独り身仲間であるアインス君だろう。
大剣のおっさんが思った以上にやるもんだから、正直かなり焦ったが……まさかアインスの全力があれほどとは……。
アイツどれだけ強くなってるんだよ……。てかもう最後の攻撃とか何したのかもよくわかんなかったし。
おっと、噂をすればだ。
『主よ、ただいま戻ったぞ』
帰還したアインスに声をかけられた。
この頭に直接話しかけてくるような会話の仕方は念話というらしい。
「おつかれさんっ!よくやったな!」
そう言ってハチャメチャに撫でてやると、少し得意げな顔をしてこう返してきた。
『ふんっ!当然だ。あの程度の相手、我にかかれば何の問題もないわ』
カッコつけてはいるものの、尻尾はブンブン振られている。
喜んでいるのが丸わかりだ。
まあこういう所が可愛いんだけど、コイツ。
では、今回大活躍であったアインス君の今のステータスを見てみよう。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
種族:フェンリル
【体力】:A
【攻撃】:A
【防御】:A
【魔力】:S
【魔耐】:S
【敏速】:S
【総合】:S
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
このステータスを初めて見た時、俺はまず思った。
Sって何だよ!……と。
困った時の取説先生って思ったわけだけど、なんと取説先生にもSというランクの事は乗っていなかった。
恐らく、噂に聞くAランクの更に上。それがこのSランクなのだろう。
分からないことだらけの中で、それだけは確信を持って言えるほど、アインスの力は余りにも圧倒的だった。
味方だからこそ、とても心強い。
敵じゃなくて本当に良かった。
そんなことを思いながら、俺は目の前で物欲しそうにしているアインスのことを再び撫で回すのだった。
□
「ディロ!やりましたね!」
おっ、今度はアルファか。
今回の戦いにおける最優秀賞がアインスなら、アルファは功労賞だろう。
アルファは戦いが始まる前、小刻みに震えていたからな。
元々彼女は戦場に立つ予定すら無かったのだ。
怖かっただろうし、きっと色んな葛藤もあっただろう。
アルファは気づかれていないと思っているかもしれないが、正直バレバレだった。
それでも戦い抜いたアルファの顔は、とても清々しいものになっている。
戦いの中で自分と向き合い、色んな気持ちに打ち勝ったに違いない。
それにしても圧倒的だった。
何かあった時のためにこっそりツヴァイ達に守るようお願いしていた訳だけど、結果はアルファの無双劇。
むしろ、油断して攻撃を受けそうになっていたツヴァイがアルファにフォローを入れられていた。
そしてアルファは、俺的怒らせたくないランキング堂々の一位に躍り出た。
そもそもさ、俺には万が一を考えて奥にいるようにってキツく言ってきたのに、自分は最前線に出るってどうなのさ。
まあ、そういう所もアルファらしいけどね。
そんなアルファが、俺に話しかけてきた。
「あのですね……。ディロ……一つ提案があるのですが……」
と、言ってモジモジクネクネしている。
なんかカワイイ。
「お、おう?」
けれど、こんな改まってなんてどんな提案だ……?
ま、まさか……このダンジョンを去りたいとか……?そ、そんなことはないと思うんだけど……。
も、もしかして……嫌われるような事を気づかぬ内にしてしまったのだろうか!?
そんなふうに身構える俺に向かってアルファは少し大きめの声で言い放った。
「しゅ、祝勝会をやりませんか……!?」
「…………ん?」
そんな予想もしていなかった提案に、俺は間抜けな声を上げてしまった。
「い、いえですね……この前のディロの誕生日の時の宴が楽しかったのでまた宴をやりたいなとか思ったりしたわけでですね……それで……その……」
恥ずかしいのか、早口で続く言葉を紡ぐアルファを見て、俺はおかしくなってふっと笑ってしまった。
そんな俺に対して顔を背けるアルファに癒されながら、俺はその提案を承諾したのだった。
◆◇◆◇◆
その日の晩。
俺は大きめのグラスを手に持ち、皆の前に立っていた。
「まず、皆にはお礼を言いたい。この場所を守るために戦ってくれてありがとう。そして言わせてくれ、よくやった!よくぞ誰も死なずに帰ってきてくれた!今回の戦いは俺達の完全勝利だ!俺はお前達の事を誇りに思う!今夜は思う存分楽しもう。では、皆グラスを持ってくれ。皆で掴み取った勝利を祝って……乾杯!」
「「「「乾杯!!」」」」
こうして、俺の言葉を皮切りにして祝勝会が始まった。
今回の宴は前回とは違い、ダンジョンからも食べ物や酒を提供してもらえるようになった。そのため、種類も量も前回に比べて多くなっている。
ゴブリンも、コボルトも、オークも、オーガも、皆好きなように飲んで食って騒いでいる。
好物ばかりを幸せそうに食べる者。
バランス良く様々な種類の料理を食べる者。
食べ物には手をつけず酒のみを堪能する者。
他者との会話に夢中になる者。
本当に様々だ。
俺はそんな皆の自由な姿を見て、改めて戦いが終わったことを実感していた。
「勘弁シテクダサイッス〜オレハモウ飲メナイッスヨォ〜〜〜」
おっと、タケシが早速顔を真っ赤にして目を回している。
アイツあの見た目で下戸なのかよ。
そんなふうに周りの雰囲気を楽しみながらお酒を嗜んでいる俺に声がかけられた。
「お隣よろしいですか?」
微笑みながら声をかけてきたアルファは、その髪色とは正反対になる漆黒のドレスに身を包んでいた。
闇があることで光が際立つように、漆黒のドレスを着たアルファの姿は普段よりも一層美しく見えた。
「もちろん」
「ありがとうございます」
「ドレス、いいね。似合ってる」
「……ありがとうございます」
アルファの白い陶器の様な肌がほんのりと赤く染まる様は、何度見ても可愛いらしく思える。
「祝勝会……開いてくれてありがとうございます」
「さっきからお礼しか言ってなくない?」
「しょ、しょうがないじゃないですか!いざ隣に来たらなんか頭が上手く回らなくなっちゃったんです……。
と、とにかく!本当に感謝しているんですよ。ほら、私も戦いに参加したいっていうわがままも聞いていただきましたし」
「あー、あれはさすがに俺もビックリしたよ。まさかアルファがあんなに強いとは思わなかったけどね……」
「正直、自分でもビックリでしたよ……」
そこから、俺達は暫くの間くだらない話で盛り上がった。料理はどっちが上手かとか、また釣りに行こうとか、甘味を食べたいとか、そんな話だ。
小一時間ほど談笑した後、ほろ酔いのアルファは俺に向かってこう提案した。
「ディロも魔王と呼ばれるダンジョンマスターになったんですし、この機会にディロのラストネームを考えませんか?」
なんか今日のアルファ提案してばっかだな。
真剣な表情で問いかけるアルファに対して、俺はまずそんな場違いな感想を抱いてしまった。
ちなみに、魔族には魔王となった者がラストネームを得る風習がある。
だが、それにしてもラストネームか……考えてもみなかったな……。
「ラストネームか。どんなのがいいかな?」
「折角ですし、皆にも聞いて見ましょうか」
そう言って、アルファは皆を集めた。
「今、俺のラストネームを考えてるんだ。皆の意見も聞かせて欲しい」
そんな俺の言葉に、最初に応えたのはアインスだった。
おっ、アインスは自信ありげだ。
『我に任せておけ。ふむ、我が主に相応しいラストネームは……サンダーウルフマスターアルティメットスペシャルギガントアブソリュート……』
「ストップストーップ!!」
慌てて止めた。
『なんだ。まだ半分も言ってないぞ?』
「長すぎるわっ!」
自信満々だから期待してたのにダメダメじゃねーか。
こいつネーミングセンス無いとこまで俺に似てんのかよ。
い、いや、さすがの俺もここまで酷くないか。酷くないよな?酷くないよね……?ね!?
続いてゴブ助、ポチ、ゴンザレスの三人が口を開いた。
「ディロ・ゴブ助キング」
「ディロ・ポチカイザー」
「ディロ・ゴンザレスエンペラー」
ダメだコイツら……自己主張が強すぎる……。
次はタケシ……と思ったが、彼は今顔を真っ赤にして倒れてしまっているからパスだ。
その後も、独創的で奇天烈な案が飛び交った。
「うぉふうぉふ!(カタストロフ!)」
「被ってる!次ぃ!」
「ギャウギャウ!(ピー!ピー!ピー!)」
「下ネタじゃねーか!次ぃ!」
「グガァッ!(デッドダイデス!)」
「不吉過ぎる!次ぃ!」
しかし、これといって良い案も無く、時間だけが過ぎていった。
あまりにもいい案が出ず、皆の顔にも疲労の色が見え始めていた。
そんな時、口を開いたのはゴブ助だった。
「ディロ様ノ名前ナラアルファ様ガ付ケルノガイイ」
実はアルファは、まだ一度も意見を出してはいなかった。
ラストネームを付けようっていうのもアルファの提案なんだし、是非アルファの案も聞かせてもらいたいんだけどな。
「わ、私ですかっ!?」
「俺もアルファの案は聞きたいな。今から考え始めてもいいからさ」
「い、いえ……少し前に思いついた案がありますけど……あの……その……凄い単純なので……笑わないでくださいね?」
アルファは恥ずかしいのか、少し言い淀んでいたが、やがて思い切ったように口を開いた。
「ミアガン。ディロ・ミアガンなんてどうでしょう?私達の大切な場所である"箱庭"から取ったのですが……」
俺はアルファが発案した言葉を、心の中で反芻した。
「や、やっぱり変ですよね!?そのまんまですし!ご、ごめんな……」
「良いじゃないか」
「へっ!?」
「よし!皆、聞いてくれ!俺の名前は今日から、ディロ・ミアガンだ!!」
「「「「「うぉんうぉん!」」」」」
「「「「「ギャッギャッ!」」」」」
「「「「「グガァガァッ!」」」」」
俺がそう宣言すると、歓声が上がった。
どうやら皆も賛成なようだ。
「い、いいんですか?こんな案で……」
「もちろん、気に入ったしね。ディロ・ミアガンって響きが良い。それに、アルファが折角考えてくれた名前だ。こんな案だなんて、卑下する必要は無いよ」
そう言うと、アルファは少し安心したように笑った。
「そうですか。気に入っていただけたなら良かったです」
「ああ、いずれ大魔王になる俺に相応しいよ」
「へっ!?大魔王ですか!?」
「ああ、憧れだったからな、大魔王。今俺は充分幸せだし、ついでに夢も叶えちゃおうかなって」
俺が堂々とそう宣言すると、アルファは少しの間鳩が豆鉄砲食らったように目をパチパチさせていたが、すぐにニヤリと揶揄うような笑みを浮かべてこう言い返してきた。
「二兎追うものは一兎も得ずって言いますけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まっているだろう。無茶をするつもりは無いし、この魔物育成キットもある。そして何より――」
「何より?」
「何より――仲間達がいるからな」
そう。今の俺はもう一人じゃない。アルファがいて、魔物達がいる。だから俺は自信を持ってこう返せる、大丈夫だ、と。
「ふふっ、そうですか」
「ああ、そうさ」
俺はそうアルファに笑い返して、アルファと共に再び皆が興じる宴の輪の中に戻るのだった。
◆◇◆◇◆
大魔王になることを宣言した魔族の少年ディロ・ミアガン。
彼の語った夢が叶うのかどうか。今はまだ、誰も知らない。
しかし、もう既にこれだけは間違いなく言えるのだろう。
それは、"落ちこぼれ"と呼ばれた男の姿はもうそこにはないということだ。
かつて何事においても底辺だったディロの仲間達を見つめるその眼差しは、紛れもなく支配者としてのソレだった。
こうして、やがて最強の大魔王と呼ばれる男は魔王としての第一歩を踏み出したのだ。
そしてディロは、少し前を懐かしむように仲間達を見つめるその目を細めて自分の人生を大きく変えるきっかけとなったその道具の名を独り呟いた。
『魔物育成キット』―――と。
閲覧ありがとうございました!作者の武介と申します。拙い文章であったとは思いますが、読んでくださりありがとうございました。
この作品は同作者の連載小説『魔物育成キット! 〜底辺魔族の少年は魔物を育てて最強の大魔王に成り上がるようです〜』の第一章を短編編集したものとなります。 「続きが気になる!」 という方は連載版も応援していただけたら嬉しいです。以下、リンクになります。
https://ncode.syosetu.com/n7484gd/
他にも、この[短編編集版]の同一部分にあたる第一章の後書きでは、物語における裏設定を吐き出したりもしているのでそちらの方も是非。
最後になりますが、広告下側にある【☆☆☆☆☆】の欄の星を押してポイントを入れて応援いただけると嬉しいです。感想・ブックマークも含めてわたくし武介にとって大きな力となりますので、どうぞよろしくお願いします。
ではでは!