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その男、幸運につき  作者: RYO太郎
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第3章 その男、決断につき その①




「警部、ちょっとよろしいですか?」


 捜査本部の会議室で田所警部が捜査資料を読んでいるところに、一人の鑑識官がやってきた。


 気づいた田所警部が資料をテーブルに置き、片手をあげてその鑑識官に応じた。


「おう、どうした?」


「じつは被害者ガイシャの携帯電話の解析をしていたところ、一つ奇妙なことが分かったのですが」


「奇妙なこと?」


「はい。じつは被害者ですが、自分名義で二台の携帯電話を契約していたことがわかりました」


「携帯電話を二台契約?」


 田所警部はわずかに眉を動かし、


「それなら仕事用とプライベート用とで分けていたのではないか。外回りのビジネスマンなんかだとよくある話らしいぞ」


「それが解析の結果、その二台の携帯電話間で通話やメールのやり取りが頻繁に行われています。そのことからも、一方の携帯電話は間違いなく被害者以外の人物が使用しているかと」 


「ふむ……で、その持ち主は特定できたのか?」


「それが被害者の携帯には名前ではなく【K】としか登録されておらず、名義人も被害者なので今のところ不明です」


「ふむ、【K】か……」


「くわえて事件当日以後、そちらの携帯電話には使用された形跡がありません」


「つまり犯人ホシが持っている可能性があるということだな。わかった、ご苦労だった」


 報告を終えて鑑識官が部屋を出ていくと、入れ替わるようにして聞きこみに出ていた田中刑事と本間刑事が会議室にやってきた。夜の九時を五分ほど回った時分のことである。


「戻りました、警部」


 田所警部は二人に冷たい麦茶を差し出し、


「お疲れさん。で、どうだった。めぼしい奴はでてきたか?」


 出されたコップの麦茶を一気に飲みほすと、二人の刑事はともに無念そうな表情で手帳をめくりはじめ、まず田中刑事が応じた。


「それが、まったくダメでした。全員を調べましたが、皆、アリバイがあります。事件の夜は接待にいっていたり、家族と食事に出かけていたりとさまざまですが、とにかく、リストアップした大東洋建設の役員連中はシロのようですね」


「そうか……で、取引先のほうはどうだ、本間?」


「こちらも同じです。全員にアリバイがあります。それにしても、これだけいれば一人くらい怪しい奴が出てきてもよさそうなものですが……」


「そっちもダメか……」


 田所警部が落胆の息を漏らしたとき、


「警部!」


 と、今度は別の捜査員が会議室にやってきた。


 今年、捜査一課に配属されたばかりの新人刑事で、名前は――いや、名前などどうでもいい。この後、もう登場する予定はないのだから。


「おう、そっちはどうだった?」


「はい。一人、臭い奴がでてきました」


 そう言って新人刑事は、一枚の写真を田所警部に見せた。


「この男は大峰敏郎。【大峰工業】という中堅ゼネコンの専務です。専務といいましても父親がオーナ社長の会社ですから、まあ典型的な後継ぎゆえの地位です。それはともかく、この大峰なんですが……」


 新人刑事が説明する。


 この大峰という男が短気で粗暴な性格であること。女性関係が派手なこと。ストーカー癖があり、過去に警察から何度も注意されていること、などなど。


「すぐにカッとなる性格らしく、以前にも交際していた女性に暴力をふるって警察沙汰になったことがあります。こいつの親がかなりの示談金をはらって、和解にもちこんだようですがね」


「そうとう短気な奴らしいな」


「ええ、前科マエがないのが不思議なくらいの男です。で、この大峰ですが、大東洋建設との取引を通じて被害者と知りあい、他者同様に彼女にいれこんでいたそうです。ほとんど相手にされていなかったようですがね」


 新人刑事の説明に、田所警部はニヤリと笑った。


「なるほど。たしかにこいつは臭いな」


「これから、この男をマークしてみようと思うのですが、どうでしょうかね?」


 わずかな沈黙後、田所警部はうなずいた。


「よし、やってみろ」



          †



 本社ビル三十階にオフィスをかまえる第一営業部は、財務部、法務部と並ぶ「三大出世コース」のひとつで、当然ながらそこに配属される社員は、将来を嘱望されるエリートばかりである。


 その代表的存在が、一課の課長補佐を務めている水野である。


 現在、三名いる課長補佐の中では最年少で、来年にも「補佐」の文字が名刺から消えるのではと、部内ではもっぱらの評判であった。


 その水野は今日もオフィスの一角にある自身のデスクから、部下たちにあれこれ指示を下し、相談を受け、ときには自ら取引先と電話で交渉するなど、山のようにある業務を精力的にこなしていた。


「ああ、平成企画さん? 大東洋建設の水野だが、社長さんいる?」


 電話の相手は大東洋建設のグループ企業のひとつで、土地の買収を専門に手がけている不動産会社だった。


 水野は今、この会社を手足のように使い、某私鉄沿線の駅前地区を再開発し、そこに高層マンションやオフィスビルを建設するというプロジェクトを進めていた。


 ところが、その周辺一帯に住む一部の住人が土地の買収交渉にまったく応じず、立ち退きを拒否するばかりか、再開発にすら猛反対して水野を悩ませているのだ。


「いいですか社長。あの周辺一帯をすべて手に入れなければ、今度のプロジェクトは頓挫してしまうんですよ。わかっているんですか!」


 恫喝めいた口調で言いはなつと、水野はごく短時間、相手の弁明に耳を傾けた。


 ややあって、その言葉にようやく納得したようである。


「そうそう、それでいいんですよ。とにかく早く連中に金を握らせて、さっさと追いだしてくださいよ。すでにこっちは再開発計画の了承を、上から取り付けているんですから」


 受話器を戻すと水野はタバコに火をつけた。


 だが一服もそこそこに、ふたたび受話器を手に取りボタンをプッシュする。


「ああ、俺だ。例の外環道整備工事の件だがどうなっている? 進捗の報告がここ数日俺のところに届いていないが……なにぃ、下請けの社長が予算を増やしてくれと泣きついてきたので相談している最中? バカ野郎と言ってやれ! コンクリートを薄めるなり鉄筋の本数を減らすなり、いくらでもやりようがあるだろうが。自分の干からびた脳みそをギュウギュウしぼって、コスト削減の妙案のひとつもだしてみろとボンクラ社長に言っておけ。わかったな!」


 傲然と吐き捨てると水野は電話を切り、まだ半分以上残っているタバコを灰皿にぐりぐりと押し付けた。


「まったく、何が予算を増やしてくれだよ。下請けの分際で……」


 苦々しくつぶやく水野のもとに、部下の女性社員がやってきた。


「水野課長補佐。大木部長がお呼びですが」


「部長が? わかった、すぐに行く」


 襟元を整えて、水野は部長室に向かった。


「失礼します、部長。水野です」


「入りたまえ」


 オーク材造りの扉越しに声が返ってきたので、水野は扉を開けて中に足を踏み入れた。

 

 室内にはイタリア製のチョコレート色のスーツに身を固めた四十年配の男がいた。


 第一営業部部長の大木信一郎である。


 その大木は、元は国土交通省のキャリア官僚で、二年前、会社が同省との関係強化のために招聘した人物であった。


「部長。ご用件は何でしょうか?」


「うむ。君を呼んだのはほかでもない。例のプロジェクトの件について、確認しておきたいことがあってね」


 大木の言うプロジェクトとは、先日、大東洋建設が受注を獲得した、某地方空港の新滑走路建設工事のことだ。


 現在、プロジェクトの責任者に任命された水野のもと、参入業者の選定も終わり、後は着工の日を待つだけとなっていたのだが……。


「あのプロジェクトが、どうかしましたか?」


「うむ。君からの報告書を読ませてもらったのだが、どうも参入業者の数が多すぎると思うのだがね」


「はあ……」


「たしかにリスクの分散という点で、多くの業者を参入させておきたい君の考えはわかるが、しかし、いくらなんでも三十社というのは多すぎると思うのだが、どうだろうね?」


「ははあ……」


「とくに気になるのは、この大峰工業だ。あからさまに手抜き工事をするので、過去に何度も行政処分を受けている問題業者だな。まったく、けしからん業者だ」


「…………」


「君を責任者に指名したのは私だし、その君が選定し、参入させた業者にとやかく言いたくはないが、どうかね、まだ正式に契約を結んだわけではないのだし、この際、業者の数を減らしてみては? できれば大峰工業のような問題業者をな」


「はっ、わかりました。これから大峰工業に電話をして、即刻、プロジェクトからはずします」


 などと言うつもりは、水野にはさらさらない。


 それも当然かもしれない。なぜなら大木が非難した大峰工業の社長には、これまで何度となく銀座の高級クラブや料亭、風俗店での接待をうけるなど、きわめて親密な関係にあるのだ。いくら上司の命令とはいえ、これほど「気配り」のできる業者を切るほど水野は愚かではない。


 適当な理由をつくって削減要請をはねつけようと、水野は一流国立大卒の頭脳をフル稼働させたのだが、大木が口にした次の一言がその脳の動きを急停止させた。


「話は変わるが、じつはだね。次の役員人事で、どうやら私の常務への昇進が決まりそうなんだ」


「えっ、本当ですか?」


「うむ。昨日、相澤専務のほうから内々に連絡があった。早ければ来月の役員会で正式に承認されることになる」


 現在、大木は四十五歳。大東洋建設では最年少の部長であるが、役員就任となれば、これまた最年少の役員となる。


「おめでとうございます、部長。さすがは大東洋建設きっての実力派だけのことはありますな」


「まあ、たいしたことではないがね。ハハハ」

 

 水野の「ヨイショ」に、大木は相好を崩した。


「そこで、私の後任には副部長の佐々木君を。佐々木君の後任には営業一課長の久米君を。その久米君の後任には水野君、君を考えている」


 一瞬、水野はキョトンとした。大木の発した言葉を、とっさに理解できなかったのだ。


 やがて、その意味を一流国立大卒の脳みそが完全に理解したとき、水野は声をわななかせた。


「わ、私が一課の課長にですか!?」


「そうだ。たしかに補佐の中では一番若いが、君なら十分課長の仕事をまっとうできるだろう。部内に刺激をあたえる意味でも、ぜひ君にやってもらいたいのだ」


「あ、ありがとうございます、部長。いや常務。この水野輝彦、このご恩は終生わすれませんです!」


 まさに感謝感激の態。いまにも床にひれ伏さんばかりの態で水野は謝意を口にした。


 大木が鷹揚にうなずく。


「うむ。そのためにも今回の件、期待しておるよ。くれぐれもミスのないようにな」


 これを翻訳すると「さっさと業者を減らしたまえ」ということになる。


 むろん、それを理解できない水野ではない。


「はっ、おまかせください。下請けどもが泣こうがわめこうが、聞く耳など持ちません。ただちに削減に着手いたします!」


 鼻息あらく断言すると、水野は部長室を後にした。


 そして、すぐさま自分のデスクに戻り、一冊のファイルを手にとった。件の拡張工事に参入する業者のデーターが収められたファイルである。この中から「死刑宣告」を突き付ける相手を選ぶのだ。


 もっとも、大峰工業を切るつもりなど水野にはない。切るのは、自分と「親密度」の薄い「気配り」に欠ける業者である。その選定基準から水野が選んだ業者は七社。その中に【善良建設】という会社があった。


 業界団体から優良業者として表彰されたこともある会社だが、大峰工業のような「気配り」のできる会社ではなく、それだけに水野との「親密度」も薄い。だからこそ、真っ先に「生贄スケープゴート」に選ばれたのである。


「え~と、善良建設の電話番号はと……それにしても二十代で課長とは、いわゆる同期の出世頭という奴だな。グフフ」


 悦に入った笑みを浮かべながら水野は、北村の件といい今回の人事といい、自分が幸運の女神に愛された色男であることを今さらながらに思い知るのだった。


 こんなに愛されていいのだろうかと、そら恐ろしさすら感じる……。


「おっ、これだな。ええと、03の……」


 電話のボタンをプッシュするその指の動きに、ためらいというものは微塵もなかった。


 すでに善良建設は銀行から借金をして、工事のための作業員を前金払いで確保したり、ショベルカーなどの作業用機械もそろえていた。だが肝心のプロジェクトからはずされれば、後には借金の山が残るだけ。その先にあるのは倒産の二文字だ。


 むろん、そんなことは百も承知の水野だが、下請け業者の命運に心を砕くような男ではなかった。


「あっ、社長さんですか? 大東洋建設の水野です。じつはですね、例のプロジェクトについてお話したいことがありまして……」







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